第7話―6―
時計の針が四時を指す頃、その日最後の三回目の公演を終えた。お客さんが全員出ていくと、春はどこから持ってきたのか、大量のお菓子とジュースをすぐにそこへ並べ始めた。そしてそれらを開封し、ジュースを全員分紙コップに注ぐ。その間約三分。ついぞ先程まで人形劇場だった教室は、高校二年生の集う宴会場へと早変わりしてしまった。
人形劇に参加していた人間、一八人で円を描いて座る。各々の前にお菓子が割り当てられ、春の司会で宴会が始まった。
「皆さん、今日一日お疲れ様でした! えーと……私からは特に無いので、シナリオを書いてくれた、監督の律子さん、お願いします!」
『……監督って、何よそれ』
春は律子に振るや、自分は何事も無かったかの様に座ってしまった。そして律子がジュースの入った紙コップを持って立ち上がる。
『えーと、それじゃあ一言。皆さんお疲れ様でした。今日は三回とも大成功だったと思います。準備の合間を見ながらの練習だったので、正直不安なところもありましたが、みんながそれぞれしっかりと働いてくれていたから、それが成功に繋がったんじゃないかと、そう思います。
特に、私のアドリブに付き合わせて申し訳なかったです。どうしても、長谷川さんを物語の中に入れて驚かせたかったので』
皆は律子を見ながら、うんうんと頷いている。長谷川さんは、何だか照れているようで、微笑んではいるが、目線は下を向いている。
律子の言葉は続く。
『で、二日目の明日は日曜日なので、多分今日よりもお客さんが多くなるかと思われます。特にお子さん連れの方とかが多いかも。なので、今日よりも気合い入れていきましょう! 乾杯!』
律子は紙コップを高く挙げると、皆も「かんぱーい!」と、それに続いた。
そして、宴会が始まるや否や、長谷川さんが律子の元へやって来た。
「仲米さん、本当にありがとう。今回の人形劇もそうだけど、今日に至るまで、どれだけお礼を言っても足りないくらいに感謝してるわ」
『お礼なんていらないから、私のビンタ、チャラにしてちょうだい』
律子がそう言うと、二人は声を出して笑った。すると、そこに菊川さんも寄って来た。
「私も……混ぜて」
菊川さんを見上げる長谷川さんは、そこにあったお菓子を少しずらして口を開いた。
「もちろん!」
菊川さんの顔色がぱあっと明るくなる。菊川さんも、ここ数日で人間が変わった様に感じる。何だか、幸子という名前が似合わない程に幸せそうだ。……と、言うと語弊があるか? 今の発言は無かった事にしておこう。
「は……長谷川さん、私とも、仲良くしてもらっても……いいですか?」
「敬語やめてくれるなら、仲良くしてもいいかな」
イタズラに微笑む長谷川さんは、何だか男遊びをマスターしている風なオーラを醸し出している。彼女の将来が、これまでとは違った意味で不安になる。
菊川さんはそう言われると、「じゃあこれからは……敬語を使わないように、気を付けます」と、前髪を意味も無くテラテラと触りながら言った。が、尚も敬語を使っている事を指摘されると、顔を紅くした。そして両手で顔を隠すと、
「何だかだめだー」
と恥じらっているのか絶望しているのか、どちらとも取れない反応を見せた。
さて、ここに居るのは一八人である。残りの二五人は、恐らくこの文化祭を楽しんでいるのだろう。数人は人形劇を観に来てくれてはいたが、どちらかと言えば、来ていない人の方が多い。私も律子と文化祭を満喫したかったが、結局買い物が出来たのは、劇の合間一時間だけだった。そして明日も今日と同じスケジュールなのだ、きっと、うつつを抜かしている暇なんて無いのだろう。……嘆かわしい。
この時代の文化祭は、未来のそれとは違って、他校生徒の出入りが激しい様に見える。それに一般の人も多い。とても賑やかだ。楽しげに会話に興じる長谷川さんと菊川さん越しに、廊下を歩く沢山の人々が見える。やはり文化祭と言えばこのくらいの賑わいがないといけない。
私が一年生の頃に開催された文化祭は、あんなの少し大きなお楽しみ会に過ぎない。トラブルが多いが為に、他校生徒の出入りが厳しくなっているのだろうが、それはそれで賑わいに欠けてしまう。文化祭でお祭りなのだ、人がいなくては始まらない。
そして時計の針が五時を指す頃、その日の文化祭はお開きとなり、翌日の二日目も、大盛況のうちに人形劇は幕を閉じた。
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部屋の日めくりカレンダーを一枚破る。ブチっと破ける感触が気持ち良い。が、この異常な寒さは頂けない。窓は結露して、更には凍っている。破いた十二月十日の紙をゴミ箱へ投げるが、寒さのせいで手がかじかみ、ゴミ箱とは明後日の方向へ飛んでしまった。
拾ってまた投げる。が、ダメ。今度こそ、と狙いを定めていると、律子の声がした。
