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ハルかカナタ  作者: 一響
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第7話―4―

 教室へ戻ると、既に長谷川さんは席に着いていた。教室中、朝礼前のお祭り騒ぎでうるさいのに、彼女の周りにだけ、何か見えないバリアでも張ってあるかの様に冷たい表情をしている。周りとの温度差があり過ぎて、何だか彼女だけこの世に存在していないみたいだ。背中をバシッと叩いて、「わっ!」と驚かせたい。でもそんな事をすると、また暴力だの何だのと言って、あのマダムが出てくるのだろう。面倒臭い。

 彼女の隠されたエピソードを律子に聞いてから、何だか長谷川さんの事が気になって仕方がない。ジェロニモの退屈な授業を今すぐ中断させ、彼女を教壇に立たせて質問コーナーを開きたくなる。素直には答えてくれないのかもしれないけれど、彼女のエピソードを聞けば、誰しも長谷川さんの本性を知りたがるはずだ。

 しかし、その隠されたエピソードは、律子が公にしない限り陽の目を見る事はない。私が言いふらしたいのは山々だが、律子に『彼女がそういう学校生活を望んでいるのなら、これは誰にも言わない方がいいかもね』と止められてしまった。

 ガリレオの、実に面白い物理の授業……もとい、ジェロニモの、実に面白くない数学の授業が終わると、律子は長谷川さんの元へと向かった。律子の言っていた通り、外を眺めている彼女の表情はとても寂しそうだ。

 彼女の前の席に横座りし、喋りかける。

『さっきは、お母さんに口答えなんてして悪かったわね。いい思いしなかったでしょう、ごめんなさい』

「……別に。いい薬になったんじゃないの。あの人、誰かに反論とかされた事ないだろうから」

 長谷川さんは意外にも、怒鳴るでもなく睨むでもなく、頬杖をついて外を眺めたまま、つまらなそうに、そう返事をした。

『それなら良いんだけど。……あなた、本当に友達欲しくないの?』

 律子がそう聞くと、長谷川さんは小さくため息をついた。

「友達なんてごめんよ。勉強の妨げになるだけ、時間の無駄よ」

『勉強ねえ、あんたプライドだけは無駄に高そうね』

「……プライドなんてないわよ、やらなきゃいけない時にやってるだけ」

『ふぅん、でも友達は良いわよ、困った時に助けてくれるんだから』

「フンッ、そんなの嘘よ。友達はすぐ裏切るんだから、いざとなったら簡単に仲間を売るのよ。昨日まで仲良くしてたのに、次の日になればのけ者にしていじめるのよ。信じられるのは自分だけ、私は一人で充分なのよ。……分かったら、もう関わらないでくれる?」

『……そう、あなたの過去に何があったかは知らないから無理強いはしないわ。あなたが思うようにやるといい。それと文化祭の準備も来なくていいわよ。周りは皆、仲のいい人とグループ組んでやってるから、あなたも入り辛いでしょう。

 でもね、一つ言っておくけど、裏切るようなやつは友達じゃないわ、そんなやつらとしかつるんでいなかったのなら、あなたはまだ友達を知らない。私が友達の良さ、教えてあげてもいいけど』

「……」

『……何とか言いなさいよ。今日だけでいいから、放課後、文化祭の準備手伝いなさい。私たちのグループで良ければ歓迎するから。それじゃあ』

 律子はそう言って、自分の席へと戻った。結局、長谷川さんは一度も律子と目を合わせる事はなかった。



 放課後になり、昨日と同じ様に教室の中央にスペースを作る。そして小道具たちを作り出す為の道具を目の前に広げる。その時、律子の目は、不意に教室内を見渡した。

『長谷川さん、帰ったのかしら』

 確かにどこにもいないし、机にバッグも掛かっていない。どうやら帰ってしまったらしい。もしかしたら、図書室とか職員室に行ってて、すぐに戻ってくるかもしれないと思っていたが、結局彼女は戻って来なかった。




 翌日、十月二三日、朝。

 長谷川さんは教室へ入るなり、やはり何事もなかったかの様に律子の後ろを通り席へ着いた。昨日律子の誘いを蹴った事には全く触れず。

 律子は彼女の背中をチラッと見たが、特に何も言いはしなかった。

 長谷川さんは、今日はいつもと違うバッグで登校してきた。少し大きめの赤いリュックだ。脇に下がっている小さいキツネのアクセサリーが可愛い。ブスッと外を眺めている長谷川さんとそのアクセサリーにギャップがあり過ぎて、何だかモヤモヤする。


 そして放課後、私も文化祭の準備には慣れてきた。今日は背景を仕上げてしまうらしいが、昨日の終わり際に取りかかり始めたばかりなので、もしかしたら今日の居残りは少し長くなってしまうかもしれない。しかしそんな事でへこたれて、取りかかるのが遅くなっては帰るのも遅くなってしまう。ちゃっちゃとやってしまおう。

