赤ノ国には国内に外国があるらしい(嘲笑)
早朝。まだ日も出ないうちから立花様のお呼び出し。黒頭巾の猫(スフィンクス!?)の案内で慌ただしく城に上がる。
足長様も連れてくるように言われたので泊まっていった足長様の様子を覗いてみたが、客用の布団にいたはずの足長様はいつの間にか消えていた。
いや、居たわ。片付けようとした屏風覗きの布団の隅っこに潜り込んで大の字で爆睡中だった。全然起きる気配が無いので抱っこで連れていく。起きてきた秋雨氏には戻る時間が分からないので朝食は好きに食べるよう言っておいた。
昨日は昼四つ、秋雨氏からの情報と擦り合わせてだいたい午前10時くらいに来いと言っていたのに。何かトラブルだろうか。
「朝餉を食いながら話す。まずは飯だ」
ここは過去に帰参の挨拶で集まった場所。ろくろちゃんが御前を守ろうと死闘を繰り広げた場所であり、松っちゃんが畳をムシャった場所であり、とばり殿とひなわ嬢と白雪様で朝食を食べた大広間だ。ひなわ嬢は二日酔いで汁しか口にしなかったけど。
術が解かれても十分広い畳敷きの大広間に、新選組の羽織のような爽やかな水色をした肩掛姿の立花様がドッカリと座っておられる。横には手長様もいて、こちらは座布団に寝転がっていた。
昨日はあれから二妖怪で話し込んでいた様子だったが、何か結論は出たのだろうか。
「朝から慌ただしくて困るねぃ」
手長様は寝転んだまま両手を上に伸ばしてこちらを見ている。たぶん起こせという事だろうから足長様を座布団に寝かせて、首に捕まってもらう形で掬い上げた。
屏風覗きの右腕はまだ添え木で固定中である。右腕に新たな五つの爪痕が出来てしまい、昨夜足長様と風呂に入った後に往診に来てくれた黒ソックスキャット、白頭巾のリリ様に呆れられている。
夜の大きな猫の瞳孔をキラリと向けて、誰に付けられたのかを聞かれたけれど事故みたいなものとしてはぐらかしておいた。傷を付けた夜鳥ちゃんは平謝りだったし、この件は屏風覗きの胸の中に仕舞っておこうと思う。
左手首の方はだいぶ良くなったので、行儀を気にしなければ一人で食事もできるようになったのは嬉しい限り。他妖怪に食べさせてもらうのはペースが合わなくて地味にしんどかったよ。
「足長はずっとそっちにいたのか。悪いねぃ、世話をさせて」
足長様は不自然なほど手が掛からないので苦労は無い。見た目は幼児のようでも我儘で癇癪を起こしたり、夜泣きしたり下の世話をしなければいけない、なんてことは一切なかった。これが人間の子供なら一日預かるだけで大騒ぎだっただろう。
手長様を厚みのある座布団に腰かける感じで座らせると、それを待っていたらしい立花様が手を軽く叩く。合図を受けて開いた襖から猿の面を被った女中たちが現れた。
長年使い込まれた品物なのか、溝に黒ずみのあるリアルな猿の面だな。頭巾といいお面といい、城勤めは役割によって被り物をする風習でもあるのか? どういう意味合いなのだろう。
「おは」
食事を乗せたお膳が運び込まれると、汁の湯気から立ち上る香りにつられたのか足長様が目を覚ます。顔のひとつも洗わせてやりたいところなので、立花様にお願いして水を張ったたらいとか女中さんに持ってきてもらえないかと頼んでみる。
少し片眉を上げて観察するような目つきで見られた後、立花様がそのようにせよ、と命じてくれた。とはいえ、たらいを待っていたら食事が冷めてしまうということで食べ始める。
お三方は盛り飯にメザシの焼き物。きゅうりとなすの糠漬けに黒豆煮。そして豆腐単品のお味噌汁。ちょっと偏見だが、偉い方の朝食には思えないとても質素なメニューに見える。
