天にも等しいと自称した、とある石猿の分身の術。渡来Version
毎度毎度の誤字脱字、重ね重ねご指摘ありがとうございます。どうにもならねえ。
一点だけ、『ならば火だるまもそう悪く』の後はあえて書いていません。思考の中断的な表現ができないかと思い、これまでも何度か文章を切ったりしています。ハイ、誤字脱字が多すぎて区別出来ませんよね。別の書き方を模索してみます(謝罪)
「おまえも湿布臭い体でうろつくな! 離れで養生してろ馬鹿屏風!!」
頭から湯気を出しそうな顔のとばり殿に腰を押され、グイグイ部屋から追ん出されてしまった。それでも気遣いの見え隠れする言葉に、屏風覗きの心の涙腺は緩むばかりです。
少し名残惜しくて振り返ると、仁王立ちの姿で手をシッシッと振られてしまう。仕事中に押しかけてしまったし、ここは大人しく戻るしかないだろう。
来た時と違い、外では兵士たちが土木工事と思わしき作業に追われ、その間をすり抜けるようにして禿っ子たちも細かい作業指示や道具の用意片付けを手伝っているようだ。何もしないやつがいていい場所ではない。
「屏風っ」
歩き出した辺りで呼び止められて振り返る。なぜか当の呼び止めた守衛さんは呼んだクセにそっぽを向いていた。
「おまえもそろそろ得物のひとつも持て。近々腕のいい刀匠に引き合わせてやる」
それまでもう少し持っていろ、そんな暖かい言葉と共に返した短刀を再び投げ渡された。いくら腱鞘炎気味の左手でも、これを落とすヘマはもうしない。
小さな肩を精一杯いからせて用は済んだとばかりに部屋に戻る後ろ姿に、見えないだろうがそっと手など振ってみる。帯に差した短刀は不思議と暖かいような、優しい感触がした。
部屋から出たはいいが、さてどう戻ればいいのかと頭を悩ませていた屏風覗き。その案内役を買って出てくれたのは『毛色の違う禿っ子』だった。
あの場面でノコノコ戻って、とばり殿に『どう戻ればいいの?』なんて聞けなかったので、とてもとても助かりました。みっともないってレベルじゃないもの。
道中に彼女から少し話を聞けたのもうれしい収穫だ。こちらには覚えがないのに、どうも禿っ子たちから嫌われているようなので原因だけでも知りたかった次第。
無論、矢萩様もそうだが仲良くするかは別問題だ。それでも出来ることなら、とばり殿の近隣には嫌われたくない。
「『我ら』の多くは隊長を取られたように思えてお冠なだけです。ちょっとした嫉妬ですよ」
『我ら』という単語のイントネーションに妙な引っかかりを覚え、興味本位で尋ねてみたら彼女たちは確かに雀の化生ではあるが、個体個体の経立ではないのだという。
一妖怪の雀の妖怪の羽から生じた、一種の分身のような存在であるらしい。
彼女たちは別れていたせいか、あるいは元々そういう術だったのか、時間が経つごとに少しづつ違う個性を持つようになったんだそうな。ただ元が同じのせいか、考えはそれぞれで筒抜けのままだという。
確かに、見た目はともかく分身にしては個性があるように思う事を指摘すると、雀のはずの彼女は爬虫類のようなギョロリとした目を向けて笑った。
侮辱と取られたのかと思い弁解しようとしたところ、むしろ嬉しいと言われて戸惑う。
なにせ嬉しいと言いつつその目には重油の表面に浮いた油のような濁った光というか、黒い喜びがあるように見えたからだ。なんか怖いぞ、この子。
「『我ら』はひとりのはずなのです。そのひとりが別人に見える、それは『わたくし』として見てもらえたということですから。これは嬉しい事なのですよ。フヒッ」
他の『我ら』は知りませぬが。
黒漆に金粉で白鳥を描いたぽっくり下駄を鳴らし、しずしずと先導していた禿っ子はそう言うと、ふわりと体を舞わせ橋の偽宝珠のひとつに音も無く着地した。体より遅れて降りる長い袖は、それこそ鳥の羽のよう。
言葉が矛盾しているのでは? 元が同じなので考えが筒抜けになると言っていたのに。
まるで重力が小さな月面にでもいるように、宝珠の上をフワリフワリと跳ねる彼女は呑気に跳ねる兎にも見える。
橋に連なる金色の偽宝珠の輝きも、その瞬間だけは夜空の月にあるというお伽噺の、不幸も穢れも無いという都の輝きにも見えた。妖怪がいるのだし、もしかしたら本当にあるかもしれない。
