第6話―1―
江梨子さんと歩く帰り道。荷物の一つは、乗り捨てた時に歪んでしまった自転車のカゴに入っており、もう一つの大きな荷物は荷台に乗せ、二人で自転車を押しながら帰る。ハンドルを握るのは江梨子さんで、後ろの荷物を支えているのが律子。律子は駅を出てから、ずーっとニコニコしている。
律子はその台詞の後に何を続けるでもなく、何度も『お母さん、お母さん』と嬉しそうに江梨子さんの事を呼んだ。
律子は、とても幸せそうだ。胸の奥が凄く熱いのは、きっとそのせい。私も幸せな気持ちで満たされている。
家へ着くと、お父さんが優しく「お帰り」と一言だけ添えて迎えてくれた。すると江梨子さんも「ただいま」と優しく返した。
きっとこの二人も、別れを決断していたのだろう。
そして律子はそのまま、江梨子さんを部屋へと連れていった。
江梨子さんは律子の部屋へ初めて入ったのか、「へえ、可愛いね」と色んな物を手にとった。
『ねえ、そこに座って』
ベッドを指差す律子。江梨子さんを座らせると、律子はその背後に回り、江梨子さんの首にネックレスを掛けた。
『これ、あげる。私が大切にしてたネックレス』
「ありがとう、でもいいの?」
『うん、お母さんにあげるー』
江梨子さんの顔を覗き込み、無邪気に笑う律子。今この瞬間の律子の顔を見たいが、勿論それは叶わない。江梨子さんはとても嬉しそうにそのネックレスを手に取って暫く見つめると、両手でぎゅっと握りしめた。
「嬉しい、大切にするね」
すると律子は、続けてもう一つ江梨子さんへある物を差し出した。
『それから、これ』
「ん、これは?」
律子が差し出した物は、指輪だ。キラキラとシルバーの輝きを放つ指輪。
『これも私の宝物。これは、ある女の子に渡してほしいの』
「私が渡すの? りっちゃんが渡せばいいじゃない」
『私は渡せないんだ。だから、お願い』
江梨子さんは目を丸くして、暫くその指輪と律子の顔を何度も交互に見た。が、すぐに笑顔を見せた。
「うん、分かった。で、誰に渡せばいいの?」
『那覇軒沙美って子に渡してほしいの。二〇一四年の八月後半、ここへ来るはずだから』
「二〇一四年って……二七年後?」
江梨子さんがそう尋ねると、律子は静かに頷いた。江梨子さんは少し驚いた表情をしていたが、すぐに笑顔に戻り、「分かった、沙美ちゃんね、覚えておく」と指輪を受け取った。すると、律子はテーブルの鏡を見ると、江梨子さんには見えないようにウインクをして見せた。
嬉しい事に、これは私へのプレゼントらしい。しかし、「私は渡せないんだ」という台詞が気になった。何故律子は“渡せない”と言い切っているのか。もしこの時代で春を助け、律子も言っていたように自分も助かれば、未来で律子は健在のはず。それに十七歳で未来の里羽ちゃんに手術もしてもらえるらしいのに、それなのに私に直接渡せないなんて……一体どういう事だろう。
『左手、凄く堅くなってる』
律子は、江梨子さんが指輪を受け取った左手の指先をモニモニしながらそう言った。江梨子さんの左手には、もう絆創膏は巻かれていなかったものの、その指先はガジガジに傷付き、そして堅くなっていた。
「ギターするとこうなるみたいなの。でも、もうこれも治まるかな」
『え?』
「ギターは、りっちゃんの誕生日の為だけにやってたから、もうしないだろうし」
『……そっか。ありがとう、最高のプレゼントだったよ』
それから二人でリビングへ下り、律子と江梨子さんの二人で晩御飯を作った。
夕飯を終え部屋へ上がると、律子は、今日買ったばかりの冬服たちを袋から取り出し始めた。鼻歌混じりの彼女の目は、少しばかり腫れている。
そして全ての服を着ると、姿鏡の前に立った。
『どう、似合ってるかな?』
「うん、すっごく似合ってる!」
想像していたよりもずっと似合っている。これなら、どこぞの雑誌のモデルにも引けを取らないだろう。
律子は嬉しそうに、何度も何度も角度を変え、自分の姿を確認した。
『沙美、ありがとう』
「いやいや、結局律子のお金で買ってるから、お礼なんて」
『ううん、これは沙美からのプレゼント。大切にする』
そう言うと、それらを脱ぎ、大事そうにクローゼットの一番下の引き出しへとしまった。これでもかと言うほどの防虫剤と一緒に。
時計の針が十一時を指す頃、寝支度を整えていると、突然背後から「パチン」と、指を鳴らす音が聞こえた。
振り返ると、カナタがベッドの上でフワフワと浮いていた。時計の針は止まっている。