それでも品の良い朱の一刺しが入った漆黒の陶器に盛られた食事は、粗末なプラスチックの器なんかより三割増しにおいしそうに見えるから器の視覚効果も馬鹿にできない。化学的に味が同じでも、気分や雰囲気からくる気持ちの満足度は味を大きく変えるよね。
これを一緒という人はぐちゃぐちゃの残飯みたいな盛り付けでも平気で食べる人なのだろうと思う。サバイバルの適正は高そうだな。
屏風覗きの前にはどっしり直立する△が二個。底から両面に四角い海苔がペタリと張られ白と黒の鮮明な対比が鮮やかに生み出されている。おにぎりの記号そのまんまのおにぎり。もはやおにぎりと言ったらコンビニの全面海苔コーティングおにぎりになってしまった日本で、昔ながらのこの造形は懐かしくも潔い。
ただ両手で持っても三角の角がはみ出るってどういうこと? もう量に関しては諦めているとはいえ持った重量がおにぎりじゃないぞ。諦めてるけどっ。
お鉢のお漬物は楊枝の刺さった糠漬け。こちらも片手で食べられるよう怪我に配慮して頂きありがたい限り。
まあ量はともかくこういうのが良いのだ、普段食べるものというのは。豪華な食事は連続すると飽きるというか、食べ続けていると『心』にクドくなるから。
昼にちょろっと菓子パンや惣菜パンだけで済ませたくなる、そんな日もあるといいましょうか。
申し訳程度のレタスが挟まった甘いソースのぶっかかったコロッケパンとか、チープで好きだったなぁ。エビカツ+タルタルも捨てがたいけど、あれは食べた後ちょっとタマネギ臭いのが難点だ。ああ、ソースとマヨが恋しい。
三妖怪がそれぞれ口を付けるのを見て屏風覗きも食べ始める。この中で一番立場が低いので口をつけるのは最後が望ましいだろう。毒見なら下っ端が最初だろうが、この面子に毒が効くとも思えない。暗殺者の立場なら警戒させるだけ損だろう。毒見を介さず熱々を頂けるだけでも妖怪は人間の偉い人より得だな。
「赤ノ国に巣食う山の悪鬼から使者が来た」
事情に疎い者もおるから細かく行く。そう言って語り出した立花様の話を簡潔に纏めると、『山の悪鬼』という第三勢力から猩々緋の安否確認と『怪我ひとつでもさせたら敵に回るぞ』という脅しが来たということだった。
山の悪鬼。華山という赤ノ国にある険しい山の主で、少数の鬼たちとそれ以外の配下で一帯を赤ノ国から切り分けて実行支配している、国に従わないならず者の集団であるらしい。
こういった勢力のほとんどは今の四国に併呑されたか滅ぼされている中で、唯一実力で残っているというのだから大したものだ。
「赤の連中は何度も自国に組み入れようと色々やったてたみたいだけどねぃ、そのたびに手痛い目に遭わされ続けて今や治外法権の有様さ。少し前に黒曜の某とかいう大天狗どもが軍を率いて鼻息荒く向かって行って、天狗たちだけ散々追い散らされて兵を置いて逃げ帰ったなんて話があるねぃ」
いい気味さ、そう言って思いの外行儀よく箸を動かす手長様。メザシにいたっては頭から尻尾まで残らずしょりしょりと、奥歯ですり潰す音を立てて食べている。
残さず食べる、それもまた行儀が良いと言えなくもない。ただし尻尾などには寄生虫が残っていたりするから、人間は食べない方が無難だろう。ついでに食事中に考えることではないが、エビの尻尾の成分は『G』と同じだということを世間に知らしめたい。
世のもったいない教の皆さま、もったいないで病気になったらそれこそもったいないということを経典に記してくださいませ。自分の体以上の高価な資本は存在しないのですから。
もったいないは置いといて、そのならず者が赤ノ国の頭目を心配するというのは何故なのか。国に従っていないのなら関係ないだろうに。
他の妖怪に代替わりすると困る事でもあるのか?
