第4話―1―
「私のお母さん、田中冬美なの」
『え、沙美って、冬ちゃんの娘なの!?』
「うん」
律子は驚きながらも、急に何処か落ち着き、『まあ、課題があるくらいだから、その界隈だけで事が起きるのは当然か』とボソッと呟いた。
確かに、律子の言う通りである。今回の課題に際して何かしら理由があるとすれば、そこから離れていては話にならない。近辺でその事柄が結び付くという事は、至極当然の事である。
『じゃあ、春の事も、冬ちゃんに聞いたの?』
「うん、交通事故で亡くしたって、そう言ってた」
『まさか、春が……ね』
律子は暫く言葉を失い、ただひたすら『そっか、そっか』と続けるばかりだった。
そんな律子の声を聞いていると、お母さんの「友達も交通事故で亡くしてるから--」という言葉は、とてもじゃないが言えなかった。それを言った方が、律子にとって良いのか悪いのかは分からない。もしかしたら、それを伝える事によって何かしら下準備をするのかもしれない。が、逆に沈んだ心に追い討ちを掛けてしまうのかもしれない。
どうした方が良いかなんて、そんな答え皆目持ち合わせてはいないけれど、今は黙っておこう。何も急いで言う必要なんて全く無いのだから。
そんな事を考えていると、律子は静かに口を開いた。
『で、いつなの?』
「え?」
『事故よ、春はいつ事故に遭うの?』
「それは……分かんない。そこまではお母さんに聞いてなかったから」
『肝心なところは聞かないのね』
律子、春、それから秋人君、私は一体誰を助ければいいのだろうか。いや、それ以前に、本当に誰かを助ける事が出来るのだろうか。お母さんの言葉からすると、律子も春も交通事故で亡くなってしまうようだし、更には、「秋人」という名前も、未来では聞いた事が無い。
そもそも、未来を変える様な事をして良いものなのだろうか。少し大袈裟ではあるが、タイムパラドックスが起きて世界が滅んだりだとか、そんな事は起きたりしないのだろうか。
例えば、この時代で私が律子か春を助けたとする。そうすると、未来でのお母さんのあの言葉は聞けない事になるので、この時代の今現在の時点ではまだ、律子、もしくは春が、交通事故に遭う事は私は知らないという事になる。
更には、律子を助けたいが為に、カナタが私をここに送っているのであれば、律子を助けてしまった場合、後のカナタは、“律子を助ける為”という、私を飛ばす理由を無くしてしまう。
それらの矛盾が、この世界にどの様に影響を及ぼすのかなんて分からないけど、私が交通事故の事を知っている事実と、実際ここに飛ばされているという事を考慮すると、やはり私は律子も春も助けられないのだろうか。
このタイムスリップが、そう在るべくして成っているのであれば、そのきっかけを無くす事は不可能ではないのだろうか……。
「おーい、律子、引いてちょー」
「んあ!? ああ、ごめん。私の番?」
いけないいけない、また没頭してしまっていた。
あの後、「お母さんと鉢合わせになるのでは?」と思い、恐る恐る敷居を跨いだが、幸い家には誰もいなかった。
どちらにしても、泊まる以上は皆と顔を合わせる事にはなるのだが、何せおばあちゃんの家に来るだなんて思ってもいなかったのだ。心の準備もへったくれもない。
そうでなくても、春が私の叔母さんだったという、ただそれだけで心臓が爆発しそうなくらいなのだ。
そして今現在、お菓子の買い出しを賭け、三人でババ抜きをしている。八重子は早々に一抜けし、私と春の手札も、残り四枚と三枚となっている。一枚リードしている春は、やけにテンションが高い。
そんな春は、「さあ、ババは入ってるかなあ?」とトランプの背中を、私の顔にぐいっと近付けてきた。
まあ、私の手札にジョーカーがあるので、春の手札にジョーカーが入っていない事は明らかではあるのだが、既に一抜けしている八重子をチラッと見ると、「付き合ってあげて」と、ウィンクをして見せている。
「ど、どれが、いいかなあー、アハハハ」
『……演技下手すぎでしょ』
……うるさいなあ。
私が一枚引くと「アハハハハ! あー、おしい! もう一個隣だったのに!」と、春は笑い転げながら謎の嘘をついた。
結局、私は手札にそのジョーカーを最後まで残す事となり、敗北を喫した。
「じゃあ、ちょっと行って来るね」
「お願いしまーす! あ、ジュエルリングは絶対だからね!」
春は右手を大きく挙げ、満面の笑みで言ってきた。「ジュエルリング?」と疑問にも思ったが、律子が分かるだろうと、「はいはい」と律子の真似をして見せて部屋を後にした。
ここへ来て小一時間が経ち、時刻は6時を回ろうとしている。が、未だに誰も帰って来ていない様で、居間は勿論、土間までも、しんと沈んだ空間となっている。その空間を眺めていると、少し寂しい気持ちにもなるが、そこはしめしめと家を出る。と、引き戸に手を掛けようとした瞬間、戸が独りでに勢い良く開いた。
