第7話―9―
『フフフ、沙美、聞いた? あんたのお父さんの事好きなんだってよ?』
「……」
律子は何だか楽しそうだ。この女、悪魔じみている。
長谷川さんの思いがけない一言で、私は完全に言葉を失ってしまった。
ニュースとかで、「驚きを隠せないようです」っていうのを耳にするけど、今の私がそれだ。むしろ、今まさに私を報道しているニュースがあって、「驚きを隠せないようです」と言われていたとしても、別に私は隠そうとしている訳ではない。それどころか、何なら見て欲しい、私の愕然としている表情を。目を丸くして口をあんぐりと開けた、ノーガードという言葉がしっくりとくる表情。私が作っている物ではあるが、律子のそれはきっと希少だ。
目の前の鏡を見て、なんて顔をしているのだ律子は、と一瞬過るが、自分なのだとこれまた一瞬で気付かされる。
「もしもし? 仲米さん聞いてる?」
はぁ!? 聞いてるわけないじゃない! 喉元まで登る言葉をぐっと飲み込む。
「え! ああ、はい、聞いてる聞いてる、ハハハ」
「それならいいけど。でさ、那覇軒先輩を今度デートに誘いたいんだけど、何か良いアイディアない?」
「……」
私が教えるのか? 私の命が消えるかもしれないと言うのに? はは、冗談はやめてくれ。生憎そんなに優しい人格は、私の中にはいない。
『面白いじゃない、教えてあげたら?』
ーー!?
何を言い出すのかと思えば……。この女は私の命を何だと思っているのだろう。そこら辺を歩いてるアリか? それともどこにでも生えている雑草か? どちらにしても、魂の重い低俗のそれだと、私を格付けしたらしい。
「長谷川さん、ちょっと待ってて」
私は受話器を電話へ縦に置き、その場を離れた。
「ちょっと、律子! 何て事言うのよ! 私を殺すつもり!?」
『まあまあ、落ち着きなって。この時代の人間の色恋沙汰に、未来の事情を知っているあなたが首を突っ込むのは反って危険よ。それなら、しばらく当人同士で泳がせた方が安全だわ』
「お父さんと長谷川さんが付き合う事になった瞬間、私消えちゃったりしない?」
『さあ』
「さあって……」
『でもあなたがここに存在している以上、どう転んでも、那覇軒先輩と冬ちゃんは、間違いなく一緒になるという事なんだから、きっと大丈夫よ』
「……」
とてつもなく残る不安の中、長谷川さんとの電話を終わらせた。当然、助言めいた事を言うでもなく、お父さんへのアプローチを止めるでもなく、当たり障りの無いところで。
私は二階へ上がると、荷物を投げやりベッドへ身を預けた。体を跳ね返した直後の、一瞬の無重力が気持ちいい。いや、ベッドに体が沈んでいる、跳ね返される何倍もの重力がかかっている瞬間も気持ちがいい。
この重力のかかった瞬間に、律子の体から私がベッドの下に抜け落ちたりしてはくれないだろうか。そうすれば私も自由に行動出来るのに。毎回思うが、当然そんな事は起きない。
『さて、沙美、那覇軒先輩が冬ちゃんへ告白する日まで十二日よ。そんな中、隠密長谷川さんが音も無く忍び寄っていた。あなたの首筋には、そんな“くの一”の刃がかけられている』
「ちょ、ちょっと……私死にたくないんですけど」
『そのしっかりと磨がれた刃は、既にあなたの襟元を、紅く染め始めているわ』
「……っ」
何を嫌な事を想像させるのだろうこの人は。
喉元をゴクリと通るツバの感触が、そこを流れているであろう血液のそれを彷彿とさせる。
「おえ」
『死にたくないのなら、しっかり二人を観察しておく事ね。春を助けなければいけないのは勿論だけど、その前に、未来へ影響の無いよう、那覇軒先輩と冬ちゃんをくっつけなきゃいけなくなったわね。長谷川さんがいないのなら放っておいても良さそうだったのに、沙美にとってはとんだ厄介者になったわね』
まったくだ。私はただ、お父さんの告白が見たいと思っていただけなのに、まさか直接関わる事になるとは……。
