第5話―3―
私のその言葉を聞いて、燥いでいた姿からは一変、律子は花火をすぐに片付け、急いで旅館へと戻った。そして持参していたノートを鞄から引っ張り出し、布団が敷いてあった為、隅に寄せられたテーブルにノートを広げた。
『本当、やんなっちゃうわね。心機一転した途端にこれなんだもん』
そう言いながら頭をむしゃくしゃに掻き毟りながら、律子は何やら書き散らし始めた。必死になって書き殴るその様は、いつもの律子に戻っていた。
『沙美、他に何か言いそびれてる事ない? 教えて、沙美の知ってる事、全部』
ノートには、夏海、春、秋人君、私、と、“その可能性の有る人物”が箇条に並べてある。「私」というのは律子本人の事だろう。律子はその紙を鉛筆でコンコンと叩きながら私へそう尋ねた。
「うん。ええっと、お母さんの高校の卒業アルバムの一言コメントなんだけど、“二人の事は忘れない。ありがとう。”だったんだけど、これは、どうかな?」
先ほど私が“二人”というのが春と律子ではなく、春と夏海なのでは? と、嫌な予感が過ったワードだ。律子はどう解釈するだろうか。
『……全く、そんな大切な事何で今まで黙っておくかねこの子は。二人ってのが誰の事を指しているのかは分からないけど、可能性からすると、春と夏海が高いわね。私を含んでいて欲しいところだけど、いくら仲が良いと言っても結局は他人だからね。もし夏海が亡くならないと分かっていれば、「交通事故に遭う」という事と、「冬ちゃんの知り合いで“二人”」という共通点から、それは春と私で間違いなさそうなんだけど、夏海も亡くなってしまう可能性があるところを考えると、今のところ何とも言えないわね』
やはり、律子も私と同じ考察らしい。律子ならば何かしら前向きな答えを出してくれるかもしれないと思ったが、今現在、これが唯一の答えなのだろう。
律子は春と夏海の名前を幾重にも丸で囲みながら続けた。
『春と夏海、どちらが交通事故に遭うのかと、それがいつなのか、これはなるべく早い時期に知っておきたいわね。打てる手も打てなくなってしまうわ』
確かに律子の言う通りだ。律子は岬野さんの手紙から、一月三日というタイムリミットは確定しているが、春と夏海については分からない。なるべく早目に律子と山本光介をくっつけて、カナタに未来へ飛ばしてもらうとしよう。まあ、その願いを叶えてもらえればの話ではあるが。
『これは、あなたを一旦未来へ送ってからの話になりそうね。保留よ』
律子はそう言うと、メモ紙をクシャクシャに握り潰してゴミ箱へ投げ入れた。そして、『あー、また振り出しね』と、ゴロンと布団に身を倒した。それと同時に「ツキン」と軽い頭痛が走った。
「あ、入れ替わった!」
『ああ、今日はもう私が出ずっぱりかと思ったわ。疲れた』
「長旅お疲れ様でした。ところで律子、めっちゃお腹空いてるじゃない」
『え、そうかな。じゃあ残しておいた晩御飯、食べちゃえば?』
「あ、そっか、さっき律子が残して……」
もしかして、律子は全然お腹一杯なんかじゃなかったのかもしれない。律子が食べている様子を見ていても、「え、本当にもうお腹一杯なの?」と疑う程の量にしか箸を付けなかったのだ。私は、何がと言うでもなく、ただ「ありがとうね」と小さく呟いた。
律子は私がそれらを食べている途中、『やっぱり沙美がご飯を食べる様は、こっちも幸せになるわね』とずっと笑っていた。
そして律子が残しておいてくれたご飯を平らげると、布団に横になりながら律子とお喋りをした。弓道の事や春と八重子の事、それに学校が始まった時の立ち回り方を。
一通り話すと、暫くの沈黙が空間を支配した。聞こえる音と言えば、波の音と静かに息を吐く冷房の音のみ。
本当に静かだ。
私がその波の音に微睡んでいると、律子はその静寂を崩さぬ様に、静かに口を開いた。
『ねえ沙美、私沙美の事見たことないんだよね……』
「うん、意識、というか魂だけ? こっちに来てるからね」
『何だか、寂しいな。こんなに近くにいるのに、親友の顔も見れないなんて。……見てみたいなあ、沙美の顔』
「アハハ、何言ってんのよ、そんなの無理に――あ!」
そこまで言うと同時に、私の顔を見せる手段を思いついた。
「律子、私の顔見せられるよ!」
『え、本当に!? 見たい見たい! 絶対見たい! でも、どうやって?』
律子は、本当に今までに聞いた事がないと言う程に大きな声を出した。
