第5話―13―
日直の仕事も、律子の的確な指示により滞りなく済み、ホームルームが終わるや春と八重子が寄ってきた。
「沙美ー、日直お疲れ様でしたー。始業式楽しかったね」
春は楽しそうに私の肩を叩いた。始業式、春が私の背中をつつき、それに私がいちいち振り向いていただけではあるが、春はその都度、笑いをこらえる程に楽しんでいた。ひどい時には、つつくと同時に、春の笑いが漏れて聞こえていた程だ。まあ、楽しかったと言えば楽しかったのかもしれない。
「痛い痛い、痣になると律子に怒られる」
と、そんな私の反応を見るや、八重子は「本当に律子じゃないんだね」と驚いていた。
そう言えば、八重子に私の事を話してからは、沙美として彼女の前に立つのは初めてである。一言春に返しただけで、律子ではない事に気付いたらしい。そんなに違うか? と疑問に思ったが、もし律子の中に春がいたら、と想像したら、すぐにその疑問も払拭された。
「律子と私とでは、やっぱり全然違うみたい、アハハ」
私はそう言うと、改めて八重子に挨拶をした。
「こちらこそ、改めて宜しく、沙美」
八重子はニコリと笑い、私へ握手を求めた。八重子の手は思っていたより大きく、しっかりしている。でもそれでいて柔らかい。……何だかそのちぐはぐな感じに、みぞおち辺りがこそばゆくなった。
それから三人で最寄りのスーパーへ行きお弁当を買い、道場へ向かった。
道場へ着くと律子は、クラスメイトの集合写真を出すように命じてきた。
始業式後の休憩時間、律子に『職員室で、クラス写真借りてきて』と言われて借りて来た物だ。
これで一体何をするのか見当がつかなかったが、たった今、『クラスメイトについては学校が始まってから勉強すればいいか』、と律子が言っていた事を思い出した。
律子を除くクラスメイト全四三名、私はこれからこの人たち全員の顔と名前を覚えなくてはいけないらしい。まあ、春、八重子、菊川さん、それに山本光介の事は知っているから、厳密に言うと、三九人か。……めっちゃ多い。
それにしても、私が写真を眺めているのを見て、春はとても楽しそうである。私がクラスメイトを覚える事が、そんなに楽しいのか? 八重子は春とはうってかわって、お弁当と一緒に買った雑誌を静かに眺めている。少しは見習ってほしいものだ。
しかし、こうして写真を眺めていると、ある事に気付く。何故か、大半の男子はカメラを睨み付けているのだ。初めて教室へ入った時は、ニコニコ笑ってじゃれあっていた男子も、この写真では、どこかのプロレスラーの写真みたくなっている。これも時代なのだろうか……理解に苦しむ。
左が女子で、右がプロレ……男子に別れている。
女の子たちは、これまた皆同じような髪型の子が多い。フワリと浮かせた前髪にロングヘアー。テレビで「懐かしの歌謡曲」なんかが流れる時に見た事がある様に感じる。
早速、左上から順番に覚えていく。律子がその人の事を簡単に教えてくれ、瞬時に、春はそれを横から補佐する役目となった。誰がどんな趣味を持っていて、何が得意か。それから部活や、誰と誰が仲が良いか、等々である。
春が一気に喋るものだから、三人目を聞き始めた時には、既に最初の人の名前がぼやけ始め、四人目に差し掛かった辺りで、完全にその情報は削除されてしまっていた。
だが、菊川さんの事については、面識があったからだろうか、すんなり頭に滑り込んできた。
両親は家庭内別居中、家が裕福ではない為、頑張って公立である北浦に入学した、三人 姉弟の一番上、成績は下から指を折る程度、いつも一緒にいるような友達はいない。……らしい。
彼女の情報が一つずつ増える度に、菊川さんの顔がちらついて、私の心は何だか、錆び付いた鎖で心を絞めひしぐ様に苦しくなった。
……幸子。
名前が人生を左右すると聞いた事はあるが、菊川さんは例外らしい。
