第4話―4―
律子のその冷たい言葉からして、本当に悪いニュースだろう事は容易に想像できた。ハッキリ言って、絶対に聞きたくないとは思ったが、これを聞かないと、何か取り返しのつかない事態になってしまう様な、そんな気もした。
「是非……聞かせて下さい」
『まったく。ねえ沙美、このメッセージさ、あなたが未来で見るのはいいとして、これを見た沙美は、内容は理解できたの?』
「え、と言いますと?」
『本当に鈍感ねあなた。じゃあまずは悪いニュースから。この時代に来た沙美は、ここに彫られたメッセージの内容を知っていましたか? 答えはノーよ。つまり?』
「--っ!」
そこまで言われて、私はようやく気付き、心の奥底から「しまった!」と後悔をした。鏡まで割ってしまって、“取り返しのつかない予感”どころか、既にその窮地に陥っていたようだ。
『気付いた? このメッセージを見た事がある割りには、散々私と“未来にはいない人”を捜してたじゃない。そして私が光介の事を好きだとも知らなかった様だし。つまり沙美には悪いけど、このメッセージを彫った意味は全く無いの。私は止めようとしたけど、聞かないからこうなるのよ』
確かにそうだが、改めて、何故自分がこのメッセージを見ていたのに、春の事故の事を知らなかったかを考える。
「--っ! 違う、律子! そうよ、消されてたのよ、後者のメッセージ。まあ確かに、前者の方は消されてもいないのに、結局私はそれを理解出来なかった訳だけど。後者に関しては殆ど読めなくなってた」
『消されてたって……誰が消すのよ?』
「私が知るわけないでしょ!」
このメッセージがもし消されていなければ、私はもう少し早目に春の事故の件を伝える事ができ、律子も、その速い頭の回転で何かしら閃いていたのかもしれない。1月3日までまだまだ時間はあるが、命が懸かっているのだ。本当に、一分一秒と無駄にしたくはない。
『何よ、そんなにむきにならなくてもいいじゃない。まあそれはさて置き、次に、凄く悪いニュースだけど……』
「はい」
『この鏡台、実は春のおじさんが、おばさんに初めて贈ってあげたプレゼントなのよ』
「……そ、それは誠でゴザルか律子殿」
『急に老け込んだわね。確か春がそう言ってた。「まさかあのお父さんが!」って躍起になって話してたの覚えてる』
私は本当に、取り返しの付かない事をしてしまった様だ。だがこれも、律子と春の命を救う為。二人の命には代えられない。きっとお爺ちゃんもお婆ちゃんも、許してくれるはずだ。……今は、自分にそう言い聞かせよう。
そんな事を考えていた矢先、思惑通り(と言うのは律子には内緒だけど)続いていた頭痛が一瞬だけ強くなり、その瞬間、律子と入れ替わった。
「--痛っ!」
『……最悪』
律子のその言葉とほぼ同時に、お母さんが仏間に入って来た。
「ちょっと! 今物凄い音したけど、どうしたの?」
『あ、うん。ごめん、鏡、割っちゃって……』
「ええ! 大変! 怪我しなかった?」
『うん、私は平気』
律子は、何とも申し訳なさそうに答える。その様を目の当たりにしていると、律子に謝らせているこちらが、何とも申し訳なくなってくる。一応「律子、ごめんね」と謝ったが、その返事が『後で覚えておきなさいよ』、だった為、その申し訳ない気持ちは、只の恐怖に変わってしまった。
そして、お母さんは落ちているけん玉を見て、未来で聞いていた様に笑い始めた。
「え! りっちゃんけん玉で割っちゃったの? アハハハハ! 本当にけん玉なんかでー!?」
『……あ、えと』
謎のツボである。お母さんが崩れながらも爆笑していると、今度は春と八重子が部屋に入って来た。二人は、これが正しい反応であるが如く、驚き、そして慌てて掃除をし始めた。
『あ、いいのよ、私がやるから』
「平気平気! 八重子ー、掃除機持って来てー」
春は、いつもの彼女とは打って変わった様に、てきぱきとその場の監督をこなした。
結局お母さんは、その場が片付いてしまう間中ずっと笑っていた。途中、「お姉ちゃんうるさい」と、珍しく春がつっこむ様は、何かに録画しておきたいくらいレアなモノだった。
そしてその場が片付く頃、お婆ちゃんが顔を見せた。
