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ハルかカナタ  作者: 一響
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第8話―1―

 教室の窓からは、傾いた太陽の光が差している。時計の針はまだ四時半だと言うのに、微かにオレンジがかったその光は、私しかいない教室を哀愁のあるそれに染めている。陽が落ちるのが早い。

 ただお父さんの部活が終わるのを待っているだけなのに、はたから見ると、誰かにフラれてここに(とど)まっている女の子の様に見えるのかもしれない。

『沙美……』

「んー? なーに律子」

『男なんて沢山いるんだし、落ち込むのやめな』

「フラれたわけちゃうわっ!」

『あら……そう』

 律子は何とも退屈そうだ。

 そしてまた訪れる静寂。どこかで鳴いているカラスの声と、グラウンドでワーワー言いながらやっている野球部の声だけが外から響く。このゆっくりと過ぎていく時間も嫌いではないが、六時半まではまだかなり時間がある。

 ……。

 よし、ボクシング部を見学しに行こう!

 お父さんの頑張る姿と、それから砥用さんの女子ながらに健闘している姿も見てみたい。



 いつもの無機質な科学研究所の廊下を歩き、ゾンビのいる曲がり角を曲がる。また一段と冷えたその空間はやはり異世界を思わせるが、ボクシング部室が近づくにつれてすぐに温度が上がり始めた。

 廊下の窓から中を見てみると、丁度砥用さんがスパーリングを行っていた。

 そう言えば前に来た時も、砥用さんがスパーリングをしていたな。

 あの時と同じ様に、砥用さんはひょいひょいと相手の攻撃を(かわ)している。体を()け反らせたり前に倒したり、躱し方は様々だ。たまに当たる攻撃も、しっかりガードをしている様で、さしてダメージは無いような反応を見せる。

 しかしボディにくるパンチは重いらしく、ガードをしていても砥用さんは必ず距離を一旦取って、二、三回ジャンプをして仕切り直す。これは効いている様だ。砥用さんのパンチも当たってはいるが、相手は大した反応は見せてはくれない。

 まあ、女の子と男の子なのだ、その力に歴然の差があって当然だ。

 が、「砥用さん大丈夫かなあ」と思った次の瞬間、相手のパンチを脇に回り込む様に紙一重で躱すと、相手の顎にストレートを打ち込んだ。

 当たったのか当たっていないのかは分かりづらかったが、相手の男子はよろよろと後ずさり、ロープを背中にもたれかかって肩で息をしている。

 すかさず部室に、「カーン」と高い音が響いた。

「ともち……あ、……た、田畑さん!」

 私が砥用さんを呼ぶと、こちらを見てグローブをしたまま手を振ってくれた。ニコッと微笑むが、疲れている様で満面の笑みとまではいかなかった。そしてこちらへ近寄りロープに両手をかけて私を見下ろす。

「やっほー、来てたんだね。今はどっちが出てるの?」

「私よ、沙美、那覇軒沙美よ」

「うんうん、呼ばれた時にそうかなっては思ったけど」

 そう言って砥用さんは軽くウインクをして見せたが、反対側の目も瞑ってしまっていた。何だか可愛い。

「砥用さん、お父さんいる?」

「ああ、那覇軒先輩なら今飲み物買いに行ってるよ。もうすぐ戻ると思うけど」

 砥用さんのその言葉が終わるが早いか、お父さんの声が背中から聞こえた。

「ただいまー! ジュース買ってきたぞー!」

 その声を合図に、体を動かしていたみんなはパタッと練習をやめ、ジュースの周りに群がった。


 休憩時間も程々に、みんながわらわらと練習を再開する頃、お父さんを呼びつけた。

「お、仲米か、どうしたんだよ」

「……」

 ……急に馴れ馴れしいヤツだ。律子とお父さんって、こんな“馴れた”関係だったか?

まあいい。今の私には、このうすらトンカチとお母さんをくっつけなきゃいけないという重大な任務が課せられているのだ。多少癇に障るが、そこは我慢しよう。

 私は、仕切る意味込めて「ウ、ウン!」と咳払いをし、こう切り出した。

「先輩、冬ちゃんなんですけど、お父さんの事すごく気になってるらしいですよ?」

 するとお父さんは、「えええ!」と言う、悲鳴にも近しい甲高い声を上げた。部員達はその声に反応し、私が一斉に注目を浴びる羽目になった。

「ちょっと、大きな声出さないで下さいよ!」

 しかし何故お父さんに敬語で話さなければいけないのだろう。釈然としない。

「だ、だって仲米が変な事言うから。てか、それ本当なのか?」

 私は何も言わずに、首だけを大きく縦に動かした。

「まさか田中さんが俺に好意を持ってるなんて……でも長谷川がーー」

 ……何かと長谷川さんが出てくるな。もうキッパリと諦めさせなければならない。しかし私から長谷川さんへは全てを伝えている。これ以上は、もうお父さんから直接長谷川さんへ別れを切り出してもらうしかない。

「那覇軒先輩! 付き合い始めたばかりで、こういう事を言うのもなんですが、彼女とは別れて下さい!」

 思わずヒートアップしてしまった。またしても部員達の注目を浴びる私。しかし今は全く気にならない。

 お父さんは答えを出し渋っているが、私の「那覇軒先輩が思っている以上に、事は深刻なんです」という真剣説得で、「お、おう……」と、何とか首を縦に動かす事に成功した。

 そして、二四日に、必ず何かしらプレゼントするよう伝え、その場を後にした。



「ああああ、疲れたー!」

『お疲れ様』

 部屋に帰り着き、身をベッドへ放り投げる。

 全く、何が悲しくて付き合い始めたカップルを引き裂かなくてはいけないのだろうか。いくらお父さんの事と言えども心が痛む。未来へ戻ったら、それなりに謝罪する事にしよう。