少し前に律子が教えてくれた、「子」についての意味も、菊川さんにかけられた呪いの前には効力を発揮しないようだ。何年かしたらきっと、この呪いを解く王子さまが現れるはずである。今は、一刻も早くその時が来る事を祈ろう。
「でもさ、菊川さんの彼氏ってかっこ良くない?」
……王子さまが現れた。
八重子は、いつの間にか買っていたらしい、ポテチを食べつつ呟いた。
菊川さん、彼氏いたのか。まあ確かに、顔は可愛く、背も小さくて眼鏡も似合っていた。欠点と言えば幸の薄さくらいか? あ、それから控え気味なところもそうかもしれない。
『菊川さん彼氏いるんだ?』
律子も知らなかった様だ。私が「あ、律子も知らなかったみたいだよ」と二人に伝えると、春のテンションが跳ね上がった。
「律子知らないの!? ボクシング部の加藤君だよ! 四番目くらいにカッコいい人! 今度みんなで見に行こうよ!」
四番目か……ビミョーだ。上の三人が凄くカッコいいのなら、それなりにカッコいいのだろうが、そうでないのであれば……。まあ、八重子がカッコいいと言っているのと、春が躍起になっている様から伺うに、期待は出来るのかもしれないが。
それよりも私は、「ボクシング部」というワードに意識を持っていかれていた。春が言っていた、「那覇軒先輩って、ボクシング部の?」という言葉が甦ったのだ。
この時代のお母さんには会えた。あとはお父さんにも会っておかなければ、何だか損な気分にさせられる。せっかく時間を遡って来たのだ、そのくらい寄り道したってバチは当たらないだろう。私は咄嗟に「え、行く行く!」と春の言葉に賛同した。すると八重子は、そんな私を見て微笑んでいた。
「ん、どうしたの?」
「あ、ごめんごめん。本当に律子じゃないんだなあ、って、そう思ってさ」
八重子はそう言うと、今度はニコッと笑顔を見せた。
時計の針が四時を指そうという頃、ようやく一番右下の男子まで終わり、私の頭の中は、クラスメイトの名前でぎゅうぎゅう詰めになっていた。が、その大半は、持ち主が分からず、行き場を失ってフワフワと宙を舞っている。暫くすれば、これも解消はされるだろう。クラスメイトの顔は、ゆっくり覚えていこう。
その後、部員たちがちらほら集まり始め、私たちも、その脳を弓道へと切り替えた。
九月四日
火曜日から始まった学校も、金曜日の今日で、取りあえずは終わりとなる。一通りの人たちとは会話をしたが、未だに顔と名前が一致せず、律子に『このポンコツは』と呆れられてしまった。本当に、なんと長い三日間だった事か。私の心と体は、ボロボロに使い古された、シンデレラの雑巾みたいにくたびれていた。
「ああ、今日頑張れば明日から休みだー!」
私がベッドから体を跳ね上げて起きると、律子の冷たい返事が返ってきた。
『何言ってるのよ、今日はまだ金曜日よ』
「うん、だから明日から休みでしょ」
『は? 勝手に土曜休みにしないでくれる?』
「えええ!? 休みじゃないの!?」
一瞬、私は過去へ来ているのではなくて、どこか別の次元、地球そっくりのパラレルワールドにでも来ているのかと錯覚してしまった。が、いつぞやのニュースで、“ゆとり教育”を特集したものをやっており、そこで「土曜が休みになった年」をフリップにまとめて、女性キャスターが読んでいた事を思い出した。
「……私の時代は、土曜も日曜も休みなんです、それで思わず」
『凄いわね、それ。何だか外国みたい。授業足りるの?』
「うーん、どうなんだろ。多分足りてるとは思うけど、まあ、ゆとりのある教育って事だと思うんだけど。私たち世代の子供は、ゆとり世代って言うんだよ」
『ゆとりねえ……私も、沙美の時代に生まれたかったな』
律子はそう言うと、少し大きめの、わざとらしいため息を『あーあ』とついてみせた。