「あらあら、鏡割れちゃったの? みんな怪我しちゃうから、あとはおばちゃんに任せなさい」
『ごめんなさい、ここに置いてあったけん玉で割っちゃって』
「いいのいいの、鏡は入れ換えれば良いんだから。それにしても、何でけん玉がこんな所にあったのかしら。さっきまで居間にあったのに」
律子は、その鏡台がどれだけ大切な物かを知っているせいか、何度も何度も頭を下げた。終いには、『あの、弁償しますので』と言い出し、お母さんに「え! そこまでしなくていいよ!」と止められる程でもあった。お母さんは律子の肩をポンポンと叩いて「誰にでも失敗はある!」と言い、その手を律子の肩に乗せたまま、一人でウンウンと頷くと、「ブフッ」と吹き出した。そしてそのまま「プププ」と笑いを堪えながら部屋から出ていってしまった。
「何なんだ……あの生き物は」
思わず本音が漏れてしまったが、律子も『確かに』と、ボソッと呟いた。
「さて、残った鏡も外しちゃおうかね」
お婆ちゃんがそう言って、まだ鏡台に残ったままの大きな片割れを外そうと手を伸ばしたその時、またしてもあのお婆ちゃんの言葉が過った。
--遊びに来たお友だちが、どうしてもこのままにしておいて下さいって、凄く真剣に言うものだからそのままにしてあるんだよ--
「--っ! 律子、止めて」
『え?』
「お婆ちゃんを止めて! 未来ではこの鏡、そのままになってるの!」
『--!』
その鏡台のメッセージが、何の効力も発揮しないと分かった今、その鏡をそのままにしておかなければいけない理由なんて分からない。が、未来へそのまま繋げなければ、全てが一瞬のうちに終わってしまうような、そんな気がした。
例えば、カナタが出てきて、
「やってしまったね。タイムパラドックスだよ」
だとか偉ぶった様子で台詞を吐いて、指でも鳴らして全てを終わらせてしまう。そんなところだ。
『あ、あの! 割ってしまったのは本当にすいませんでした。ただ、この鏡、このままにしておいてもらえませんか?』
律子は本当に申し訳なさそうにそう言うと、お婆ちゃんは訝しげな表情を浮かべた。
「でもこのままじゃあ危ないし、せっかく良い鏡台だから鏡入れとかないと--」
『お願いします! ……このままで、お願いします』
「急にどうしたの律子、さっきは弁償するって言ってたのに」
春が割って入ると、律子はキリッと春を睨みつけ、『このままじゃなきゃ、駄目なのよ』と返した。もしかしたら律子も“タイムパラドックス”によって何かが起きてしまう事を予想しているのかもしれない。そしてその律子の真剣な面持ちに、お婆ちゃんも首を縦に振ってくれた。
「分かった。律子ちゃんがそこまで言うなら、このままにしておこうかね」
『ありがとうございます。本当に、すいませんでした』
律子が頭を深々と下げると、お婆ちゃんは「もういいから、怪我がなくて本当に良かったよ」と、頭を撫でてくれた。
部屋へ戻ると、既に布団が敷いてあった。八重子が腰に手をあて、「どうだ!」と得意気になっているところを見ると、恐らく八重子が一人で敷いてくれたのだろう。『おー、流石です!』と感心している律子に続いて、春もパチパチと拍手をして見せる。そしてそのまま、春と八重子は布団へ飛び込んだが、ベッドの様にはいかず、お腹を強打して悶絶する羽目となった。
その後、八重子もお風呂に入り再び部屋へ戻ると、三人で部活の事やクラスの事について語り合った。
時計の針が12時を回る頃、春が限界を迎え寝てしまった。その際、春は喋りながら眠りに落ちてしまったので、何かしら弓道について、ああだこうだと論じていたが、その後半は殆ど聞き取れないままに終わってしまった。
『八重子、私たちも寝よっか』
「そうだね、明日も部活だし。おやすみ」
『おやすみ』
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「……ん」
『起きた?』
ふと目を覚ますと、目の前には夜景が広がった。どうやら律子が、春の部屋のテラスからこれを眺めていたようだ。
お婆ちゃんの家は平屋ではあるが、ちょっとした丘の上に建っている事を上手く利用し、この部屋からはある程度の景色が楽しめるよう、テラスが設けられている。
