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燻り

 夕刻、約束通りどじょう鍋を(つつ)きに来た凸凹コンビは、談笑しながら老舗の味を楽しんでいたのだ。先ほどまで。しかし、話が離れに転がり込んできた犬耳の事になった途端、磁器の器にチンと呼び鈴のような音を立てて目の前の相方の箸が置かれた。


「ん」


 人差し指で畳を差した低温気味の一言を受けて、座っていた座布団を除けてあぐらから正座に切り替える。最近とばり殿の『ん』で言いたいことが何となく解るようになってきたかもれない。


「何がどうしてそうなった。すべて吐け、一から十まで全部だ」


 別段悪いことはしていないのに、なぜ罪の追及のような形になっているのでしょう。ともかく、変に抗弁する必要もないので経緯を説明する。ウソを見逃さないと言わんばかりの目力も、今回に限っては別に恐れることは無い。


 最重要のキーパーソンである白雪様の話が出てきた時点で諦観を見せたとばり殿は、ため息をひとつ付いた後は箸を持ち直して食事を再開した。


「節度を守れ、それ以上言うことはない」


 ウッス。




 食後に出された真桑の瓜はひなわ嬢との食事では注文しなかったデザートだ。予め井戸水にでも浸けてあったのか、舌に触れる水気のある冷たさが鍋で暖められた体に心地いい。ほどよい厚みにスライスされ、シャキシャキと歯切れのよい食感は柔らかい果肉を信奉する西洋瓜とは違った魅力だと思う。これはこれでおいしいというやつだ。


「見回りの秋雨。あの猪か、面倒な」


 冷たい果物を食べて気分転換になったようで、とばり殿は楊枝で突き刺した最後の瓜を手に、犬耳について知っている事を教えてくれた。


 彼女は見回り組八十八隊という最小単位の一隊に所属し、主に他国との商売が盛んな外周西町を担当していたらしい。

 妖怪ひと伝てに聞こえてきた評価は頭をあまり使わない猪。とばり殿の評価もおおよそそのような感じで、指揮されていれば勇敢で忠実な妖怪(人物)、という印象だという。事実、犯罪者の巣への突入などで真っ先に突っ込んでいくそうだ。確かに、あの夜に屏風覗きもその光景は目撃している。


 あれが欺瞞でなければ、だが。


「犬の経立ということも関係あるかもな。本来、忠義に厚いはずなのだ」


 どこか憐れむように言葉を一区切りして、口に瓜を放り込んだとばり殿は少し苦い顔をしたまま話を続ける。ここからはいつもの仏頂面が変わるほどに思うところがあるのだろう。


 かわいそうかわいそうと連呼すれば、自分は優しいと思っているような連中とは違う。ちょっと判り難いだけで、本当の意味で優しい子なのだ。


 秋雨は三姉妹の長女であり、姉妹揃って見回り組に属していた事。(おつむ)はイマイチだが忠誠心に厚い長女と、白ノ国、ひいては白玉御前にさほど敬意を持っていないことが透けて見える愚かな妹たちとで、ひどく温度差があったらしい事。


 それでも、上役に咎められかねない妹たちを庇い、だからこそ危険な役割を率先して引き受けていたのではないか、とも思えた事。


 最後は私の想像だがな、そう呟いて嫌な気分を振り払うように首を振る。なぜか、その仕草に無念という言葉が思い浮かんだ。


 だとしたら報われない話だ。身を挺して守っていた妹たちに砂を掛けられ続け、最後は致命的な愚行の巻き添えにされたことになる。こんなの、とばり殿でなくても耳を塞ぎたくなる話だ。

 たぶん妹たちにも妹たちなりに言い分はあるのだろう。しかし、第三者が聞く限り献身を裏切られ続けた姉の残酷物語にしか聞こえない。


 そりゃ白雪様も救済したくなるだろうさ、救いが無さすぎる。


「仔細は承知した。言われた通りしばらく匿ってやれ」


 竹楊枝を静かに皿に戻し、こちらに真摯な目を向ける友人。その姿はどこか透明で、硬質な宝石よりも瑞々しい、澄んだ湖のような美しさを感じる。

 

 光を跳ね返す輝きよりも、まるで吸い込まれるような水に例えたほうが似合っている。そんな気がした。





 やらかした、夜になっても賑わいの変わらない町といっても閉まる店は閉まる。酒を出す飲食店あたりならともかく、呉服店や雑貨店など夜間までやっているはずもない。


 雑談の一環、という体でとばり殿の欲しい物を聞き出したはいいものの、思ったより食事時間が長引いたせいで店を出る頃にはとっぷりと夜が深けてしまっていた。帰宅のついでに買って渡すという当初の目論見はご破算である。


 プレゼントはちゃんと考えて渡せ、横着するなという、幽世のお天道様の思し召しかもしれない。


 そういえばあれだけのゴタゴタがあったのに、守衛の隊長さんであるこの子は屏風覗きに付き合ってくれる時間なんて、どうやって捻り出してくれたのだろう。あのままなし崩しで重要施設に缶詰でもおかしくないだろうに。


 この疑問に屋台の甘酒売りから二杯目の冷えた甘酒を買っていたとばり殿が、ちょっとバツの悪そうな気配になった。

 たぶん、おそらく甘酒くらいなら酔わないと思いますけど、自身のアルコールのリミットについては考えて頂きたい。今日は屏風覗きだけなので。


 こちらも一杯目を口に含む、すぐさま米糠独特のクセのある甘い香りが広がった。この店の甘酒は特に香りが強いようだ。冷えていてこれでは、米糠が苦手な人は常温で飲むのはちょっと無理なレベルではないだろうか。


