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ハルかカナタ  作者: 一響
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第5話―4―

 受話器から聞こえる山本光介の声は、やはり無感情で冷たいものだった。が、律子からの電話と分かるや、その声のトーンは少し上がった。

「……仲米か。どうしたんだよ」

 ……様に感じた。

 まったく、“どうしたんだよ”とはこれまた挨拶である。私の大親友を泣かせておいて(まあ、私も泣いたけど)、そこには触れずに事を聞き出すとは。この男、本当に救いようの無い典型的な“漢”と言った感じだ。そんな職人気質の頑固者は、未来の女子からは一切相手にされなくなってしまう旨を教え込んでやりたい所ではあったが、そんな“漢”に惚れ込んでしまう律子も、救いようの無い典型的な“昔の女”なのかもしれない。滞り無く鞘に納まれば良いが、春に告白をされ、山本光介の心境に変化があった場合、律子と春の間に大きな溝が出来てしまうかもしれない。

 まさかここに来て、三角関係の渦中に巻き込まれてしまうとは……。

「あ、あのさ、ちょっと、話があるんだ。今晩、時間ある?」

 私がドギマギしながらやっとの事で言い終わると、山本光介は暫く間を開けて切り出した。

「今日の夜は無理だ、用事があって」

「……そっか」

 私はそれだけ返すと、受話器を手で塞いで律子へ小声で囁いた。

「ねえちょっとどうする、こいつ律子と会いたくないんじゃない?」

『……もう春へオーケーの返事しちゃったって事?』

「それは分からないけど」

 と、そこまでやり取りをしていると、また受話器から山本光介の声がした。

「来週だ」

「へ?」

「来週会おう。来週の花火大会、一緒に行こう。俺もお前に話がある」

 この不器用な男からは上出来過ぎる程の長ゼリフが飛び出した。そしてそれが女を誘い出す内容までをも含んで。

 その長ゼリフを受けて、私が返事をする間もなく律子は、『オッケーよ、オッケー!』と何度も繰り返したので、すぐに返事をした。

「う、うん、分かった」

 受話器を置く頃には、私の手のひらは汗でビショビショに濡れていた。

「あー緊張したー!」

『ねえ沙美、私花火大会に誘われたわよ!』

「……知ってるわよ。今聞いてたから」

『と、言う事はもしかしたら春とはまだ進展がなく、光介はやっぱり私の事を』

 律子はそう言いながら『ムフフフ』といやらしい笑いを続けていた。

 その後律子から花火大会の日時や場所を聞き、部屋へ戻った。

 花火大会は来週の土曜日、二十二日の七時半から開催されるらしい。場所は江津湖えづこという、そこまで離れているわけではないが、交通の便の事情でバスと市電を乗り継いで行かなければいけない場所だ。未来では、私が小学六年生の頃を最後に開催されなくなってしまった花火大会ではあるが、お父さんに連れられて行った記憶がある。

「来週、か。ねえ律子、浴衣とか着て行くんでしょ?」

『ま、まあそうねえ、一応持ってはいるけど』

「じゃあ決まりね!」

 山本光介は何やら話があると言ってはいたが、それが律子にとって良い話なのか悪い話なのかは分からない。もしかしたら「春と付き合う事になった」かもしれないし、それとも「やっぱりお前の事が好きだ。考え直してくれ」かもしれない。今のところどちらとも言えないが、もし春と付き合う事になっているのであれば花火大会も二人で行くはずである。律子を誘う辺り、もしかしたらもしかするのかもしれない。

 その後律子に教えられ、浴衣を押し入れから引っ張り出し、それを部屋へ持って上がると、私はベッドへ倒れ込んだ。そしてそのまま眠りに就いてしまった。


 目を覚ますと、外はすっかりオレンジ色に染まっていた。時計を見ると、針は六時前を指している。身を起こして鞄の荷物を整理していても、律子の声が一向にしない。どうやら私に釣られてすっかり寝てしまったらしい。

 乾いた喉を潤す為に一階へと降りる。すると、リビングにお父さんが居た。

「おお、起きたか。随分とぐっすり寝ていたみたいだね。声掛けたけどピクリとも動かなかったからそっとしておいたよ」

「うん、天草行って来てさ、疲れちゃって」

「天草とはこれまた。お父さんも行きたかったなあ」

 お父さんはそう言うと、テーブルに置いてあった新聞を広げながら更にこう続けた。

「あ、それから、今日江梨子が帰って来るからまた美味しいご飯食べられるぞ、やったな」

「え!」

「な、何だよ突然」

 思わず大きな声が出てしまった。これは一大事である。律子に早く報告しなくては……と言っても寝ちゃってるからどうしようも出来ないけど。

 もう全く記憶から除外されていた江梨子さんが、まさかまさかで帰って来るなんて。しかも、今日。

 お父さんは知っているのだろうか、江梨子さんが他の男の人と付き合っている事を。春と律子と山本光介の三角関係に加え、絶賛浮気中の江梨子さんの帰省……事が一気に起こり過ぎである。

