第7話―11―
『まったく! あんたのお父さん頭おかしいんじゃないの!? ほんっとにもうっ!』
「……」
自転車を押しながら早足に歩く律子は、何者も寄せ付けない程の刺々(とげとげ)しいオーラを放っている。
朝一発目の長谷川さんの報告から、律子は終日イライラした様子で過ごしていた。
授業中は鉛筆をコツコツコツとひたすら机に叩きつけるし、お昼はお弁当も食べずに砥用さんを呼びつけてボクシング部のジムでサンドバッグを叩きまくるし……。私としては、お父さんが「yes」の返事を長谷川さんにしたせいで律子をイライラさせてしまっている可能性がある為、何とも口を挟めないでいた。
……お父さんがあんなんですいません。
長谷川さんと言えば、「那覇軒先輩、好きな人がいるらしかったんだけど、私が想いの丈を伝えたら、何とか頷いてくれたの!」と律子の両手を握りつつ、嬉しそうに語っていた。律子もその時は『あ、そうなんだ、よ、良かったねぇ……』と少々動揺した様子ではあったが、一応長谷川さんへ笑顔で返事はしていた。
そして部活へ向かう事もなく、律子は現在、足早に家を目指している。自転車に乗らないで押しているのは謎である。
「ね、ねえ律子、部活には行かないの?」
恐る恐る尋ねてみると、律子は強めの口調で返してきた。
『はあ!? 部活なんて行ってる時間無いわよ! 今日は十四日、あと十日しか無いのよ! それまでにあんたのお父さんを長谷川さんから“ひっぺがし”、そして冬ちゃんにくっつけなきゃなのよ! 分かる!? とんだ月曜だわ!』
「あ……はい」
お父さんのおちゃらけた顔が目の前でチラつく。未来へ帰ったら説教してやろう。
律子は部屋に入るなり机へ向かった。そしていつものノートを広げ、またしても鉛筆で文字を書きなぐった。
今回は、「長谷川さん」「那覇軒父」「那覇軒母」の三人だ。
『さて沙美、あなたのお父さんを長谷川さんから離さなきゃならない。長谷川さんには悪いけど、こうなったら手段は選ばないわ』
……長谷川さんの、今後の身の安否が心配だ。今度は全身に包帯を巻く羽目にならなければいいが。
『まずはどう接触するかね。いくつかあるけど、方法としてはこんな方法があるわ』
律子はそう言うと、ノートに相関図を書きつつ、分かりやすく説明してくれた。
簡単にまとめると、一つは「お母さんに直接お父さんの想いを伝える。」である。お母さんへ、「那覇軒先輩が冬ちゃんへ好意を寄せてるって、噂で聞いたよ」と伝えるのだ。
『他人越しに伝わってきた情報と言うものは、直接気持ちを伝えるよりも遥かに効果があるのよ』らしい。そうした上で、「お母さんがお父さんへ好意を寄せている。お父さんの告白を待っている。」というデマ情報をお父さんへ流すのだ。
元々お母さんを気にかけていたのだ。この作戦の攻撃力たるや計り知れない。
が、お父さんがあの美人の長谷川さんという彼女を捨て、わざわざお母さんなぞに靡くだろうか。……可能性は五分五分か、それ以下か。増してや付き合い始めたばかりなのだ、難しいかもしれない。
そして次の作戦は、「長谷川さんへ全てを打ち明け、お父さんを奪還する。」という何とも無謀な作戦だ。
律子の見解からすれば、切れ者の長谷川さんなら理解はしてくれ、何より手っ取り早い。との事だった。私の「それでも信じて貰えなかったら?」の質問に対しては『未来人里羽を呼ぶまでよ! いざ白倉!』と息巻いていた。
そして三つ目の作戦は、長谷川さんが告白する前までカナタに時間を戻してもらい、彼女より先にお父さんに接触できるよう図る。というもの。
とは言っても、天使の仕事でも立て込んでいるのだろうか、ここ最近姿を現さないカナタは頼りにならない。
