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ハルかカナタ  作者: 一響
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第5話―12―

 里羽ちゃんの素性が分かって一週間が経った。先週律子が頑張ってくれたお陰で、宿題に追われない、優雅な夏休みを初体験できてはいるが、明後日の九月一日から始まる学校に、私の気持ちは沈みきっていた。

 学校が始まったら、周りはまた、新しい友達だらけとなる。せめてもの救いと言えば、春と八重子は私の存在を知っているという事。これまでも部活の後輩たちとは仲良くやってこられたのだ、クラスメイトともきっと、上手くやれる事だろう。と、ただひたすら自分に言い聞かせる。

 ところで、先週の里羽ちゃんの一件で、私は律子に、


「里羽ちゃんは何故私の事を知っていたのか?」

「律子は岬野さんの事を知っていたようだけど、それは何故か?」

「岬野さんは律子の事を、尊敬する程に知っていた様だったけど、岬野さんは、そこまで律子と接していた事があったのか?」


 という、三つについて尋ねてみたが、やはり、知らない方がいい、という事を理由に教えては貰えなかった。だがその際、『答えを出すヒントならもう全部出てるじゃない』と、余計に気になる事を言われてしまった。

 律子は私と出会った時にはまだ、岬野さんの事は誰だか分かっていなかったのに、先週里羽ちゃんと話をしていた時にはもう、岬野さんの素性を把握している様子だった。

 私が律子の中に入ってからは、岬野さんはこの子の前に姿を表した事がないのだ。それなのに、一体どのタイミングで律子は、岬野さんの事を知ることが出来たのか。

 律子は、ヒントは全て出ていると言ってはいたが、私は、その「全部」のうちの一つすら思い浮かべる事が出来ない。どれがヒントで、どれがヒントじゃない、というヒントが欲しい。

 そしてそれは、私は知らない方がいいらしいのだが、万が一その答えに気付いてしまった時は、私はどうすればいいのか。そう考えると、ちょっと怖い。気付いてはいけないと思っていると、逆にそういう事に気付いてしまいそうでならない。

「ね、ねえ律子、一つ聞いてもいい?」

 私が聞くと律子は、机に頬杖をついてつまらなそうに読んで(と言うより眺めて)いた、ファッション雑誌をパタッと閉じ、『何?』と、またしてもつまらなそうに返事をした。

「あ、あのさ……この前聞いた、岬野さんの事とかさ、私は知らない方がいいって言ってたけど、もし私が、その事に気付いちゃったら……どうなっちゃうのかなー……と思って」

『別に』

「へ?」

『別にどうもならないけど。私が心配しているのは、あなたがそれを知った事で、余計な行動を起こして、本来在るべき未来と繋がらなくなってしまわないか、って事が心配なのよ。だから、極力あなたには、黙っておきたいのよ』

 なるほど、律子が私をどれだけ信用していないかが分かった。

 でも、それを聞いて安心もした。万が一私がその事に気付いたとしても、それ自体は大丈夫らしい。

 そしてもう一つ気になっている事があった。

「あとさ、どうして里羽ちゃんに、春の事とか聞かなかったの? タイムマシンでこの時代に来てるなら、一旦未来に戻ってもらって、春と夏海のどっちが先に死んじゃうかとか調べてもらう事も出来ただろうに」

 私がそう聞くと、律子は少し呆れた様に返した。

『あんた馬鹿ね。里羽は、私に薬を届ける為にこの時代へ来てるのよ。そんな里羽から春や夏海の事、一言でも聞いた? どっちかが事故に遭うとか遭わないとか』

「いいえ、聞いていないです」

『でしょ。未来から、しかも私の事をよく話してたっていう岬野さんの元から来てるのよ。もし私が“そういう渦中”にいるって知ってたら、助言なり何なり、何かしらアプローチがあるはずよ。里羽は知らないのよ、春も夏海も、未来に存在していない可能性が高いって事。