未来へ影響の無いように……。考えてはみるが、何をどうすれば影響して、どこをどうスルーすれば影響しないのか、皆目見当もつかない。私が知っている事は、お父さんがクリスマスイブの日に、イチョウの可愛いネックレスをお母さんにプレゼントする。そして翌日の十二月二五日に、お婆ちゃんの家にお父さんが初めて行く。ただこれだけ。
……武器が少なすぎる。
律子にヒントを得ようとしたが、『私が分かるわけないじゃない』と冷たく返されてしまった。
ーーツキン。
瞬間、軽い頭痛が走った。
『……面倒臭いわね』
入れ替わった様だ。
「……ラッキー」
『今何か言った!?』
「い、いえ! 何も言ってません! 言った事もありません!」
『……』
律子はベッドから体を起こし、ドア横にある姿鏡を、目を細くして見つめる。
「……」
見つめているのは、“私を”だ。いや、見つめているのではない、睨んでいる。鋭い目つきだ。何度この目に威圧されてきた事か分からない。そんなにお父さんとお母さんをくっつける事が面倒臭いのか? それとも他に理由があるのだろうか? うん、きっとそうだ。ここまで嫌がっているのだ。それ以上の理由が、何かあるはず。
……一体、その理由とは。
『まったく……歩くのすら面倒臭いわ』
「……」
大した理由だこと。
宇宙旅行から帰って来た人が、地球の重力でしばらく歩けないというのを瞬間的に思い出した。今の律子にピッタリだなと、そう感じる。
律子は立ち上がると、ゆっくりと歩き始め、そして机に着いた。
「何するの?」
『ちょっとねー』
机の小さい鏡へ向かって、今度は口の端を持ち上げ得意気に笑って見せる。そしてペン立てからHBの鉛筆を取り出すと、ノートへ何やら書き始めた。
そこには「那覇軒先輩」「冬ちゃん」「長谷川さん」「沙美」と、それぞれ丸で囲まれた名前が書かれ、律子のプロファイリングが始まった。
『沙美、極論から言うと、私達は長谷川さんのアプローチを止める事は出来ないわ』
「え、何でよ?」
『私たちが長谷川さんを止めようとしてるのを誰かに勘づかれて、私、仲米律子が那覇軒先輩を好きだと誤解されてはマズイからよ。そうなっては冬ちゃんの答えも、本来在るべく返事とは異なってしまう可能性がある、って事』
「えええ! さっき、私がここに存在してる以上大丈夫みたいな事言ってたじゃない!」
『飽くまで可能性があるって話をしているのよ。私の考えでは、未来は絶対不変的なモノで、決して変える事は出来ない。未来であるあなたがここにいる以上、那覇軒先輩と冬ちゃんは必ずくっつく。こう考えているわ』
「何だか、理由も無いのにそう結論付けるのは、ちょっと不安だなあ」
『んー、それじゃあ例えば、その二人を長谷川さんが邪魔をしようとしています。現にそうなんだけどね。で、その長谷川さんを阻止すべく、冬ちゃん達をくっつける為にあなたがこの時代へ来た。
どう? 沙美のタイムスリップをそう理由付けると、何だか納得出来ない?』
「うーん、確かにそう言われると、この世の成り立ちが、上手いこと成っているんだなあって感じる。そう在るべくして在る世界。もしこの時代へ私が来ていなかったら二人はくっつかなかった……、私がこの世界へ来て、何かをしたから二人がくっついた……て考えればいいの?」
私がそう言うと、律子は『流石私の弟子ね』と、鉛筆で鏡を叩いて見せた。そして続ける。
『いい? 沙美がこの時代へ来たからこその事があるわ。春も知らなかった事、イコール今の私たちの周りでは誰も知らないであろう冬ちゃんの情報よ』
律子はそう言いながら、「冬ちゃん」の所を何度も丸で囲った。
「ああ! イチョウのプレゼントだ!」
『正解』
新たに「イチョウ」という文字を付け足す律子の鉛筆。そしてそこから「長谷川さん」という名前まで矢印を引き、その「長谷川さん」の名前の上から、大きなバツを書いた。
長谷川さんをそれとなくお父さんから遠ざけ、そしてお母さんをくっつける。うん、きっと簡単。
……長谷川さんの本気度合いにもよるけど。
ーーーーーーーーーー
翌日、日曜日の夕方、律子は弓道場ではなくボクシング部へと向かった。
無機質な廊下を歩く。
「ねえ律子、お父さん、ちゃんとイチョウのアクセサリー見つけられるかなあ?」
