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ハルかカナタ  作者: 一響
42/71

第5話―15―

 カセットテープを再生させると、何やらガチャガチャと、機材をセットしている様な音と、数人の男女の喋り声が聞こえた。

 と思ったら、江梨子さんの声がメインで聞こえてきた。

「これ、もう録ってるの? OK? いける?」

 その声のこっち側で、男性の声が「うん、もう録ってるよ」と返事をした。そして軽く咳払いをすると、そのガチャガチャの中、江梨子さんは改めて切り出した。

「えー、りっちゃん、お誕生日おめでとう。十七歳ということだけど、十七って年齢は、大人でも子供でもない、何だか中途半端な年齢だと思います。遊びたいけど、進路も決めなきゃいけなかったり、部活に時間を割きたいけど、勉強もしなくちゃいけなかったり。高校二年生が、一番忙しいんじゃないかなって、私はそう思います。

 まあ、りっちゃんは凄く大人だから、そんなこと言われなくても分かっているとは思うけどね」

 何だか江梨子さんの、楽しそうな顔が浮かぶ。この声のトーンが、それを物語っている。

『何なのよ、何が言いたいのよ』

 律子は相変わらずである。何だか胸の奥から、ふつふつと“たぎる”ものを感じる。江梨子さんを絶対に許さないと、本人を目の前に言い放つほどに嫌っていたのだ。この声を聴いているだけでも苛立っているのかもしれない。

 そして、「りっちゃんは、将来やりたい事や夢とかってあるかな?」と江梨子さんが切り出した途端、その胸の奥でたぎっていた物が一気に爆発した様に感じた。上手くは表現出来ないけど、とにかく爆発した。瞬間、軽い頭痛がきて、律子と入れ替わった。

 カセットデッキの前に正座をして聴いていたのだが、律子はすぐに立ち上がり、テープの再生を止めてしまった。

『……私の病気のこと知ってるくせに、何言ってんのよ。宣告通りなら、今年の冬で私は死ぬ予定なのよ……人の気も知らないで。そうでないにしても、来年、上手くいかなかったら……私は……』

 律子の声は震えていた。里羽ちゃんの情報により、律子は十七で手術を受ける事になってはいるが、律子のこの言葉から、「そこへ向かう事が出来ない可能性もある」、「未来は絶対ではない」という事を、律子自身感じているんだなと、そう思った。

「律子、どうする? もう、聴くのやめとく?」

 私が尋ねると、律子はテープの入っていたケースを見つめ、再び再生ボタンを押した。

「私はあります。と言うか、最近出来ました。りっちゃんのお母さんになることです」

 江梨子さんがそう言うと、律子は明らかな態度でため息をついた。「何を今さら言い(つくろ)おうとしているんだ」と言わんばかりの態度だ。

 だが次の言葉で、律子の眉がぴくりと動いた。

「今までずっと、夢だとかそんなもの無かったけど、りっちゃんに会って、りっちゃんの病気の事も知って、そして、りっちゃんのお母さんになりたいなって、そう思いました。

 もしかしたら、今は何を言っても、りっちゃんは私の言葉に耳を傾けてはくれないのかもしれません。実は、これ録ってるの、りっちゃんに怒られた次の日なんです」

 江梨子さんは、「エヘヘ」と照れた様に笑い、更に続けた。

「りっちゃん、“偶然”と“奇跡”という言葉がありますが、りっちゃんはこの二つ、どう考えていますか? 私はこの二つ、基本的にはどちらも同じ事象が起きている結果をこう呼んでいると思っています。何が違うのかと言うと、そこに至るまでの過程の違いが、この二つの名称を区別しているものだと考えています。“偶然”は起きるもので、“奇跡”は、起こすものだと。

 もし私が今、奇跡を起こす事が出来れば、りっちゃんの病気なんて治っちゃうんじゃないかなって、そんな予感がします。

 えーと、歌います。ギターの弾き語りです。今年に入ってからずーっと、この日の為に、触った事もないギターを練習しました。もし、この場で、私が生涯付き合ってきた音痴を克服出来た時には、「そんな事と私の病気、一緒にしないでくれる」って、笑って一喝して下さい」

 ……今年に入ってからって、確か、律子が言っていたような気がする。


--今年に入ってから、私を家に置いて二人だけで出掛ける事が日に日に増えてきて--


 もしかして、律子に見つからないように、ギターと歌の練習をしていたのではないだろうか。それに左手の絆創膏もきっと、ギターの練習でボロボロになっていたが為の物だったのかもしれない。

 江梨子さんがそこまで言うと、「それでは、聴いて下さい」と、弾き語りを始めた。


 しっとりとしたバラード。初めて聴く曲だ。恐らく、オリジナルを作ったのだろう。

 所々ギターの音程とは合わない歌声に違和感を覚える。オリジナルではあるが、明らかに外れていると分かるほどだ。

 でも彼女は、一生懸命に歌っている。

 ギターのリードも若干つまずきそうになるカ所はあるものの、まずまず悪くはない出来かなと思わされる。きっと、ものすごく練習したのだろう。

 そしてその歌詞の内容から、律子の事を歌ったものだとすぐに分かった。



「生きるなんて簡単だと思っていたけど

本当は凄く難しくて

生きるなんて簡単だと思っていたけど

本当は凄く辛くて


生きていても断然悲しい事の方が多い

でも ほんの一瞬

ほんの束の間の幸せが

それを凌駕する

だから私は生きるんだ


ある聖なる夜 あなたを否定された

ココロに雲がかかって土砂降り

でも家に帰るとあなたがいて

雨が弱まる


たまには三人でお出掛けを

あなたに歌わされる曲

うまくは歌えないけど

あなたに笑顔が咲いて

雨のち曇り のち晴れ


生きるなんて簡単だと思っていたけど

本当は凄く難しくて

生きるなんて簡単だと思っていたけど

本当は凄く辛くて


生きていても断然悲しい事の方が多い

でも ほんの一瞬

ほんの束の間のあなたの笑顔が

それを帳消しにしてくれる

それをあなたに教わって

だから私たちは生きるんだ」



 凄く短い曲だったけど、本当に練習を頑張ったんだろうなと、そう感じた。音痴が克服できていたかは、少々疑問ではあるが、少なくとも奇跡は起こせた様だ。律子の目頭が熱くなっている。

