最終話―2―
引き戸を開けて挨拶をする。「ごめんくださーい!」大きな声のつもりだったが、何の反応も無い。律子に促されて敷居を跨いで侵入……もとい、お邪魔する事にした。
土間から居間の方の襖を開けてみるが、そこにも誰もいない。首を傾げ、そのまま居間へ上がりこみ、春の部屋を目指す。
春の部屋が近付くにつれ、何やら喋り声が聞こえてきた。春の笑い声と、もう一人は春の声より若干低めの声……これは、夏海か?
部屋の前まで来ると思い切り聞こえる、春の馬鹿丸出しの笑い声と夏海の少し落ち着いた笑い声。
そろりと襖を開けてみると、二人は向かい合ってトランプに興じていた。中央には乱雑に置かれたトランプがある。
私の存在に気付いた二人は、笑い続けながら私の方を見た。
「な、何がそんなに面白かったの?」
私が問うと、春は浮かんだ涙を指で拭いながら答えた。
「ダウトが終わらなくて、アハハハハ!」
「……あ、そう」
ダウトとは、二人以上でやるゲームで、時計回りに「一から十三」までを順番に出して行くゲームだ。パスをする事は出来ず、その数字を持っていなくても何かしらのカードを出さなければいけない。持っていない数字を出した時に「ダウト」の指摘を受けると、ダウト成立となり場に集まったカード全てを手札としなければならない。しかし「ダウト」の指摘をされた時、実際に正しいカードを出していた場合は、指摘した者が場のカードを回収する。この繰り返しで、手札が無くなった者が抜けていくというルールだ。
この場合二人しかいないので、どちらか片方がある特定のカードを四枚持っている事もあるので、相手がその数字を出した場合はダウト確定となる為に終わらないと笑っていたのだろう。
「アハハ、あー笑い疲れる」
夏海はそう言うと時計を見た。
「え、もう二時間も経ってる」
二時間もやっていたなんて……この姉妹、イカれてる。
『何だか和んじゃうわね、これから大変な場面に出くわすってのに。でも何か重大な事って、大きければ大きいほど、何の前触れもなく訪れるのよね』
律子はそう言うと、大きくため息をついた。自分が余命宣告された時の事を言っているのだろうか。私は小さく、「うん、そうだね」とだけ返しておいた。
春は立ち上がり、私へ改めて向き直り、「あけましておめでとうございます」と頭をよそよそしく下げた。夏海もそれに続いて座ったまま挨拶をした。
私も二人に向き直り、頭を下げて見せる。
春はそのまま身支度を整え始めた。どこかへ出掛けるつもりなのだろうか。外へ出るのは危険な気もするが、律子は『バスに跳ねられなきゃならいから、このままでいいわよ』とサラッと言ってのけた。
私はその言葉を受け、トイレを借りるふりをして部屋を出た。土間を目指して歩く。
「ねえ律子、私やっぱり怖い。バスに跳ねられるのなんて怖すぎて無理だよ」
『何言ってるのよ、さっきはやってやるって意気込んでたじゃないの』
「……そうだけどさ」
『明日を生きたいなら、死ぬ覚悟くらいないとね。明日を生きるって、そう言う事よ。……岬野さんのこの言葉、忘れちゃダメよ』
この言葉は、以前律子が岬野さんに言われたという言葉だ。
死ぬ覚悟を持ってバスに飛び込むのか……やるしかないのか、律子の為、春の為に。
ーーーーーーーーーー
外へ出ると冷たい風が頬を切る。めちゃくちゃ寒い。一旦部屋で暖まったせいで、余計にそう感じるのかもしれない。足も震えみぞおち辺りもムズムズと震えている。これは、恐怖から来ているものかもしれない。
こんな事なら、どの辺で事故に遭うのかとか聞いておけばよかった。突然襲うその瞬間、私は上手く行動出来るのだろうか。
キャピキャピとはしゃいでいる春と夏海が羨ましい。当の本人は楽しんで、私だけ楽しめていないのはとてつもなく損をしているように感じる。しかもこれが最終日なのだ、ありえない。最後の日くらい楽しく過ごして終わらせたかった。
「ねえ春、私が未来に帰っちゃっても、忘れないでよ」
夏海には聞こえないよう、小さく声を掛ける。
「お、沙美か、どうしたのさ急に、帰る目度でも立ったの?」
私は小さく頷く。すると春は私の肩を抱き寄せた。
「忘れるわけないよ、ずっと親友だよ」
その言葉を受け、これまで優しくしてくれた事、彼女の笑顔、律子に叩かれて泣いた顔、告白した時の顔、それらが一気に思い出され、涙が出そうになってしまった。