「あ、それからさ、働きもしないで毎日をだらだらと過ごしてる人の事を、ニートって言うんだよ、未来では」
果たして、そんな説明で合っているのかは疑問だが、あながち間違いではないだろう。すると律子は、少し楽しそうに、こう返した。
『じゃあ、ゆとり世代で仕事をしていない人は、ニート、ゆとり、で、“ニとり”って言うのかしら、フフフ』
「アハハ、ニトリって、お値段以上じゃないんだから!」
『は?』
「は?」
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目の前のカップ麺から良いにおいが漂ってくる。机の上に置かれたそれは、私のブランチとなる。
ニトリ事変の後、お腹が空いた旨を律子に伝えると『チャーハンでも作れば?』と促されたが、何だか、卵すら割る気が起きなかったので、テーブルに置かれていたカップ麺へと、自然に手が伸びた。
お湯を沸かし注ぎ運び置く、たったこれだけの作業で美味しいラーメンを食べられるなんて、カップ麺を開発した人は天才だなと、つくづく思う。ナハノキー賞のサミー部門で、最優秀賞でも贈りたいものだ。
カップのデザインが未来のものとは違うが、どこがどう違うのか、ハッキリ分からずにもやもやさせつつ蓋を開ける。更に漂う良い香りが摂食中枢を刺激する。
普段ラーメン屋さんと言えば、コテコテのとんこつか、若しくは味噌ラーメンしか食べに行かないのだが、何故だかこのカップ麺のしょうゆ味は、すんなりと胃袋が受け付ける。
いただきます。
「あっくぅっ!」
めちゃくちゃ熱かった。舌がジリジリと痛い。そして、その激熱のスープが食道を通っていくのが分かり、それにまた悶絶する。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」、誰が言ったかは分からないが、これを唱えた人にこのスープを是非とも飲ませたいものだ。そうしたらきっと、“喉元過ぎてもまずまず熱いよ”くらいには変えてもらえるかもしれない。
さて、今日は、この後里羽ちゃんと会う約束をしている。「薬の事で相談があるから」と、昨日の夜に電話をしておいたのだ。
相談と言っても、ただの追加発注のお願いである。一緒にお昼を食べに行っても良かったのだが、無駄な出費を好まない律子の監視の下、公に約束する事が出来なかったので、一緒に部活へ行くだけの約束となってしまった。
カップ麺を食べ終えると、支度をして待ち合わせ場所へと向かう。待ち合わせ場所は、お泊まり会の時にも行ったコンビニだ。
到着するや、見計らった様に里羽ちゃんも来た。
「こんにちは! すいません、お待たせしましたか?」
私に敬語を使っているが、彼女、何を隠そう二三歳である。私よりも六個も上なのだ。六個も。
「ううん、大丈夫、私も今着いたから」
「あ、那覇軒先輩ですね」
「イエス!」
親指を立ててウインクをして見せると、律子の落ち着いた外見に、そのしぐさが可笑しかったようで、里羽ちゃんは声を出して笑った。
何だか、自分の存在を知っている人と接する事が、こんなに楽なものかと思い知らされる。律子として気を張らなくていい事で、私の存在がぶくぶくと、泡音を立てて蘇ってくる様な、そんな感覚さえ覚える。
「で、早速で申し訳ないんだけど、薬がもう無くなっちゃうから追加が欲しくて」
「え、そうなんですか? えーとですね、実はもう薬無いんですよ。この時代に持って来た分は、渡しただけで全部なので。岬野さんが、これだけで足りるからって、その分しか持って来なかったんです」
「そっか、じゃあ未来に取りに帰らなきゃいけないのかな?」
「いえ、未来に一度帰ると、戻って来られないんですよ。私が今回タイムスリップして来ているのは、実はタイムマシンの試運転で、“使い捨て”ではないのですが、一回きりなんです。だから、一度戻ってしまったら、それで今回のタイムスリップは終わりとなります。崩野さんには危険だからと止められたのですが、岬野さんが「絶対大丈夫だから!」って押しきったんです」