 ……まあ、作業は律子がやるんだけど。

 律子が作業に取りかかろうとしたその時、絵筆を持った律子の背後から誰かが声を掛けた。

「ねえ、ちょっと」

 振り向くと、そこには長谷川さんがいた。未だに包帯を巻いているのが何とも痛々しい。ミイラみたいだとは口が裂けても言えない。

『あら、どうしたの? 一緒にやる?』

 律子は少し嬉しかったのか、声がいつもより高い。だが長谷川さんは、尚も無表情のままである。長谷川さんは口をへの字に曲げたまま、リュックから何かを取り出し、律子へ差し出した。

「これ、昨日作った」

 長谷川さんの手には、少し大きめの手提げ袋が持たれている。どのくらいの大きさかと問われると回答に困るが、ソフトボールなら七つくらい入りそうだ。多分そのくらい。

 その袋を受け取り中身を確認すると、そこには手のひら大のぬいぐるみの人形が六体、肩を寄せ合うどころか体をぎゅうぎゅうに寄せ合って入っていた。律子は『わあ! 凄い!』と嬉しそうに声を上げた。

 中身を出すと種類がよく分かる。うさぎ、ゾウ、カバ、クマ、ライオン、そして魔女。各々特徴をしっかりと捉えた物で、とても可愛く、それでいてしっかりと出来ている。これを長谷川さんが作ったと言うのか。……人は見かけによらないとはよく言ったものである。

『やるじゃない! それにしても、これ、時間掛かったんじゃない?』

「徹夜よ。結構、頑張ったつもりだけど。昨日菊川に聞いたら、人形はまだ作ってないって言うから、だから作ったのよ。使いなさいよね」

 長谷川さんはそう言うと、「それじゃあ、私は帰って寝るから」と続け、律子の制止も聞かずに教室を出ていってしまった。

『みんな聞いてー! 長谷川さんが人形作ってきてくれたわよ!』

 律子がそう言うと、女子たちがわらわらと集まり始めた。みんなそれぞれを手に取り、「へえ、あの長谷川さんがねえ。少し見直したかも!」だの「可愛い! 私には作れないなあ」だのと、その出来映えと、彼女自身も評価した。

 すると三人の男子が寄って来て、そのうちの一人が女子から人形を乱暴に奪った。

「何だ、これ長谷川が作ったのかよ! まあ、しっかり出来てるっちゃあ出来てるなあ」

 木瀬内(きせうち)だ。ヤンキーかぶれのこいつも、まだ一度も文化祭の準備で見かけた事はない。さっさと帰ればいいのに、こんな時には残っている。どうせ手伝いもしないくせに。

 木瀬内は、うさぎの耳をぎゅっぎゅっと引っ張りながらそう言うと、律子は彼の腕を引いた。

『ちょっと何してんのよあんた! そんな乱暴に扱わないでよ、壊れちゃうでしょ!』

「うるせーな。長谷川が作った物なんて壊れりゃいいんだよ!」

 木瀬内はそう言って、うさぎの耳をちぎってしまった。そしてこう続けた。

「あいつには散々やられたからな、仕返しだよ」

『あんたねえ……』

 律子の声が怒りで震えている。これはまた一人、病院行きになってしまうのだろうか。怒りで震えた声のまま、律子は改めて口を開いた。

『長谷川さんに謝りなさい。明日、朝一番に』

「は? 死んでもゴメンだな。俺のプライドが許さねえよ」

『はあ? プライド? どの(つら)下げて言ってんのよ。あんたなんかにプライドを語る資格なんてないわよ』

「何だと!」

『プライドってのは、誰も見てない所で意地張って頑張る事を言うのよ! あんたのはただの傲慢(ごうまん)よ!』

 律子がそこまで言うと、木瀬内は律子の胸ぐらを掴んだ。

「やんのかコラ!」

『こっちのセリフよ! 殴るならどうぞ、あんたに殴られる痛みより、頑張って作った物を壊された長谷川さんの心の方が、ずっと痛いはずよ! ほら、やりなさいよ!』

 そう言って、わざと自分の左頬を木瀬内に差し出す律子。木瀬内は本当に殴ってきそうな迫力だ。もし殴られた後に私と入れ替わるような事があれば、その後の頬の痛みは、私も受け続けなければいけない事になる。と、こんな時に律子には申し訳ないが、そんな自分よがりな考えばかりが過る。

 しかし木瀬内は、「くそっ!」と言って律子から手を離し、取り巻きの二人を連れて教室から出ていった。

 すると脇にいた八重子が声を掛けてきた。

「……律子ごめんね、何も言えなくて」

『いいのよ、八重子や春に被害があれば、それこそ二人に申し訳ないから……って、春は?』

 そう言って辺りを見渡すと、「こ、ここにずっといましたよー」と、情けない声が足元から聞こえてきた。そちらに目をやると、春がペタンと座って、何だか申し訳なさそうな表情でこちらに手を振っている。