 と、江梨子さんは少し恥ずかしそうに口を開いた。

「はい、やっぱり下手くそだったかも。奇跡は起こせなかったかもしれませんが、自分より頑張っているりっちゃんに「頑張って病気を克服しろ」って言うのも何だか違う気がして。自分で何か必死で頑張って、もし克服出来れば、それが伝わるかなって、そう思ってギターの弾き語りを選んでみました。

 実は、りっちゃんの言っていた、私と歩いていた男性は、お父さんのお友だちの方で、私にギターを教えてくれていた人です。あの時はりっちゃん、何だかもう私の話は聞いてくれなさそうだったから、もう終わりかもって諦めちゃった……ごめんね。どうせ別れるなら、辛くなるから私もりっちゃんの事嫌いになって、私も思いきり嫌われてって思ったんだけど……どうしても無理みたいで。

 りっちゃんのお母さんに、なりたかったなあ。

 ……ありがとう、りっちゃん。じゃあね、バイバイ」



 律子は何も言わず、テープも止めずに突然部屋を飛び出した。そしてお父さんの部屋のドアを勢いよく開ける。

 お父さんは寝ていると思ったが、机に座り、何やら本を読んでいた。そしてこちらを見る事なく、「立田口駅だ、急げ」と呟いた。

 律子はなりふり構わず家を飛び出した。自転車に跨がり、自転車を飛ばす。ここから駅までは自転車でどんなに急いでも、十分はかかる。腕時計が指す時刻は六時六分か七分、六時十五分には到底間に合いそうにない。何かしら事故などで、電車が遅れていれば話は別だが。

 自転車を必死に漕ぐ律子の目からは、涙が溢れていた。

 胸が苦しい。山本光介の時も、結局は春に譲ってしまって涙を呑んでいるのだ、もう律子には悲しい思いはさせたくない。どうか神様、電車を止めておいて下さい!


 あと二、三分ほどの距離になって、線路沿いの道へ出た。時計の針は十五分を指している。もし江梨子さんの乗る電車がダイヤ通りに運行しているのであれば、駅に着く前に電車とすれ違うはずである。

 徐々に駅が近づくにつれて、遠目に構内が見えてきた。と、ちょうど電車がホームに入った。まだあと一、二分ほどかかりそうだ。電車なんて長くても三十秒程度しか扉は開いていない。律子の息はとっくに切れていたが、漕ぐ足の力は一切緩めようとしない。そこから約一分半、何が起きたのかは分からないが、奇跡的に電車は停まったままだった。「これなら間に合う!」そう感じた。

 そして、駅前の駐車場に入るや、律子は自転車を停める事なく乗り捨てた。走ってホームへ向かう。もう、あと二十秒足らずでホームに入れるという時、「プルルル」という、電車の発車音が鳴った。

『嘘でしょ、ここまで来て、待ってよ、もう私を一人にしないでよ!』

 律子の、息切れと嗚咽でぐちゃぐちゃになった言葉は、恐らく、誰にも届かなかっただろう。それはもちろん、神様とて例外ではなく、無情にも電車は走り始めてしまった。

 ホームへ入り、徐々にスピードを上げる電車を追いかける。もう、息切れどころではなく、呼吸困難に陥っている様な息遣いをしている。律子は必死で追いかけるが、三両編成の、三両目終わり際しか車内を確認出来なかった。

 もう間に合わないと分かっていても、電車を追う足を止めようとしない。

『待って! 行かないで!』

 やがて、ホームの(きわ)まで来ると、律子の足はようやく止まり、その場で泣き崩れた。

 私は、何と声を掛けていいのか分からなかった。山本光介を春へ譲る優しさが、こうも仇となって反ってくるものかと、律子の運命を決めている神様を恨んだ。

 無人の乾いたホームに、律子の嗚咽が響く。



「あーあ、間に合わなかった」

「--!」

 聞き覚えのある声に、律子はすぐに振り向いた。

 そこには、大きな荷物を両手で持った女性が立っていた。

『……江梨子……さん』

「やっぱり、どうしてもりっちゃんの事が頭から離れなくてさ、しばらく丘の上から町眺めてたんだけど、思いのほか時間が過ぎちゃってて。タクシーで来たんだけど、間に合わなかったみたい」

『……私……私』

 途端、律子の涙が更に溢れ出した。ボロボロと頬を伝うそれは、江梨子さんの涙も誘った。

「何泣いてんのよ、私も……つられちゃうじゃない」

『江梨子さん、ごめんなさい』

「ううん、悪いのは私の方よ、ごめんね」

 江梨子さんはしゃがみこみ、律子の両肩に優しく触れた。

「りっちゃんがここへ来てくれたって事は、私の音痴が治ってたって事かな?」

 涙を流しながらも、無邪気に微笑む江梨子さん。律子はそれを見て、やはり涙を流しながら、だが微笑んで、こう返した。

『そんな事と私の病気、一緒にしないでくれる……お母さん』


 静かなプラットホーム、聞こえる音と言えば、律子と、もう一人誰かさんの心臓の優しい鼓動音のみ。

  江梨子さんは、律子を力強く抱き締めた。




第5話-完-

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