「記憶と想いは別のもの。同じことをしても同じ事を思うとは限らないのですよ?」
器用に宝珠の先端でくるりと振り返り、こちらを包むように袖を広げた禿っ子は子供に言い聞かせるような口振りで囁く。
雀の羽を思わせる袖には『ふくら雀』と呼ばれる柄があり、どこか妖しい艶と毒を持つこの禿が、まだまだ幼い閉じた蕾とこちらを諭すよう。
全員が『本人』なので、誰の記憶を見てもどんな齟齬があっても『本人の記憶』としか認識しないから不都合はない。しかし、『感情』はその個体にしか分からないのだという。
例えば『朝日を見た』という記憶があるとして、同時刻に辛い思いをして泣き明かした『自分A』が見た朝日と、今日の祝いの席を待ちきれずに日の出前に起きた『自分B』の眺める朝日。それは同じく昇っても同じ朝日ではない。
そんな感じの説明を受けた。説明してもらって申し訳ないが、いまいちピンとこない。
彼女たちは記憶の統合性を取るために、あえて個人の感情だけ載せていないということだろうか。分からない。
たぶんこれは考えても無駄なやつだ。この辺の機微は『記憶を共有する分身』のいる存在にしか分からないだろう。
手足が二本づつの人間に、足が六本の感覚は説明されても分かるまい。同じ人間でさえ感覚派の説明なんざ分からないのだから。ここでガッとしてグッと、とか擬音で言われても普通は分かんねえから。
存在の違いに困惑する偽妖怪を見て笑うこの子は、さて何を思っただろう。
その一瞬の想いも、今この場の彼女だけのモノ。
「屏風様、ではわたくしめはこれにて。フヒッ」
橋で見せた水銀のような重い艶が嘘のようにフヒッている禿っ子に礼を言う。残念ながらお礼として幾ばくかの金子を渡そうとしたらハッキリ断られた。
「わたくし、見ての通りまだ客は取れませんよ?」
そんなつもりではない。分かっているだろうに質の悪い冗談を言う子だ。他の子より会話の余地があるだけマシではあるのだが、誤解されたら特にシャレにならない案件なので勘弁していただきたい。ノーロリノータッチ。
ただ、部隊の隊長として忙しいとばり殿との連絡を付けたいとき彼女のような仲介役は有用だ。他人との繋ぎ役なんて失礼な発想かもしれないが、今後のためにも伝手としてなるべく仲良くしておきたい。他の子だと最初から相手にしてくれなさそうだし。
となると必要になるのは個体の識別だろう。呼ぶときに『雀』だけでは誰が誰か判らない。何か分かり易い違いがあればいいのだが。例えば愛称とかどうだろう。
そう言うとぜひ決めてくれと、やや食い気味に肯定されたので、この子と橋の袂で向かい合って考えてみる。
フヒッ子、暗黒属性の子、ゴルゴン。ダメだ、どれも口にしたら友好関係が粉々になりそう。ケンカ売ってるレベルだ。
「夜雀という妖怪なら別におります、屏風様」
この子になんとなくある夜のイメージと雀の経立ということを合わせて、『夜雀』ちゃんと呼んでもいいかと聞いたら無知を晒してしまった。いるのか夜雀。
なんでも現世の伊予や土佐の国辺りでわりと有名な妖怪らしい。しかも正体は鳥ではなく虫。『蛾』だそうな。鳥でさえないのか。あと伊予ってどこだ。
「では夜鳥で」
最終的に頭を捻り過ぎて一周したようなシンプルな愛称が出てしまった。それでも思ったよりは好感触。もちろん裏では『キモい』とか思われているかもだが。
お水のお姉さんは素人と違って客の前では絶対態度に出さないからね。優しいから平気とか勘違いしてはいけない。裏で何言われてるか分からない点はプロも素人も関係ないけどな。
「他にも夜に相応しい鳥がいる中で、名前負けしそうです」
不意に暗黒神に仕える巫女みたいなオーラの持ち主のはずが、まるで雪から顔を出した花のようにはにかんだのを見て、つい見とれてしまう。
人を誑かす色も艶も、この笑顔の光には遥か遠い。この子に夜などとんでもなかった。今からでも明るい感じの愛称に返させて貰えないだろうか。
「嫌。フヒッ」
世の全てはどう生じたかなど問題ではない。己に益があることが祝いで、害があるのが呪いという考えがある。何であれ、当人に気に入ってもらえたならそれでいい、か。
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