対面での刀の置き場には作法があり、礼儀として咄嗟には取り難い側に置くのが普通。でないと『おまえを信用していない』と言ったも同然。
誤字脱字のご指摘、いつもありがとうございます。
本格的な秋を前に最後の暑さといったところでしょうか、日中はやたら暑いですね。ここからほんの数週間で肌寒くなっていくことでしょう。
今年は本当に風邪には注意しないといけません。皆様もご自愛くださいますように。
現れた立花様はいつものように上座に向かうと、帯刀していた二本差しをどちらも向かって『左』に置かれた刀置きに預けて正面に座った。御召し物は外で見たラフな格好から一転、袖のある紋付き袴。つまり正装である。渦に囚われたイチョウの葉のような、円盤形の手裏剣のような複雑な家紋だ。
「屏風、『貴様の板』を預かる」
板というとスマホっぽいものだろう。袖に手を入れる許可を貰って取り出す。
袖を見ていたときに動いていたのか、視線を上げると立花様が上座から音も無く目の前に来ていてビックリする。ここまて間近に来られたことは今までない。群青に近い黒い髪から香油のものらしい花の香りがわずかに漂ってくる。髪の香油というと有名どころは椿油だけど、これは金木犀の香り付けでもされているのか。強い香りというわけでもないのに不思議と頭がクラクラする。
こんなにおっかなくても女の子なんだなぁ、と馬鹿な感想が思い浮かんだ。
頭巾の猫ちゃんを経由せず。直にスマホっぽいものを受け取った立花様はクルリと背を向け、ポニテを揺らしつつ上座に戻っていった。なんだか様子がおかしい気がする。
預かったスマホっぽいものを袖の中に隠すようにして腕組みした立花様。なんだろう、今日はどこか普段より凪いだ気分のようだ。覇気というか迫力というか、いつもの場を覆い尽くすような『恐さ』が薄い。
陣地で嫌なことでもあったのだろうか。あるいは被害を受けた民衆に心を痛めているのかもしれない。
確かにアレは酷かった。今思い出しても比喩でなく本当に吐き気が沸き上がってる。現代人があえて見ようとしないだけで、食肉の解体工場で当たり前に行われている程度の行為だというのに。
菜食主義になる気はないが、人は情操教育として一度くらい『店で売っている肉の作り方』は見ておくべきだと思う。子供の精神に良いか悪いかはともかく、常人なら命の尊さと残酷さ、そして無常さを実感できるはずだ。
「まずは貴様の報告から聞こうか」
すでに一仕事終えたような雰囲気だ。お風呂上りにマッサージ機で溶けている人みたい。本当にどうしたんだこの方は。
聞かせたい事で一番大きいものは金毛様と、その連れ『茜丸』の事。あの三尾狐は御前との直通を期待していたようだが、さすがに無理筋が過ぎる。屏風覗きはお伽衆と言っても直接の目通りなどまず不可能だ。まして城内では。
きつねやの時は環境の特殊性もあって面会できたが、それでも立花様とワンセットである。白玉御前だけに耳打ちなど、立場も状況も環境も見合わない。土台無理な話なんですよ金毛様。
チラリと脳裏に炊き立てごはんの香りが漂ったが黙殺する。アレは相手からのアプローチがあってのもの。こちらから裏ルートを使うのは信頼という小道の崩落に繋がるだろう。人生の生き埋めは勘弁だ。
話は小一時間は続けただろうか。茜丸氏の事以外にも細々とした報告をしたので結構掛かってしまった。
「子細は承知した。ぽいんとも片付けが終わってからの徴収とする」
そのうちのひとつ、月の件で作ったキューブの道は早々に撤去するよう申し付かった。城への直通路みたいで防衛的にも外聞的にも問題ありそうだものね。北のオブジェについてはまだ保留らしい。
なんでも酒保の蜘蛛さん経由の秋雨氏の話では、あのオブジェが大道芸というか、度胸試しの上り下りに使われだしているそうな。おバカが高いとこに登りたがるのは人間だけではないようだ。
ちょっとだけ管理責任とか問われないか心配になる。負傷者、墜落・滑落死体が出なきゃいいって訳にもいかないし、いっそ駐車場にあるみたいな『責任取らねえから』看板でも立てようかね。
本題の金毛様たちの事は、最初なるべく悪印象が無いように『御前に直接』でなく『上役に頼んでほしい』という物言いに変えてみようかと悩んだが、結局そのまま伝えておいた。
情報の歪曲、嘘、嘘ではないが本当の事も教えない。そんな交渉の駆け引きなど頭の良い人の戦術だ。三枚舌どころか一枚目さえ舌っ足らずな者が小賢しい駆け引きをするべきじゃない。アホはせめて疑念を抱かれないよう正面突破が一番だろう。仲介役が悪感情を持たれたら交渉の席にもついてもらえない。
金毛様、今の貴方と屏風はこのあたりが境界です。
「屏風よ」
