第4話―5―
朝日が眩しい。太陽がまるで、私たちにだけその光を向けている様な、そんな眩しさ。部屋の時計を見ると、5時40分を指している。
『朝……だね』
「うん、朝だね」
律子は私の返事を受け、何を言うでもなく、只々、朝日をじっと見つめている。そして暫くの沈黙。
『……』
「……」
どれだけの時間が過ぎただろうか。実際は三十秒だとか四十秒だとかそんなところだろうが、その沈黙は重く、五分か、もしくは十分とか、そのくらい長く感じさせるものだった。もしかしたらそれは、今までの楽しい華やかなお喋りの後に訪れた沈黙だったからかもしれない。
そしてその暫くの沈黙の後、律子は、手すりを握る両の手に、グッと力を入れた。そして、少し大きめの声で『ねえ、沙美!』と、切り出した。
「な、何よ、急に大きな声出して。八重子と春が起きちゃうじゃん」
『……聞きたいんでしょ? あの事』
出会った当初から言っていた言葉、『私にも色々あるのよ』の事か? それならば知りたい。正直、あの言葉がずっと引っ掛かっており、律子と笑いあう度に脳裏にちらついていた言葉なのだ。私の胸を何度締め付けた事か分からない。
「はい、出来れば、聞きたいです」
私がそう言うと、律子は手すりを握り締めたまま、肩で大きく息を吸い、今度はそれを、ゆっくりと吐いた。そして口を開いた。
『……私ね、病気なのよ』
「……病気」
一言“病気”とだけ聞かされてもいまいちピンと来なかったが、次の言葉を聞いて、私は愕然とした。
『うん、腫瘍がね、あるのよ。悪性の』
律子はそれを、まるでドラマか何かの台詞の様にサラリと言ってのけるものだから、私はその言葉の意味を一瞬理解出来なかった。が、すぐにハッとして言葉を返す。
「しゅ、腫瘍って! つまり、その……」
『癌って事よ』
律子は、表情をピクリと変える事もなく、またしてもアッサリと答えた。そしてこう続けた。
『二年前肺に見つかってさ、その時に片方全摘してるのよ』
なるほど、だから異常な程に息切れをしていたのか。
「そう……なんだ。あ、でも胸とかに傷無かったけど」
『それね、つい先月まではあったのよ。大きな傷跡がね。でも、白倉病院で消してもらったの。と言うか、他の箇所の皮膚をそこに貼っただけらしいんだけどね。まあ私もよく解ってないんだけど、里羽が、縫い付けないで施術する方法があるからやってみませんかって勧めてくれて』
「そっか……。まあ、全摘してるなら--」
--もう完治してるんでしょ?
という言葉を繋ごうとしたが、今律子は、自分が病気に侵されている話を私に打ち明けているのだ。治った話をしているんじゃない。と、そこまで考えると同時に、「……まさか」という嫌な予感が過った。
そして律子は、私が言葉を飲んだ事を察してか、ゆっくりと口を開いた。
『……それで、去年のクリスマスの日、夜に物凄い頭痛に襲われてさ。救急車で運ばれたのよ』
「……」
もう、律子が何を言わんとしているかは解ってしまった。
去年のクリスマス、か。
不意に、律子の部屋にあった、日付が止まったままのカレンダーを思い出した。律子には重い一日となってしまったのだろう。その日から日付を変える事が出来なかった気持ちも、分からないではない。
私は、もう何と声を掛けるべきか分からなかった。そしてそれを探っているうちに、どんどんと律子の話は進んでいった。
『で、お察しの通り転移してたってわけ』
律子はそう言うと、朝日を真っ直ぐに見つめたまま『ここにね』と言って、自分の頭を人差し指で、トントン、とつついてみせた。
頭痛や異常な物忘れ、それから以前言っていた幻聴は、そこから来ていたのかと、私は落胆した。
『でね、その時言われたのよ、医者に。“もって一年でしょう”って。もう……手がつけられないんだって』
その言葉を聞いた時、岬野さんの手紙にあった
--1月というと、例の件から一年が経過していますし、あなたも全うした頃--
というフレーズを思い出した。これはきっと、この事を指していたのだろう。
と律子は、今度は少し明るめの声を出した。
『でも私さ、今そんな事どうでもいいの。どうでもいいって言うか、自分の事よりも、あなたを助けてあげたいのよ。自分の恋愛よりも何よりも、今は沙美、あなたが一番なの。
……沙美も助けられないで、私も病気で黙って天国に行くなんて、そんなの只の犬死にだからね。私は、春と沙美を絶対に助ける。死ぬなら病死じゃなくて、事故死よ。岬野さんの手紙にもそう書かれてあったし』
律子はそう言うと、『あ、でも前にも言ったように、私だって諦めてるわけじゃないからね。春と沙美を助けて自分も助かって、それでいて病気にも勝っちゃうんだから!』と、柄にも無く頬を膨らませ、両の腕で力こぶを作るポーズを取って見せた。
