鬼女の優雅なお住まい(作業場込み)
8日の振り替えで1話分、前倒し投稿します
ひなわ嬢のアドバイスを受けつつ天狗女を縛り上げる。人生で縛ると言ったらネクタイと靴紐と、後はリサイクルに出す雑誌や新聞紙くらいだったので地味に難儀した。ちゃんと縛らないと動くうちにじわじわ解けてしまったり、逆にキツ過ぎて手足が鬱血してしまうことになる。釣りやキャンプといったアウトドアに明るい人なら、こういう時にも応用できる紐の結び方くらい知っているんだろうな。
片手で教えているひなわ嬢にまどろっこしそうな顔をされるのはしょうがないとして、天狗女にもこいつドンくさいみたいな顔をされてしまった。これについてはしかたない、黙って縛られているのにもたつかれたら腹も立つだろう。逃げたり攻撃してきたら殺すけど。
一段落して周囲を見回す。最初に目に入ったのはキューブの中でギチギチと蠢く、みっちりと詰まったデカい虫の長い体。ゾッとしつつ視界から外して別の物を探す。まだまだ元気なのかよ昆虫顔。形状からするとムカデの妖怪あたりだろうか。キューブの中で人型だった上半身が虫そのものになっていて、そのサイズは胴体回りだけでドラム缶並だ。
内部からの圧力で破るつもりだったようだが生憎キューブに1ミリも変化はなく、虫と人の中途半端な状態で完全に固まっている。むしろ自分の体で余計に詰まって苦しんでいるようだ。
「見る限りですがね、赤の兵はもうこの辺りにはいませんな」
手際よく見回ってきたひなわ嬢がひとまずの戦闘終了を告げてくれた。万が一を考え他のキューブの解除は本隊が到着してからがいいだろう。
戦意を喪失している天狗女をひなわ嬢と歩きながら簡単に尋問しつつ、要人が立て籠もっていると思われる家屋に向かうことにする。
「婆ぁっ!! 生きてるかぁっ!? 外は片づけたぞ!! 開けろ婆ぁっ!!」
固く閉ざされた戸には槍や刃物で付けたと思われる傷、さらには焼こうとした痕跡まであった。こいつらが戸を破壊しようとしたのは確実で、家屋の周囲にも同様の跡があることからかなり攻めあぐねていたことが窺い知れる。見た目は普通の木製なのに、ちょっとやそっとでは破壊できないすごい術でも掛かっているらしい。
これって本隊を待っていても大丈夫だったんじゃないかな。まあ過ぎた事か。
集金を諦めない借金取りのようにバンバン戸を叩くひなわ嬢がヤの字で恐い。根負けしたわけではないだろうが、ゴトッと重い物を動かす音がしたあと引き戸がガラリと開いてボサボサ髪の老婆が戸の向こうから現れた。
病的な白い肌はしわくちゃで、結膜炎みたいに血走った目付きはいかにも悪巧みをしていそう。全体的に油断のならない気配がする老妖怪だ。何よりその手には包丁を脳天に突き立てられた『大きな犬?』の亡骸が引き摺られていて、デロリと垂れた舌は断末魔の残りを吐き出しているようにも見えた。
「ちょいと待ちな」
口を開こうとしたひなわ嬢にかまわず、ザラいた声でそう告げると掴んでいた『大きな犬?』の頭に突き立てられた包丁を抉るようにグリグリ動かし、強引に引き抜くと無造作に死体を放った。何気ない動作であったのに、死体は地面を滑るようにポーンと10メートルはブッ飛んでいく。
何やら口論を始めたひなわ嬢と老婆をよそに、目の前で天狗女がへたり込んだ。おそらくあの死体が最後の頼みの綱か、あるいは仲が良かった妖怪だったのだろう。少しかわいそうにも思うが攻めてきたのはそちらなのだ、返り討ちほど自業自得なものはないと諦めてほしい。
思ったより丁寧に家に招かれお茶まで頂いた。人の皮を剥いで物を作る鬼女、という話を聞いていたのでかなり身構えていたのが申し訳なくなる。
案内された途中で見た限り内装はごく普通の日本家屋で、むしろ清潔ささえ感じる。イメージしていた血油で錆びた道具も、犠牲者を吊り下げる鎖も、内容物を受ける赤黒い染みのついた桶も無い。
「旦那、旦那の探し物は地下のほうですわ。ちょいと見てきますかい?」
やっぱりあるのかよ、絶対見たくないわ。異様に苦いお茶に苦戦して気を紛らわすために気になっただけなので、残酷観光案内はノーセンキューです。嫌がる友人ほど心霊スポットや絶叫マシンに誘いたがる質の悪い悪友みたいな顔をしないでほしい。恐いのが好きならそれこそ一人で行け、一人で。そのほうが恐いでしょうが。
「いつからアンタん家になったんだい。客か『材料』以外にゃ見せないよ」
正論だ。人様の家を他人が案内するなんておかしい話だ。うん、不穏な単語が混じった気がするが気にしない。
老婆は『皮剥ぎの鬼女』とだけ名乗り、粘質な笑みを浮かべてチラチラとこちらを値踏みするように見回してくる。その間も負傷したひなわ嬢の手を見立てており、淀みのない手捌きは熟練の職人、あるいは医者のような貫禄があった。
