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土下座犬

 頭痛がしてきそう。


 外出前に一旦戻ってきた離れの前に白雪様がおられた。それは別にいい。ちっちゃい手におかもちもおひつも持っていない姿にむしろ安心さえする。いや、不安かもしれない。あるべきものが無いというのは非日常の証なのだから。よもやお釜ごと部屋に入れてないでしょうね?


 冗談はともかく、非日常は白雪様の足下。土の地面に本当に頭をつけてこちらに土下座している妖怪(人物)がいることだ。


 白装束姿を纏った姿で出で立ちこそ違うが、頭から覗く犬耳には見覚えのある。


「お帰りなさいませー。実はちょーっとー、屏風様にご相談がありましてー」


 太陽の熱気に当てられたように手を額にやり、いかにも困っていますという身振りに口振り。しかし、しかしだ、それとは裏腹に可愛らしい白い手で覆われた目元、口元がニヤついている気がしてならない。


 もちろん、だからといってやんごとなき御方の話を聞かないという選択肢などあるはずもない。

口を開いた屏風覗きに向けてピコリ動いた耳は、とりあえず離れへという、聞く前から半ば陥落した言葉に満足そうにピピンと揺れた。




「階位四拾弐位見回り組が一員、いえ、『元』見回り組、秋雨(あきさめ)と申しますっ!!」


 部屋に上がることなく土間で再び土下座をした秋雨氏は、止める間もなくその体勢のままで話し続けた。元の声量が大きいタイプなのか、テンパっているのかは不明だが、地面に叫ぶような体勢でありながらとてもうるさい。キングのイヤーはバーローの耳。いや、あれは井戸か。どうも思考停止すると余計なことを考えてしまう。治りそうにない。


 要約すると、姉妹が裏切ってマジごめんという謝罪である。屏風覗き様におかれましてはその身に大変なるとか、聞いていて体がかゆくなりそうな口調で参ってしまう。謝罪なのだから畏まるのはしかたないとはいえだ。


 それでも黙って聞くしかない。これで個人の感情から謝らなくていいなんて言ってしまったら、本当にこの子の立場が無くなるだろう。


 謝罪は相手のためだけの儀式ではない。(みそぎ)を済ませることで社会的な立場の回復、社会復帰の許しを得るための世間や所属コミュニティへのアピールでもあるのだ。


「どうしますー?」


 世の人格者はどうあれ、屏風覗き個人の問題ならば本当に許せない相手なら謝罪も受けないし、受けてはいけないと考えている。


 罪を許さない料簡の狭さを良識のある世間に批難され、さぞ空しい思いをするだろう、だがケジメをつけさせなかった事で一生復讐心に燻るなど真っ平御免だ。なぜ痛みを受けた側がさらに苦しむことが美徳なのか。


 あれはたぶん美徳でもなんでもなく、争いを起こさせないことで闘争などのコミュニティ全体の利を損なう事態を予防するための、一種の社会機構が持つ心理的なブレーキ機能なんだと思う。個か全かの違いだけで結局は損得だ。


 自分の気持ちしか考えない、卑しい人間の浅ましい邪推だろうか?


 人は足し算だけで生きているわけではないと思う。何も生まなかろうが、何も残らなかろうが、引き算で心に決着をつけたいときがあるのだ。あまりなんていらない、そんな意固地な気持ちが。


 しかし、この子は身内の犯行とはいえ巻き込まれたクチであり、話を聞く限りとばっちりの被害者とも言える。あ、茶器はちゃぶ台の後ろです。一番の被害者であるひなわ嬢は金銭的な被害はあれど怪我も無く生きているし、屏風覗き個人としてはギリギリ許せる範囲だ。


 何より白装束まで着ている。これがハッタリでないなら屏風覗きの返答如何で自害、あるいは死罪の可能性があるのだろう。それはさすがに目覚めが悪い。


 たとえ『演出』という単語が頭をよぎっても、何もしない輩より誠意は示しているとも言える。独眼のあの方も、それを受けた公も、ある意味で世間への面目というお芝居を演じる度量を示したから後世に名を馳せたのだ。


 というか、白装束行脚なんてあんなアピールされて厳しく罰したら、世間は公の方が悪いみたいな空気になっただろう。もはや謝罪という名の脅迫である。


 うん。演じた規模は桁違いだが、たぶんかの天下人も『空気読んだ』んじゃないかな。


 そして屏風覗きは高名な武将でも天下人でもない。『上』が判断を任せるというなら『許す』方に一票を投じよう。


 具体的には、謝罪の口上にまったくかまわず土間の釜土でコトコトお湯を沸かして、ちゃぶ台の上に出した湯呑みにチョロチョロとお茶を注いで、白い尻尾を優雅に揺らしながら座布団に座って、屏風覗きの横で『え、ずっと座ってましたよ?』という顔で緑茶をズズッと啜るネコミミが許す方向でいいなら許します。