 甘酒は多様で豊富な栄養を含み、いわゆる飲む点滴と呼ばれる飲み物のひとつに数えられる。江戸の庶民の暑気払いとして人気のあった飲み物だ。もちろん江戸時代の甘酒は常温が当たり前で、付き合いで買った屏風覗きの手にあるような竹の器に結露ができるほどキンキンに冷えてはいなかったろうけど。


 どじょう屋の瓜といい、幽世ではそこそこの保冷技術が民間に普及しているようだ。


 ちなみに冷えているものは一杯8文、常温は6文、いずれも『甘』と焼き印された竹の器を返却すれば1文戻ってくる。瓶時代のジュースみたいなエコなシステムである。飲料と考えるとそこそこお高い。


「昨日の事だが、部下や同僚にな、休め休めと押し切られたのだ」


 二杯目をクイッと呷り、その勢いで口を開いたとばり殿だが、どうも当人にも分からない困惑があるようだ。


 非常時ということで休みを返上し、急遽復帰したとばり殿。しかし強がっていても精神的に疲労していることを見抜かれたのだろう。鳥人を見た時のこの子は随分と動揺していたし、何かショックを受けていたように感じた。

 顔見知りというわけではなかったようだが、赤ノ国にいた頃でトラウマになるような出来事でも思い出したのかもしれない。


 そんな機微を知り合って日の浅い人間にも見抜かれるのだ、より長い付き合いの妖怪なかまにはそりゃあバレる。

 いや、良い仲間じゃないですか。孤高に見えても、この子に孤独は似合わない。なんのかんの見てくれている誰かがいるタイプだ。イケメンだし。

 それなのに本人が気付いていないのがなんとも歯痒いというか、微笑ましいというか。雀っ子たち、名乗りを上げたら割と簡単にコロッといくかもしれないぞ。


「あやつら、休むついでに何故かおまえと飯を食って来いとうるさくてな」


 態度が何かおかしいので問い詰めたら、屏風(あれ)がひなわ嬢と仲良くお高いどじょうを食いに行ったところを、何妖怪(何人)かが見てしまったと白状したのだそうな。


 知らぬところで屏風覗きのプライバシーが痛烈なボディブローを受けていた。雀か、雀だな。あの禿(かむろ)っ子たちめ。腹ペコキャラになんて情報を。おかげで屏風覗きの支度金がまたゴリッと減ったぞ。この子にはお礼で奢るつもりだったから問題は無いと言えば無いけど。


 先ほどの情報はもう教えないで決定。口は禍の元、イケメンを地道に攻略するといい。


 ところでひなわ嬢と飯を食ったから何なのだろう。知り合いと食事をするくらい不自然ではないと思うのだが。なお容姿の幼さは考えないものとする。


 他に無理に問題行動を捻り出すとすると、見回り組と懇意にしているように映ったのかもしれない。とばり殿は守衛組、グループを跨いでフラフラするタイプが嫌いな人にはどっちつかずで不快に感じた可能性はある。


 偉そうに言える立場でもないが困ったものだ。そもそもあれは機密保持を目的とした密会みたいなものだったというのに。ひなわ嬢にしても情報提供がてら財布扱いしてきただけである。あくまで屏風覗きはお伽衆(はなししゅう)、どちらについても権力強化はありません。


「隊長っ、よかった!」


 三杯目を飲みたそうにしているちっちゃい酒乱予備軍と、商品を売りたい店員(普通のご老人? 特徴無し)の間にさりげなく入り牽制していると、例の雀の経立である禿かむろっ子がぽっくり下駄を鳴らして駆けてきた。


 耳元にボショボショと何かを口にされたとばり殿は、先程までの比較的柔らかい眼差しを一転、その目付きをカチリとスイッチが入ったように鋭くする。厄介事の予感。


「急いで戻るぞ、屏風」


 やはりトラブルのようだ。問題の発生は時間を問わないので困る。ゆったりした食後の余韻が台無しだ。


 気を取り直し、走りやすいよう着物のすそを捲ってマラソンモードになる。このスタイルがいわゆる『ケツをまくる』という逃走を表す語源になったと聞いたのだけど、本当だろうか。


 ここから城までは徒歩でだいたい40分といったところ、と思うだが、この城下町も城と同じで術の影響かイマイチ感覚が信用ならない。近くても遠くてもどのみち走るから関係ないか。関係あるのは体力と病み上がりの腰くらいだ。辛い。


「急ぐと言ったぞ」


 走り出そうとした体をわっしと猫の子のように掴まれ、諸共に跳躍したふたつの体が、目の前の壁も堀も一度に飛び越えた。もはや懐かしささえ覚える体勢とリズム。夜の町に一本下駄が繰り出す爆音を轟かせて、とばりエンジンが夜に白く浮かび上がる城へと一直線に駆け抜けていく。


 なお、町の境界や城の入門のさい、その都度作法のために止まります。こればっかりはしかたないらしい。


 非常時とはいえ、ちっちゃい子に俵運びされて警備にまずケツを見られる屏風覗きは羞恥でいっぱいです。もちろん着物はさすがに戻したので、古今東西誰も嬉しくないサービスショットは無い。


<実績解除 町にょ走り屋 3000ポイント>

<実績解除 初めるの会戦 5000ポイント>

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― 新着の感想 ―
[一言] 同僚部下たちもとばり殿の外堀埋めに協力し始めたか……。
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