第7話―7―
何故、あの砥用さんがここにいるのか。しかも私とは違い、見た目もそのままの体で。もしかして、日頃の行いが良い子は体ごとの移送が可能で、そうでない子は魂だけの移送となってしまうのだろうか……。昔絵本で見た、閻魔様の前に行列をなして、地獄行きか天国行きかの審判を待つ魂たちの描写を、不意に思い出した。
私がそう考えていると、律子からもまったく同じ質問がぶつけられた。しかしそんな答えが解るわけでもなく、思わず「私が聞きたいわよ」と冷たく返してしまった。
暫く中の様子を見ていると、加藤くんとか言う、菊川さんの彼氏がこちらへ近付いてきた。
「よう、どうしたの?」
ガラッと開けられた窓からは、湿気を帯びた生暖かい空気が流れてきた。そのむわっとした質感に鳥肌が立つ。思わず一歩退いてしまった。
「あ、あの、皆が加藤くんを見たいって言うから……来ちゃった」
頬を赤らめた菊川さんの目は、加藤くんと、何も無い地面を何度も往復している。
「へえ、そっか。俺の事なんて見てたって仕方ないでしょ」
加藤くんは笑いながら爽やかにそう言うと、「どうぞ入ってよ」と、私たちをジムの中へ入れてくれた。
ジムへ入ると、瞬間こそ嫌な空気に体を包まれたが、すぐに慣れた。と、すぐにお父さんがこちらへ寄って来て、春へ声を掛けた。
「ねえ君、田中桜子さんだよね? 冬美さんの妹の」
「え、あ、はい。そうですけど……」
春はこちらをチラチラ見ながら答えた。「沙美、あんたのお父さんが喋りかけてきたけど、どうしよう」とでも言いたげな、困った顔をしている。しかしそんな事お構いなしに、お父さんは続ける。
「じ、実はさ、今度君のお姉さんに、ちょっと贈り物をしようと思ってるんだけど、どんな物がいいかな、と思ってさ」
あれ? 私はてっきり、お父さんは自分で考えてイチョウの物を選んだと思っていたが、それは違ったようだ。春に、お母さんが好きな物がイチョウだと、予め聞いておき、それをプレゼント--
「え、そんな事急に聞かれても……。お姉ちゃん、別に好きな物とかも無さそうなので」
春は頭をポリポリかきながらそう言うと、お父さんは「そっか」と少し残念そうに練習へと戻った。
んんん? 春も知らないのか? お母さんの好きな物を。
何だか思いもよらない展開でムズムズする。もしもこのまま、お母さんの好きな物がイチョウだと知らず、のうのうとアホ面下げて変な物をプレゼントしたとなれば、私の存在も危うくなってしまう。私は思わず、春へ声を掛けた。
「ねえ春、お母さ……あ、お姉さんって、イチョウとかは好きじゃないの?」
すると春は「ほえ?」と、とぼけた顔をしてこう返した。
「別に、好きじゃないと思うけど、どうして?」
これは何かまずいんじゃないか? と、考えていると、律子の声がした。
『ねえ、冬ちゃんにイチョウにまつわる物をプレゼントするんじゃないの? あの人は』
「うん、そのはずなんだけど……」
お母さんの話によると、この年のクリスマスイブに、お父さんのプレゼントと告白があるらしいが、このままでは危ういかもしれない。お母さん曰く、お父さんは元々女には縁が無かったらしい。放っておいても他に流れてしまう事はないのかもしれないが、万が一もある。アンテナを張っておく必要はありそうだ。
と、そんな事を考えていると、砥用さんがリングから降り、私のすぐ後ろを通った。不意に、私は彼女を呼び止めてしまった。
「と、砥用さん!」
砥用さんは、肩に掛けたタオルで汗を拭いながらこちらを見た。いい具合にシャギーがかった髪先からは、面白い程に汗がボタボタと床に落ちている。彼女はハッとして、まるで時間が止まってしまったかの様に目を見開いてこちらを見ている。が、息を荒げている肩は、彼女の時間がしっかりと経過している事を証明している。「どうしてこの子は私の名前を知っているのだろう?」とでも思っているのだろう。無理もない、砥用さんから見れば、私は律子なのだ。
しばらく二人で見つめあっていると、誰かが誰かを呼ぶ声がした。
「おい、田畑! 水分摂っとけよ!」
すると、その田畑という名前に反応したのは、驚いた事に目の前にいる砥用さんだった。
「は、はい!」
彼女はそう言うと、こちらを少しばかり気にしながら去って行った。
「……」
『 どうしたのよ』
……田畑。確かに彼女はそう呼ばれ、そしてそれに反応した。しかし、見た目は明らかに砥用さんだった。他人のそら似と片付けてしまうには、あまりに似すぎている。それに私が彼女を呼び止めた呼称、「砥用」という名前に反応していた事も事実。
