仕事無し、知り合い無し、交流無し
夜が明ける。白みのかかった世界の奥が瞼を開くように、そっと。
土だけで汚れていたと思っていた手の、赤黒い色を見て地面に擦り付ける。陽光で露になった地獄のような光景も、もう狼狽える期間は過ぎていた。
少し前に白軍から先触れが到着して状況の説明を求められたので、主に腐乱犬氏が報告を行い、屏風覗きはこの建造物について聞かれた時だけ答えるに留める。といっても答えられることは少ないし、このホワイトに配色したキューブならどこの所縁かだけは分かり易いだろう。
ほどなく到着した白軍は戦国ドラマで見るような揃え一遍の武具など身に着けておらず、ただ頭に被る傘みたいな被り物や兜、鉢巻きは皆が真っ白で統一されていた。いくら白ノ国が裕福といっても、雑兵にいたるまで残らず鎧を統一できるほどではないのだろう。ただ軍の要所要所に配置されている旗持ちの兵だけは他よりまともな武具を身に着けていた。
兵の多くは近隣の村人で、その補強として見回り組と守衛組の『外部組織?』から抽出された人員が部隊を纏める士官の役割を果たす仕組みらしい。現代の感覚だと寄せ集めと言っても差し支えないレベルだが、その士気だけは明らかに高い。この惨状を見ても怖気づくどころか多くは憤怒に声を上げ、誰に音頭を取られることなく自発的に手を合わせて復讐を誓っていく。
漏れ聞こえた言葉から、赤に対する恨みつらみは今に始まったことではなく相当過去に遡る確執であると伺えた。
「屏風殿、陣地の修正について大将殿から要求があるようです。こちらへ」
徹夜ですっかり疲弊している屏風覗きと違い腐乱犬氏に衰弱は見られない。死人なので疲れないのかもしれない。怨霊として世に残った彼は、死後の慰めのために白ノ国で働いているという。誰かに供養してほしい、忘れないでほしいということなのだろうか。
この土地で亡くなった妖怪たちも、もしかしたら迷って怨霊になる者もいるかもしれない。
『階位弐拾四位、白羽の矢萩』
大将と名乗った方は屏風覗きとは一度も面識の無い妖怪だった。系列としては見回り組のトップに近い方らしい。今回の緊急招集で一番早く手勢を集めて駆けつけることが出来る位置にいたことが決め手だったようだ。
恥ずかしながら初顔合わせで呆気にとられた。なんとツインテである。鬱な気分が一瞬吹き飛んで、この髪型する妖怪マジでいるのかと失礼なことを思ってしまった。正式にはツインテールという呼び方はなくてサイドテールだっけ? 立花様と同じくらい、中高校生くらいの容姿で運動部のようによく焼けた肌をしていた。
軽装から見える手足は明らかに細身だが、筋肉の撓りは力強く引き締まっておりまるで縄のよう。そして鎧の代わりに弓道で使うような胸当てをしている。当然、背負っているのは長弓。これまたテンプレという言葉が何度も頭に湧き上がって集中できない。
陣幕の中で立花様に持たされた図面を広げるまでは見知らぬ相手ばかりでちょっと緊張したが、幹部とおぼしき数人からいくつかの修正と増築要求を受けた後はお払い箱、というようにさっさと放り出されてしまった。
ご苦労もういらん、というならこちらとしても『そうですか』としか言うことはない。交流する気が無い相手に緊張するのも馬鹿らしい話だ。
少々失礼じゃないかという気持ちもあるが、ツインテに引っかかって侮った雰囲気が出てしまい、無礼なヤツと矢萩様が気分を害してしまった可能性もある。部署違いで怒鳴る気にもなれず無視されたのかもしれない。後で立花様あたりに怒られそう。
追い出され際、矢萩様と腐乱犬氏とのやり取りでチラリと聞いた兵の総数は1000名。本隊が来るまでは彼らが白の戦力の全てとなるようだ。人員規模でいうと、日本の戦国時代程度の動員数が幽世の合戦基準なのかもしれない。
さびしく追いやられた外ではあちこちでキューブに妖怪が群がっていた。即席で作ったらしい梯子をかけて壁に上り物見を行う者や、陣地をさらに囲う柵を作る者、飛び道具対策の板や竹を束ねた盾を設置している者もいる。お仕事ご苦労様です。