『うーん……沙美、どうしようか』
鉛筆を顎に押し付けながら私へ問う律子。私に聞かれたところで、どれが正解かなんて分からない。でも一応答えた。
「難しいね。まあ、どれか選べと言われれば、一番最初の案かな。当たり障りが無いように感じるけど、反面ーー」
『那覇軒先輩が長谷川さんと別れてくれるか心配。よね?』
「……うん」
『私は二番目の案がいいと思うの。真剣に伝えれば、タイムスリップの事も信じてもらえるかもしれない。それに長谷川さんから別れ話をあなたのお父さんへしてくれると手っ取り早い……けど……』
「……けど?」
私が尋ねると、律子はゆっくり立ち上がり、窓から夕日を眺めた。そしてゆっくりと口を開く。
『もし、万が一信じてもらえなかった場合……』
「信じてもらえなかった場合……どうなるの?」
『……』
「……」
重く長い沈黙。信じてもらえなかっただけで、そこまで深刻に考えなければいけない“何か”が起こってしまうのだろうか。
そして律子は深いため息を一つつくと、少し強く言葉を吐いた。
『全部説明したのが無駄になる……面倒臭いわ』
「……それだけ?」
『ええ』
「……」
何なんだこの女は……。
『……四文字くらいで伝えられればいいのに』
「四文字じゃあ無理でしょ……」
『うーん……』
律子はそう言うと、顎に手を当て目を瞑った。
『……』
暫くの沈黙が、その空間を支配する。
……一体この女は……何を考えているのだろう。そう思わざるを得ない発想である。
『……ハルカナ』
「え?」
『ハルカナよ! 今回の一件を四文字で伝える魔法の言葉! 前に話したでしょ、“春か、カナタ”かって。それの略よ!』
「それは分かるけど、長谷川さんに伝わる? それ。第一長谷川さんはカナタの存在を知らないんだから……」
『あ、長谷川さんに伝えるんだったわね……』
またしても律子のうっかりが炸裂した。
一瞬にして跳ね上がった律子のテンションは、すぐに地の底まで落ちた。
『まあ、それは冗談としてーー』
「やっぱり冗談だったのね……」
『当たり前じゃないの、四文字だなんて到底無理よ』
「ああ、良かった。とうとう律子の頭がおかしくなったんじゃないかと心配しちゃったよ」
律子は『ははは、馬鹿ね』と楽しそうに言うと、スッと表情を戻して静かにこうこぼした。
『せめて五文字じゃないと』
「……」
ーーーーーーーーーー
「ううう、さっむ!」
布団にくるまったまま目覚まし時計を見ると、針は六時半を指している。とてつもなく低い気温の中私は、体を震わせながらストーブに火をつけた。昨晩寝る前に、律子がリビングから持ち出した物だ。
「……タイマーでも付いていたらいいのに」そんな事を考えながら再び布団へ潜る。
それにしても、何でこうも大切な日の朝は、決まって私が表に出ているのだろう? きっと、簡潔に伝えられないかを延々と考えていた律子のせいだ。サッと寝て脳を休ませてあげないからこうなるのだ。
昨晩の話し合いの結果、お母さんへ、私が直接お父さんの気持ちを伝える事となった。そうした上でお父さんへはお母さんに告白するように持ちかけ、更に長谷川さんへは、未来の事を始め、私の置かれている状況諸々を話す算段だ。
上手くいくに決まっている。でなきゃ私がここにいる理由がなくなってしまう。
全ては、成るようにして成っているのだだだだだだだ……ううう、寒い……。
ーーーーーーーーーー
再び目を開けると、目覚ましが鳴る直前だった。時計を見つめ、思った通りに鳴ると、すかさずスイッチを切った。
そして身支度を整え朝食を済ませる。
「なになに、今日はやけに早いのね?」
