第8話―4―
律子が空を仰ぐと、ちょうど真上に上った太陽が目に入った。時間からすると正午辺りだろう。
歩き始めて十分程経った頃、律子の歩みが止まった。
『ここよ、長谷川さんが子供と遊んでた公園』
「ここが……」
その公園はとても小さく、ブランコが二つとすべり台が一つ、そして砂場がひしめき合って詰め込まれていた。
砂場の目の前にベンチがある。恐らく長谷川さんは、ここに座って本を読んでいたのだろう。
根がいい子なのは知っている。それは律子もまた同じ。だからこそ彼女を傷付けないよう努力しているのだ。しかしそれも限界に近付いている。目の前の、初めての恋愛に必死になっている長谷川さんは、傍から見ると乙女に映るのだろうが、現在の私にとっては悪魔そのものの様に思える。
公園を通り過ぎて少し歩くと、一軒の大きな家に着いた。
玄関の前に立ち、インターホンを鳴らす。すると間もなくして、長谷川さんが出てきた。
「いらっしゃい」
ブスっとしている。律子と会うのが相当嫌だったらしい。
『単刀直入に言うけど、今日那覇軒先輩と会うのはやめてちょうだい』
「……どうせそう言うと思ってた。あなたが那覇軒先輩を想う気持ちは私が一番分かるわ。でも、だからって嘘までついて先輩を横取りするなんて思わなかったわ」
長谷川さんは、“私が律子の中に入っている事”を、律子が打ち明けた事を言っているのだろう。
『嘘じゃないわよ。沙美は本当に私の中にいるのよ』
「それなら、証拠を見せなさいよ」
『証拠って言われても……』
「どうしたの? あの時みたいに沙美って子を出せばいいじゃない」
長谷川さんは怒鳴りこそしないものの、何だか威圧感がある。律子が二歩三歩退いているのが、それを物語っている。
『表に出るのは、私がコントロールしているわけじゃないから……無理よ』
「ほら見なさい。やっぱり嘘じゃないの。あの時も演技だったんでしょ。さ、もう帰ってくれる? この後先輩と会わなきゃならないの」
『だからそれは駄目だって言ってるじゃないの』
「……ハッキリ言えばいいじゃない。那覇軒先輩の事が好きだって。いちいち回りくどいわね!」
律子を睨みつける長谷川さん、彼女のこんな表情、初めて見た。律子と殴りあった時以上だ。律子も同じだったらしい、珍しく言葉を詰まらせている。
長谷川さんは一瞬だけ律子の返答を待ったが、『……だから、その』という曖昧な返事を聞くや、扉を、バタンッ! と勢いよく閉めてしまった。
暫く硬直する律子。そして長谷川さんの気配がそこから消えると、大きくため息をついた。
『失敗よ……』
そのまま二度、三度といつもより大きく肩を落としてため息をつく。
が、顔を上げ玄関から離れると、長谷川さんの部屋であろう二階を見上げた。
『でもまだよ、こうなったら、現場に乱入するわ』
みぞおち付近が熱くなっていくのを感じる。今まで落ち込んでいたのが嘘の様に、やる気が湧き起こっていく。
「そ、そんな事して大丈夫なの!?」
『大丈夫もへったくれもないわよ。長谷川さんと那覇軒先輩がくっついちゃう事以上に“だいじょばない”状況なんてありえないわ』
律子はそう言うと、玄関が見える場所に身を潜めた。長谷川さんが出てきたら後を追うらしい。
律子が身を潜めてから約十分、長谷川さんが玄関から出てきた。長谷川さんの普段着に詳しい訳ではないが、その出で立ちがよそ行きなのだという事はすぐに分かった。
律子はずっと口にくわえていたココアシガレットを、急いでバリバリと噛み砕いた。そして距離を保ちつつ、長谷川さんの後ろをつける。
歩き始めて五分程経ったところで、長谷川さんは喫茶店へと入っていった。幸いにもガラス張りのお店で、中の様子が丸見えとなっている。『これはラッキーね』と律子が漏らすとほぼ同時にお父さんが現れた。店内の長谷川さんへ片手で挨拶をして中へ入っていく。何ともタイミングがバッチリな二人である。
「ねえ律子、乱入するって、いつ乱入するの?」
『うーんそうね、二人がくっつきそうになった瞬間かな。そうしたら飛び込むわよ』
くっつきそうになる瞬間……か。私が消えないよう、よろしくお願いしますよ律子さん。
お父さんが席へ着くと、すぐに店員が寄って来てオーダーを取り、また店の奥へと姿を消した。
お互い笑い合いながら何かしらお喋りをしている。律子はきっとまた、『盗聴器でも欲しいわね』とか思っているのだろう。
『ねえ沙美』
ほら来た。
「なーに?」
『あの二人の口に、こっそり拡声器を着けて来てくれる?』
「……無茶苦茶言うしこの子」
しかし、確かに二人の会話は気になる。私の存亡に関わる会話なのだ。
コーヒーをヘラヘラと飲みつらんでいるお父さんの顔がムカつく。誰のせいで私がこんな窮地に貶められているのか……。未来に帰ったら説教だ。
しばらく楽しげに会話を弾ませると、長谷川さんはバッグの中から綺麗にラッピングされた、手のひら大の紙袋を取り出した。クリスマスプレゼントだろう。
そしてお父さんも、プレゼントらしき物をリュックから取り出した。お父さんのは、少し大きめの袋だ。
長谷川さんは笑顔で受け取ると、すぐに中身を取り出した。
真っ赤なマフラーだ。
すぐに首元に緩く巻いて見せる。はしゃぐ姿が可愛い。何度も言うが、これが何事でも無いのであれば、本当に長谷川さんの恋愛を応援してあげたい。そう思える程に、彼女は屈託無く笑う。
続けてお父さんもプレゼントを開ける。中からは青い手袋が出てきた。お父さんも嬉しそうな表情を浮かべ、それを手にはめた。
こちらの表情は、見れば見るほど腸が煮えくり返る。
と、そうしたところで長谷川さんは少し深刻な表情を浮かべ、暫く何かを喋った後、ゆっくりと立ち上がった。そして手を差し出した。
「律子!」
『分かってるわよ!』
律子はすぐに喫茶店へと走り出した。勢いが良すぎたせいか、一歩目がズルッと滑って体勢を崩すが、持ち直してダッシュに入る。
お父さんも手を差し出し始めている。
あの二人の手が繋がれたら、私はどうなってしまうのだろう。
突然訪れた命の危機。
私の命は、律子のダッシュに掛かっている。
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