第7話―10―
「よっしゃー、またストライク! 流石お父さん!」
『まったく、何ゲーム投げるつもりよ。もう四ゲーム目よ』
お店に入った時には五時半を指していたボーリング場の壁掛け時計は、すでに七時半を回っていた。
律子も暇を持て余して、ボーリング場内のゲームセンターでUFOキャッチャーやら簡単なパズルゲームやらをやり漁り、千円札が二枚入っていた財布は、とうとう三百数十円のみとなってしまった。これは帰りのバス代なので使う訳にはいかないらしい。
現在ボーリング場後ろのカウンターで、ちびちび飲んでいる甘めのコーヒーが最後の楽しみとなる。
『沙美、五ゲーム目に突入するなら、私もう帰るから』
「うん、私も帰りたい。流石にこの時間からは進展無いと思うし」
そう決意を固めた数分後、ようやく二人の耐久玉投げ大会に幕が降りた。
精算を済ませて、二人は店の奥へと歩みを進める。
『……うそ、まさか今から買い物?』
私も、ここから数時間の延長戦に突入する事が過ぎったが、二人は、少し高めの装飾品の並ぶショーケースを数分眺めると、その場を後にした。
すぐにそのショーケースを確認する律子。
そこには二千円から二万円程度の、割と安めの光り物のアクセサリーが並んでいた。しかしそこには、イチョウの形をした物は並んでいない。
その後二人はフードコートへと足を運び、律子の冷ややかな眼差しの先で、ハンバーガーを楽しそうに頬張っている。
『ねえ沙美』
「何?」
『あ、いや、何でもない』
何とも歯切れ悪く話を終わらせた感じが“やらしい”。
「え、何よ、気になるじゃない」
『いや、あの二人に近付く為に帽子とマスクを買いたかったんだけど、沙美にお金持ってないか聞きそうになったのよ……』
律子にしては珍しい“うっかり”が炸裂したが、私がそれだけ律子の潜在意識の中に浸透していると言う事だろう。ずっと一緒にいるのだ、無理もない。
私だって部屋にいる時、私が表に出ているのに、「律子、それ取って」なんて言ってしまいそうになった事もあった。
いざ未来へ戻って自分が一人しかいないという状況になると、反ってそれが、違和感として胸に何かが詰まった感じになるのだろう、きっと。
……寂しいなあ。
『仕方ない』
律子はそう呟くと、二人から死角になる様に、背中から近付き、長谷川さんの後方のテーブルへ座った。背中越しに長谷川さんの楽しそうな声が聞こえる。お父さんの声は……辛うじて聞こえる。
「へえー、先輩って、意外とシャイなんですね」
長谷川さんのワントーン高い声が、耳へ突き刺さる。明らかに、私達と喋っている時とは違う声質だ。
「そうかなあ? どっちかって言うと、割とガメツイ方だと思うけど」
……何がガメツイって? 女の話か? 女の人へガメツイと、そう言っているのか? この阿呆は。
『ねえ沙美、あんたのお父さんってーー』
「律子、それ以上は言わないで。私もきっと、同じ事思ってるから」
律子が何を言おうとしていたのかは、ハッキリとは分からない。が、よろしくないであろう事は明らかであった。
背後から聞こえる声で、お父さんの表情が目に浮かぶ。鼻の下が伸びきった、だらしの無い顔が。
しかしその表情は、次の一言で掻き消された。
「特に、ある特定の人には、な」
お父さんの少し真面目なその声は、長谷川さんの弾む会話も、ピタッと止めた。
「……那覇軒先輩、やっぱり、好きな人いるんですね。そうかなっては思ってたんですが、いざ聞かされると、ちょっとショックです」
長谷川さんは、少し震えた声でそう言うと、更にこう続けた。
「私、那覇軒先輩の事好きなんです。一目惚れです。今まで勉強ばかりしてきて、男になんて全く興味がなかったんですが、那覇軒先輩がいつも笑顔でいるところ、誰とでも楽しそうに会話してるところ、そういうところに惹かれてしまって、勉強どころじゃなくなってしまいました。
本当に好きなんです。このまま那覇軒先輩を手放してしまったら、私、一生後悔してしまいます。……きっと、那覇軒先輩がその人を想う気持ち以上に、私は那覇軒先輩の事を好きだと、そういう自信があります。お願いします。私と、お付き合いして下さい」
『……』
長谷川さんは、後半泣いてしまっていた。いや、ハッキリとは分からない。でも、聞こえた声が、泣いている時のそれだった。律子は勿論、私も、何も言えないでいた。
長谷川さんの気持ち、どうやら本気らしい。でなきゃ、好きな人がいる人に、わざわざ気持ち伝えないもん。
「律子、帰ろっか」
『先輩の返事、聞かなくていいの?』
「うん、聞かなくても分かってるから……。と言うより、その後の長谷川さんを見たくないから」
私がそう言うと、律子は静かに立ち上がり、二人を残してお店を後にした。