『あ、いたんだ』

「こ、腰が抜けちゃって立てないんです……えへへ」

 木瀬内の迫力に圧倒されたらしい。春は照れた様に頭をわしゃわしゃと掻いた。

 丁度その時、どこかに行っていたらしい菊川さんが、教室へ戻ってきた。事の騒動を知らない菊川さんは、いつもの、何かに怯えた表情で律子へ声を掛けた。

「……な、仲米さん、長谷川さんと何かあったの?」

『え、長谷川さんとは別に何もないけど、木瀬内が……ちょっとね』

「あ、そうなんだ。……長谷川さん、今そこで泣いてたから、また仲米さんと何かあったのかなって……そう思っちゃった。ごめんね」

『長谷川さんが? 今そこにいたの?』

「うん、教室の戸の所に、背中つけて寄りかかってたけど……。どうしたのって声掛けたら、何でもないわよって、涙拭きながらニコって笑って、そのまま帰っちゃった……。長谷川さんの笑った顔なんて初めて見たから、何だかびっくりしちゃった」

『そうなんだ、戸の所でねえ、フフフ』

 律子は含み笑いをしてそう答えた。

 それにしても長谷川さんの笑顔……私も見たかった。何だかツチノコ並みに希少価値が高いように思われる。「二泊で行く! 伝説の“ハセガワノエガオ”! ツアー」いずれ何らかのバスツアーで企画したいものだ。添乗員には私が買って出よう。



 次の日の朝、顔の包帯が取れたらしい、首にだけ包帯を巻いた長谷川さんが、律子の元へやって来た。そして、「ほら、これ」と言って、またしてもソフトボールの袋を差し出した。

 律子が中身を確認すると、中にはうさぎの人形が入っていた。

『あ、これ』

「昨日、壊れちゃったんでしょ、菊川に聞いたわよ。……その……守ってくれて、ありがとう」

 長谷川さんは、律子から目をそらしてお礼を言った。律子は何の事やら分かっていないらしく、『ん、守った? いや、人形は守れなかったんだけど』と言うと、長谷川さんはこう返した。

「私のプライドを守ってくれたわよ、あんたは。それに、人生を踏み外しそうだった私自身も救ってくれた。何だか、色々と気付かされたわ。授業料は高くついたけどね」

 長谷川さんはそう言って微笑むと、頬を擦って見せた。

『ありがとうはこっちよ、お陰でまた一人、友達が増えそうよ』

 律子がそう言うと、長谷川さんは「やっと、友達が出来た」と、微笑んだまま涙を浮かべた。

『一年半もよく頑張ったわね。私知ってたのよ、長谷川さんは、本当は素敵な笑顔を作れるって。夏休み前に公園で見たんだ、子供たちと遊んでる時の長谷川さんの笑顔』

「ああ、私公園でよく本読んでるんだけど、あの日はそこで遊んでた子供たちに遊んでくれってせがまれたのよ」

『そうだったの。私てっきり親戚の子かと思っちゃった』

「ハハハ、そう考えるのが普通かもね。あ、そうだ、菊川には謝っといたから、この前の事。それとママにも、今後私の事で学校に何か言うのはやめてくれって言っておいた。仲米さんがお母さんに言ってくれた事、嬉しかったんだ。私の人生台無しになるところだったよ。友達、案外悪くないかもね」

 長谷川さんは、何だか憑き物が落ちた様な柔らかい表情をしている。よかった、ハセガワノエガオツアーは企画しなくてもよさそうだ。

『あ、そうそう、友達の事であなたに聞きたい事があったのよ。以前友達と何かあったの?』

「まあね、中学の頃いじめられてたんだ、私。仲良くしてた友達五人に、ある日を境に突然いじめられ始めたの……丸二年間いじめ通されたわ。辛かった、必死に耐えた。もうあんなのゴメンだから、高校では気が強そうに見せようって、そう決めてたの」

『あなたなりの防衛線だったって訳ね。でも、このクラスにそんなやついないわよ。もしその中学の頃の友達に会った時は、私が張り倒してやるから』

 律子が笑いながらに言うと、長谷川さんも「あれは本当に効いたわよ。お陰で目が覚めたけど」と笑い、その場を後にした。

 その後、律子は手に持ったうさぎの人形を見ながら、優しく呟いた。

『本当は昨日、一部始終聞いてたくせに。フフ、意地っ張りなんだから』



 その日律子は、帰るなりある作業に取り掛かった。布やら綿やらを取り出して、リビングのテーブルに置いた。

「何するのよ?」

『ちょっとね、フフフ』

 律子が不敵に笑う。何だか……怖い。一体何を企んでいるのだろう……。



 そして私たちは、十月三一日、文化祭当日を迎えた。




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