別視点。ろくろの宝
白ノ国の象徴『白猫城』の城内には、白玉御前の側近といえども立ち入りを厳しく禁じられている場所がいくつかある。
そのひとつが城の中央に位置する六畳ほどの質素な一室。しかしその手前には座敷牢の如く厳重な檻が設けられ、実際の部屋の規模は倍以上となり区画を大きく占拠していた。
対外的には『宝物殿』と称されたこの区画には収まるべき金銀も宝玉も無い。この一室に入ることを許されているのは主の『持ち物』たちだけであり、『持ち物』たちが長い眠りにつきたいと願うとき、初めて入ることが許される。
鞘の割れた刀、片方しかない草履、潰れた手毬、焼けた織物、糸の無い釣り竿、歯がまばらな櫛、傷だらけの銅鏡。ひとりとして替えの利かない轆轤の同志たち。
檻の向こうに覗く葛籠の中で静かに眠る彼らに、起こされてほんの数日で疲れた傘は縋りたい気持ちで一杯だった。
うまくいかない。表だけ笑って付き合えばいい相手に、それがうまく出来ないことが情けない。
主人から態度を諫められるだけでも恥ずべきことなのに、その主人の作ってくれた改める機会を不意にしてしまった。意地の悪い式神がのたくっていたことなど言い訳にしかならない。
昼でも陽光の一切入らない暗黒の一室、そこには蛍の灯のような淡い緑光だけが光源として置かれている。眠る『物』たちにはこれ以上の光はうるさいだけ。彼らには静かで、穏やかであってほしいという願いの光。
傘はこの熱の無い光こそ、根の国に届く輝きのように思えた。
「うちは人間が嫌いや」
本当のことだ。轆轤は人に愛想が尽きている。なんであの連中はくだらないことで騒いで貶めあうのか。そのクセ吐いて捨てるほどいるくせに己の命だけは星より重いと思い込んでいる。傘からすれば酔っ払いの戯言にしか聞こえない。大事なら争うな。
何をどう信じてもいいだろうに。何をどう生きてもいいだろうに。人はわざわざ肩をぶつけては争い出す。現世はそんなに狭いのか。身じろぎしたら当たるほどに。
無論、そんな輩ばかりではないのは知っている。大切に日々を積み上げていく者たちもいると。
そんなささやかな宝物を汚い手で毟り取ろうとする悪意が、よく目立つだけだと。
「うちは人間が嫌いや」
では妖怪はどうか。本当はさして変わらない。人に成りすます化生はやはりどこか人に近くて、無益に殺しもすれば盗みもする。人の社会を真似てからはそれがより顕著となった。身分を振りかざすこともあれば、力で理不尽を押し付けることもある。
あるいは気に入らんというだけで意地悪もする。轆轤がそうしたように。相手は何も悪くないのに。
かつて見た狂気と悪意の塊は、もはや人だけのものではない。分かっている。
この纏まりの無いささくれた気持ちをどう噛み砕けばよいのだろう。思い悩んだ果てに古刀にまで打ち明けたのは今思えば痛恨の失態だった。魔が憑いたとしか言いようがない。
「我らは人の作り出した道具だ」
人を好く太刀は声も高らかに言葉で傘を貫く。立花は作られたことを、使われることを心の底から誇っていた。
憎くても苦しくても、付喪神はそれでも心の何処かで人に役立ち、喜んでもらいたいと思ってしまう性なのだと。好きでも嫌いでも人に作られた道具として、付喪神にとっても人間はどうしようもなく特別なのだと。
それは愛されぬ子の、親への執着に似ている。
「好いているからこそ、貴様は人に嘆くのだ」
行われる蛮行に失望するのは何故か、人を信じているからだ。正しくあってほしいと願うからだと。
「轆轤、貴様は存外、我より人を好いているやもしれんぞ?」
檻に頭をぶつけて気を散らす。己よりずっと長く在るあの古太刀は、いつもしたり顔で腹の立つ言葉を吐いてくる。可愛い玉が近くに置くので顔を合わせるしかないのが腹立たしい。玉との付き合いは轆轤のほうが長いというのに、気が付いたらあの子のお気に入りになっていた泥棒猫め。
轆轤たちが安心して眠れるようにと、玉なりにしかたなく拾ってきたのだと思って我慢してやっているのに。そうとでも思わねばやっていられないのに。
「嫌いや」
それを言えば屏風覗きこそ気に入らない。幽世に紛れ込んでほんのわずかな間だというのに、どれだけ取り入るのがうまいのか。そしてなぜ主人は人間を厚遇、その言い方でも足らぬような近しい接し方をするのか。
自らの御手を使って冷たい水で米を洗い、真っ白い毛に炭をつけて釜土に薪をくべる光景を思い出し、傘はひとり心を痛める。頭ではもう一人前と分かっていても、轆轤のなかで主人は出会った頃の小さな子猫のままなのだ。
か弱い子猫と出会ったから、轆轤は雨から日差しから誰かを守る『傘』であったことを思い出せた。錆びた鉄の棒に変わり果てても、突き刺された人の生皮を傘にしてか弱い玉を雨から守ったことは今も昨日のことのように思い出せる。
それから玉のもとに一品、また一品と訳ありのはぐれ『物』が集まり、誰が何を望むでもなく子猫の成長を見守った。最初から知り合いの『物』など誰もいない、だからこそ見知らぬ同士で気負いなく戯言に付き合えた。
誰もが思ったのだ、この子がひとりで生きていけるまではと。その時間は本当に、ほんのひと時の事だけれども。
大笑いした事もあれば肝を冷やした事もあり、怒鳴った事もあれば泣いた事もある。それは全部が大切なろくろの思い出。
今や強く美しく成長した主人は轆轤たちの誇りだ。
それでも心配なのは変わらない。血生臭い傘の下でみぃみぃ鳴いていたあの頃の子猫が、今も轆轤の心に住まう玉なのだから。
「嫌い」
だからこそ今日まで何度も問うた。厚遇はまだいい、よりによってどうして一国の主が人ひとり相手に飯炊きの真似までするのかと。
どう聞いてもはぐらかされてしまい、思い余ってもう『眠りたい』と口を滑られたことを今はとても悔いてる。その時の悲しそうな主人の顔を思い出すと気持ちが乱れておかしくなりそうだ。
つまりすべき事は最初から決まっている。ここに来たのはただ愚痴の整理をしたかっただけ。眠っている同志たちにはさぞ迷惑だろうが、叩き起こされたこっちが苦労しているのだ。愚痴ぐらいは聞いてもらっても罰は当たるまい。
「起きれるのは、もううちだけやしな」
踵を返した傘は来た時より上を向いて部屋を後にする。
対外的には『宝物殿』と称されたこの区画には収まるべき金銀も宝玉も無い。
一匹と一本と一振り、たったそれだけの者たちだけが収めた、それは大切な宝物の眠る場所。