見慣れた夜景ではあったが、夜更かしをしている人が少ないせいか、はたまた建物が少ないからかは分からないが、光の量は未来のそれと比べると明らかに少ない。律子に連れていかれた貯水塔も、一つ丘を挟んだ向こう側に、頭だけ抜けて見えている。
「今、何時?」
『えーっと、3時くらい? かな』
ずうーっと遠くに見える、高い電波塔の点滅する赤いポチポチ、まばらに流れる車の赤いテールレンズ、そして所々に見える住宅やビルの電気が、ずっと眺めていると全部が現実のそれらとはかけ離れた様に思え、まるで真っ黒のキャンバスに、赤と白の絵の具をパラパラと筆で撒き散らしただけの様にも見えてくる。
だが、その景色はやはり素直にこう思える。
「……綺麗だね」
『うん、この時期の夜中って好きなんだ。気温も調度いいし、うるさすぎず静かすぎず。目が覚めると、よくこうやって夜景眺めてるんだ。あ、と言ってもうちは低い位置にあるから目の前の道路眺めてるだけなんだけどね』
律子はそう言うと、しばらく黙り、そして改めて口を開いた。
『ねえ沙美』
「……何」
『もしさ、この課題失敗しちゃったら、沙美もバスに轢かれちゃうんだよね?』
「うん、その後カナタに魂持って行かれちゃうみたい」
『じゃあ、“春を助けられるか、それともカナタに魂を遥か彼方に持って行かれちゃうか”、つまり“春か、カナタか”、だから、さながら“ハルかカナタ”って、そんなところね。フフ』
「アハハ! 何それ、上手いこと言ったつもり?」
律子は笑いながら、『面白いでしょ?』と言うと、またしばらく夜景を眺め、そしてまた黙ってしまった。それにしても、こうして静かに夜景を眺めていると、心が洗われる。
『満月だね』
律子は、しっとりと呟いた。ずっと遠くにあるけど、すごく大きい満月。その月明かりが優しく町を照らしている。そして律子は、私の返事を待たずに続けて口を開いた。
『私、満月の夜って大好きなんだ』
「そう? 私は嫌いだな」
私がそう言うと、律子はテラスの手すりで頬杖をついて、こう尋ねた。
『へえ、珍しいね。好きでも嫌いでもないってなら分かるけど、嫌いって』
「うん、何だかね、悪い事が起きそうでソワソワしちゃう。きっと、小さい頃に読んでもらった絵本の影響なんだけどね。悪魔が天使のふりをするお話なんだけど、満月の次の日に、善い行いをしてきた悪魔が焼かれちゃうの……」
『へえ、悲しいお話なんだね。……読んでみたいなあ』
「律子は、どうして満月の夜が好きなの?」
私がそう聞くと、律子は手すりを引っ張る様な姿勢を取り、今度はご機嫌そうに口を開いた。
『フフフ、だって、何か起きそうじゃない? なーんか、ワクワクしちゃうんだ。強く念じれば、空とか飛べちゃいそうな気もするし』
律子はそう言うと、『こんな風に!』と付け足し、体を手すりにぐいっと近付け、そのまま手すりに上半身だけを乗せる様に体を支えた。
今この瞬間の律子は、月明かりに照らされて凄く綺麗なのだろう。誰よりも近くにいるのに、その律子を間近で見ることが叶わない。こんな仕打ち、あるだろうか。いつも大人びて偉ぶってはいるけど、きっと、時折見せるその無邪気さが、周りの皆を惹き付けるのだろう。
「律子は心が綺麗なんだねきっと。……私も、律子みたいになりたいなあ」
『え、私そんな羨まれる様な純粋な女じゃないわよ。沙美、満月は悪い兆しじゃない。何か、良い事の前触れよ。きっとその焼かれちゃった悪魔も、天使に生まれ変わったはず。月の力は凄いんだから』
「律子がそう言うなら、そうかも。何だか、私も満月が好きになれそう」
私がそう言うと、律子は眠気が来たのか小さくあくびをした。
「そろそろ寝よっか」
『うーん、今日は寝たくない。沙美の声、夜明けまで聞いていたいな』
「うん! 律子が聞き疲れるまで喋り倒しちゃお! じゃあ何から話そっかなー、あ、私のクラスに、野元って言ってしょーもないやつがいてさ--」
『何それー! アハハハ!』
私と律子は、そのまま、朝日が顔を覗かせるまで語り合った。
これから満月の夜は、きっとこの夜を思い出す事だろう。
律子と語り明かした、この夜を。
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