「自画像よ、自画像。私超上手いんだから。このノート一枚破いてもいい?」
『うん、いいよ!』
私はノートを一枚破り、律子に「じゃあ、暫く目瞑ってて」と言うと、鉛筆を走らせた。作中、律子は『ああ、ドキドキする』と何度も繰り返した。そして、もう数え切れないほどに描いてきたその自画像は、あっという間に仕上がった。我ながらあっぱれの出来である。
「はい、出来た! 律子、これが私よ」
私がそう言うと、律子は凄く驚いた声を上げた。
『ちょ、ちょっと、これ、本当にこれが沙美なの?』
「え、そうだけど。てか少しは感動しなさいよね! 初めて私を見たんだから」
『うん、凄く嬉しいし……それに、感動もしてる。そして上手い! そっくりだね!』
律子は泣き出してしまった様で、鼻をぐずつかせた。
何故突然泣き出してしまったのかは分からないし、それに私を初めて見たのに“そっくりだね”とは……。まあ、私の絵を褒める意図で言ったのだろう。
律子は尚も泣きじゃくり『まさかこれが、沙美だったなんて……』と小さく吐くと、『那覇軒……那覇……軒、沙美』と私の名前を何度も繰り返し呟いた。すると律子は、『ああ、やっぱり』とまた泣き出し、『アハハ、失敗したなあ。本当に、抱き締めておけば良かったかなあ』とこぼした。
「な、何なのよ一体」
『ごめんごめん。私今、すっごく感動してる。詳しくは話せないけど、どうやら沙美、あなたは無事に未来へ帰る事が出来るみたいよ』
「え、どういう意味よ。分かる様に教えてよ」
『それが無理なのよ。でも今言える事は、沙美は必ず助かって、私も、もしかしたら助かるかもしれない、と言う事だけ』
「……私は必ずで、どうして律子は“かもしれない”なのさ」
『さあね、自分の胸にでも聞いてみたら? フフフ。大丈夫よ、すぐに……かどうかは分からないけど、私の言っている意味が全部分かる時が来るから』
律子はその後も何やら楽しそうに、『明日を生きたいなら死ぬ覚悟くらい、か。成程ねえ』だとか『じゃあ私はそれを装えば良いのかなあ』だとか、何だか分からない事をブツブツと続けた。
私は何ともやるせない気持ちになり、自画像の紙を捨てようとした。その時、『あ、待って。それとっておいてよ。私の宝物にするんだから』と止められた。
「え、こんなのいつでも描いてあげられるけど」
『その“いつでも”が、いつ来なくなっちゃうかも分からないから、それがいいって言ってるのよ』
「はいはい、じゃあこれは鞄にしまっておきます――あ」
その紙を折り畳もうとした時、ある事に気付いた。そのノートを破いた紙は、未来で私が見た自画像の紙と酷似していたのだ。その紙の左下に印刷されているノートの銘柄が珍しかったので覚えている。まさかこんな所に繋がっていたとは。律子はこの裏面に、私への手紙を書くのだろう。
「……」
宝物と言ってはいたが、それをとっておかずに裏面を使う辺り、“自分には未来が無い”と言う覚悟が、その時の律子にはあったのかもしれない。
『ん、どうしたのよ。自分で描いた絵じっと見つめて』
「ううん、何でもない。えへへ」
『私の宝物なんだから早くしまいなさいよ』
「うん」
確かあの手紙が書かれたのは十月二十日。そしてその内容にあった、「あなたを起こしちゃうから」という文面から、いくら私が一月三日を待たずに未来へ帰る可能性があるとしても、私がまだその時にはこの時代にいた事を証明している。
早く帰りたい反面、律子と別れたくないという気持ちもある。律子は、私が必ず助かる事を確信してはいたが、私が助かって未来へ帰った後、律子はどうなってしまうのだろう。もし私だけ帰って、律子は岬野さんの手紙通り亡くなってしまうのであれば、そのお墓が未来にはあるはずだ。
律子の、お墓か……。
……。
いや、絶対にそうはさせない。律子は私が助ける。
『さあ、沙美、そろそろ薬飲んで寝よっか』
私は律子にそう促されて鞄を漁った。が、薬は出てこなかった。
「ねえ律子、ちゃんと薬入れた?」
『え、ちゃんと入れたわよ……あ! テーブルに置きっぱなしだ!』
「あのねえ。……ん?」
薬を入れ忘れた事なんかよりも、律子が覚えていた事に驚いた。ちゃんとどこに置き忘れていたかを覚えていた様だ。そう言えば、確かに最近は物忘れが著しく減った様に感じる。岬野さんの手紙によると、白倉医院長の娘さん、“美香さん”が開発した薬らしいが、本当に効き目が出てきているのかもしれない。里羽ちゃんに勧められて通い始めた白倉病院らしいが、末期の脳腫瘍に効果を発揮できる薬を作るなんて……白倉美香、一体どんな人なんだろう。