袂から手元に放られたスマホっぽいものは、ポスっとこちらの正座している足にきれいに乗った。
「最後に問う。茜丸とやら、貴様はどんな輩と見た?」
物知らず。屏風覗きの印象はこれに尽きる。
悪ぶって無法をするクソ餓鬼って感じではない。学はあるが経験の無い不思議ちゃんというか、とにかく実体験を伴っていない世間知らずの印象だ。それもかなり深刻な。
うぐいす餅を手掴みするのはまだ分からないではない。子供ならわりとやってしまう無作法だ。ただそれでも、なるべく手を汚さないように『指で摘まむ』のが普通だ。本当の幼児でもなければあんなボールでも『掴む』ようには握らない。そのせいであの子の手はきな粉まみれになっていた。
そして何より、団子の持ち方は明らかにおかしかった。棒切れでも掴むように『団子全体を握る』なんて、まるで『食べる部分を理解していない』かのよう。
一般常識という教育課程が抜け落ち、そのまま疑問を持たずに育ったかのようだった。
思えばちょっと冷たすぎたか? ワザとでなく、言って聞く相手なら交流の余地はある。異文化交流と同じだ。本当の意味で世間知らずの、オオカミに育てられた少女的な生い立ちだったのかもしれないし。
例えば妖怪の場合、姿を人に化けて見せてもそれだけで知識は伴うかどうかは疑問がある。知識を蓄えるにしても人の近くにいなければ分からない作法や習慣もあるだろう。動物や無機物が人型に成ったばかり、そんな状況なら見知らぬ『食べ物』の食べ方を理解できなくても無理はない。
人間だって異国の変わった料理とか食べ方が分からなくて普通だもの。屏風覗きもテーブルマナーは怪しいものだ。
考えれば考えるほど、ちょっと頭に血が上り過ぎたな。国際問題の事もあったとはいえ応対が短絡だった。反省しよう。
「本日はこれまで。『キューブ』は数日中に取り払え」
なお明日の昼四つ、身なりを整え上刻に参れ。そう告げられ退室を命じられる。昼四つって何時だろう。後で秋雨氏あたりに聞いておこう。
襖の敷居を跨ぎ、廊下で今一度頭を下げたさい立花様から声を掛けられた。頭を上げると、珍しく唇を上げてはっきり笑顔を作った女武士が満足そうに笑っていた。
「此度の働き、覚えておくぞ」
なんか全体的に変な目通りだった。立花様もおかしかったが、そもそも何をするために呼んだのだろう。定時報告的な呼び出しか? 白金氏が深刻そうな声で注意してくるから身構えていたのに拍子抜けだ。
あるいは密会現場のタレコミでもあったか。それならピリピリするのも分かる。やましいところは無いので嘘をつく必要がなかったのが幸いだ。何より拷問で白を黒にするような取り調べをされたら悪夢だった。
と、考えてみてゾワッときた。スマホっぽいものを預けた時点で、屏風覗きに抵抗手段は無かったと思い出したからだ。
奪われたのではない。あのとき、あまりに自然に渡せと言われて、何の疑問も持たずに手渡してしまった事実が恐ろしい。これもまた立花様の『静』の技の応用なのか? 直接手渡しで受け取ったのも、あるいはこちらに疑問を持つ時間的余裕を与えないためだったのかもしれない。
あの方、案外手品とかさせたらうまいかもしれないな。マジシャンの必須技能である、視線誘導や思考操作のテクニックが並じゃないよ。コワイ。
「大変でしたね、屏風殿」
要らぬ事実に気が付いてひとりでワナワナ震えていると、ほのかな金木犀の香りを纏った白頭巾の猫が、しゃなりしゃなりと歩み寄ってきた。その足はソックスを履いているように区切りよく黒一色で、磨き上げられた廊下の上では滑りそうなほど艶やかだ。
令嬢ボイスの黒ソックスキャット氏。そういえば名前は知らないな。実はイケボキャットもこちらがたまたま知っただけで名乗られたことはなかったりする。
「お傍衆次席、リリと申します」
恐怖から解放されたときに出る瞬発力というか、思い切って特攻精神で聞いてみたら答えてくれた。リリ様か。イケボのみるく様といい、和装よりドレスと縦ロールが似合いそうなお名前だ。実際、気品溢れる美キャットである。
強かでたくましい野良も可愛いが、彼女のような如何にも『血統書付き』なタイプも可愛い。つまり、猫は可愛いのだ。
そんな彼女が言うには白玉御前様の格別のご配慮によって、今回功のあった者たちを昼餉に迎えて城の中庭を使った『流しそうめん』をするのだという。功のあった者として屏風覗きも参加するように、との事だった。
なるほど、恐らくは国の動揺を抑えるために余裕と健在をアピールする狙いだろう。さすが御前だ、動きが速い。
賑やかしとして喜んで参加しようと思う。それが政治駆け引きの場であっても下っ端には関係ない。屏風覗きは額面通りに受け取ってそうめんを楽しめばいいのだから。