 しかも春が部活に来ていない時「青春ですねえ」なんて楽しそうに言ってたのよ。もし春が死ぬって分かっていたら、そんな事楽しそうに言えないわよ。あの言い方からすると、“こんな大変な事も、きっと良い思い出の一ページになりますよ”的な感じだったはずよ』

「あ、それならさ、楽しそうにしてたのは、春が未来で生きているからかもよ!」

『私もそれは思ったけど、どうしても、沙美が未来では春の事を知らない事実が、頭の片隅でちらつくのよ。どちらにしても、春や夏海に関して、今の里羽には言及(げんきゅう)出来ないの。下手に二人を助けようと手を出されて、それが未来へ影響を及ぼすといけないから。

 沙美に、“今知らない方が良い事”があるように、里羽にも“今知らない方が良い事”があるってこと。それは、勿論私にも言える事なんだけどね』

 何だか難しいけど、そう言う事らしい。私としては、里羽ちゃんに協力してもらいたい気持ちで一杯なのだが……。

 どちらにしても、薬があと一週間分ほどしかないので、里羽ちゃんには、一度未来へ帰ってもらわなければいけないのかもしれない。今度、二人きりになる機会があれば相談してみよう。




九月一日


 自転車のペダルがいつもより重く感じる。学校へ続くこの坂も、こんなに曲がりくねっていて勾配もきつかったか? セミの鳴き声も気温も車の量も人通りも、全部がいつもより鬱陶しく感じる。

 ああ、学校……行きたくないなあ。未来では開通している、学校へ続く舗装されたバイパスも、この時ばかりは無くて良かったと、そう思わされる。とにかく学校へ行く時間が、少しでも長くなればいい。

 お泊まり会の時同様、昨晩まで律子が表に出ていたので、しめしめと思っていたのだが、朝起きると私が表に出ていた。今朝から、もう何回ため息をついたか分からない。

 どうでもいいけど、中学生の頃先生が「ため息をつくのにもカロリーを消費します、だから落ち込んだ時は痩せるのですよ」と言っていた事を思い出した。今の状況からしてもどうでもよすぎて、またため息が出る。……また痩せたらしい。

 学校が近付くにつれ、同じ制服を着た子たちが多くなってきた。どんな友達がいるんだろうな、と考えながら行く道すがら、私を追い抜く子たち何人かに「律子、おはよー!」と声を掛けられた。愛想笑いしか出来ない私を、皆様どうぞ放っておいて下さい。

 自転車を漕ぐ事、約三十分。いつもの倍近くかかったが、私の愛想笑いで律子の株も下がりきったところで、ようやく学校へ着いた。いや……着いてしまった。

 道場の駐輪場にしか自転車を停めた事がなかったので、律子の指示に従ってクラスの駐輪場へと向かう。駐輪場は未来のそれと、さして変わりはしなかったので、人は多いが狭い場所も馴れた具合で進む。

 既に汗で湿っ“たらしく”なった背中が気持ち悪い。ちょっとシャワーでも……もとい、お風呂にでも入りたいものだ。

 教室は三階にある為、校舎内を暫く歩かなくてはならない。また声を掛けられやしないだろうかと少し憂鬱にもなるが、この下駄箱で下校時間まで立ちすくしている訳にもいかない。しかも道中で声を掛けられると、心の準備が出来ていない為、いちいち心臓が飛び出そうになってしまう。こんな所で立ち止まっていると、ここへ来るクラスメイトたちと、漏れなく挨拶しなくてはいけない。それよりも、一刻も早く教室へ向かい、今来ている子たちに追い付かれないように歩み進めれば、挨拶を交わす回数はぐんと減るはず。この理論、歩進礼避(ほしんれいひ)の理とでも名付けよう。

 意を決して一歩を踏み出す。

 前の人に追い付いてもダメ、かと言って後ろの人に追い付かれてもダメ。とにかく、一回でも余計な挨拶は避ける、ただそれだけ。

 待ってろ、教室!



