別視点。立花、飛車と金将
誤字脱字のご報告、感謝いたします。
寒くなったらと思ったら暑さが戻ってくる季節。半袖も長袖も出しておかないといけない面倒な時期ですね。加えて我が家では扇風機のお暇乞いのタイミングが難しいです。
風呂上がりに受ける風はフワーっとくるエアコンより、ガーッとくる扇風機の風が好きです。
立花が何食わぬ顔で陣に戻り、泡を食う矢萩から国の急報を受けたのは『予定通り』の出来事である。
国元襲撃の報を受けて矢萩軍では大混乱が起こっていた。さらに今日で立花らが鬼女の救援に向かってから二日もの時間が経過しており、あまりに遅い事から連絡を向かわせようと話を始めたところである。
そこに整然と戻ってきた立花らを見た矢萩軍は、むせ返る様な姿になった兵たちの様を見て思った以上の戦闘があったことを察した。
矢萩たちは最初、戻ってきた立花の後ろに連なる兵たちの、その姿の異様さに目を疑った。連れて行った二百の兵は欠けこそなかったが、白く輝く鎧に全員が返り血を被り赤黒く染まっている。しかし負傷している者もいるだろうに、その表情は誰もが満足気であった。
戦果は捕虜。立花軍二百は足のつま先から頭まですっぽりと頭陀袋を被せた『四人』の捕虜を積んだ荷車と共に戻ってきた。出陣した際は荷車など運んでいなかったので、恐らくは鬼女から徴発してきたのだろう。誰もがそう思った。
「預けた兵はしばし留め置く。今少し籠っておれ」
国の大事を聞いても眉一つ動かさない立花は、それだけ言った後は負傷者の手当と食事の用意を命じた。そして自身は頭陀袋のひとつを疲労困憊らしい貉に命じて己の馬に積み込ませ、物のついでと供回りをさせて『狐の社』を使って城下へと戻っていった。
その動きにはまるで淀みがなく、後に残された矢萩たちは竜巻にでも巻き込まれた気分で呆然とするしかなかった。
「お帰りなさいませ」
社の出口にてお傍衆筆頭みるく以下、周囲を囲み結界を張る二十の頭巾猫たちの出迎えを受け、立花は強く頷いた。時間に若干の前後はあったものの、概ね予定通りの行動であり此度の目論見を立花たちは見事果たし切った。
「これもすべて御前の御威光の賜物よ。誠に、ああ、誠頭の痛いことだ」
御前自ら立案した此度の策略はこれ以上ないほどに成功した。虎の子の挺身隊から死者が出ることさえなく、『攻め』に関しては満点と言っていいだろう。いつもは一度で諫めることを諦める立花が、今回の策に関しては猛反対していたというのに。終わってみれば大戦果である。
もちろん話が纏まり策の中核を担った以上、成功させる以外にないのだから立花も必死で勤めを果たした。扶持を食む主従であれば、上の決めたことに下が従うのは当然のことである。
そして無茶が通れば道理は引っ込むしかないのだ。まして得た利益が莫大となれば文句など、今日も小煩い蝉の声より価値が無い。
「こちらは問題がございました」
馬に乗せられた袋の中身を改めた後、みるくは一枚の扇子を広げ立花に密やかに耳打ちする。
これは便宜上の表現であり、身の丈の違いから実際は互いの口と耳は遠い。しかし、立花の耳にはみるくの術によって言葉が問題なく拾えていた。
一通りの難事を聞いた侍は、主君の身に及んだ危険の大きさに顔を覆いたい気分になった。何が大戦果だ、割に合わぬと。
本当に破滅の一歩手前、玉が討ち取られる寸前ではないか。
頭を駆け巡るのは事前に仕込んだ様々な守りの事。それがほんとんど役に立っていないという事実。御前に策を打ち明けられたとき、博打にも程があるという、あの時飲み込んだ苦言が金棒の打撃のように刀身を駆け巡っていく気分だった。
紙一重。ひとつでも不足すれば白ノ国が滅んでいた。
もはや言っても詮無いことだが、今後は一度で止めず二度お諫めしようと心に刻む。
御身そのものを囮にするなど、いくらなんでも無謀が過ぎると。
「『可笑し月』、真であったか」
かねてより赤ノ国が他国への脅しとして仄めかしていた呪術。名を『可笑し月』と称する、人を狂わせる邪法の存在は立花も知っていた。潜らせている『隠れ者』からの報告により、連中が脅しとして口にする以前から密かにその術の存在の有無、規模、効果を早い段階で調べさせていたのである。
結論として『それと思しき術が存在はするが、赤が言うほどの力はまるで無い』術。ほぼ『虚偽と誇張』と判断していた。これは術に明るい他の臣下たちとも話し合っての結論である。閉じた扇子で額を押さえ、ただただ失態を恥じるみるくをしてもこれは同様であった。
なまじ術に詳しいだけに、『可笑し月』が彼らの知る呪術形態にそぐわぬ理屈で常軌を逸する力を発揮することに、最初から思い至らなかったのだ。できるわけはないと。