体の主導権は、やはり私に移っており、律子はまたしても眠らされている様だ。
「な、何しに来たのよ」
「随分とお言葉だな、那覇軒沙美。今回現れたのは、“おめでとう”を言いに来たんだ」
「え、おめでとう?」
「ああ、“誰か一人を幸せな気持ちに満たす事”、課題達成だ。おめでとう」
カナタはヒョイっとベッドから降りると、パチパチパチ、と仕方なさそうに拍手をした。
「幸せな気持ちに……まさか、律子と江梨子さんの事?」
「ああ、仲米律子は今、幸せな気持ちに満ちている。人を愛し、そして愛される。これで、一つはクリアだ」
相変わらず無愛想なやつだ。と言うより、無表情無感情なやつだ。天使がこの調子なら、神様はさぞかし仏頂面なんだろうな。そう思った。
それにしても、まさか江梨子さんとの事が課題だとは思わなかった。“人を愛しそして愛される”、なんて、どう考えても男と女の恋愛以外に出てこなかった私は、まだまだお子ちゃまなのだろうか。
律子は山本光介の時、課題達成が危ぶまれたのに何故だか楽しそうだった。もしかしてこの事を予知していたのか? いや、それはないか。あんなに江梨子さんの事を嫌っていたし、テープだって途中で止めて聴くのをやめようとしていたのだ。……それじゃあ、一体なぜ。
「おい、聞いてるか」
「え、あ、はい!」
「約束通り、お前にご褒美をやろうと言っているんだよ。未来へ行きたいのだろう?」
「い、いいの!? 未来に、一旦帰してもらえるの?」
「ああ、大丈夫だ。しかし、俺もそんなに力があるわけではないからな。お前を未来へ跳ばしても、せいぜい十分が限界だ。それに、跳ばす事は可能だが、こちらに戻す事は出来ない」
カナタは私に背を向け、窓の外の月を眺めた。
「力が無いって、私をここへずっと滞在させてるじゃないの」
「だからだ。お前をここに滞在させる事で大きな力を使っているから、余計な時空移動には力を使えないという事だ」
そう言われて、何だか妙に納得した。
「じゃあ、私はどうやって戻ってくればいいのよ」
「お前の友人に、山下美鈴という女がいただろう。あの女の持っている“石”を借りるのだ。その石の力があれば、戻って来られる」
その話を聞いた瞬間、何だか寒気が走った。美鈴が言っていた石は、この事だったのかと。きっと、今の私が未来へ行き、再び過去へ帰る為に借りたのだ。
カナタは続ける。
「しかし、もし十分以内に石を手にしていなければ、お前は時空の狭間に飲まれてしまう。飲まれる、と言うより、帰って来られなくなる、という解釈が正しいか。まあ、気をつける事だ」
「……う、うん、気を付ける」
そう言われ、美鈴がいなくなった時の事を思い出した。
買い物に行った七月三一日、私に「お母さんに貰った石だから絶対に返してよ」みたいな事を言っていたような気がする。そしてその日の夜、美鈴は私に電話をした後、姿を消してしまった。最後の電話の「あんたあの石どっかに持って行っちゃったでしょ!」と言っていたのは、もしかしたら、私がこの時代へ石を持ってきてしまった事を言っていたのかもしれない。テレビもつけっぱなしで、携帯電話も開いたままの状態で落ちていたのだ。……まるで、石を失って元の場所へ跳ばされてしまったかの様に。
そんな事を考えていると、カナタは改めて口を開いた。
「しかし、一つ問題があるのだ」
「問題?」
「ああ、こちらへ戻す際、時間のコントロールが出来ないのだ。つまり、お前を九月五日の今日、未来へ送ったとしても、戻す日付は十月か十一月か十二月か、ハッキリとは決められないのだ。送った日付以降というのは確実だがな」
「それじゃあ、もしかしたら、一九八八年の一月とか二月って可能性も?」
「あり得る」
静かに返ってきたその言葉は、私の心にズシリとのしかかった。
もし、万が一来年になってしまったらどうしよう。そうなっては元も子もない。由美や美鈴、それにお母さんが言っていた事を考えると、私は間違いなく未来へ一度帰るのだろうが、正直怖い。こちらへ戻ってきた日付が、律子が事故に遭った後だったら、私の魂はどうなるのだろうか。
……一度、律子に相談した方が良さそうだ。
「ねえカナタ、一度律子と相談した後でもいい?」
私がそう尋ねると、カナタは「どうぞご自由に」と言って消えてしまった。瞬間、律子の声がした。
『あ、あら? 今瞬間移動したわね……カナタが来たのね』
「うん」
『何か言ってた?』
