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一夜明けて

いつも誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

夜中の豪雨で川の氾濫が心配になるこの頃です。過去に洪水というほどのレベルではないですが、バンパー付近まで水に浸かった車がしばらく変な臭いがして大変でした。実際の洪水被害を受けたら、やっぱり即廃車なんでしょうね

 あれからろくろちゃんのアドバイスで火の手が回ると被害の大きいという場所を二か所ほど回った。正直なところ眠気と疲労の限界で判断能力など失せ、彼女の言ったとおりに動いただけだ。


 なにせ現場に向かう足は屏風覗きの足であり、移動だけでとんでもなく体力を使う。


 ろくろちゃんの怪力は傘に由来しないものに関しては持続力がないらしく、とばり殿のように持ち上げてえっほえっほと移動という訳にはいかなかった。松をお城に置いて行ってしまったのが悔やまれる。


 もう安全だとは思うが松ちゃんの安否も気にかかってしょうがない。なにせ馬ごと城内に踏みこんでいるのだ、事情を知らない身内に無礼打ちにされかねない。降ろしてきた腐乱犬(フランケン)氏が屏風覗きの馬と説明してくれればいいのだが。


 屏風覗き基準で一通りの事が終わって、城で松を引き取って、ろくろちゃんと別れて、離れに向かって、それ以降の記憶はバッサリ無い。


 目を覚ましたのは気の早いセミが夜明け前に本腰を入れて鳴き出した早朝の事。まだ暗くぼんやりとしてよく見えないが、体はどうにか離れに辿り着いたらしく襦袢のままで布団に突っ伏している。


 全身痛い。ろくろちゃんに操られた体はあちこち無茶があったようだ。特に右腕が肩から外れそうなほど痛い。スポーツ選手のように鍛えていればもう少しマシだったのだろうか。


 まだ動く感覚のある左腕で辺りを弄るとどうも様子がおかしい。体が何ヵ所か添え木で固定されているっぽい。


 突っ伏した布団に目を向けると昨日の負傷の名残りか、固まった血の欠片が落ちている。たぶん耳のやつだろう。ろくろちゃんは治したように言っていたものの、一度まともな医者に診てもらうべきだろうな。


 今頃になって鼻を突く酢みたいな薬品の悪臭に気が付く。体の添え木といい、寝ている間に治療を受けたらしい。最近こんな事ばかりだ。


 それからしばらく短い覚醒と睡眠を繰り返して、ぼちぼち寝返りをうちたいと思うようになったとき、開けっ放しの玄関からワラワラと白頭巾の猫が一匹(一人)と黒頭巾の猫たち四匹(四人)が上がり込んできた。


 白頭巾のこの子は初顔だな、白毛に足と尻尾だけソックスを履いたようにきれいに黒いという珍しい毛並み。


「おはようございます。屏風殿、お加減はいかがですか?」


 この白頭巾ちゃん、深窓の令嬢みたいな落ち着いた女性の声である。白金氏がイケボキャット男性部門優勝なら、この子は女性部門トップではないだろうか。ろくろちゃん、疑ってしまったが君の治療の腕ならぬ舌は確かなようだ。


 簡単な問診を終えた後は体の状況説明を受ける。要するにひ弱な体で無茶な運動をしたせいで筋肉やらスジやらをひどく痛めた状態、つまりとても痛いが別に死んだりはしないので安心していいとのことだ。鼓膜も問題ないらしい。


 問診中もぬるま湯を張ったたらいを持ってきた黒頭巾の猫たちによって体を拭かれ、包帯を取り換えて、添え木を付け直して貰っている。治療は白頭巾の仕事だと思っていたが介護程度なら白黒関係ないようだ。


「食事も来たようですね。お話はまた後ほどにいたしましょう」


 黒ソックスキャットが向けた視線の先は玄関。そこには秋雨氏がプルプルしながら跪いていた。手には湯気を立てる碗を乗せた膳があり、地面に付かないよう頭の上へと精一杯に持ち上げている。


 非常に残念ながら、猫ちゃんたちは部屋で待つ気はないようでしずしずと退室していった。


 そしてこの時、玄関際に並んだ猫全員からこちらに頭を下げてお礼を言われている。


 御前をお守りした事、この尽力を我らお傍衆は誰よりも感謝いたすと。


 それはろくろちゃんたちの功績だ、とはさすがに空気を読んで口にしなかった。誰もが役目を果たし、その役割のひとつを屏風覗きがこなしたに過ぎなくとも。たぶん、これは誇っていいことなのだろう。





「はぁー、そのようなことがあったのですか」


 カレースプーンほどの大きめの匙で、モリッと掬った雑炊を咀嚼中の口元にスタンバりつつ秋雨氏が相槌を打つ。まだ食ってます、一口多っ。


 現在、右腕は肩から指先まで固められてまったく動かせず、左手は動くが腱鞘炎みたいな症状がある。そこそこ痛いためうまく手を使えない。このため秋雨氏から食事介護を受けて食べさせてもらう羽目になった。


 熱々の雑炊を冷ますがてら昨夜の状況をお互いに伝え合う。と言っても今の彼女は外との交流がほぼ無くなったため、大半は屏風覗きの体験報告になる。それさえ詳しい話が出来るほど全体像は把握できていないので、だいたいの事はフワッとした言い方しか出来ないのだが。