 手慣れている、手慣れているぞこの白毛玉。あ、お茶ありがとうございます。頂きます。


 あと細かい事だけど、そっちの『阿』マークの湯呑みが屏風覗き用です。とばり殿のキープは『吽』のほうになります。そういや来客用の食器も買ってこないといけない。どんな器でも平気って方ばかりではないだろう。屏風覗きも小汚いオッサンが灰皿代わりにしてそうな湯飲みでお茶を飲みたくない。心理的にちょっと嫌だし水に溶けたニコチンとか普通に毒ぞ。


「でわでわー、構い無しの方向でー」


 いい感じにしますねーと、ゆるく笑った白雪様。しかし、そこから姿勢を正して屏風覗きに向き直った。ここからが本題か。


 有体に言えば、どうにも立場の悪い秋雨氏の避難所として、この離れに置いてやってというお話。


 当人に罪がなく、国がそれを認めても世間の目は冷たいというのはよくあることだ。ほとぼりが冷めるというか、世間に(みそぎ)が済んだと周知されるまで、派閥(いろ)のハッキリついていない場所で隔離したいらしい。


 屏風覗きはきつねやの頃から立花様の派閥なのだけど、組織内ではまだ浸透していないのだろうか。いてもいなくても変わらないので、どの派閥からも塗り忘れられているのかもしれない。


 無論、派閥闘争なんで巻き込まれたはくない。だがどっちつかずが一番損をするとも分かっているので悩ましいところだ。


 それはともかく、避難所というのは悪くないと思う。


 この離れは他の施設と文字通り離れていて、用のない者が来る理由がない。通りすがりに石を投げつけていくようなことは出来ないというわけだ。

 一度でも石を投げられたという前例が出来てしまうと、余計に害意が酷くなるのは人も妖怪も一緒なのだろう。最大の守りは防御ではない、何も起きないという予防なのだ。


 彼女の立場は見回り組改め、屏風覗きさん家のお手伝いさんということになった。

 下っ端とはいえ上場企業のエリートが一転、仮採用の訳アリ中途社員の元で孫請け会社の清掃員として出入りするようなものだ。かわいそうだが世間的な評価は『格』が下がったってレベルではない。


 それでも腐らず頑張っていれば復帰の道もあるだろう。何といっても白雪様が骨を折って立場を守ってくれているのだ。他の偉い方々もこの辺は考慮してくださるだろう。


 そして秋雨氏には悪いが、屏風覗き的にはこれは思わぬ朗報かもしれない。住み込みの家政婦さんGETである。早急にお給金の相場を調べなければ。ああ、調べると言えば


「お返しの相場ですかー」


 この方なら幹部クラスに見合うお返しの品や、その金額の相場も分かるのではないでしょうか。頭痛なんてとんでもない、カモがネギ背負ってやってきたぞ。


「相談料ー、高いですよー?」


 Oh、悪ノリをお始めあそばされたぞこの御方。指で丸を作ってニッヒッヒッと笑う悪女顔は意外にも似合っている。フワフワのクセに、モコモコのクセにッ。


「お、恐れながら」


 今後の処遇について明確に指示されず、宙ぶらりんのまま蚊帳の外でプルプルしていた土下座犬が恐る恐るという感じに口を開いた。


 これはかわいそうなことをしてしまった、何をしていいのか分からないままでは生殺しもいいところだろう。まだ土間で正座中だし。


「御用聞きの商人に申し付ければ、相応の品を持ってくるのではっ」


 なるほど、単純明快だ。なぜ今まで思い浮かばなったのだろう。御用聞きの商人が相手にするのは何も貴人ばかりではない。城勤めというブランドがあればツケも利くというし、右も左も分からない町をウロウロせずとも相応に信頼できる品物も購入できるだろう。


「あーきーさーめーちゃーんー?」


 両方の頬を摘ままれお許ひをお許ひをと、泣いて懇願しながら生まれたてのチワワのようにプルプルしている家政婦さん。何か白雪様のご勘気に触れたようだが、頬を引っ張る程度で済んでいるなら大丈夫だろう。


 ここまでお膳立てをしておいて今さら打ち首もないさ、たぶん。

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― 新着の感想 ―
[一言] 独○竜のエピソードを読むに、脅迫っぽいよなーあの謝罪。 度量を試された感もあるし。 あれ? これって夫婦茶碗……? とばり殿が外堀を埋め始めた!?
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