身も心も満身創痍なはずなのに、それでも私の事なんかを気遣ってくれている律子。そんな彼女を見ていると、私はもう泣きそうだった。
それにしても、本当に全てが岬野さんの手紙通りになってきている。このまま手紙通りになるとすれば、予言めいていて少し寒気もするが、逆を言えば、この手紙を元に解決策を見出だす事だって出来る。それに、医者の“一年”という宣告は外れ、律子は間違いなく1月3日まで健在だということも言える。
だがあの手紙には、確かに律子が死んでしまうという事が書かれてあった。これも現実になるのか? いや、私がそれはさせない。絶対に律子を助ける。だがその条件として、“岬野さんには律子が死んだと思わせておいて、それでいて目の届かない所で助ける”という事が必要になる。これは、どう考えても不可能な気がする。
そもそも岬野さんの正体が分からないという点で、どう手を打つべきかを決めてはいけないような気がする。予言者の様な手紙を書いているのだ。彼女は全てを見透かしている。その不思議な力からすると、もしかしたらカナタと同じような、天使の回し者(と言うと語弊があるけど)なのかもしれない。下手に動いて未来へ繋がらない様な事をしてしまえば、即アウト、なんて事もあり得るわけだ。
カナタは私を助けようとしてくれている。それは春の命を助ける事が条件となっているが、ひいては、私と一心同体である律子が、春を助けると言うことに繋がる。更に言えば、交通事故で亡くなるはずの春を助けるとなればやはり律子は手紙通りバスに……。
……ん?
いや、待てよ、確かあの手紙には“その理由は私にも解りませんが”とあったはず。岬野さんは全てを見透かしているわけではない、という事か? となれば律子が死んでしまう事の予言も、飽くまでも彼女の予想なのかもしれな……ん、んん!?
いやいや、違う、それ以前の問題だ。そもそも、“私が律子を助ける”という事と、“律子が春を助ける”という事は、矛盾しているではないか! 両立させる事は不可能なはずだ。
私が律子を助けるという事は、律子がバスに跳ねられないようにするわけだが、そうすると、事故に遭う春は誰が助けるのだ? という事になる。そしてそれは、私が未来でバスに跳ねられるという結果にまで至ってしまうわけだ。
春を事故から回避させるには、本当に彼女を家から一歩も出さないか、外出するならば過保護な程に見守り、密着さえ出来れば話は別なのだが、お母さんの、“妹と友達を亡くしている”というフレーズが揺るがない限り、やはりそうなってしまうのかもしれない。
私が律子を助けるという事は、私が未来で死んでしまうという事。
そしてそれを考える際に浮き上がる、もう一つの矛盾点。未来では既に春は亡くなっているはずなのに、カナタがそんな彼女を助けたがっている、という事実。もし未来を変える様な事をしてしまえば、タイムパラドックスが起きてしまうのではないか? それとも、過去である今現在を変えてしまえば、それ相応の未来に変更されると言う事なのか?
ああ、もう分からない! 頭の中の情報たちが、まるでミキサーにかけられた様にぐちゃぐちゃになっている。
私は……一体どうすれば。
『--美。ねえ沙美、聞いてる?』
「え! あ、はい!」
『だから、そういう病気の事とかもあって、何だか恋愛してもなあ、とか考えちゃってあの言葉が出てたって事! ちゃんと聞いてなさいよ』
「ああ、ごめんごめん。今すっごい考え事してた」
私がそう返すと律子は、『何を考えてたかは大体分かりますけどね』と、わざと鼻を鳴らして得意気に答え、『フフフ』と上機嫌に笑ってみせた。そして最後に、『ありがと』とだけ付け足した。
『まあ、あと一年とか言ってる割りには、不思議と体調悪くないんだけどね。白倉病院の薬飲み始めてからは特に調子良くて。……さて、そろそろ寝ようか』
「うん、そうだね。律子、教えてくれてありがとう」
『ううん、遅くなってごめんね。私も言うに言えなくて。……と、寝る前にやらなきゃいけない事があります』
律子はそう言うと、サッとしゃがみこみ、手すりを下から覗き込んだ。
『この辺でいいかな。沙美、目、つむってて』
「え、何でよ?」
『何ででもよ。いいから早くつむりなさい』
律子の言う通りに目をつむる。すると何やら“ガサガサ、ゴソゴソ”と、木を削る様な音が聞こえる。途中、『目開けてないわよね?』という律子の確認が有り、それは二分程続いた。そして律子は『よし、出来た! 目開けていいわよ』と言いながら立ち上がった。
「……何したの?」
『ちょっとねー、フフフ。何したか知りたかったら、未来に帰った後でここ見てみなさい』
「えー何それー! 教えてよー!」
