最終話―1―
『退屈ね……』
「そう? 私は結構面白いと思うけど」
リビングのソファに腰を掛けず、その前のこたつに入りソファに肘をついてテレビを見つめる律子。その目は半分しか開いておらず、本当にテレビを“見つめている”だけだ。
今日は大晦日で、現在この家には律子と私の二人(?)だけで、律子のお父さんと江梨子さんは、おばあちゃん家(律子パパ方の実家)へと里帰り中だ。
年末ともあってテレビでは特番をやってはいるが、あまりテレビを見ない律子からすれば、どのチャンネルも退屈で仕方がないらしい。
こたつの上には律子用に準備されたオードブルとお寿司が広がってはいるが、律子一人ではとても食べきれない量である。私も手伝って食べてあげたいのは山々だが、何せ胃袋は一つなのだ。入れ替わったところで、お腹いっぱいの状態を味わうだけとなってしまう。
律子はオードブルの伊勢エビの中にグラタンみたいなのを入れたやつと、ゴボウの煮物、それから里芋をパクパクっとつまみ、あとはちまちまと煮豆やら数の子やらを口に運んでいた。
おばあちゃん家へ行かなかった理由は、三が日をそっちで過ごすらしく、そうなっては春を守れなくなってしまうからだ。
もう泣いても笑っても三日後なのだ。その事を考えると恐さもあるが、律子と別れる事が一番辛い。こんな大親友、もう作れっこない。
美鈴もどこかへ行っちゃったし、クラスにも数人仲の良い子はいるが、律子みたいに大親友と呼べる子はゼロだ。戻った後の事を考えると胸がキュッと締め付けられる。
現在の時刻は十一時五十分、間もなく新しい年を迎える。
律子はスーパーで買ってきた、おそばのカップ麺を準備し、小さめのやかんでお湯を沸かし始めた。そしてそのやかんを見つめながら肘を抱く様に腕組をして小さく呟いた。
『今日、何時に寝る?』
「え、突然どうしたの?」
突拍子もない質問に、その質問の意図するところが分からず、そのまま質問で返してしまった。
『ああ、いや、別に大した事じゃないんだけど、前に書いたやつの加筆をしたいかなと思ってさ、沙美が帰った後に読んでもらう“虎の巻”のね』
そう言えば、私が帰った後にやらなければいけない事を書いたとか言っていたな。ふと、「まだ書く事があるのか」とも思ったが、未来の夜更かしスタイルに馴染んでしまっている私は、律子の体に住み着いていながらにしてもその習慣はほぼ治らず、私の眠気が来る前に、律子が先に寝てしまう事が多かったのだ。その為になかなか書けなかったのだろう。
「じゃあ、今日は私は先に寝るとするかな」
『そうしてもらおうかしら。書く事たくさんあるから一晩じゃ無理かもだけど、何とか頑張ってみるよ』
「……律子、ありがとね。色々、面倒かけてごめんね」
『どうしたのよ急に、まだお別れには少し早いわよ。……でも』
律子は少し照れる様にそう言うと、掛け鏡の前に立ち、右手を鏡にピタリと付けた。そしてゆっくりと口を開く。
『沙美、本当にありがとう』
律子の目が赤くなっているのが分かった。しかし私に気付かれるのが嫌だったのだろう、すぐに目を閉じると、微笑みながらに『湿っぽいのは無しよ』と付け足してカップ麺にお湯を注ぎ始めた。
『それじゃあ、よい子はおねんねの時間よ』
「へいへい」
私は静かに目を閉じ、すぐに訪れる眠気に身を委ねた。
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年を越し、初詣にも赴きくじ引きもした。特に何も起きなかったが、無料で配膳されていた甘酒を三杯も飲んで、律子が酔っ払ってしまった。春と八重子に話したいのは山々だったが、これは口外せずに墓場まで持って行く事にしよう。
そして二日の朝、目覚まし時計の代わりとなったのは例の頭痛だった。律子がのたうち回っていた所、私が目を覚ました。
