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紫月・その3

 暗黒天。光届かぬ深海のような濁った空、切り貼りした影絵のような嘘臭い真円の紫。これがどんな術によるものかは知ったことではない。今大事なのは彼女のしたいことを叶える事。それだけ。


「いざ、浮かれ傘ぁーっ!!」


 腕が引っこ抜ける勢いで天へと振られ、人ひとりという重りを物ともせずに傘が螺旋を巻きながらライフル弾の如く飛び上がる。


 回転によって振られた体の端に締め付けられたような痛みが走り、遠心力で体内の血液が外側へと寄っていくのが分かる。決して離せない形で掴まされた機械のシャフトをモーターでブン回されたようだ。普通なら自重の回転に耐え切れず手足がねじ切れる前に跳ね飛ばされるか、あるいは手の皮がズル剥けて激痛と引き換えに回転から解放されているところだろう。


 屏風覗きの体にはそのどちらも起こらず、一直線に掲げた右手から肩、首や背骨、腰や両の足にいたるまで一本の棒になったかのように回転に耐え切った。脳と内臓、三半規管のほうは酷いものだが。特に自分の腹の中で感じたことのない『内容物』の偏りを感じたのが気持ち悪い。外側にグニョっと来たぞ。この世界で腸ねん転とか、開腹手術の必要な症状は勘弁願いたい。


 回転数こそ多かったがいきなり過ぎて半失神状態というか、訳が分からないうちに混乱が終わってむしろ目を回さなかったのが幸いだ、どうにか前後不覚になるほどフラフラせずに済んでいる。三半規管が無事でよかった、さすがに国の権力の象徴であるお城の上でマーライオンなんてしたら、立花様に怒られる程度じゃ済みそうにない。


 見下ろす城下は天地が逆転したように火の明かりがわずかに煌めいて、暗黒の空と交差した世界はまるでこっちが星空のよう。動ける付喪神が灯した火だろうか。しかしそんなささやかな光とは異なる大きな炎も見える。ポツポツと見える煙の燻りはまさか火災の予兆か。


 それでも今はやらなければいけないことがある。千を大火で包む火種より、万を焼き尽くす業火の火種を見つけなければならない。


 それを誰よりも分かっている彼女は、誰よりも高い場所で、誰よりも大きな声を張り上げた。焦っていたのか、己にくっ付いている人間の鼓膜など一切合切考慮せずに。声だけで山をも揺らさんと、それだけの一大事と言わんばかりの大声量を張り上げた。


「しょうけら逃げたーっ!!! 御前に仇名す不届きモンやーっ!!! 誰かーっ、そいつ捕まえてんかーっ!!!」


 声じゃない、これはもう音の爆撃だ。工事現場でアスファルトを突き固めるアレ、たしかプレートコンパクターとかいった機械を頭に直接括りつけられたような衝撃を受けて目の前がチカチカする。『声』はすぐに脳を揺らす振動に変わり、強い痛みが耳の奥から染み出し音が遠くなる。骨伝導というやつか、内容こそ聞こえはしたが痛みでそれどころではない。


 これって鼓膜が破れたのか? 


 いつから? いつの間に自動防御が切れていた? まだまだ効果時間はあったはずなのに。効果はあってもそれを貫通した? 痛い、分からない。痛い、まるで奥歯の神経でも触られているような激痛で泣きそうだ。


 周囲を確認しているのだろう、痛みを堪えるのに精一杯の人間をぶら下げたままクルクルと回転し地上の反応を待っている。

 余計なことだがひとつ謎が解けた。下界で屏風覗きが彼女と空に浮かんだとき、これほどの勢いで飛び上がった傘に片手で捕まっていられたのは火事場の馬鹿力のお陰じゃなかった。ろくろちゃん側が人間の体を操っていたからこそ掴んでいられたのだろう。思えば腐乱犬バッティング事件のときに操れるのは実証済みだった。


 秒数にして10数えないほど。ギュルン、と急激に回転した傘に体を振られる。勢いでプール後の耳に残っていた水のような、耳から暖かい液が抜けた感触があった。その方向では暗闇の中で目立つよう地上でクルクルと回される光が見える。