「……どこ行ってたの? この一週間」

 私がそう尋ねると、お父さんは「女友達と旅行に行くとかって言ってたが」と、何とも興味の無さそうに尚も新聞と睨めっこを続けていた。

 友達と旅行とはこれまた良い身分である。私は知っているのだ、男を引き連れて遊んでいた事を。

 と、それはそうと、江梨子さんがいざ帰ってきたらどう接すれば良いのかが分からない。あの事を指摘するべきか、それとも知らない振りをしておくべきか。江梨子さんが改心し、やはりお父さんを選んで帰って来る、と言うのであれば後者であるし、そうでなければ前者である。が、それを知る為には江梨子さん本人に聞くしかない。

 ……私に聞けるだろうか。

 これは、律子に相談するとしよう。

 そんな事を考えながら水を飲んでいると、玄関が開く音と同時に「ただいまー!」という江梨子さんの声が聞こえた。

「――!」

 私は一目散に部屋へ戻った。


「律子律子律子ー、起きてー!」

 必死に頭をポカポカ叩いていると、ようやく律子の声がした。

『……う、ん? あ、ごめんなさい。すっかり寝ちゃってたわね』

「律子、大変よ!」

 私が事の顛末てんまつを伝えると、律子は冷静に口を開いた。

『今更何しに帰って来たのかしら』

 その声のトーンからして明らかに怒っている。これまで私へ向ける事のなかった程の声質だ。

『ちょっと、あの人をこの部屋へ呼びなさいよ』

 せ、戦争が勃発してしまうかもしれない……。

「いや、ちょっと待ってみようよ、もしかしたら江梨子さんにも何か理由が――」

『理由って何よ?』

「そ、それが分からないから待ってみようって言ってるのよ。もしかしたら、あの人にも何か断れない事情があったのかもしれないし」

『そうね。もしかしたら断れずに男とあんなに楽しそうに買い物して、そのまま断れずに一週間音沙汰無しでその男と遊んでいた可能性だって有るものね』

 ……すごく怒っている。

 勿論私も江梨子さんを許そうだなんて思っている訳ではない。ただ、私が外に出ている時に、『あの時の真相を聞きなさい』と律子に命令されるのが怖いのだ。きっと律子ならばサラッと強い口調で尋問してしまうのだろうが、私はそういった強い人間ではないのだ。それにもし私が尋問出来たとしても、私ならば丸く言い包められてしまう可能性だってあるのだ。

 もうここは、律子様に一任する他手段は無いのです。

『まあいいわ、あの人にはその内、私が直接聞き出してみるわ。沙美に問いただせと言う方が難しいかもだしね』

 律子は後半、少し微笑みながら言った。


 律子に促されリビングへ行くと、江梨子さんとお父さんが何やらお喋りをしていた。

 江梨子さんは晩御飯の支度をしている様で、台所に立ちいそいそと働いている。お父さんはそれを手伝う素振りすら見せず、専ら新聞を読みふけっている。

「お、主役が来たぞ」

 お父さんは新聞からこちらをチラリと見ると、江梨子さんもそれに乗じた。

「あ、りっちゃん! 暫く留守にしてごめんね。すぐに晩御飯にするから待っててね」

『……』

 江梨子さんはどこへ行っていただとか、暫く顔を見せなかった理由は特に口にしなかった。が、それが律子のイライラの積み木をまた一段積み重ねてしまった様で、律子は『子供じゃあるまいし』だとか『沙美、こういう大人にはなっちゃ駄目よ』だとか、江梨子さんに対しての嫌悪の意思があからさまに出ていた。

 お父さんは「よし、じゃあ俺は先に風呂にでも入ってくるかな」と、新聞をパタッと閉じると席を立った。

「そうね、お風呂上がる頃に丁度支度出来ると思うわ」

 江梨子さんは首だけをこちらに向けている。

 そして、お父さんが部屋を出る際、私の頭を軽くポンポンとすると、「ツキン」と軽い頭痛が走った。

『……お風呂、ごゆっくり』

「ああ、ゆっくり浸かってくるかなあ」

 ……入れ替わってしまった。

 何となくだが、今入れ替わってはいけなかった様な気がする。江梨子さんと律子の二人きり。……最悪のシチュエーションだ。

 律子はお父さんを横目に見送ると、すぐに江梨子さんの横に着けた。そして冷蔵庫を開けて麦茶を取り出す。

『ねえ、そこのコップ取って』

 律子は冷たく江梨子さんにそう言うと、「はい、どうぞ」と笑顔で取ってくれたそれをわざとぶっきら棒に取り上げた。

 そして麦茶を注ぎ一気に飲み干すと、コップと持っていた麦茶のボトルを勢いよくそこに叩き付ける様に置いた。

「ど、どうしたのよ、りっちゃん」

 江梨子さんは顔を伏せたままの律子の肩へそっと手を伸ばしたが、律子はそれを振り払った。

『触らないでよ! 私、絶対に許さないんだから』

「り……っちゃん?」

 江梨子さんは顔を真っ赤にし、凄く驚いた表情をしている。口元に添えている左手の指先には、相変わらず絆創膏が巻かれていた。




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