起きてすぐに聞こえた律子の悶絶する声は、脳にこびりついて、一生離れる事は無いだろう。
薬が切れてしまっている今、この頭痛を止める事は出来ない。私が帰った後、律子は病に倒れるまでこの頭痛にうなされるのか? そう過ぎったが、里羽ちゃんが手術するとかどうとか言っていた事も同時に思い出した。
どの様な経緯で手術に至るのかは全く分からないが、この事も虎の巻に書いてあるのだろうか。
そして今日、一九八八年一月三日。朝方に一時的な豪雨がこの辺り一帯を飲み込んでいたが、今朝は落ち着いていた。しかしどんよりとした曇り空には変わりはなく、今にもまた雨が降り出しそうでならない。
この天気のせいかは分からないが、律子曰く、若干の頭痛が脳を揺らしているらしい。
律子は『ああ、痛い痛い』と頭を抱えながら出掛ける準備をする。
胸元の大きく開いたグレーのパーカー、黒のショートパンツ、それらを着ると、最後にデニムのジャケットを羽織る。ふわっと浮いたそれから防虫剤の香りが漂う。
『どう?』
律子は得意気に、鏡の前で斜に構えて見せる。
「あ、その服」
『そうよ。この日に着ようって、そう決めてたの。この服と一緒に、沙美にもついて来て欲しくて……』
律子が着たそれらは、私が選んであげた誕生日プレゼントだった。
なるほど、最後の決着の日に着たいから冬服を選ばせたのか。納得である。葛籠を運んでくれた店員さん二人もこれで浮かばれるだろう。
しかしその律子の言い回しに疑問を抱いた。「私がついて行く? どこへ?」頭に過ぎった事は気を張っておかないと、不意に口をついて出てしまう。そのまま律子へ聞いたが、『さあねぇ、どこへでしょう』と意地悪そうに、それでいて楽しそうに返された。
玄関へ行き、下駄箱の奥からショートブーツを取り出す。これを装備して私のプレゼントの完成である。
どうでもいいが、昔順平がやっていたゲームで、ちょっとやらしい防具を装備した女キャラがいたのだが、それを装備した後、装備品の横に小さく表記された「E」の文字についてその意味を尋ねた事があった。すると順平は、「これか? これは、“エロい”って意味だ」と返された事を思い出した。
その後すぐに、「装備したって意味だ」と本当の意味を教わったのだが、それ以来セクシーな女性を見ると、その人のおでこに「E」のステッカーをパシーン! と貼り付けてやりたい気持ちになってしまう。
外へ出ると、案の定律子は身を震わせた。
『さっむー、今朝方まで雨でまだ曇ってるのに何でこんなに気温低いのよ!』
その寒さを共有してあげたかったが、私が外へ出る気配はさらさら無さそうだ。と、思った瞬間律子は『うっ』と頭を抱えて表情を歪ませた。
「……さ」
『……』
「さむっ!」
見事に入れ替わった。そして入れ替わって初めて感じるが、頭痛が酷い。ズキズキズキと、鈍痛が頭全体を覆っている。鈍痛のヘルメットでも被っている気分だ。
しかしどうあっても春の家へ行かなければ。必ず春を助けなければならないのだ。
何故律子は自ら身を投げてしまうのか、何故バスには人を跳ねた痕跡が無かったのか、春と律子はどこへ飛ばされてしまったのか、一体何が起きたのか、その瞬間、全てが明らかになる。
私だけの力で無理ならカナタの力を借りてでも、私に魔法をかけてくれてでも何でもいい、最後の最後まで足掻いて、春も律子も絶っ対に助け出す!
「私、やってやるわ律子!」
私は、その決意を露にした。
『……その意気込みはいいけど、春の家通り過ぎたわよ』
「……なるほど」
『何がよ』
おばあちゃんちが見えないように、私にだけ魔法かけてあるわこれ……。
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