 意識過剰だと思うが過去に耳の聞こえない人の話し方を聞いた記憶がよぎり、声ではもはや正確に伝わっているか自信が無いので視覚で意図が伝わるよう、そちらに向かい滑り台のようにキューブを設置してみる。


 伝わったようだ。ろくろちゃんは屏風覗きの体を操って滑り台を『走り』下りていく。当然の如く、この体は彼女の望む速度など出せないので途中から滑り下りる形になった。

 それでもキューブ表面には微妙な摩擦があるようで下駄ではうまくいかず、思い余ったろくろちゃんは器用にも屏風覗きの体を『傘』の上に座らせ、己の石突で滑っていくという実にややこしい曲芸を披露した。下駄より摩擦が少ない分滑走しやすいということだろうか。

 傘の持ち手がいない正月芸が観客のいない上空数十メートルで披露されている。何やっているんだと言いたいが、パランスは彼女が勝手に取ってくれるし、痛みで辛い荷物はおとなしくしているのが正解だろう。ちなみに座り方はあぐらで、さすがに転がされてはいない。


 人間の視力でも見えるくらいに降りてきてた場所は南の中周り。国公認とはいえ賭場があるためか、国でもっとも町妖怪(町人)のガラが悪いと評判の地域だ。さすがに現代のネオン街とまではいかないが、色取り取りの色紙を使った提灯や行灯が飾られ、壁に貼られたお水商売の宣伝っぽい張り紙ひとつ見ても欲望を刺激するような妖しい雰囲気がある。


 生憎、時刻の関係かどの明かりも灯されてはいないので、せっかくの背徳的な雰囲気も舞台裏を覗いたように台無しだ。


 そんな場所で提灯を振っていたのは、いかにも『時代劇の遊び人』といった格好のちょんまげおじさん。幽世で人の男性型が少ないこともあって、ちょんまげに遭遇する確率は驚くほど低いので実は激レアな髪形だったりする。ケモ型はそもそも髪を結わないし、人型も女性型が多いからだ。加えて言えば女性は時代劇で見る島田髷だか兵庫髷だかの独特な髪型に結っていない。こちらは激レアのちょんまげ以上に今まで誰一人として見たことがなかった。

 花魁ファッション自体は尻の下の京傘が見せてくれたけど、今思えばコスプレっぽい『非日常感』があったし、幽世でも髷は廃れたのだろうか。


 もしかしたら人間の女性と同じく、妖怪の女性もファッションの流行から外れたら一瞬で見向きもしなくなるのかもしれない。


 他に外に出してある長椅子に座っている肩のはだけた派手な着物の女性。胸にはサラシが巻いてあり、こちらもこちらで『賭場の女壺師』といったいかにもな様相だ。それもハッタリを利かせるためか地肌が見えるほど刈り込んだ超ショート。ほぼ五分刈りレベルである。オネエと言われたほうがまだ信じられるくらい男前の顔立ちで、手で弄んでいる火のついていない細いキセルがよく似合っている。


 個性的なふたりに圧倒されて見落としていたが、『時代劇の遊び人』の足元に右足の足先が切れた『しょうけら』と呼ばれている妖怪が土の地面に左半身が埋まった形で倒れている。自身で潜り込んだわけではないだろうから、どちらかが捕縛のために埋めたと思われる。


 傘から伝わってくる振動とふたりの口の動きからして、たぶんろくろちゃんと会話しているらしい。残念ながら右の耳は完全に聞こえない。左の耳は音こそ拾うものの遠く、雑音が混じりまともに声としては聞き取れない。


 しばらくして何やらこちらに注目が集まったので耳を指さし、聞こえないと顔の前で手を振るジェスチャーをしてみる。触れるとやはり耳の穴から血が零れていて、それを自覚するとますます痛みが強まった。ラジオペンチでも耳に突っ込まれて破けた鼓膜を摘まれているみたいだ。