 

ーーーーーーーーーー


 一二月二二日 夕方


 太陽もすっかり傾き、冷たい空気が容赦なく体温を奪う。その冷やされた空気は、肌のきめ細かい目を縫って浸透してくる様で、体が芯から冷やされていくのが分かる。先程から体を縮こませている律子から、そう想像しただけではあるが。

『それにしても裏門寒いわねぇ、ここ風通し良過ぎ! てかニュースの最高気温一四度はどこ行ったのよ!』

 確かに最高気温一四度とは言っていたが、もう夕方なのである、その最高気温もとっくに過ぎ、気温はこれから下がり続ける一方である。

 赤い手袋に白いフワフワの付いた耳あて、そしてマフラー。これらをもってしてもこの気温には敵わず、律子は両手を脇の下へ挟み込む様に体を小さくしている。身を震わせてはいるが、この震わせる事で体温を僅かながらにでも上げられているかは謎だ。

 今日はお父さんと買い物へ行く事となっている。

 結局、お母さんへのプレゼント選びを手伝ってあげた方が間違いないのでは? と私がゴリ押しし、当時表に出ていた私が『じゃあ、買い物頑張ってね』と律子に言われたのだが、今現在、律子が表に出ている。私としてはどちらでも良かったのだが、今考えると、お父さんとは馴れている私が接してしまうと、何かしらボロが出てしまう危険性もあった。結果、律子で良かったと胸を撫で下ろした。

 それにしても、お母さんへのプレゼントを結局私たちが選んじゃうなんて、何だか解せない。そのエピソードを初めて聞いた時、何だかドラマみたいで素敵だな、と、心をときめかせた記憶があるのだが、それらは全て私が作り出した演出らしい。

 自分で作った物で自分を感動させる。……結構ではないか。

 と、そんな事を考えていると、ようやく本日の主役が現れた。小走りでこちらへ来るお父さんは、満面の笑みを見せている。

「お待たせ!」

『いえいえ、私も今来たとこなので』

 十分程待たされた律子は、気の利いた嘘をついた。春が遅れようものなら、これでもかと言う程に怒っていた事だろう。目上の人に対して出来た子である。

 学校の大きな時計は一七時を指しており、早くしないと辺りは既に暗がり始めている。しかし、イチョウをモチーフにしたネックレスを買う事は決まっていたので、律子ズリサーチによってお店は決められている。足早にお店を目指す。

 道中、お父さんは「ほんと助かるよ!」と、ずっとニコニコしていた。

 学校から一五分程歩いた所にお店はあった。周りは畑が連なってはいるが、本屋さんやら小さいお弁当屋さんに並んで、一回り小さいアクセサリー屋さんもひっそりと。

 店内へ入ると、棚から壁、右から左へとビッシリと様々な種類のアクセサリーが並べてあった。

 店の奥では若い女性が火花を散らせながら、何かを加工している。アクセサリーを制作しているところなのだろう。という事は、これら全て手作りなのだろうか。そう考えてみると、どのデザインにしても同じ物は二つと並んでいない。全て一点物のようだ。

『先輩は、どんな物が冬ちゃんに似合うと思います?』

 一通り見終わった後、おもむろに律子が切り出す。お父さんは暫く考えた後、「これなんて……どうかなあ」、と少し照れた様にあるアクセサリーを手に取った。

「!」

 すると律子は尋ねた。

『先輩、冬ちゃんの好きな物、分かったんですか?』

「え、いや、全然。田中さんの妹さんから聞けなかった時点で、それは諦めてたよ、アハハ。で、仲米はこれどう思う?」

『うん、センスいいと思いますよ』

「そ、そっかあ、良かった」

 手に取ったアクセサリーを見つめ、尚も照れた様に頭をポリポリと掻くお父さん。何だか可愛い。

 そして『あ、これって……』と、律子も一つ花をモチーフとしたネックレスを手に取り精算を済ませると、お父さんと店先で手を振り別れた。


 帰りの道すがら、律子は両手で持っていたカバンを、首の後ろ手に持ち直すと、こう切り出した。

『沙美、結局、“そういう事”なのよ』

「うん、そうだね」

 私は先程の出来事が嬉しくて、顔が緩みっぱなしになっていた。そして律子もまた、優しく微笑んでおり、何だか清々しい気持ちがこちらまで伝わってくる。

 あの時恥ずかしそうにしていたお父さんの手に握られていたアクセサリーは、イチョウをモチーフにした可愛いネックレスだったのだ。

 誰からも教えてもらえなかったお母さんの好みは、図らずとも、お父さんの好みと合致していたようだ。



 律子は部屋へ入るなり着替え始めた。

「ねえねえ、律子が買ったネックレスも可愛いよね」

『でしょー! これにはね、強い想いを込めて買ったのよ』

「へえ、どんな?」

『それは、秘密でーす』

 着替え終わった律子は、箱からネックレスを出して首から下げてみる。小さいが、確かに花を型どった物だ。真ん中にはブルーの石がはめ込んである。とても可愛い。

「相変わらず意地悪だなあ律子は。ねえ、これ何て名前の花なの?」

『アルストロメリアよ』

「アルス……?」

 初めて聞いた名前に、私は反応出来ないでいた。すると律子が教えてくれた。

『花言葉よ、未来へ無事帰れたら、“スマホ”で調べてみたら?』

 律子は楽しそうにそう言った。



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