「……と、到着ー。はあ、寿命が三年くらい縮んだ気がする」

『何をそんなに疲れてんのよ。私の席、一番後ろの、向こうから三番目のあそこよ』

 結局、私が登校した時間が遅かったせいか、後ろの人は小走りで来て、前を歩いてる人と挟まれたり何だりで、計六回もの挨拶をする羽目となった。何だか、愛想笑いの向こう側が見えてきた気がする。

 教室には、既に“ほとんど”と言っていい程の人数が集まっていた。ちらほら聞こえる「夏休み」というワードから、何をして過ごしていたかの発表会でもしているのだろう。

 私の夏休みと言えば、最初の一週間は寝て過ごし、久しぶりに外へ出たと思えば美鈴にどやされ、欲しいネックレスは横取りされ、バスに轢かれそうになって気の強い女の子に会ってお母さんかと思ったらお母さんじゃない人と会って、かと思ったら今度は私のお母さんに会って弓道してお父さんの顎にゴハン粒が付いてて花火がドーン、そんな夏休みだった。

 ……途中はちょっとだけ端折ったけど、そんな感じ。

 さて、教室にも着いた事だし、後は机で寝たふりでもしていれば、一日なんてあっという間に終わるはず。ピンチの時は春と八重子がいるのだ、何も心配する事はな--

「仲米さん……おはよう」

「--!」

 机に着く間もなく、早速声を掛けられた。

 振り向くと、眼鏡を掛けた少し小さめの女の子が立っていた。ショートカットが少し伸びた程度の髪の長さで、どこか不安気な表情が、何とも気の弱さをアピールしている。第一印象として、「幸が薄そうだ」とそう感じた。

 これまで駆使し続けてきた表情筋にムチを打って、ラストスパートの笑顔を彼女に送り「あ、おはよう」と返事をする。その間、『菊川さんよ、菊川幸子さん』と律子が教えてくれたので、彼女の名前も付け足しておいた。それにしても、「幸子」とは、皮肉なものである。

「仲米さん、今日、日直だから……その、宜しくね」

 彼女はそう言って黒板の右下を指差した。確かにそこには、

 --日直 仲米--

 と、書いてある。きっと、彼女が書いたものだろう。菊川さんはそれだけ言うと、別の男子グループの所へ行き、そこでも手を合わせて何かをお願いしているようだった。

『彼女、報告係なの』

「……はい?」

『報告係よ。さっきみたいに日直の当番や、掃除当番を知らせて回っているのよ。知らせ忘れがあれば、彼女が代わりにやる事になってるから、一見簡単そうだけど、実は一番大変な係なのよ。あとは学校行事の報告だとかもしてるわ。頼りなさそうだけど、しっかり働いてるのよ、彼女』

 そんな係があるのか。きっと、気の弱さに付け込まれてこの係を任されたのだろう。

 ところで、日直って何をすればいいのだろう。未来の日直当番と言えば、授業の号令に黒板消し、それから日直日誌、そのくらいか? ただでさえ久し振りの学校なのだ、時代が違う事とも併せると、突然命ぜられた学級のリーダーに、気を失ってしまいそうになる。

 そしてまた、深くため息が出る。すると今度は、「ため息をつくと幸せが逃げるよ」なんて誰かが言っていた事を思い出した。でもそれは違う気がする。ため息をつくと幸せが逃げるんじゃなくて、幸せが逃げているからため息が出るのだ。幸せだったらため息なんて出ないもん。

 まあ、今日は始業式だけだから、言ってしまえば、今日の日直は“当たり”なのかもしれない。

 と、そう思っていたが、早速日直の仕事が待っていた。

 朝のホームルームが終わるや、先生が「よーし、それじゃあ日直、始業式だから全員廊下に整列させろー」とかふざけた事を言い出した。整列させて、クラス全員で体育館へ向かうらしい。整列させろと言われても、未来でそんな風習は無かったので、何の順で並ばせればいいのか分からない。が、そんな私の心配は必要無かったようで、皆は当たり前の様に廊下へ出て、自然に並び始めた。