私がそう言うと、律子は『内緒でーす』と言いながら、それで何かをしたのか、いつの間にか持っていたボールペンで、唇をポンポンと軽く叩いた。
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「--子、律子、起きて」
「ん、うん?」
目を覚ますと、八重子が私の顔を覗き込んで体を揺さぶっていた。寝ている間に律子と入れ替わったようだ。本当に、昨晩から入れ替わりが激しい。
「あ、おはよう」
私のその言葉を受け、八重子は、「そろそろ支度しないと遅刻しちゃうよ」と、続けて春も起こしにかかった。すると、律子の声がした。
『おはよう、今何時かしら』
時計を見ると、針は12時過ぎを指している。部活は13時からなので、まだ余裕で間に合いはするのだが、お昼を買って、それを道場で食べるとなれば、部活開始までに食べ終える事が出来るかは怪しい。
窓から外を見ると、晴れてはいるものの、ずっと遠くにどんよりと真っ黒な雲が立ち込めているのが見える。朝日が昇る頃にはまだ気配すら見せていなかった雨雲だ。「ああ、いい天気。今日は絶対良いことあるぞ!」と思っていたのだが、やはり私の予感と言うものは、尽く正反対に路線を変えてしまうらしい。
そんな事を考えていると、背後から、腑抜けた春の声がした。
「おはようございまぁーす」
振り返ると、ボサボサに寝癖のついた春が目を擦りながら体を起こしていた。八重子はそんな春の頭を「何なんだこの頭はー」とぐしゃぐしゃにかき回したのだが、それに際して春が無抵抗で、されるがままに身を委ねていたのが可笑しくて、私と律子はゲラゲラと声を上げて笑った。
その後少し急ぎ気味に支度をし、春の部屋を後にした。春だけは二度寝をしてしまった為、ボサボサの寝癖はそのままの出発となった。
「もう! 何で私と律子が顔洗いに行ってる間に寝ちゃうかね、春は」
スタスタと廊下を歩きながら、八重子は頬を膨らませて持っていたバッグで春のお尻を叩いた。すると春は、「エヘヘ、私寝起き悪くてさ」と、頭をヘコヘコと下げて見せた。
『沙美、何だか平和ね』
律子は静かに呟いた。確かに、この二人のやり取りは、何とも平和な光景だ。見ているだけでこちらがニヤニヤしてしまう。
そして、春が居間の戸を開けると、テーブルに女性が座っているのが見えた。いかんせん後ろ姿なので誰かは判らないが、その子は私たちと同じ制服に身を包んでおり、後ろ姿からするにお母さんでないことは明らかであった。
すると春は、「あれ、夏帰ってたんだ?」と、その子に声を掛けた。
その“夏”と呼ばれた子は春の声を受け、肩まで伸びたサラサラの黒髪を払わせながらこちらへ振り向くと、ニコッと笑ってみせた。
「うん、さっき帰ってきたんだ。これからまた寝るけど。皆来てたんだね、いらっしゃい」
この子は誰だ? とも思ったが、その子の顔を見た瞬間に答えは出た。私はその子を初めて見るのだが、その子の顔は、今まで毎日の様に見てきた。そう、その顔とは、今まさに私の隣に立っている春と、全く同じ顔をしていたのだ。
私がポカンとしていると、律子は『夏海よ。春の双子の妹なの』と教えてくれた。
「へえ、春って双子だったんだ」
双子の……妹。
……。
「--!」
双子って事は、つまりは“お母さんの妹”と言う事になる。確かお母さんは「妹を事故で亡くして」としか言っていなかった。春を事故で亡くしたなどとは一言も言っていなかったはず。そしてこの“夏海”とかいう子も、私は知らない。
一瞬、「春も夏海も二人とも事故で亡くなるのか?」と考えが過ったが、あの卒業アルバムの、“二人の事は忘れない”というコメントと、お母さんの「それから友達も亡くしてるのよ」という言葉から、やはりは二人とも亡くなるという考えは非常に薄い。
「--!」
と、同時に鏡台に彫ったメッセージの事を思い出した。あそこに彫った“ハルガ桜子、死因ハジコシ”というメッセージ、これは春と夏海、どちらが亡くなるか分からない限り、彫ってはいけなかった様な気がする。万が一家族の誰かに見られでもしたら、それこそ一大事であるし、そもそも効力自体が怪しいメッセージなのだ。残しておくメリットは無い。
カナタからの課題で春を助けなければいけない事は明白となったが、夏海の登場により、春は交通事故で亡くなるのではなく、お母さんが卒業した後に別の原因で亡くなり、交通事故で亡くなるのは夏海と律子、という可能性も出てきたわけである。
私は「ああ、だからあのメッセージ消してあったのか」と思いつつ、春へ「ごめん、忘れ物しちゃった」と言い訳をし、鏡台の文字を消しに仏間へと戻った。
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