そんな中で一番多いのは野次馬、興味深そうに眺めたり触ったりしている妖怪たちだ。そのうちお調子者っぽい舌をチロチロと長く伸ばした女性がキューブに思い切り槍を突き込み、持っていた槍をボキリと折ってしまった。
あちゃあという顔をしたのもつかの間、近くのまとめ役らしいに老齢の鹿頭に猛烈に怒られて耳を押さえていた。どこにでもやらかすタイプってのはいるもんだ。
彼らに悲壮感が無いのは戦いを楽観視しているからだろうか。あるいは覚悟が決まっているからか。まだまだこの世界の住人たちの気持ちは分からない。
追い出されたからといって周りに知り合いのいない屏風覗きが何処に行ける訳でもなく、ボッチのままお呼びがかかるまでブラブラすることにする。座っていると眠気がきそうという事情もある。もちろんひとりで遠くに行く勇気は無いのでキューブの囲いの中だけだ。
しかし、偽妖怪が珍しいのか周りからジロジロ見られて落ち着かない。といってこちらが視線を向けると話しかけられたくないらしくそっぽを向いたり足早に散ってしまう。被害妄想が妄想じゃない正真正銘のボッチ状態だ。辛い。
思い余って目についた梯子を昇り高いところに避難することにする。気分は校舎の屋上でボッチ飯するいじめられっ子である。実際は屋上への扉なんて施錠されてるもんだけど。
下のほうはあまり見たくないので、なるべく遠くに視線を固定してぼんやりする。キューブの上に手すりなんて安全に配慮したものは無く、足場をうっかり踏み外したら6メートル下に落っこちてしまう。そうそう死ぬような高さではないが、頭から行けば首が折れて死ぬときは死ぬだろう。世の中その場で転んで亡くなる人だっているのだから。
そういえば自動防御さんは自身の落下にも対応してくれるのだろうか。検証してみたいが怪我をする可能性がある事をこんな時にすべきではないか。
<自動防衛 02:08:55 までな 停止YES/Nぅ ポイント返還りない>
あと2時間ほどで自動防御が切れる。社から出たところを襲われる可能性を考えて万全の体制にしたものの、無駄になってしまった。保険なのでしかたないとはいえ、1回で1000ポイントはやはり重い。効果を発揮するような場面に遭遇せず万々歳、掛け捨て上等と納得していてもだ。
未練がましいことだが単純計算で踏破4日から5日分、給料で考えると日勤1週間分が吹っ飛ぶのだ惜しくもなる。しかし、不意打ちに対処できる手段がこれしかないだけに悩ましい。だからと言って殺気を感じて飛びずさるとかヒーローめいた動きなんて出来ないし、しょうがないっちゃしょうがないのだけど。
少し離れた位置で物見に立っている妖怪たちからのチラチラ視線が痛い。気が散るから他所に行ってくれと言われている感じだ。チクショウ、これ建てた本人ですけど? 正確にはスマホっぽいもの使ったチートだから、『私が建てました』なんて産地証明したら詐欺になっちゃうけどな。ここに登るときに使ったあり物素材で作られた不格好な梯子のほうが、よほど物づくりとして立派だ。
何か無性に情けなくなって帯に差し込んである短刀を掴み、これを貸してくれた友人の顔を思い出す。
行きがけに小さな手で突き出されたこの短刀。大事に手入れをしながら使い込まれてきた一品であるのが素人にも見て取れる。屏風覗きはこの刃に相応しい人間ではないけれど。
貸してやる、後で返せ。
素っ気ない言葉と、その言葉以上に込めた強い気持ちで送り出してくれたあの子に情けないと言われたくはない。
この先の屏風覗きの行動はまだ命令されていない。このまま防衛に駆り出されるのか、逆侵攻をかけるのかも不明だ。攻め込んだ部隊が一角とはいえゴッソリ死んだことを赤はどう見るだろう。単なる前哨戦の様子見なのか、手痛い出血と見なすのか。軍議から蚊帳の外の下っ端には判らない。それでも視線を落とすだけで理解できることはある、やるべきことは決まっている。
生きて戻らなければならない。誰を何人殺めようと。