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ハルかカナタ  作者: 一響
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第5話―2―

 時計の針が六時に差し掛かろうとする頃、律子はおもむろに立ち上がりお風呂の支度を始めた。私がご飯の時間に間に合わない事を指摘したが、その意見はこれっぽっちも聞き入れられる事は無かった。

 大浴場は非常に大きなもので、五種類ものお風呂が備わっており、更にはサウナも完備されていた。しかもお風呂は全て温泉というおまけ付きだ。

 律子は一日の汗を流すと、六時半までの約十分間に、その五種類全てのお風呂を堪能した。折角こんなに大きな、そして沢山の種類のお風呂があるのだから、もう少し時間に余裕を見てゆっくり浸かれば良かったのにと、どうせ聞き入れられない意見ばかりが脳内をぐるぐると駆け巡った。

 部屋へ戻る頃にはすっかり食事の支度が整っていた。

 お刺身に焼き魚等の魚介類は勿論、お肉やパスタの小盛等、和食に限らず洋食もテーブルに並べられている。こんなに豪勢な料理は、テレビでしか見たことがない。よくもまあ当日の予約無しで入れたなと、改めて感心してしまう。

 私がお昼も食べられていない事もあってか、律子は料理を目の当たりにするや、『おおっとこれまた』と、少し気まずそうな声を上げた。

 と、思ったが、彼女はすぐに座椅子に座り、『いただきまーす!』と割り箸を縦に割った。

 律子はあれやこれやと全ての料理に箸をつけると、まだそれぞれ半分ほど残っているのに、『ああ、お腹一杯』と箸を置いてしまった。

「ちょっと、もう食べないの? 勿体ないじゃない」

『うるさいわね、もう食べられないのよ。食べ過ぎは体に毒よ』

「……」

 何とも贅沢な小娘だ。お母さんがいたらきっと、ゲンコツでは済まされない事だろう。

 律子は残した料理を大きなお皿にまとめると、『うーん』と唸りながら部屋を見渡した。何を探しているのかは分からなかったが、その一つにまとめたお皿と同じ大きさのお皿で、まとめた料理に蓋をした。

『さて、沙美、それじゃあ海に出陣しますかね』

「へいへい」

 律子は美味しい料理を堪能出来たせいか、とても満足気ではあるが、私と言えばそれらを目の前にずうっとお預けを食らっていたので、腹の虫の居所が悪くなっていた。

 外へ出ると、波の音と相変わらずの磯の香りが私たちを包んだ。

 律子は『フンフンフーン』と、私の知らないメロディを鼻歌で奏でながら歩く。左手には花火の入ったバケツと、右手には棒切れを持って。

 その鼻歌を聴き始めて十分ほど経った頃、海水浴場に着いた。旅館を出た頃にはまだ少し明るさが残っていたが、僅かなこの時間で辺りは真っ暗になっていた。

 アスファルトから浜辺へと足を踏み入れる。感触こそ伝わってはこないが、その音から去年、と言うか二十六年後、か? 海水浴へ家族で行った時の事を思い出した。順平とお父さんはひたすらはしゃぎまくっていたが、由美ははなから泳ぐ気は無かったらしく、Tシャツに七分丈のジーンズに身を包み、パラソルの下で小説をずっと読んでいた。