彼女は……一体。
『 ちょっと!』
「あ、はい!」
『 どうしたのかって聞いてるのよ、聞こえてなかったの?』
律子はため息混じりにそう言うと、『 田畑って呼ばれてたけど、沙美の言ってた砥用って?』と、刺す様に聞いてきた。
「うん、砥用美里は、私の同級生なの。……あの子、すごく似てた、砥用さんに」
私がそう言うと、律子は『 未来の……ねえ』と、どこか考えるように呟いた。
そしてしばらく加藤君と、それを見つめる菊川さんを眺め、私たちはボクシング部部室を後にした。
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学校を出ると、菊川さんと長谷川さん、それから八重子とはすぐに別れ、春とも駄菓子屋の手前で別れた。
今日は風が強い。十二月の冷たい風は向かい風で、マフラーの隙間を縫って首元を冷やす。首をすくめても何も状況は変わりやしないのに、体が勝手に縮こまる。
自転車に乗っているから余計に寒くなるのかと、一瞬だけ歩いてみたが、どちらかと言うと歩いている方が寒く感じた。自転車を漕いで熱量を増やした方がいいらしい。
家に着くと、律子が口を開いた。
『 沙美、あなたのお父さん、冬ちゃんに告白しようとしてるんじゃない?』
「うん、そうだと思う」
お父さんが春に、お母さんの好きなものについて聞いていた事と、「クリスマスの日に告白をされた」、というお母さんの証言を元にすると、間違いなくそのプロジェクトを進めようと、お父さんが動いているのだろう。
これは、見逃す手はない。
が、しかし、お母さんの好きな物について、お父さんは何も収穫を得られていない。イチョウにまつわる物をプレゼントしなければ、お母さんの心は揺るがないかもしれないのだ。
……まあ、そんな物で揺らぐ様な気持ちなら、それはそれでどうかとも思うが。
とにかく、もしもお父さんの告白が失敗してしまったら、私はこの世に存在していられなくなってしまうはず。
お父さんの告白が成功するからここに私がいるのか、若しくは、私の存在があるからお父さんの告白が成功するのか、どちらかは分からない。が、どちらにしても、“成功”という二文字の結果を得ることが不可欠となる。
『 あんたのお父さん、大丈夫かな……』
律子も心配しているらしい。何かを考えている時の低い声だ。
「うん、私もそれ思った。てっきり、お父さんがイチョウにまつわる物をプレゼントしてあげるのかと思っていたけど、お父さんはお母さんの好きな物知らなそうだったし。春にも何も聞けてなかったし……」
『 これは……沙美、あなたが加担してあげる必要がありそうね』
「……私が? どうやって?」
『どうやってって、あなたが教えてあげたりするのよ、イチョウの事とか、他に冬ちゃんが喜んでくれそうな事とか』
……自分の命に関わる重大な事のはずなのに、なんだか……面倒くさい。
私は昔から“運命”とかいうちょっとカッコつけた単語に気を引かれる所がある。別にイキってる訳ではないのに、そのくせイギリス紳士の様な、落ち着いた風格を漂わせる。この紳士が特にどうする訳でもないのに、人々は彼の思うがままに産まれ、親友や恋人に出会い、子供を授かり育て、そして死にゆく。
この紳士に人生を任せていると、何だか全てが“仕方がなかった、そう在るべくして成ったんだ”という駅に終着し、言い訳がましい自分を納得させてくれる。
……とかカッコよくまとめてはみたけど、簡単に言うと、先の事をいちいち考えなくていいから楽なのだ。
もしかしたら、どこかにそういう節が出てしまっていたのかもしれない。律子に、『……何だか、突然あなたの存在が消えてしまいそうでならないわ』と呆れられてしまった。
ところで、お父さんの恋バナも気になるが、私はどうしても砥用さんの事が気になって仕方がなかった。
田畑と呼ばれた彼女は、一体何者なのだろう。
堂々巡りの考え事をしながらバッグをベッドへ投げやると、私自身も、そのベッドへ体を投げた。
……砥用……美里。
と、その時、電話の呼び鈴が、けたたましく鳴った。急いで一階へ降りて受話器を取る。
「もしもし、仲米ですが」
私がそう言うと、電気信号に変換させられた女性の返事が返ってきた。
「あ、私、田畑と言いますが、沙美さん、……那覇軒、沙美さんはいらっしゃいませんか?」
「な、那覇軒は……私ですが」
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