『さあね、那覇軒先輩がちゃんと買い物出来るかどうか、沙美の方が詳しいんじゃない?』
「……うーん」
……きっと、買い物は出来ないだろう。イチョウのアクセサリーをと助言したところで、そんなお洒落な物を売っているお店すら見つけられないはずだ。奇跡的にお店を見つけられたとしても、お父さんにとって敷居は高いはず。店内に若い子がいれば尚更である。
「律子、買い物まで、一緒に行ってあげた方がいいかも」
『それはダメよ、周りに勘違いされては、元も子もないわ』
「そりゃそうだけどさあ」
無機質な廊下は更に冷たさを増し、私の大嫌いな研究所ゾーンへと突入した。
角を曲がるとボクシング部はすぐそこだ。
『ーーっ!?』
と、角を曲がるや律子は、悲鳴にならない悲鳴を上げ、角に身を潜めた。
「どうしたのよ?」
律子へ問うと、『長谷川さんがいるのよ!』らしい。壁に背中を付けて小声で叫ぶ律子は、傍から見ると一体どう映るのだろう。
幸い休日ともあり周りに人はいない様だが、あまり長谷川さんに集中していると、人が来た時にこの律子の醜態を晒してしまう。それだけは避けなければ。
と、そう思うが早いか、律子は角から身を潜めるのをやめ、スタスタと歩き始めた。急にどうした? と思ったが、その視線の先には、長谷川さんに先導されるお父さんの姿があった。
肩に背負わせる様子でぶっきらぼうにカバンを持ち、相変わらずヘラヘラした表情だ。こうして長谷川さんについて行く光景を目の当たりにすると、何だか不倫でもしているかの様に映ってしまう。いくら若いと言えども、もう顔のそれらは未来のお父さんとほぼ相違無いのだ。
くぅ、何だか怒りが湧いてきてしまう。
『何を熱くなっているのよ。まさか、「ああ、お父さんが不倫してる」、なんて下らない事考えてたんじゃないでしょうね。そんな事考えてる暇があるなら、私と春を助ける方法でも考えてなさい。このまま二人をつけるわよ』
「……はい」
律子は早足で廊下を歩いた。
二人は廊下から下駄箱へ、下駄箱から校庭へ、校庭から校外へと歩を進めた。
一体どこへ向かっているのだろう。お父さんの調子のいい表情がいちいち癇にさわる。写メでも撮ってお母さんに見せたいところだ。
何だか二人を見ていると、お喋りが弾んでいる様に見える。何を喋っているのだろう。ボクシング部の事についてか? それとも長谷川さんの得意な勉強についてか? いや、お父さんのあの表情からするに、後者は無いか。とにかく、お互い好きな人については喋らないで欲しい。何だか、長谷川さんに告白されると、お父さん簡単に落ちちゃいそうだから……。
『あなたのお父さん、誰でもいいのかしら……』
「……」
返す言葉が見つかりません。
お母さんの事を春に聞き出そうとしていた割には、長谷川さんと一緒にいるこの時間を、実に楽しんでいる様に見える。律子にもそう映ったのだろう。
男はこれだから嫌だ。
二人はバスへ乗り込み、律子も上手いこと乗り込んだ。
人がまばらに座るバスに揺られる事、約五分。三つ目の停留所のアナウンスが流れると同時に、長谷川さんの指が降車ボタンを押した。
二人から若干離れてバスを降りると、目の前に大きなお店が現れた。未来では、近隣のショッピングモールの爆増により客足が遠のき閉店してしまっているお店だ。DIY用品を中心に、何でも(と言うと嘘にはなるが)売っている大型のお店である。入口にはボーリング場とゲームセンターが設けてあり、ここがまだ賑わっている頃は、よくお父さんに連れて来られたものだ。
まあ、今回もお父さんに連れて来られたんだけど。
二人はお店へ入ると、ボーリングの受け付けへと直行した。
『ボーリングするみたいよ? 時間かかるわね』
「くう、これじゃあまるで、デートみたいじゃない!」
『“みたい”じゃなくて、デートなのよ』
「そんなの困るよ! お父さんとお母さんがくっつかなきゃ、私どうなるのよ!?」
『……知らないわよ』
……世知辛い世の中だ。
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