と、そんな事はさておき、明日の朝がとても怖い。またあの頭痛に悶絶させられるのかもしれないと思うと、それだけで憂鬱になってくる。
私は観念して律子におやすみを言うと、布団を掛けずに眠りに就いた。
ああ、眩しい。
その日は窓から入ってくる日差しと、波の音で目を覚ました。ふわりと磯の香りも漂ってくる。
朝だ。どうやら頭痛は回避できたらしい。もしかしたら、本当に回復に向かっているのかもしれない。
私は体を起こし窓際の椅子に座ると、そこに備えられたポットでお茶を作り一口 啜る。何とものんびりとした時間が、唯々ゆっくりと過ぎていく。
『あ、おはよう』
「あ、律子、おはよう」
『頭痛大丈夫だった?』
「うん、平気だったよ」
『良かった。ねえ沙美、そう言えばさ、この辺に美味しいアイス屋さんがあってさ――』
「え、絶対行きたい!」
海を眺めながら、そんなどうでもいい会話を楽しんだ。どれだけの時間が過ぎたかは分からないが、ゆっくりに感じていたその時間は、何をしている時よりもよっぽど早く過ぎており、気付いた時にはチェックアウトの時間が迫っていた。
それから律子に教えてもらったアイス屋さんへ行き、バス停にてバスを待った。アイス屋さんでは自家製のソフトクリームを堪能し、昨日食べられなかったお昼は、これにてチャラにしてあげようと決心がついた。
さてさて時刻表を見てみると、バスが来るまでに十五分ほど時間がある。が、そうは言ってもどこかに行っている時間も無い。携帯があればアイス屋さんで確認も出来たのだろうが、まさかこういう不便な面でばかりこの時代を感じさせられるとは、何だか悲しくなってしまう。
いや、一つだけ(……だけ、と言うと語弊があるが)あった。律子のファッションだ。この時代特有の香りを醸し出してはいるが、何故これが消えてしまい、未来では全く見ないのだろうと疑問に思う程に可愛い服を律子は準備していたのだ。
そんな事を考えていると、何やら紙切れを持った外人さんが、キョロキョロと何かを探しながらこちらに近付いている事に気付いた。
「ね、ねえ律子、あの人こっちに来てない?」
『……沙美、目合わせちゃ駄目よ』
目を合わせたら絶対に道を尋ねられてしまう。律子の言う通り、私は先ほど確認し終わっていた時刻表を、指で追いながら確認する振りをして見せた。が、不意にその外人さんと目が合ってしまった。
「あ、やば!」
案の定その外人さんは、ニコニコしながら私目がけて一直線にその足を速めた。
「こっち来ちゃってますけどー! ね、ねえ律子、英語出来る?」
『……沙美、たった今ハロー注意報が発令されたわ』
「……」
「あーびっくりしたー!」
『良かったわね、あの外人さんが沙美より日本語上手で』
「……どういう意味よ」
外人さんに喋りかけられて一時はどうなる事かと思ったが、何とかギリギリ日本語を喋る事が出来る様だったので、すぐそこまでの道のりを、勿論日本語で案内した。
私が釣られてカタコトになっていた事を律子は終始笑っていたが、相手の言葉を聞き取る事に集中していてそれ所ではなかった。
そしてバスに乗り電車に揺られる事約二時間半、時計の針が一時半を指す頃、ようやく家の傍の駅へと着いた。
「疲れたー!」
『お疲れ様。さあ、本番はこれからよ沙美』
「え?」
『あいつの家に電話して、夕方か夜、また私と入れ替わったら告白しに行くわよ』
そうだった。山本光介が春に、何かしらアクションを起こす前に手を打たなければいけなかった。
私は家へと自転車を急がせ、荷物を両手で抱えながら部屋へと運び受話器を手に取ると、ダイヤルを回した。
律子に促された時は何とも思わなかったが、受話器を握り、相手が出るのを待っていると「何故私が電話をしなくちゃいけないんだ?」と言う疑問が過る。呼び出し音も煽りとなって私の鼓動を速めた。
――チリリリリン。
――チリリリリン。
「はい、山本です」
その受話器の向こう側から聞こえる無機質な声は、私の心臓の高鳴りを一気に跳ね上げた。
「あ、あの、仲米ですけど!」
思わず声が上擦ってしまった。
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