※別視点。ひなわと鬼女
※今回、卑猥と取られる表現があるかもしれません。苦手な方はスルーしてください。この話でひなわが復帰、これだけ分かっていただければ支障ありません。
注意文の下になってしまいましたが、誤字脱字のご指摘いつもありがとうございます。
連日の暑さもあって冷蔵庫の箱入りパ〇ムが瞬く間に無くなります。たまに違う物と思う時もあるのですが、買うときは似たり寄ったりの物を取ってしまいます。子供の頃に憧れたデカい容器のアイスも、いざ大人になると意外と手が出ないものですね
※今回、卑猥と取られる表現(少年マンガ以下ですが)があるかもしれません。ご覧になる方はご注意ください。
白の城下から遠く北、本来は農耕に不向きな地形を涙ぐましい努力で切り開いた土地がある。
地形こそ農耕に向かぬが流れる川の水は不毛の地としてはマシであったため、過去には勾配の激しさを段々畑という形でどうにか耕し、かかる手間に合わない実りに日々溜息をついていた土地。
ここはそんな貧しい農村が点在した場所のひとつ。
現在では白ノ国の号令の下、強力に開墾が進められ肥沃で耕しやすい平地も広がった。しかしその更に先には未だ手付かずの険しい山林が万人を拒む要塞のように立ち塞がっている。
その開拓と未開の狭間を司るように、村も無い川辺にただ一軒で存在する家屋がある。辺り一帯に異様な臭気を撒き散らすがために誰も近くに住みたがらず、自然と誰もが遠ざかったためだ。
それではさぞ寂しいだろうと思う者は、この異形の屋敷の家主を知らぬ者くらいだろう。
囲んだ竹の枠を使い拡げられた何かしらの『皮』。流水で血と肉を洗い流され重ねられた『皮』。桶に残された生き物の『残骸』。漂う肉の臭気はいくつもの薬液の刺激臭と混ざり合い、呼吸という行為が如何に尊いものかを諭すよう。
ここは白ノ国が国と呼ばれる以前から、強者も弱者も、賢者も愚者も問わず、誰にも構うことなく住まう老妖の住処。
「さても驚いた。おまえさんに、こぉんなにお銭が払えるなんてねぇ」
粘着くような口ぶりでからかう幽鬼のような老婆に、貉は鼻を鳴らして取り合わないと暗に告げる。
この守銭奴は意地汚いが、金さえ払えば物は確かで腕はいい。己の懐に入るなら銭の出所もどうだってかまわない金の亡者だ。たとえ目の前で誰かを殺して懐から探った金子であろうと、支払いなら笑って受け取るような輩である。
『万貫の鬼女』。万貫とは金由来のアダ名であって名前ではない。そもこの鬼女は名乗らぬし、ひなわも興味はない。
元より名を持たぬ者は住まいや職、人相や凶状で区別がされ、それでおおよそ通る幽世では名など無くともさして不便もないのだ。
何より『皮剥ぎの万貫』といえば、四国渡り歩いてもこの老婆の逸話だけなのだから。
鬼女の家屋にある一角、『上物の商品』が保管されている霜さえ降りる暗室にて、ひなわは吊るされた『皮』を凍えながら、その寒さを忘れて眺めていた。
いずれも容姿、機能、経歴、すべてに置いて滅多に出ない特上の一品だ。
使うだけのひなわに『皮』の秘伝の製法など知る由もない。しかし、これらが調達からして困難なのは己が人を捕って喰っていただけによく分かる。
傷が無く、病に犯されず、美しく、実に若い『皮』。どのような幸運があればこのような宝物が手に入るのか。
「『前』のは買い取らんでいいんだね? あとで言って来ても買わないよ」
ダメになったとはいえ酷い損壊は頭くらい。ひなわがそれ以外の部分はまだ使い出があると吹っ掛けたものの、鬼女は訳知り顔で色々弄繰り回していることを理由に『前の皮』に捨て値同然の値段しか提示しなかった。それにヘソを曲げたひなわは首を縦に振らず持ち帰ることにしたのだ。
ひなわは知る由もないが、鬼女からすればこの性悪の貉が憤怒したことにむしろ驚いていた。大枚を叩いた者は寂しくなった懐に少しでも重みを足そうと、目に見える銭を求めるもの。多少足元を見ても頷く輩が多いというのに。
同時に、この獣にも愛着という感情があるのかと、内心でわずかにひなわの評価を上げた。
守銭奴と蔑まれても眉ひとつ動くことの無いこの老妖でも、何であれ己の手掛けた『作品』に価値を見出している者がいるというのは『職人』として存外嬉しかったのである。
だからであろうか、鬼女はつい面倒で損な話を零してしまう。
「そんなに『前の皮』が気に入ってるなら直してやるよ」
貉は目を剥いて驚くが、千年よりさらに昔から皮を弄ってきた鬼女からすれば不可能ではない。ただし、金も手間も間違いなく新品よりも掛かるだろう。何より鬼女側からすると旨味が少ない。何より在庫が捌けない。
展示している『商品』とて、これだけ上物となると中々売れず維持するだけでも金が掛かるのだ。売れるときに売っておきたいのが本音だった。
余計な事を言っちまったと思いながらも、職人としての鬼女は悪い気分ではない。