「ありがとう」
それだけしか言えなかったが、きっと、これだけで十分なはずだ。
買い物をする為に春が選んだお店は、以前お父さんと長谷川さんがボーリングデートに花を咲かせた場所だった。もらったお年玉を種に、ここで服を買いたいのだとか。
店内は春や夏海と同じく、お年玉で何かを買おうと目を光らせている子供たちでごった返していた。特に地下のおもちゃ売り場のゲームコーナー、ここは通れる隙間すらない程に人間達がひしめき合っている。階段からそこを見下ろす光景を表現するに、“モニモニと蠢きあっている何か”と言い表した方がしっくりくる。
もちろんそんなゲームコーナーへは一切立ち寄らず、人混みを避けつつ店内を数時間歩き回った。春は数点の服を買い、お店を出る頃には両手は買い物袋で塞がってしまっていた。
中でもお気に入りの物はすぐに着るよう(私の中の)律子に言われ、春は「帰ってからでもいいじゃんかー」と不貞腐れつつ、面倒くさそうに試着室を借りて買った服へと袖を通した。せめて事故に遭うまででもその気分を味わって欲しかったのだろう。
しかし、着た後の春はご機嫌で、ずっと鼻歌を歌っていた。
夏海は少し高めの可愛い腕時計と、服を一点だけ買った。夏海は事故に遭う危険性が無いからだろうか、律子は彼女に対しては着替えるようには言わなかった。
私も、律子に言われて安目の指輪を買った。曰く『一目惚れよ』だとか。それを買ってすぐに右手の小指に通すよう言われた。この指にはめる指輪は、お守りになるのだとか。
疲れからか、外の空気を吸った瞬間に大きなため息が胸から溢れ出た。皆も同じく疲れていたようで、すぐに帰ってお茶をする事になった。
「律子は結局指輪だけか、せっかくお年玉もらったのに勿体ない!」
律子が表に出ていないのをいい事に、春は私の背中をバシバシと叩きながらにそう言った。すると律子が冷たく返す。
『まだ年明けて誰にも会ってないからお年玉は貰ってないのよ』
私がそのまま言うと、春は「うううう、嘘でしょー!」と腰を抜かし、両手の重荷によりバランスを崩してその場にヨタヨタヨタと崩れ落ちてしまった。まるで立てたこんにゃくを倒した様な崩れ方に、夏海はそれを見てゲラゲラと笑っていた。春より落ち着いていると思っていた夏海も、やはりは春の双子なのだなと思い知らされる。
それにしても、店内にいた時は安心しきっていたが、外へ出た瞬間からみぞおち辺りがモゾモゾして仕方がない。いつどこで事故に遭うのか、常にアンテナを張っておかなければならない。
それに帰ってしまえばもう外へ出る事もないだろう。そう考えると、帰り道に事故に遭う可能性が最も高いと言える。そしてここへ来る為にも乗ったが、帰りも乗らなければいけないのだ、バスに。
例えばだが、バスの停留所で待っている時に、バスがそこへ突っ込んでくる、なんて事も有り得る。岬野さんの手紙によれば、“自らその身を投げて”とあったのだ。これは春の事故と併せると、春を助けようと飛び出す事が考えられる。
とにかく一番の問題は、春がどんな風にバスに跳ねられそうになってしまうか、である。春から目を離してはいけない。
そうやって春を見ているが、事情を知らない彼女は、呑気に笑いながら手荷物をブンブンと振り回している。
『止めたがよくない?』
律子にそう言われたので、春を制止した。手荷物が道路へ飛び出したりして、それが事故に繋がる事も考慮しなければならない。
しかしながら、事故に遭うのは確定していて、そのイベントが起きなければ私は未来へ帰れないのだろうに、こうして事故を未然に防ごうとしている事が、何とも矛盾していて妙な気持ちにさせられる。
私に止められた春は、「すいませんでしたぁ」と仏頂面で不満を露にした。
と、後ろを歩いていた夏海が声を発した。
「あ、秋人とお父さんだ。おーい!」
振り返ってそちらを見ると、道路を挟んだ反対側のドブ川沿いにおじいちゃんがいた。一緒に連れられた男の子もいる、恐らく、あの子が例の秋人君なのだろう。離れていて顔はよく見えないが、その顔はきっとアイツと同じだ。
そしてその夏海の声に春が反応した。
「あ、ほんとだ、やっほー!」
「ーーっ!」
春、もしかしてこのまま車道に飛び出してしまうんじゃ!?