「金取る気かよっ!?」
ようやく湯飲みの底が見えてきたとき悲鳴じみた声が聞こえてむせそうになった。負傷の治療(修理)代金について『助けたんだからタダにしろ』、『それとこれとは別』と揉めているらしい。ひなわ嬢の言い分も分かるが職人の言い分も分からなくはない。飯のタネだもの。
彼女の負傷は屏風覗きのために負った傷なので、治療費はこちらが負担するつもりだ。ただ、だいぶ使い込んでいるのでお値段次第では困ったことになる。先に秋雨氏に初任給を渡しておいてよかった。けど次からどうしよう。というかそもそも二分金1枚(約40万円)で足りているのか、まだ相場を聞けていないので不安だ。
二妖怪が口論し出した途中で、それまで放心していた天狗女が再起動したのか騒ぎ出した。もっとも聞くに堪えない罵りを叫んだ矢先に、ひなわ嬢の必殺シュートが撃てそうな全力キックで顔面を蹴りつけられて転がってしまったが。怖い。
「旦那さんや、こいつ売らないかい? 直しの代金ってことにしてやるよ」
まだ蹴ろうとするひなわ嬢を止めていると老婆からとんでもない提案がされて驚いてしまう。ひなわ嬢も『名案!』みたいな顔しないの。
悪いが天狗女は捕虜として本隊に引き渡すつもりだ。偽善でしかないのは分かっている、だがそこまでは吹っ切れない。妖怪を何人殺しても売り買いだけはしたくない。もちろん屏風覗きはゲスなので、捕虜の人権を守りたいなんて殊勝な考えからではない。金にするほど堕ちていないと言い訳したいだけだ。
老婆がひなわ嬢に要求したのは1両(8000文)。二分金(4000文)2枚ならまだ残っていたので、これでピタリだ。
ひなわ嬢は言い値を馬鹿正直に払う駆け引き下手の屏風覗きにすっかり呆れてしまったのか、掻けないところが痒いような小難しい顔をした。そして溜息をつくとそのままドスドスと部屋に上がり直し、ぬるくなったお茶を一気飲みして不貞腐れてしまった。
買い物の値切りや釣り上げは人によって様々な意見があるだろう。屏風覗きとて値切りを前提とした文化ならそれに倣う。しかし職人の腕を値切るのは技術への侮辱ではないかなと考えてしまう。
もちろん法外な値段であれば敬遠するが、1両は約40万。素人目で傷の具合を見る限り、医療保険無しと考えれば妥当なところではないだろうか。そもそも助けたからとお礼を要求するのもおかしい話だし。
守ってくれたひなわ嬢に失礼だが、これで怪我をしたのが屏風覗きだったらもっと簡単だった。
お礼はともかく感謝してくれないなら2度目は助けないだけだ。報われないのに頑張れる人間ではないので。
真贋を確かめていたのか二分金をチャリチャリ指で弄んでいた老婆が、急に粘っこい引き笑いを始めた。とても、とてもおかしそうに。
「ひなわ、おまえにしちゃ良い男見つけたねぇ」
世のおばあちゃんとか、他人身内問わずだいたいこの手の冗談言うよね。ちゃっかり煎れた二杯目のお茶が変なところに入ったのか、ひなわ嬢が盛大に咳き込んでいる。
そこから何を思ったのか老婆がどっこらしょと立ち上がった。
先ほどの商談に何か誤解があったのか、断りもなく屏風覗きの持っていた縄をとんでもない力で掻っ攫うと、そのまま天狗女を引き摺っていく。止めようとしたが『見学』させるだけだと言って有無を言わさず連れて行ってしまった。
土間から引っ張り上げるのも片手でひょいで、まるで重さを感じさせない。老婆に見えてもそこは妖怪というところだろう。土間の角にぶつかるよう、わざとギリギリで持ち上げるのがいやらしい。
顔の痛みで蹲っていた天狗女は老婆の笑みを見た瞬間からいよいよ真剣な悲鳴が上げ、縛られていない足で踏ん張ったり壁に足を引っ掛けたりと必死に抵抗する。だが名に鬼とつくだけに力が強い鬼女の膂力はその程度でどうこうなるわけも無い。廊下を曲がって姿が見えなくなった辺りから次第に悲鳴が下のほうから聞こえ出し、最後にガチャンという音がすると完全に聞こえなくなった。
引き戻すべきか、ちょっと混乱気味になってしまったので判断を保留。まだむせているひなわ嬢に1枚だけ残していたきれいな手ぬぐいを渡そうとしたら、素気無く断られた。そして逃げるようにこの子も老婆の後を追って行ってしまう。
誘いか? そうまでして恐がらせたいのか? 屏風覗きは行かない。絶対行かない。怖いのイヤ。
静かになった居間にポツリ。なんとなくひとりで居る気になれないのでマナー違反と知りつつ離席させてもらい、外に行くことにする。ちょっと馬のことが心配になった。
部屋はきれいなのに何処か薄ら寒い気配が漂っている気がして、一人きりだと耐えられなかったというのは内緒だ。