江梨子さんがニコニコして言うので、私は思わず「あ、はい」と答えてしまった。慌てて「うん! うんうん!」と答え直したが、江梨子さんは私の目を真っ直ぐに見て、「りっちゃんって、たまにだけど、急に子供っぽくなるよね」と言い、クスクスと笑い出した。
『子供っぽいってよ?』
律子まで私を馬鹿にしている。
ハイハイ、私はどうせ子供ですよ。どこぞの仲米さんちの律子さんとは出来が違いますよーだ。
そう心の中でいじけつつ、目の前の朝食たちを流し込んだ。
江梨子さんはいつまで経っても苦手だ。嫌いな感じの“苦手”ではなく、気を使ってしまう意味での“苦手”だ。律子は例の一件から、本当の親子の様に接してはいるが、私と言えばからきし他人行儀である。返事一つ「うん」と言うのにもそのオーラが出ているのだろう、江梨子さんに、「何よ改まって」と言われる事もしばしばである。
未来へ帰るまで、“私達”の仲はきっと改善される事はないだろう。
玄関で靴を履き、江梨子さんへ大声で行ってきますを言うと、リビングから顔を出し見送ってくれた。若くていいお母さんだ。
学校へ着き、自分の席へと座る。そして一呼吸置くと、昨日律子と話し合った事を思い出す。そして目をつむり、本番のイメトレを開始。
まずはお母さんをどこかへ呼び出して、……ん? どこへ呼び出そう? 呼び出すより、春の家で……いやいや、お母さんとお父さんが付き合っている事が春にバレるのはよろしくない。二人が付き合い始める前に騒がれては、事が上手く運ばなくなってしまう可能性がある。
じゃあ校舎の裏か? いやダメだ。校舎の周りをいつも何かしらの部活生が走っている。
それじゃあ……どこで……。
『何ボケっとしてんのよ、早く冬ちゃんとこ行きなさいよ』
「……え?」
『え? じゃないわよ。実行するなら、朝のこの時間のあの場所しかないじゃない』
私を小バカにする様に笑う。私が悩んでいた事をサラリと解決してくれるようだ。
「……あの場所?」
『ええ、この時間なら、絶対に誰もいない場所。フフ、沙美も知ってるでしょ? 部活で通ってたんだから』
「弓道場……!」
思わず大きな声が出そうになったが、そこは堪えた。
時計は八時五分を指している。ホームルームは三十分からなので、お母さんを呼んで弓道場へ連れて行っても充分に間に合う。私は急いで席を立った。
三年生の校舎へ行きお母さんの教室を目指す。廊下は馬鹿な男子生徒がはしゃぎあったり、女子たちがキャッキャと昨日の歌番組の話やらをしている。月曜の朝は一段とうるさく感じる。
お母さんの教室へ着き、中を覗く。……お母さんの姿は見当たらない。
と、背後から不意に声を掛けられた。
「あれ、りっちゃんじゃない。どうしたの?」
「……っ!」
ドキッとして振り向くと、そこにはお母さんが満面の笑みで立っていた。
……し、心臓が止まるかと思った。この女、私を殺すつもりか。この笑顔の奥に隠された本性も私は知っている。子供を三人産むことで覚醒される本性だ。律子にもお母さんの本性を知ってもらいたい。きっと面白い反応をしてくれるはずだ。
しかし今回はその悪魔的な本性へは触れずとして、お母さんを誘い出す。
「あ、冬ちゃん! ちょっと話があるから来てくれる?」
「うわ! ちょ、ちょっと!」
私は返事を待たずに、お母さんの手を引いて走り出した。
時間的に余裕はあるが、何があるか分からない。このまま時間に余裕を持つ為のダッシュだ。
弓道場へ着くと、まだ開いていない扉の前でお母さんと向かい合った。そして整わない息をそのままに、お母さんへ伝える。
「冬ちゃん聞いて、実は那覇軒先輩が冬ちゃんの事を好きみたいでさ、冬ちゃんに告白しようとしてるんだって!」