帰りのバスは、やけに静かに感じた。律子は頬杖をついて、窓の外の景色を眺めているばかりで、何一つ言葉を発しなかった。
律子の気持ちはよく分かる。長谷川さんの気持ち、汲んであげたいのだろう。それは私も同じだ。これまで母親の言いなりに育てられ勉強ばかりに追いやられ、挙げ句には同級生からいじめられ、ようやく見つけた自由。そんな中で初めて見つけた恋心。きっと初恋なのだろう。そんな大切な恋心を、私だって摘み取りたくはない。優しくすくい上げ、土に植えて育ててあげたい。
家へ着くと、律子はベッドへと仰向けに倒れ込んだ。そして小さくこぼした。
『……長谷川さん、ボーリングしてる時、凄く楽しそうだったよね』
「……うん。私、お父さんを応援しなくちゃいけないのに、長谷川さんの恋愛、手伝いたくなっちゃった」
『……』
律子は何も返してくれない。きっと、返せないのだろう。『私もそう思う』なんて言ったら、私が生まれない未来を望んでいると思われるから。
何も言わなくて良い、その無言そのものが、“私を気遣ってくれている証拠”なのだ。
しばらくすると、律子はまた、小さく呟いた。
『実らずの花……、蕾のまま落ちてしまうのね』
「……うん」
『でも、これはもう決まっている事なのよ。せっかく花開こうとしている恋心ではあるけど、そういう運命なのよ。彼女もまた、新たな恋愛をし、生涯を共にするパートナーを見つける事でしょう。今回は、涙を飲んでもらうわ』
律子はそう言うと、すっかり暗くなった夜空へ視線を移し、ボソリとこぼした。
『あなただけじゃない。……私は分かるわよ、あなたの気持ち』
山本光介を春に取られた律子。あの夏祭りは悲しい結果に終わったが、長谷川さんの気持ちをなだめるに、これ以上の人物はいない。しかし、その言葉を長谷川さんの耳へ届ける事が出来ないのは非常に寂しい。ちゃんと律子が分かってあげられている事、知らせてあげたい。
この恋が終わる時、彼女は何を感じるのだろう。悲壮感だけに打ちひしがれるのであれば、それは違う。背中をさすってくれる友人がいる事、ちゃんと伝えてあげたい。
もし未来へ帰る事が出来れば、長谷川さんを訪ね、この律子の想い、届けてあげよう。
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ううう、凍え死にそうだ。部屋の中だと言うのにこの寒さは一体何なんだ。暗がりの部屋の中、時計を見ると四時半を指している。
いつの間にかはだけていた羽毛布団を、頭からすっぽりと被る。徐々に戻る体温を、ハッキリと感じる事が出来る。気持ちが良い。
そしてこの安心感。小さい頃にお母さんに抱かれて眠っていた時の事を思い出す。
ああ、このままずーっと眠っていたい。暖かくなったら冬眠から覚めますので、暫く誰も起こさないで下さい。
……。
…………。
『沙美っ!』
「はいっ!」
目をつむると同時に、脳内に律子の声が鳴り響いた。
目の前には低い位置から玄関を見上げる光景が広がっており、その目線はすぐに高くなった。今しがた靴を履き終えたところの様だ。
『もう、いつまで寝てるのよ。もう学校行くわよ』
「あ、サーセン」
『サーセ……? ああ、なるほどね』
一瞬目をつむっただけと思いきや、しっかりと寝ていたようだ。目を覚ました瞬間、平日にも関わらず「今日は休みだ!」と勘違いをしてしまう程ではないが、とても損をした気分になる。もっと死ぬ程寝ていたい。
『何これ寒すぎ!』
律子の妙なイントネーションの声が、目の前の白い息に消える。
私は感じる事が出来ないが、恐ろしく気温が低いらしい。温暖化に慣れきった私では、到底乗り切る事が出来ない程の気温なのだろう。
教室へ着くと何やら騒がしい。一番後ろの席を女子達が取り囲んでいる。
『何かしら?』
律子が教室へ入ってすぐのところで立ちすくしていると、春が慌てふためいた様子で近寄ってきた。
「ちょっとちょっと! 律子か沙美か分かんないけど、早く来て!」
『今は律子よ……ああ、ちょっと!』
春は律子の返事を待たずして、手を勢い良く引く。そして女子達をかき分けて、律子を長谷川さんの元へと導いた。
そこには顔を伏せている長谷川さんがいた。きっと昨晩、お父さんにフラれた事がショックだったのだろう。
「律子……励ましてあげて」
私の声に律子は小さく頷く。
『長谷川さん……何があったかは知らないけど、人生色々ーー』
律子がそう言って彼女の肩に手を置くと、長谷川さんは顔を上げて返事をした。
「仲米さん! 私、那覇軒先輩と付き合う事になっちゃった!」
彼女の目は爛々と輝いている。
『……は?』
「……」
お父さんの告白まであと十日……。
あれ? 心なしか、意識が遠くなってきた気がする。
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