『――美、沙美、聞いてる?』

「え、ああ、ごめんごめん。何?」

『だから、夜の海って良いよねって』

「あ、うん。静かな波の音が落ち着くよね。ちょっと、家族の事考えてた」

 私がそう言うと、律子は少し焦った様子で、『は、花火しよっか!』と花火の準備をし始めた。花火の袋を開け、蝋燭に火を灯す。

『ねえねえ、どれからやる?』

「え、えーと、じゃあ、その青いやつからやろっか」

 律子は突然子供の様に燥ぎ出した。いつもの落ち着き払った態度とは一変して。

 その後もあれやこれやと次々に火を灯し、私に言っていた“課題に関係しているかも”と言う言葉はそっちのけで花火を楽しんだ。

『ねえ沙美見て! アハハハ!』

『うわー凄い、水の中でも火消えないわよ!』

『えー、ロケット花火入ってないじゃん……まいっか。じゃあ次はこれ!』

 私も、息を切らしながら走り回る律子につられてその時間を楽しんだ。

 一通り終わると、最後にはやはりこれが残る。線香花火だ。

 律子は『さあ、いよいよフィナーレです』と静かに言うと、そっと蝋燭にそれを近付けた。

 線香花火はすぐに、ジジジジと音を立て始めた。

『やっぱり、これよね』

 波の音と律子の落ち着いた声、そして目の前で綺麗な光を散らすそれは、まるで全てを夢で終わらせてしまいそうな、そんな気分にさせる。

 一本目が終わり二本目に火を灯すと、律子は静かに口を開いた。

『沙美、朝の事だけどさ』

「あ、ああ、あれはちょっと、思わずね、アハハ……ごめんね」

 律子は尚も、じっと線香花火を見つめたまま続ける。

『謝る事なんてないわよ。私嬉しかったんだから』

「え?」

『初めてだったの。あんな風に怒鳴られたの。クラスメイトの皆は先生に怒られたり注意されたりするんだけど、私の駄目な所は誰も教えてくれなくてさ。多分、私が落ち着いてて大人ぶってるから、そういう事言い辛いのかなって考えた事もあるけど、私、そんな人間じゃないんだ。だから怒鳴られた時、沙美は私の本当の親友なんだなって、そう思えたんだ。本当に嬉しかった。……沙美、あなた今日ずっと気まずかったんじゃないの?』

「あ、はい。よくご存知で」

『やっぱりね。何だか、私に気を遣ってる様な感じだったからさ』

「律子には敵わないなあ。謝らなきゃって思ってて、そのタイミング探してるうちに、こんな時間になっちゃった」

 律子は燃え尽きた線香花火を、暫くじっと見つめていた。間を置いていたので何か返すのかと思ったが、特に何を言うでもなく、次の線香花火へと手を伸ばした。

 そしてそれに点火させると、ようやく口を開いた。

『これからは自分の意思で、思った様にやってみるつもり。先の事や人の事情は二の次、三の次。自分が一番。ただそれだけ。それもあって今回の宿は予約なしで来てみました。内心ドキドキだったけどね』

 なるほど、そういう事か。でも律子さん、それはちょっと違う気がします……。

「自分が一番でいいけどさ、私の事も忘れないでよ」

『アハハハ、勿論よ。沙美は私と一心同体なんだから、私自身同様、一番に考えるつもりよ』

「どうも。それよりさ、課題についてどうのこうのって言ってた話聞かせてよ」

『ああ、そうだったわね。つい花火が楽しくて忘れてた』

 少し前からではあったが、何だか律子がどんどん私寄りになっている事が、嬉しいやら止めたいやらで何とも言い様のない気持ちにさせられる。だがそれは、今回の朝の一件で拍車をかけてしまった様な気もする。

 律子は、『それじゃあどこから話そうかなあ』と、顎に人差し指をくっつけて考え始めた。

「山本光介の事教えてよ。好きになった時の事を聞かせてくれるって言ってたじゃん」

 私のその言葉に、胸の奥がグッと熱くなるのを感じた。相変わらず分かりやすいやつだ。

 律子は、一度手に取った最後の線香花火を、火をつけずに一旦戻すと、『それじゃあ、話しますか』と前置きをして語り始めた。

『えっとね、私が彼の事を好きになったのは、去年ここでクラスの皆で花火をした時なの。男子が悪ふざけして、ロケット花火を投げて遊んでたのが私に当たっちゃってさ、右腕火傷しちゃったのよ。そんな時、あいつが必死になって私をバンガロに運んでくれて手当してくれたの。特に気になるようなやつでもなかったし、沙美も知っての通り無口で自分の気持ちも表現出来ない様なやつなんだけどね。そんなやつが、「どけどけ!」って大声上げてさ。後にも先にも、あいつが声を張り上げたのを聞いたのはその時だけ。その日からずっと、気になって仕方ないの』

 あの山本光介が、そんな一面を持っていたのか。正直驚きだ。いや、もしかしたら、山本光介は律子の事を、その時には既に好きだったのかもしれない。好きな人の為だからこそ、そこまで必死になったのかもしれない。