『さっさと支度しなさいよ』
「--っ!」
不意に掛けられた声により、手に余計な力が加わってしまった。
お陰で紙は綺麗な放物線を描き、ゴミ箱へ吸い込まれていった。
さて、今日は放課後に、以前言っていた菊川さんの彼氏、“加藤君”だっけか? を皆で見に行く約束をしている。ボクシング部だと言っていたので、お父さんもそこにいる事になる。若い頃のお父さん……どうせお調子者の高校生だったのだろうが、ボクシングという過酷なスポーツを選択した背景が全く見えてこない。何を以ってその部活に入ろうと思ったのか……謎だ。
放課後になり、すぐに春が近寄って来た。
「ヤッホー! まだ沙美のままなのかな?」
「うん、私のままだよ」
「あ、私のままって言われても、声は律子だから分かりづらいんだけどね。まあ表情だけで大体分かるけど、アハハ!」
いつもの事ではあるが、今日も春は楽しそうである。
私、春、八重子と菊川さん、それから長谷川さんの五人で例のボクシング部の練習場へと向かう。誰が言い出したかは忘れたが(どうせ春に違いないのだけど)、菊川さんの彼氏である加藤君を見に行くのに、何故だか先ほどから長谷川さんのテンションがうなぎ登りで困ってしまう。……一体何を期待しているのだろう。
練習場が近付くにつれ、周りの風景が異質なものに変わってきた。校舎というよりも、どちらかと言えば、どこかの研究所の様な無機質な作りをしている。そして次第に聞こえてくる、何かを叩く音と誰かの掛け声、というか叫んでいる様な、そんな声。何だか……ゾンビとでも戦っているのではないだろうか、という程の不気味さすら漂っている。次の角を曲がると、壁に血でもついていそうでならない。
が、勿論そんな物は壁にはついておらず、角を曲がると、「拳闘部」と書かれた立派な木製の、看板(と言うのだろうか?)が目に飛び込んだ。
窓から中を覗くと、十五人程の男子が練習に励んでいた。練習と言うよりも、トレーニングと言った方がしっくりくるかもしれない。
ど真ん中にリングが備えられており、周りにサンドバッグやら見た事のない、何だか禍々(まがまが)しいトレーニング機具たちが所狭しと並んでいる。数人はそのトレーニング機具たちで筋トレをしており、そして残りの人間は、リングで打ち合いをしている二人へ声援を送っている。お祭りでもしているかの様な盛り上がりだ。
リングの二人は同じ位の背格好で、それぞれ赤と青のヘッドギアを着けている。目はお父さんを捜すが、ここからでは確認する事は出来ない。しかし菊川さんの彼氏である、加藤君はどの人か分かった。もちろん私が見つけた訳ではない、春が騒ぎ立てていたからだ。
「ねえ、あの人だよ加藤君! 格好いいでしょ!」
「え、ああ、あの人? 本当だ、格好いいわね! 同級生なの?」
春に袖を引っ張られる長谷川さんもまた、テンションがヤバい事になっている。
しかし確かに格好いい。遠目ではあるが、リングへ声援を送る人に混じって加藤君を確認出来る。薄い唇にあっさりした顔の作りは、この時代で言う「格好いい」という、硬派な男子を連想させる言葉より、どちらかと言えば「イケメン」、と言った方がしっくり来る。そして長谷川さんは「あんたもなかなかやるわね」と、菊川さんを肘でつついた。
それにしても、赤いヘッドギアを着けている人ばかりが先ほどからずうっと攻撃をしており、青いヘッドギアを着けた、こちらに背中を向けている人は一切攻撃をする気配が無い。ひたすら相手の攻撃を避けている。しかし、それが見事な程に躱せている。いや、“見事な程”とは言えないかもしれない。パンチが当たる直前で、ギリギリで“避けれている”程度か。その体さばきにも余裕がある様には見えないし、テレビで見かける様な避け方でもない。私が見ていても、まるで素人だという事が分かる。が、確実にその数々のパンチを避けている。そしてその度外野からは「おー!」だとか「すげー!」だとかの声が上がっている。
そして次の瞬間、青いヘッドギアを着けている方が、相手のパンチを体ごと横に避け、相手の真横から右ストレートを放った。そのパンチは相手の顎にまともに当たり、赤い方は膝からガクッと崩れてしまった。何だか、あまり迫力のある様なパンチには見えなかったけど、事は呆気なく終焉を迎えた。まあ、“終焉”とは大袈裟かもだけど……。
周囲が盛り上がり、リングの二人はヘッドギアを外した。すると驚いた事に、青いヘッドギアを着けていた方は女性だった。しかも、私の知っている女性……。
『どうしたのよ、沙美。女の子だったから驚いてるの?』
「……私、あの人知ってる」
『え、どういう事? あの子は確か……夏休み前に編入してきた子よ。名前は、えーと……』
「砥用美里……私の同級生よ」
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