そう思った瞬間、『沙美!』と律子の声が聞こえた。律子も同じ事を危惧していたのだろう。咄嗟に振り向き直り、前方にいる春を確認する。が、春はその気は無さそうで、手荷物をドサッと置いて、道向かいの二人へ「手伝ってー!」としゃがみこんでそちらに手を振っていた。
『……ふぅ、驚かせてくれるわね、いちいちこの子は』
まったくです律子さん。私も同じ事を言おうとーー
「夏っ!」
その瞬間、春がこちらを見ながら叫んだ。
再び夏海の方へ振り向くと、夏海が車道へ駆け出ようとしており、そのすぐそばのカーブからは、バスが迫っていた。
このカーブ、夏海からは死角になっている。
『沙美!』
「ーー!」
夏海を助けなくては! そう思うが、過去に戻った時に跳ねられた衝撃の強さ、苦しさ、それらが蘇り足がすくんで動かない。
そして全てがスローに動き出す。
ーー何で、夏海なの? 春じゃないの?
今はどうでもいい事が何度もリフレインされる。
と、私のそばを誰かが走りさった。
春だ。
その表情は今までに見た事のないものだった。眉間に皺を寄せ、涙を浮かべている。
走る彼女の背中を眺める。私にはもうどうしようも出来ない……。だって、足が……本当に動かないんだもん。
涙が溢れた。私が絶対に、春も律子も、皆を助け出すつもりだったのに、それがこんな恐怖なんかに負けてしまって……。
『何やってんのよ!』
「ーーっ!」
と、足が動き始めた。瞬間的に周りの物も通常の速度で動き始める。
律子だ。律子と主導権が替わったのだ。律子の強い意志でのみ替わったのは、今回が初めてである。
夏海はバスに気付いてそちらを見てはいるが、完全に轢かれてしまう位置である。そして夏海の側まで来ている春も、その春に追いついた律子もまた、夏海と同じ条件である。
『沙美、ここでお別れよ! 今までありがと!』
律子はそう言うと、二人の方へ手を伸ばしながら飛んだ。
律子の手は、勢いよく夏海の背中を押し彼女を突き飛ばした。が、もう片方の手は、若干離れていたせいか、春の肩をかすめてしまった。
『くっ! 嘘でしょ……』
律子の目に涙が浮かぶ。
そしてまた周りがスローに感じられる。周りの音も一切無くなり、律子の静かな声だけが聞こえた。
ーー……沙美、岬野さんによろしく。ーー
瞬間、スローだった景色は完全に止まってしまい、紫色のぼんやりとした時空の歪みが現れた。私は律子の体からすぅっと抜け出し、そこへ吸い込まれていく。
「待って! このままじゃ律子と春が! ねえ、待ってよカナタ! 私まだ助けてないじゃん!」
完全に吸い込まれた瞬間、物凄いスピードで加速し、光のトンネルを通過していくのを感じた。
そして私はそのまま光に飲まれ、気を失ってしまった。
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