 それにしても、その運ばれた時の律子の事を想像すると、私までもドキドキしてしまう。

 彼の顔が間近にあったのだろう。

 彼の走っている時の息づかいを感じたのだろう。

 ……。

 体が燃える様に熱い。これは私のモノだ。想像しただけでこんなに体が熱くなるなんて、律子のその時の感情のたかぶりは、想像を絶する。

「律子さん、それ多分、その時はもう山本光介は律子の事好きだったんだと思います。よ」

『え、そうかな?』

「じゃなきゃ、そんなに大声出して必死になれないよ。増してや普段物静かな人なんだもん。尚更よ」

『うん……。帰ったら、すぐに気持ち伝えなくちゃ』

 良い傾向だ。

 私が「うんうん」と嬉しそうに頷くと、律子は続けて口を開いた。

『これでもう一つの課題も、何とかなるかな。……なれば、いいな』

「だ、大丈夫だって! 二人は両想いなんだから!」

『じゃあ、そう信じようかな。あのさ、沙美、課題ついでにもう一つ話しておこうかな。先週の火曜日、私が沙美に、病気も課題の対象に入るのかどうか聞いたの覚えてる?』

 春が医者になりたいと教えてくれた日の事か。それならハッキリと覚えている。秋人君の事を課題で治せないかと、律子がそう考えていたと私が勝手に思い込んでいた、あの時の事だ。

「うん、覚えてるよ」

『あの時は言葉濁したけどさ、本当は私の病気を治せないかと思って聞いたのよ。沙美は秋人君の事を考えていたみたいだったから、何だか自分の事しか考えてない奴、みたいに思われるのが嫌でさ。それでごまかしたのよ。ごめんね』

「ううん。あの時律子の病気の事知ってたら、私も律子を課題で治せないか考えてたと思う」

『ありがとう』

「それよりさ、一つ相談したい事があるんだけど」

 私がそう言うと、律子は最後の線香花火を再び手に取り、『どうぞ』と微笑みながら答えた。

「あの夏海の事なんだけど」

『ああ、春の双子の。あの二人全く同じ顔してるから、春の家で会う時はどっちがどっちか分からないのよね』

「う、うん。それはいいんだけど。課題では春が対象だけどさ、もし交通事故で亡くなるのが夏海だとしたら……。と思って。勿論お母さんには聞いてくるつもりだけど、そうだとしたら、交通事故より先に春の命が危うい場面があるのかな……なんて」

『それは私も考えてた。飽くまで今回沙美に与えられた課題は春の命を救う事であって、夏の命や私の命は全く関係ない。だから一月三日の私の事故よりも、もっと前に春が危険な目に晒されても何ら不思議ではない。もしそうなった場合、沙美は私の事故を待たずして未来へ戻る事になるわね。

 そして冬ちゃんが「妹を亡くしている」と沙美に言っている以上、春か夏海、どちらかは確実に亡くなっていると言う事になるわ。更に、沙美が未来では春の事を知らないというところから考えると、「春は未来では存在していない」つまり、この時代で春を救う事が出来なかった。という考え方が最も有力になってくるわ。しかもそれは夏海にも言えた事。二人とも亡くなっている、という最悪のケースが可能性としては一番高いわね』

 春と夏海が、二人とも? ちょっと待って。お母さんは「妹を亡くしてるのよ」「それに友達も亡くしてるから」と言っていて、しかもアルバムのコメントは「二人の事は忘れない。ありがとう」だ。しかし、春、夏海、律子が亡くなる場合、三人、と言う事になる。

 ……。

 もしかして、あのコメントの「二人」には、律子は含まれていなんじゃ……。

もしそうだとすれば、春と夏海、二人とも亡くなってしまうという可能性は十分にある。

 律子はその事はまだ知らない。やはり、言うべきだろうか……お母さんが「友達も亡くしてるのよ」と言っていた事。律子に今、話すべきだろうか。

「ねえ律子、実はさ、一つ言いそびれてた事があるの」

 私のその言葉に律子は『何だか……良い予感はしないわね』と、持っていた線香花火に火をつけた。

「その、未来でさ、交通事故の話になった時、お母さん言ってたんだ。“それに友達も亡くしてるから”って……」

 律子の持っている線香花火は、勢いよく火花を散らせており、周りの暗闇も相まってとても眩しく映る。

 私の言葉を受け、暫くその火花を見つめていたが、やがて静かに、そして寂しそうに口を開いた。

『それってつまり……私が死んじゃうって事じゃないの。やっぱり、逃れられないのかな……』

 律子がそう言い終わると同時に、今まで勢いよく咲いていた火種は、ポトリと静かに落ちた。



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