「え、えええ!」
お母さんは持っていたカバンをボトッと落としてしまった。一歩退きつつ驚いたその表情たるや、なんとも情けない面持ちだ。何かに困っているかの様な、そんな感じ。
しかし、お母さんの表情は見る見る恥じらうそれとなっていき、急にもじもじし始めた。そして口を開いた。
「ま、まあ、私もまんざらじゃあないかな」
「本当に!?」
思わずお母さんの両手を掴んでしまった。お母さんは顔を伏せて、小さく頷く。
きたー! これは、私の命を紡ぐ為の大きな一歩よ! いいえ、一歩どころか、飛行機で旅行へ行くくらいの大前進! 半分透明になっていた私の体は、見る見るその色合いを取り戻した。……あくまでイメージではあるが。
そしてお母さんへ、お父さんからの告白が二四日にある旨を伝え別れた。
『冬ちゃんは何とかなったわね』
「うん、これで後はお父さんをどうにかしないと」
『まあ大丈夫でしょう。あの人なら簡単に落とせそうな気がするわ』
「……」
一応、私のお父さんなんですけど……。
『それと、那覇軒先輩にいちょうのネックレスを買わせておかないといけないわね』
「うん、ちゃんと買えるかなあ……?」
同日夕方、西日の差す校舎の脇へ長谷川さんを呼び出した。難攻不落のこの女は、果たしてお父さんを手放してくれるのだろうか。泣いてまで手に入れた男を申し訳ないが、こちらは命がかかっているのだ、手放させない訳にはいかない。
と言っても、彼女を説得するのは私だ。見た目は律子様でも、その説得力に欠けるところが出てくるかもしれない。何としても律子を表へ出したかったが、律子と言えば、『ふう、説明せずに済んだわ』らしい。私との温度差が激しすぎる……。
目の前の長谷川さんは、私の方へ振り向くと、「こんな所へ呼び出してどうしたの?」とニコっと笑って見せた。
くう、この屈託のない笑顔をこれから奪わなければいけないのか。私は何と罪作りなのだろう。ごめんなさい、長谷川さんの神様。
「長谷川さん、実はーー」
私の一大スペクタクルの冒険劇の、一部始終を事細かく話す。
長谷川さんは眉間に皺を寄せ、ずっと難しい顔をして黙って聞いていたが、私の説明を途中で遮った。
「ちょ、ちょっと待って。話が凄すぎて何を話しているのか分からない。つまり、仲米さんの中に、もう一人誰かがいて、その子は未来から来たって事ね?」
「うん、それが今表に出てる私なの」
「そ、そう。理解に苦しむけど……まあいいわ。それで、あなた、名前は?」
ーーっ!
まさか直球で聞いてくるとは思わなかった。私自身、名前は最後の最後で伝えたかった。途中で名前を言って、長谷川さん自身が、お父さんと成就しない事を知り、話を最後まで聞いてくれない可能性があったからだ。
しかし聞かれては仕方ない。長谷川さん、これがあなたへ引導を渡す死の呪文と化すやもしれないわ。ごめんなさい。
「私の名前は……那覇軒、那覇軒沙美よ」
私が真っ直ぐに彼女を見てそう言うと、長谷川さんは口を両手で覆い、目を見開いた。物凄く驚いている様だ。そして目は見る見る赤くなり、遂には涙が溢れ出した。
無理もない、自分がお父さんと成就しないと知ってしまったのだ。好きなだけ泣いてちょうだい。
「……すめなの?」
長谷川さんの震えた声が何かを呟いた。
「え? 今、何て?」
私が聞き返すと、長谷川さんは涙をポロポロと流しながらも、私を一点に見つめ、もう一度言う。
「あなた、私の……娘なの?」
……あ、私のお母さんが田中冬美だって伝えるの忘れてた。
『……めでたい女ね』
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