……岬野さん、恐るべし。
薬が貰えない事には落胆してしまったが、里羽ちゃんのタイムスリップが一度きりだと聞けて、私の心の片隅で未だに熱意を剥き出しにしていた“里羽ちゃんに手伝ってもらいたい願望”が、ようやく落ち着いた。
里羽ちゃんは続ける。
「それにタイムマシンでこちらには来ましたが、ここまでタイムマシンに乗って来たわけではないんですよ」
ん? タイムマシンで来たけどタイムマシンに乗って来たわけではない……意味が分からない。私の表情で感じたのだろう、里羽ちゃんはもう少し詳しく話始めた。
「崩野研究所に備えてあるタイムマシンがあるのですが、こちらに来る時はそれに乗って過去へ跳びます。で、帰る時は、この腕時計みたいなやつの、このスイッチを押すと未来へ帰れるみたいなんです」
里羽ちゃんはそう言うと、右手首の小さな腕時計の様な装置を見せた。巻いている部分は鉄製で、盤面の液晶には、六桁の記号の様なものが、ストップウォッチみたく忙しく動いていた。
腕時計と言ったが、大きさとしては、かなり小さい。盤面も小指で隠れてしまう程の大きさだ。これなら、部活中も“かけ”に隠れて気付かないかもしれない。
「へえ、何だかかっこいいね。私も着けてみたい」
「あ、これ外れないんですよ。崩野研究所の機械を通さないと、絶対に外れないらしいんです」
「ふぅん、そうなんだ。ところで話戻すけど、薬無いなら、私どうすれば良いの?」
「私にそう言われましても……岬野さんが足りると言っていたので何とも。最近、具合はどうですか?」
「まあ、悪くはないかな。薬飲み忘れても、次の日の頭痛はなくなったし、律子の物忘れも無くなったし」
里羽ちゃんは腕を組んで喉を鳴らした。
「うーん、もしかしたら、もう大分良くなっているのかもしれませんね。ただ、あの薬はガン細胞を完全に消す事は出来ないので、“良くなっている”と言うより、厳密に言うと、“細胞を衰退させている”ですが。……仲米先輩のガン細胞は、もう手がつけられない場所にできているので、今は薬で抑えるしか手段がないんですよ。ガンを完全に治すには、やはり摘出しないと」
「……そうなんだ」
もう手がつけられないのに、完治させるには手術が必要。これはつまり、律子の病気は完治しない、ということを遠回しに言っている様に感じるが、里羽ちゃんはニコニコと微笑んでいる。
私はてっきり、あの薬で完治するものとばかり思い込んでいた。それは律子も同じだった様で、『まあ、癌が薬だけで治るわけないもんね』と、少し落ち込んでいた。
「そんなにがっかりしないで下さいよ。仲米先輩の病気は、完治しますから」
何を根拠にそう言っているのかは分からないが、彼女の目は嘘をついている目ではなかった。「青春ですねえ」なんてふざけていた時のそれとは、明らかに違っていた。
すると律子は、『これ以上は、何だか聞かない方がいい気がするわね』と呟いた。何故律子がそう感じたのかは分からないが、念の為「あああ、ストップ!」と里羽ちゃんを制した。
「ん、どうしたんですか?」
里羽ちゃんは目を丸くした。
「なんか律子が、これ以上は聞くとヤバイかもって言ってたから」
「ああ、未来に差し支えそうって事ですか? 大丈夫です、今から私が言う事は、“岬野さんも聞いていた事”なので心配ありません」
岬野さんも聞いていた? どういう事だ? と、一瞬疑問に思ったのも束の間、里羽ちゃんはこう言葉を繋げた。
「仲米先輩の腫瘍摘出手術は、未来の私が成功させるんです。岬野さんが、そう仰ってました」
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