 私はどうして良いのか分からずあたふたしていると、律子の声がした。

『日直は列の一番前に立っていればいいわ。あとは菊川さんが人数かぞえて報告してくれるから、それから体育館へ向かう。簡単よ』

 助かります律子さん。わがままを言える立場ではないのですが、宜しければもう少し早目に教えて頂けると助かります。

 律子の言う通り、列の一番前で待っていると、菊川さんが人数を報告しに来てくれた。

「ご、ごめんなさい、遅くなっちゃいました。男子二一、女子二三、全員揃いました」

 蚊でも飛んでいるかの様なその声は、風が吹けばかき消されてしまいそうで頼りがない。それに申し訳なさそうな表情がとても似合う。今まで誰にも褒められた事が無いのではなかろうか、そんな表情、オーラの薄さをしている。……褒めたらどんな反応をするのか、ちょっと試してみたいなとは思ったが、褒めたら彼女は一瞬で沸騰して蒸発してしまいそうな気もしたので、やめておいた。

 体育館へ着くと、蒸し返された熱気が体を包んだ。全解放してある窓が無意味に感じる。じっとステージを見ていると、今にも陽炎が見えてしまいそうでならない。これならまだ、炎天下ではあるが中庭の方が良かった。果たしてハンカチだけで始業式を乗り越えられるかが心配だ。小さいタオルでも持ってくればよかった。

 校長先生の話が始まった。

 やはりどの時代も同じらしい。校長先生のワンマンライブは誰一人として聞いていない。右耳から入ってそのまま左耳へと抜けていく。そして私の左耳から抜けたそれは、隣の人の右耳へと入っていく。それの繰り返し。

 そしてその有り難い校長先生のお話は、約四十分も続いた。

 暑くて長い地獄は何事も無く終わったが、途中、春がちょっかいを出してくれていなかったら、私は今ごろ精神崩壊していかもしれない。

 誰も聞いていないと思っていた校長先生の話、一人だけ聞いていたらしい、教室へ戻る途中、菊川さんが喋り掛けてきた。

「な、仲米さん、校長先生が言ってたアルバイト禁止の話なんだけど……どう思う?」

 そんな事話してたっけ? まあ、適当に合わせておくか。

「え、私は別にアルバイトくらいしてもいいと思うけど」

 私がそう言うと、菊川さんは初めて笑った。と言うか、本当に若干だけ微笑んだ。……気がした。

「そ、そうだよね、いいよね、アルバイトしたって。お金に困ってるなら、仕方がないよね」

 微笑んだ様な気がした菊川さんの表情は、既に必死な表情に変わっていた。こんな表情も出来るのか。

「菊川さん、アルバイトしてるの?」

「え、えええ、ど、どうして分かったの!?」

 悲鳴にならない悲鳴でそう言うと、彼女は「シ、シーだよ、シー! だ、誰にも言ってないんだから!」と、人差し指を口の前で立て、周りをキョロキョロと見渡した。周りはクラスメイトでいっぱいである。が、誰にも菊川さんの声は届いていないらしかった。菊川さんのすぐ後ろを歩いている春も、私の知らない子とお喋りをしながら歩いている。

「うち貧乏だからさ、お父さんとお母さんの負担が少しでも減ればな、って思って、夏休み入ってからだけど、アルバイト始めたの」

 何といたいけな子だ。私が返事をした「アルバイトくらいしてもいいと思うけど」なんて軽い返答が、こんなに早い段階で後悔させられるなんて思ってもいなかった。

 未来でこそ高校生がバイトをする事くらい当たり前になってはいるが、この時代、高校生がアルバイトなんて、考えられなかったのかもしれない。もしそうなると、この菊川さんがアルバイトを始めたのには、それなりの勇気や覚悟が必要だったはず。

「菊川さん、私応援してるよ。頑張ってね」

「あ、ありがとう!」

 菊川さんは私の手を握り絞め、今にも泣き出しそうな声を出した。すると律子の声がした。

『私も応援するわよ』

 本物の仲米さんも応援してるよ! と菊川さんへ伝えたかったが、とりあえず、私の声だけで届けていれば十分だろう。彼女の満足気な横顔は、少し頼りのない妹を見ている様な、そんな気持ちになった。




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