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ハルかカナタ  作者: 一響
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第4話―9―

『--美、沙美、起きて』


その日は律子の声によって起こされた。気が付くと律子が鏡越しに、私に声を掛けていた。寝ている間にまた入れ替わった様だ。


いつもならすぐに返事をするのだが、何とも昨日の山本光介の件もあり、返事をする気になれない。


何を意固地になっているのか自分でも解らない。でも、何となく、律子のやり方が気に食わない。全ては私の思い通りに事が運んでいない事に終始してしまっているからかもしれないが、何だか、「それならもう、勝手にやりなよ」と言いたくなってしまう。


まだ頭の中はまったく整理が出来ていないから何とも言えないけど、律子と喋りたくない原因は、課題がクリア出来ない事から来ているのかもしれない。結局私は、「自分さえ良ければいい」、そんな考えの、下らない人間なのだ。ただその矛先を律子に向けてしまっているのはきっと、自分はそうではない、と、潜在的に自己防衛を張っているからなのだろう。つくづく自分は嫌な人間だなと感じさせられる。


「私があの時山本光介を意地でも止めていたら」という自責と、「何であの時私を止めたのよ」という律子への不満が、ぐるぐると私の頭の中を駆け巡る。


『ねえ沙美、起きてるんでしょ? どうして返事してくれないの?』


律子に聞きたい、本当はどう思っているのかを。本当は好きで好きでたまらないのではないか? 本当は春なんかより、自分と付き合って欲しいのではないか? でも律子に聞いてもきっと、上手いこと言いくるめられるだけなのだろう。私がどれだけ熱くなったところで、律子はいつだって冷静に答えるだけ。本心と反した、先を見越した、周りの者を気遣った回答を。


「もっとさ、自分の気持ちに正直に生きなよ」


おはようを言うでもなく、私はぼそりと呟いた。これ以上は言えない。言うと、また論破されてしまう。


律子は何も言わずに鏡から目をそらし(うつむ)いた。


『……』


その場から立ち上がろうともしないが、何を言うでもない。


暫くの沈黙。


律子は今、何を考えているのだろう。私の今の言葉に、何かを感じ取ってくれたのか? それとも、何かしら反論する言葉を考えているのか? 解らない。やっぱり律子が解らない。本音を出さないから、思ったように行動しないから、何も、解らない。伝わってこない。出会った当初こそ、思った事を口に出してズバズバ物を言う子だなと思っていたが、どうやら時と場合によるらしい。その辺が、“ウマいことやってるな。”と思わされる。


そして、律子は静かに口を開いた。


『でも、正直にその場で思ったことを口に出して、もしその後に--』


その言葉を聞いた瞬間、頭にカッと血が上った。


「もううるさい! 律子はいちいちうるさいんだよ! その後がなんて知らないよ! 人間ってさ、本当は律子みたいに良くは出来てないんだよ! もっと馬鹿で、周りの事見えてなくて先の事読めなくて、思ったこと声に出して言っちゃうんだよ! 律子みたいに先の見えない未来の事想像して、どっちに転んでもハズレが無いように生きるのもいいかもだけど、そんなんじゃ大成功が無くてつまんないのよ! たまには失敗して思いっきり泣くくらいで丁度いいのよ! 小説を沢山読んでる律子なら知ってるでしょ! どんなに途中が暗がりで辛くても、物語のラストはハッピーエンドって相場が決まってるのよ!」


私は怒鳴り散らし、少し間を置いて「……律子の事、嫌いになりたくないのよ」と小さく付け足すと、律子の頬に、つうっと涙が伝った。そして律子は俯いたままこう呟いた。


『少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、未だ覚めず地塘春草(ちとうしゅんそう)の夢、階前の梧葉(ごよう)、己に秋声』


「……え? 思った事そのまま口に出しすぎよ」


朱熹(しゅき)の言葉よ』


「しゅき?」


『中国の思想家よ。今の私にピッタリの言葉。確かに沙美の言う通り、小説のラストはハッピーエンドよね。私の方が知っているはずなのに、まさか本を読んでいない沙美から教えられるなんてね』


律子はため息混じりにそう言うと、涙を拭うことなく「フフッ」と、笑みこそはしないものの、鼻で笑った。そして天井を仰ぐと、更にこう続けた。


『ねえ沙美、本当に、先の事とか周りの事、何も考えなくていいの? 皆、そうなの?』


「まあ、少しは考えてもらわないとだけど。律子は考え過ぎなのよ、思った事はその時に言わなきゃ。山本光介の事もしかり、どんなに強く想っていても、それを伝えなきゃ想っていないのと同じよ」


『沙美にしては良いこと言うじゃない』


「ま、まあね」


……テレビの受け売りだという事は黙っておこう。


『ねえ沙美、私、行かなきゃいけない所が出来たんだけど、付き合ってくれるよね』


律子は真っ赤にさせた目で力強く私を見ると、そう尋ねた。


「どうせ、嫌でも付き合わされるんでしょ?」


『体は二人で一つだからね』


律子はそう言うと、私に親指を立てて見せた。


胸につっかえていた大きな塊は、いつの間にかそこからは無くなっており、何とも清々しい気持ちになっていた。


これからはきっと、思ったこと感じたことをそのまま言ってくれるはずだ。私だってそうだ。律子へは何も隠し事はしない。感じた事はそのまま言う。


私たちは、二人で一人なのだから。



律子がふと窓の外に目をやると、飛び込みたくなる様な気持ちのいい、抜けた青空が目に映った。昨日の雨が嘘の様に晴れている。


雲一つ無い空。


豆粒の様に小さくなった飛行機が、白い線を引きながら飛んで行くのだけが、遠くに見えた。





第4話-完-

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