「赤で『何か』起こったのでしょう。でなければ不可能です」
無論、その『何か』を知ることも重要だ。だが今はそれを防ぐことが一番重要である。そのためにも『積み荷』は迅速に、かつ秘密裏に運ぶ必要がある。漏れる事は許されない。
先程から疲労で呆けつつある貉にチラリと視線を送ると、怠惰な獣は即座に反応し身を縮めて平伏した。
使えぬ矢萩軍の百姓侍ともまた違う意味で使えぬが、立花に視線を向けられたのを感じてすぐさま畏まる程度には『使える』駒。という辛口の評価が、擬態の癖にダラダラと脂汗を流す貉の処遇を決定した。
「ひなわ、この場に関する一切の口外を禁ずる。出来ぬなら今言え、埋葬くらいはしてやる」
「一切合切っ、忘れましてございますっ!!」
侍の中では返事が遅れても澱んでも、獣は土の下に行くことになっていた。その『見切り』を見切り、か細い蜘蛛の糸を見事掴んだ貉を見て、立花は生かすことに決める。
こういった生き死にを感じ取れる者は存外多い。だが、その感覚にすべてを任せられる者はごくごく僅かである。危険を感じながらも寝たふりでやり過ごそうとする者に未来はない。無様でも現状に流されず、自身の決断で未来を勝ち取る者こそ立花は好ましく思う質だった。
「今日はもうよい。これで一杯引っかけて綺麗に忘れてしまえ」
胸元から金子を放ると、立花は顎で失せろと命ずる。貉は次の瞬間にも首を落とされるのではと、感じていた恐怖とその霧散に困惑しながら震える手で小判を拾った。そして地獄の番人の気が変わらぬうちにと、目上に尻を向けぬよう前を向いたまま下がり、最後に深く頭を下げて走り去っていった。
「かわいそうに。もう少し労ってやってもバチは当たらぬでしょう」
獣のいた地面に多量の汗が落ちた後を見つけてみるくが眉を寄せる。が、その仕草を立花は冷めた目で返した。むしろ己が判断を決めかねたら、この金将白頭巾が口封じを行ったに違いないのだから。
「次は屏風か。屏風は次から次へと厄介者に出会うな」
初めての馬の世話に困惑する間抜け面を思い出し、立花は知らぬ者には分からないほど薄く笑う。それを見た猫は笑い事ではないと釘を刺し、御方に下賜された扇子を大切に懐に仕舞った。もはや術で秘匿する必要もなく、扇子を余計な日の光で色褪せさせることは我慢し難いからである。
「黄の狐から接触を持ったようです。あの蛇蝎、何を吹き込むか知れたものではありませぬぞ」
白にとって黄ノ国は有益な貿易相手であり、それ以上に『実験場』として非常に好ましい国でもある。
友好国として双方に益を生む関係を築いているが、国対国に本当の友好などありえない。こちらはこちらで、向こうは向こうで出し抜く機会を伺っている。より正確には、出し抜こうとするたび黄の頭をやんわりと抑えてやるのが白のこれまでのやり方だ。恐らくは今後とも。
恭順は不要だが、反逆はそれこそ不要。上手に他国との緩衝地帯として立ち回ってもらうのが白にとって都合がいい。都合よく使っている自覚と御前の慈悲から、相応の『うま味』を与えているのだから働いてもらうのは当然。そう立花は考えている。
いっそ併呑すればよいと思わないではない。だが、かの御方の考えから敢えてしない事に意味があるのだろうと沈黙し、立花は血の気の多い他の者の進言を抑える側に回っていた。
「狐一匹の甘言で揺れるなら、とうに黄泉路に旅立たせておるわ。屏風は人にしては義理堅い」
別に性根が良いと言っているわけではない。裏切る事の危険を知っているという意味だ。ああいう手合いは金でも人情でも裏切らない。己の身の危険、それが一番の関心事であり分水嶺となる。こちらが身の安全を担保する限りは裏切らないだろう。
「では、詰問を行ってもよろしいですな?」
人間の返答如何によっては御前に注進申し上げる、そう言葉を切ると黒頭巾に指示を出して降ろした『荷物』を粛々と運んでいった。
社に残された立花は愛馬に跨ると、宙に伸びる白く輝く道をしばし見つめた。
「参れ」
こちらに。
立花以外には誰にも聞こえない声がポツリと答える。見る者が見れば、ほんの一瞬だけ馬の影が揺れたように見えただろう。
「先んじて整えよ。我の持ち物に芥子の反物があったはずだ。部屋にはそうだな、水色の霞草でも飾っておけ」
屏風に着物の色や花言葉など分からんだろう。だが、見る者が見れば立花の意思を感じることになる。それが偏屈なお傍衆共への、ちょっとした牽制となればよい。
何より屏風覗きは立花の部下。たとえお傍衆であろうと他の者に断罪されるのは業腹だ。
それが忠を手柄で示した部下であるなら尚のこと。叱責もすれば褒美も与える、それは上に立つ立花の役目なのだから。