「課題達成だって言ってた。江梨子さんとの事で、律子を幸せな気持ちで満たす事が出来たから、それで達成したみたい」
『え、そうなの? てっきり男子と良い感じになるものとばかり……』
律子とて、例外ではなかった様だ。しかもそう考えていたと言うことは、そうなりたかったという事なのか? 何だかんだと言いながらも、やはりは年頃の女の子である。
そして律子に、先程の「未来へ一旦跳ばしてもらえる事」について、未来で滞在できる時間や帰る方法、そして帰ってくる日付がいつになるか分からない事を話してみた。すると律子は即答した。
『行くべきよ』
こうも断言されると、不安でいっぱいだった心に炎が灯され、その中にあった恐怖心を綺麗に焼き払ってくれる。しかもそれは律子の言葉だ、ことさらに述べ立てる事もなく、安心感が満ちてくる。
私の心は決まった。
「分かった、律子、私行って来る!」
『うん、私待ってるから』
「でもさ、そんなに自身満々に私を送り出すって事は、私が帰ってくる日付が、いつだか分かってたりするの? --あああ!」
『……な、何よ急に。あなた何かを思い出す時、いちいち大袈裟なのよ』
「お、思い出したのよ!」
『だからそれは分かってるわよ、何を思い出したのよ』
「律子が私に宛てた手紙よ、あの手紙には“あなたを起こしちゃうから”って書いてあったの」
私がそう言うと、律子は呆れた時によく出すタイプのため息をついた。この場合、私は大抵怒られるのだ。
『あなたねえ、どうしてそんな事忘れちゃうのよ』
ほら怒られた。律子は続ける。
『と言う事は、少なくとも十月一九日までには戻ってくるって事ね。安心して行ってらっしゃい』
「うん……行って来る……」
『どうしたのよ?』
「何だか……いつも律子が言ってる、“私が知らない方がいい事”まで知っちゃいそうで怖い」
律子がいなくなる事が、こんなにも不安なものだとは思わなかった。出来れば一緒に来てもらいたいところだが、それは叶わない。私は相当に不安な表情をしていたのだろう、律子は私が未来で確認すべき事をおさらいしてくれた。
一、夏海と春は、未来では健在なのか?
二、もしどちらか(若しくはどちらも)亡くなっている場合、その死因と亡くなるのはいつか。
三、アルバムの一言コメントの「二人」というのは、誰と誰の事を書いていたのか。
以上三点である。
「ねえ、秋人君は? 秋人君の事は聞かなくていいの?」
『うん、それはいい。……それにしても、あなたを一人だけ未来へ送るのは、とても不安だわ。いい、今言った事以外は、絶対に聞いてきちゃ駄目だからね』
念を押されると尚更不安だ。私も、余計な情報は取り入れないよう、さっさと用事を済ませて帰ってくるとしよう。
「じゃあ、律子、行って来るから。カナタを呼んだら、きっと律子は眠らされちゃうから、ここで一旦お別れだね」
『……何だか少し寂しいわね。沙美は十数分だけ私と別れるだけだけど、私は暫く留守番か。十月一九日なんて待たずに、すぐに帰ってきていいのよ』
私は律子のその言葉を受け、「うん」と、力強く頷いた。そして早速、再びカナタを呼び出す。瞬間、律子の気配がそこから消えた。
カナタはベッドに腰掛けている状態で姿を現した。
「カナタ、お願い。私を未来へ戻して」
「決心がついたか、いいだろう。で、いつに跳ばして欲しいんだ?」
「二〇一四年の七月三十日、午後十一時半、これでお願い」
「いいだろう」
カナタはそう言うと、右手をすいっと挙げ、指を「パチン」と鳴らした。
瞬間、目の前は一面、真っ白な光に包まれた。
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お尻に「ドスン!」という、物凄い鈍痛が響いた。先程までの真っ白な光に慣れてしまったせいか、辺りが暗くてよく見えない。どうやらどこかの部屋に不時着したらしい。お尻を擦りながら、すぐ横にあった、これは……ベッドか? それに掴まって体を起こす。
「あいたたたた。--っ!?」
体を半分起こしたところで、そのベッドで誰かが寝ている事に気付いた。
やばい! 声なんて出したら起こしちゃう! 極力未来の人たちとの接触は避けたいところ。口を抑え、息も殺して立ち上がる。
徐々に目が暗闇に慣れてきた。
ん? この人は……いや、絶対に起こしては駄目だ!
だって寝てる人、これ、私だもん!
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