『前の皮』とて心血を注いだ渾身の逸品。時間の波に揉まれて草臥れていても、職人の目には貉自身が丁寧に手入れをしていたことがよく分かった。
しかしながら、ひなわからしてもこれは痛し痒しの話だった。元の皮が使えるなら使い続けたい、今更別の『皮』がここまでうまく『馴染む』か不安もあった。
鬼女の作る『皮』は適応すれば完全に人に成り切れる。手足は自在、目も耳も、肌の感触さえ『中身』の貉に伝えてくれる。どのような術が働くのか、食事さえ『人の口』から入った食い物が『中身のひなわ』の腹に収まるほどだ。
過去にひなわが剥いだ『皮』ではこうはいかなかった。何かというと動き辛く、目も耳も『皮』の側は微塵も利かぬ。腹に穴を開けて覗くしかない体たらく。その上、苦労して剥いでも月が一回りする頃にはダメになってしまう。こんな楽を知っては、もはや自分で作る気など微塵も無くなってしまう。
飴は飴屋、餅は餅屋、皮は鬼女に任せて間違い無しであろう。
「高っけぇっ!? ふざけんな業突く張り!!」
生憎、提示した額はひなわの腸をひっくり返しても出てこない金額で一度は破談に終わってしまった。
しかし、その翌日に再び来訪した貉は鬼女の目の前に大量の小判を叩きつけて、半ばヤケクソで笑った。
「屏風さまさまだぜ、糞がっ」
立花によって城に呼び付けられたひなわは、あれの事か、いやあっちの事かとご勘気に触れた心当たりを思い出して青くなっていた。しかし、恐怖で震える貉の前に放られたのは大金。仔細が判らず頭が真っ白のままで聞けば、屏風覗きが見舞いとして己の褒美の一部をひなわに譲ると言ったらしい。
馬鹿じゃねえの、罵倒を通り越して悲鳴に近い感覚で、ひなわは内心絶叫した。感想はそれひとつだけだ。目の前で燻る怒りを隠せない立花の姿に寒気を覚えつつ、人間は気が触れたのかと本気で思った。
目上に渡されたものを突っ返すなど、どれほど怖いもの知らずなのか。己の手でひなわに渡せばまだ丸く収まるものをと。
とはいえ、ひなわに今の素の姿で屏風に会う気など微塵も無かったのだが。
それでも金は金と割り切り受け取ったひなわは、深夜で寝ていた知り合いの術者を叩き起こして再び金を払い、たっぷりの米と酒を持って狐の社を潜った。
久しぶり過ぎる三足での走りはどうにもぎこちなかったが、すぐさま鬼女の元にとんぼ返りをするにはしかたない。壊れた『皮』は劣化が進むので直すなら早いほうがいいし、『中身』剥き出しのままで過ごすのは、やはり久しぶりでどうにも落ち着かなかったのもある。
何より恐い思いをさせてくれた人間に、さっさと礼のフリをした嫌味のひとつも言いたかった。あれからどうも落ち着かないのだ。
そう、この落ち着かない気分は人間に嫌味を言ってやりたいのだと、思った。
「ああ、男か。銭稼げる男は逃がすんじゃないよ」
「そうじゃねぇ」
女子というのは干物になっても情事の話が思い浮かぶらしい。
とかく人に近い鬼という妖怪は年中盛りの時期という、深い業を背負っているという話。あれは真のようだと獣は呆れてしまう。
身を無駄に危険に晒す繁殖の時期は、孤独な獣にとって厄介な季節である。弱い生き物として経立となる前から徹底して繁殖を忌避し、逃げ回っていたひなわからすれば理解できない感情だ。子など出来た日には日々勝手に滋養を奪われ、身重の体では碌に動けず殺されてしまうだろうに。
毎年春には気持ち悪い臭いをさせて盛る連中がそこかしこに出てくる様は、生々しいだけに悪夢に近い。さらに人の姿に化生した経立は、まれに人の姿に引っ張られて人間同様に時期を問わず盛るときまであるのだから、いよいよ始末に負えない。
なまじ知恵がついた分、気に入った雄がいなければ雌同士で色町にシケ込むのだ。あれはもはや病の類であろう。
「長さはどんくらいだ」
「短くていい」
不意の問いかけに少し考えたが、この状況なら『皮』の注文であることは間違いない。ひなわは長さという言葉から、おそらく頭髪の事であろうと思った。
『皮』のひなわの髪は長かったが、あの後ろ髪の連なる輪は非常時に火縄の代わりになるよう硝石を溶かし込んだ液体に浸したまがい物。単なる付け髪である。
『皮』の頭から生える毛髪は自然と伸び続けるので、坊主のように最初から剃毛でもして悪目立ち限りしない限り問題はない。むしろうっとおしいので、極端に短くないならどんなものでも構わないくらいだ。
「けんどなぁ、そのちんまい体じゃ入りきらんだろ」
股んトコの中の筒、もうちょい奥まで伸ばしてやろうか?
一瞬、何を言われたのか分からなかったひなわは、言葉が頭に入ってきたとき歯を剥き全身全霊で怒鳴り散らした。
「くったばれぇっこの糞婆ぁっ!! 盛ってんじゃねぇっ!!」
底意地の悪そうな引き笑いを上げる老妖は、殺気さえ出したひなわにまるで構わず、どこ吹く風と笑い続ける。
手のかかる知り合いに春が来るのも悪くない、そんな守銭奴らしからぬ思いからくる笑い声だとは、性根のヒン曲がった貉が気付くことなど無いだろう。