 犬の妖怪である秋雨氏は紫の月が出現してからすぐ気を失ってしまい、気が付いた後は知り合いが強引に城内に引っ張り込んで帰してくれず状況確認ができなかったそうな。無茶苦茶な状況だったし、信用できる身内で固まるのは正解のひとつだろう。


 まったく居場所の無い子と思っていたが非常時に手を貸してくれる相手はまだいるようだ。本人が悪いわけではないし、白雪様のように味方してくれる妖怪()がいても不思議ではない。

 

 まだ会って間もない子だが『ちょっと抜けているけど真面目』という印象を受ける。この『ちょっと』抜けているというのがミソだ。こういう子は世話好きの人がつい構いたくなるタイプらしい。


 さすがに本気で迷惑がかかるほどドジな子は現実では煙たがれるからな。一度や二度なら許せるが、万事がトラブル続きでは悪意が無くても普通はキレるか、真剣に大きな病院での診察を進めるしかない。そういう人は運不運でなくたぶん体か心に異常がある。


 ほかほかの湯気を立てている雑炊をありがたく頂く。匂いでもう分かっているがなんと納豆が入っている。納豆雑炊、新しいジャンルだ。熱されてさらに増した特有の香りにちょっと気後れしてしまう。


 小鉢には複数の種類を混ぜ込んだきのこと昆布の炒めもの。使った油はごま油のようで、わずかに立ち上る湯気からかぐわしい香りがしている。この匂いのケンカをどう仲裁すべきか悩ましい。


 匂いの強い二品に隠れて主菜のアジの酢漬けが息苦しそう。それでも片栗粉を付けてパリパリに焼かれた香ばしい皮と、脂の乗ったテラテラの身を飾る輪切りの鷹の爪と、細切りの白ネギが美しい一品だ。

 今回は雑炊のせいか汁は無い。このうえ味噌汁まで飲んだらお腹タポタポになるからだろう。


 見た目中高生くらいの女の子に食事の介添えをしてもらって思うことではないのだが、マイペースで食べられないのって結構ストレスになる。

 しょっぱさが欲しいときに雑炊、ごはんが欲しいときに出されるのがおかずと地味に不満が出るのだ。そして途中から問題がもうひとつ発覚した。


 この子、胴体、おそらく胸骨か肋骨あたりを痛めているっぽい。呼吸に合わせて引き攣っている姿は明らかに痛がっている。思い出してみれば捕り物の夜に牛頭の不意打ちを受けて怪我をしていたのだ。介護が必要なのはむしろ秋雨氏のほうだろう。怪我人が介護なんて無茶するものじゃない。


「折れてはおりませんっ。どうか、お暇を言い渡すことだけはっ!!」


 ボチャンと匙を雑炊に落として慌てて土下座する姿が痛ましい、というか汁が跳ねて顔に掛かった。なんというか、真面目なんだけど微妙に残念な子だ。


 後がない彼女は怪我をしていようが体調が悪かろうが働くしかない、という強迫観念が芽生えてしまっているらしい。声を出すのも本当は辛いんじゃないだろうか。しかし、治療については残念ながら難しいかもしれない。


 白雪様が連れてきたときから怪我をしていてそのまま、ということは本格的な治療は許されていない可能性がある。ダメ元で言ってみるか? その行動で余計に彼女の立場が悪くなるかもしれないのが恐い。


 こういった話は難しい。嫌っている連中は相手がどんな状態でも嫌悪するだろうが、彼女への評価が曖昧な者たちは『不遇の身をかわいそうに思って見逃している』という、とてもめんどくさい優しさを発揮して、無用に責めずに事態を静観している連中も相当数いるのではないだろうか。


 一概に敵味方には分けられない勢力はバランスの取り方ひとつで敵になってしまう危険がある。白雪様もこの辺を総合的に考えて、あえて治療させなかったのかもしれない。


 幸か不幸か、ちょうど屏風覗きもボロボロだ。離れという外部に知られない空間で寝込んでいる。ここでなら治療に来てくれる白頭巾の猫たちから『多めに』消炎剤やら鎮痛剤やら、治療薬を手に入れることができる可能性がある。


 ただ猫たちが秋雨氏をどう思っているか、これだけは賭けになる。それもダメなら屏風覗きの私用として薬を手に入れてこよう。よく寝込むひ弱なヤツという実績はもう知られているだろうし、常備薬のひとつも離れに置きたいという理由ならさほど不自然ではあるまい。


 とりあえず傷に響きそうな力仕事はしないよう言っておく。家電製品無しの家事は軒並み重労働だろう。無理は良くない。


 別に屏風覗きはヒーローじゃないのだ、一片に解決できないことは身の丈に合わせてひとつひとつ取り組めばいい。難問のドミノを一発で蹴っ飛ばせる連中と同じことをしようとしても、ただのモブキャラでは失敗するだけ。


 ぺたぺたと行こう。焦らず、駈け出さず、後ろからついてくる妖怪のように。

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― 新着の感想 ―
[一言] 納豆とろろオクラ雑炊、匂いキツそうだけど美味しそう。 口が怪我してるかもしれないから、噛まなくても流し込めるごはんにしたんやろな。 頭巾猫たち、秋雨さんのもとの階級より高そうだな。 頭巾の…
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