他国のトップが変わった途端、比較的良好だった国交が険悪になったり、相手国への影響力低下から自勢力内の発言力まで落ちて立場が危うくなる。というのはよくある話だ。
「国はともかく猩々緋と悪鬼頭は懇意にしている。これは他国でも有名な話だ」
良い機会だと、立花様によって赤ノ国の統治体制についての簡単な説明がなされた。
立花様の説明を聞く限り、赤ノ国の統治体制は議会制に近いようだ。猩々緋は赤のトップではあるが、あくまで一勢力であるため複数の勢力に圧力を掛けられると、笛吹いて誰も踊らずで何もできない程度の影響力になってしまう程度の権威しかないらしい。
学校でクラス委員長が進行しようとしても誰も聞きゃしない、みたいなもんか。
赤でもっとも大きい勢力は天狗山。山の本来の名前は別だそうだが、天狗関連ばかりの山なので巷ではそっちのほうが通りがいいらしい。
猩々緋の勢力は二番手。ただし、彼女の幸運を呼び込む力は誰もが認める特別であり、国の頂点として幸運を呼び込んでもらうためにも他の勢力は一歩譲って頭目に据えられている。彼女の指示を聞くかどうかは別問題として。
細かい勢力はまだあるようだが、ひとまずこの二勢力と悪鬼勢を知っていれば良いと言われた。悪鬼勢、正規の派閥より強いのか。
「数は少ないけどねぃ。ある意味で天狗なんぞよりよっぽど恐い連中さ」
とにかく個体の強さが抜きん出ている上に、悪鬼頭は神や魔に類する存在である階位壱位と弐位ふたりから『裁定』の『権女』を賜っており、約定破りをした者は問答無用で滅することができる力が発揮できるのだという。
根本的に妖怪にとって約束は非常に重い物ということもあり、大抵の者は誰に言われなくても約束を守るので滅多にこの『権女』は行使されない。しかしひとたび使われれば、何をされても滅ぼされないような強力な妖怪でも、碌に抵抗できずに殺されて蘇ることも不可能になるそうな。
完全に妖怪キラーじゃねえか。そんなんよくちょっかいかけに行ったな大天狗連中、馬鹿じゃねえの?
「天狗は独自の階級意識が高くてねぃ。それで計れない階級外の相手を初手で侮る傾向があるんだよ。それが前評判で強いと知っていても」
昔はもうちょっと頭がマシだったんだけどねぃ。そう締めくくって味噌汁を啜る手長様。それを真似たのか、同じ感じで味噌汁を啜る足長様がちょっとかわいい。
話を聞く限り階級社会の弊害というか、偉いバカが音頭を取ったまま組織秩序でバカに付き合って、誰も逆らわずにバカを続けていって引っ込みがつかなくなった、なんて感じかもしれない。
これは人間の組織でも国や人種を問わず昔から見られる現象だ。この辺は天狗を笑えないわ。ヘンチクリンなマナーを突如作り出すマナー講師とか、逆に昔からの慣習だからの一言で時代に合わない因習を続ける連中とかな。ホント誰か止めてほしい。
「そして安否確認に、件の悪鬼頭が直々にやってくる」
蜜に濡れる黒豆を丁寧に口に運び、美しささえ感じる完璧な作法で食べる立花様。教養というのはこういう場面でこそ出るなぁ。一方で足長様が一生懸命に箸を動かしてひとつづつ黒豆を摘まむ姿は微笑ましさ満点である。手長様は全般にそつがない感じで自分の食事より、足長様の様子を慈しむような目で見ていて、こちらが温かい気持ちになる。
恐くてもおぞましくても、それはたまたま目についた一側面。きっと存在の全てではないのだ。
妖怪にだって教養も躾も愛情もあって、たぶん屏風覗きが見れていないところで、それは温かく育まれているのだろう。
「耳が遠くなったような顔をしているけれど、おまえにも会ってもらうからねぃ?」
呼び出されて説明されて何もなしな訳はない、知ってた。でも屏風覗きの心臓にこれ以上の負担をかけないでほしい。最近やっとお二方の事を体が受け入れてきたというのに。
「ごまっ」
最後の黒豆をやっつけて、けぷっという可愛らしいげっぷをした足長様が両手を合わせてごちそうさまをした。幽世の妖怪たちは本当にお行儀が良いなぁ。悪鬼頭様という方も、きっとお行儀が良いに違いない。お願い。