 鼓膜というのは破れても完全には無音にはならないのか、あるいは錯覚か、頭の中の血流の音は聞こえてくる。その血流のドクンドクンという流れのたびに痛みが襲ってくるのが辛い。


 顔を顰めて痛みに耐えていると、いつのまにか人型に変わったろくろちゃんが袖をグイグイ引っ張りしゃがむよう促すので腰を下ろす。


 突如、耳奥に激痛が走り飛び上がろうとした頭をガッチリ抑えられて混乱した。気付けばろくろちゃんに頭を、『時代劇の遊び人』に体を抑え込まれて動けない。痛みと何をされているのか分からない恐怖に耐えかね、暴れようとしても妖怪たちの怪力に抑え込まれてまったく動けなかった。


「聞こえるか? にいやん」


 ちゅぽっ、という音の後にろくろちゃんの声が右の耳から聞こえた。聞こえたことを伝えると彼女はニッコリと笑い、まだ掴んでいた屏風覗きの頭をグリンと首を動かして左側を向けさせる。

 こちらを押さえつけていた『時代劇の遊び人』の手に再び力が入ったのを感じて、次に何をされるのか理解した頃には再び神経を触られるような激痛が襲ってきた。


「うちは傘やからな。張るのはお手の物やで」


 全身汗びっしょりでへたり込む屏風覗きの頭を撫でてくる彼女は、わずかに血の匂いを残す長い舌をペロンと揺らしながら満面の笑みを浮かべた。たぶん、あの舌を使って鼓膜を張り直したということだろう。

 さすが能力がフワッとした妖怪だ、傘を張るのと治療で鼓膜を張るのも同じと解釈できるらしい。治療は助かるけど破いたのはろくろちゃん、直したもとい治したのもろくろちゃん。イマイチ感謝したくない。


 疲れ切ってアゴを出すように空を見上げると、紫の月はもうどこにもなく、ゆっくりと空が黒から緋に移り変わるところだった。


「向こうも羅漢どもで何とかしたようやな。これで落着、やな」


 なるほど、別動隊がいたのか。詳しい話はぜひ聞きたいところだが今日はもう一杯一杯。これ以上のイベントは勘弁してほしい。今も頭がチカチカして数瞬ほど失神する形で寝ているくらいだ。たぶんこの状態なら地面でも寝れる。


 それでも問題は山積みでまだ休める気がしない。ぽつぽつ起き出した町妖怪(町人)たちと、それを見て動き出した『時代劇の遊び人』に『賭場の女壺師』。ふたりは一度揃ってこちら頭を下げると、次に上げた顔は先程とは違う不敵で油断ならない悪党めいた顔となっていて、そのままガラじゃない役目は終わったとばかりに彼らの日常に戻っていく。


 協力してくれた相手に失礼な話だが、無能な善人より有能な悪党、そんな社会の無常さを見た気分だった。そりゃいなくならないわ。悪党と一口に言っても人格破綻者でないなら社会そのものとは一応共生するし、有事の際には協力だってする。悪党なりにコミュニティはあり、社会が成り立たないと彼らも困るのだから。


「さあ、アホしょっ引いて帰んでっ」


 ろくろちゃんは地面に埋まった『しょうけら』を力任せに引き抜き、無事なもう片方の足を躊躇なくへし折った。気を失っていた妖怪から苦痛の声が漏れ暴れようとしたところに、さらに無遠慮なボディブローを二発三発と入れていく。その残酷な光景も傷だらけの彼女や周囲の被害を見ればかわいそうとは思えない。


 辺りに響く連打される鐘の音は火災を知らせる合図だろう。空から見た限り大きな炎はひとつふたつではなかった。というわけで今少しだけ屏風覗きは残業だ。酸素供給を断てるキューブの特性を利用すれば早く鎮火できるかもしれない。


 血の赤も火災の赤も、どちらもこの白く輝くキャンパスにはいらない色だ。


 ゴタゴタしながら住むことに決めて、たった数日の白ノ国。今日初めてそう思った。


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[一言] 見た目ロリに耳を舐められる。 これは事案では?
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