「うわっ、あ、りっちゃん、もう来てたんだ? びっくりしちゃった」
目の前に突然現れたのは、見覚えのある人。
「--!」
声にならない声が、喉の奥底で渦を巻いているのが分かる。一気に吹き出る汗、そして鳥肌、更には寒気、全部が同時に出ると、渦を巻いていた言葉が一気に飛び出た。
「お、お母さん!」
思わず、瞬間的に過った言葉が、そのまま声に出てしまった。
『ちょ、ちょっと、焦りすぎよ! 冬ちゃんよ、冬ちゃん』
律子に言われてハッとした。そうだ、落ち着け私。落ち着いて華麗にこの状況を打破するのよ。
「あ、あははは、ごめん冬ちゃん。言い間違え言い間違え、あはは……はあ」
ああ、疲れる。
「フフフ、大丈夫? 今日お泊まり会するんでしょ? サクラに聞いたよ」
「ああ、う、うん、そうなの。で、ちょっと、これから買い出しに、あはは」
「ふーん、そっか。あ、今日は焼き肉するみたいだからお楽しみに!」
お母さんはそう言うと、私の肩をポンっと叩いて、土間を上がり、部屋へと入って行った。私も外へ出ると、そそくさとそこから離れて大きく息を吐いた。
「っぶはー! 死ぬかと思った!」
『フフフ、感動の再会だったわね』
「何で私がピンチなのに楽しそうなのよ。それより、突然過ぎてタメ語で喋っちゃったけど、良かった?」
『タメ語?』
「えーと、敬語じゃないって事」
『ああ、なるほど。うん大丈夫、冬ちゃんには“タメ語”でいいわよ』
律子は半ば楽しそうにそう言った。
「了解。てか、私この時代に来て、十歳は年取った気がする」
『じゃあ、あと十七歳年取ったら私と同い年ね、フフフ』
「え、そう? えーと、この時代が1987年だから、えーと……あーもう分かんない! それよりコンビニよ、コンビニ!」
近くのコンビニまでは歩いて10分程度だ。コンビニと言ってもフランチャイズのコンビニで、専らお酒とおつまみをメインに揃えているお店だ。
このコンビニは未来にもあったのだが、私が中学に上がると同時に、大手チェーンのコンビニへと姿を変えてしまった。小さい頃はよく、お婆ちゃんに手を引かれて来た記憶がある。店内のレイアウトが特徴的で、棚と棚の間に謎のスペースがあったり、はたまたそこに大きめの植木が置いてあったりと、良く言えば“独特で落ち着いた、ゆったりとした空間”で、悪く言えば“お客さんのいない暇そうなお店”だ。
店番は決まって気前の良いおじさんで、いつも「おまけだよ」と言って、レジ下の引き出しから小さなおもちゃを出してくれた。
そんな事を懐かしみながら、お婆ちゃんの若い頃の姿を想像し、空を仰ぐ。若いお婆ちゃんに会えると思うと緊張もするが、とても楽しみでもあり、ついつい顔がニヤついてしまう。
道中、律子に『何よ急に、ヘラヘラして気持ちの悪い子ね』と冷たく一蹴されてしまったが、そこは気にしない。
コンビニへ着くと、見慣れた光景が私を迎えた。相変わらずのレイアウトに、他のコンビニでは見る事の出来ない、この落ち着いた雰囲気。時間の流れが、このお店だけ忙しい時代に取り残された様な、そんな趣のある色をしている。
店内の空気は、めっきり冷やされていた。勿論お客さんが誰もいない、という意味ではなく、クーラーが効いているから、という意味だ。
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春の言っていたジュエルリング(結局子供向けの、おしゃぶりをモチーフとしたアメだった)を始め、スナック系、チョコ系、そしてジュースを大量に買い込み、お店を後にした。
律子はそれから帰り着くまでずっと、『綺麗な空だね』だとか、『夕日が真っ赤だなあ』だとか、どこか物思いにふけっていた。
そして、お菓子とジュースで丸々と太ったビニールの持ち手が、それこそ弦の様に細くなり、指の肉に食い込み始めたところで家に着いた。
「ただいまー、って--!」
私が引き戸を開けると、そこには若かりし姿のお婆ちゃんがいた。思わず、「お婆ちゃん!」と続けそうになったが、そこは何とか言葉を飲み込んだ。
「ん? あら律子ちゃんいらっしゃい」
「こ、こんばんは、おじゃまします。あはは」
今度こそ心臓が爆発するかと思った。いや、ちょっと爆発した様な気がする。今の私にとってここは、びっくり屋敷以外の何物でもない。
お婆ちゃんの「それにしても久しぶりねえ」から世間話が始まり、私の愛想笑いが、いよいよ引きつり始めるまでそれは続いた。
愛想笑いのしすぎで強張った顔の筋肉を、モニモニとほぐしながら部屋へ戻ると、春と八重子はトランプをずらっと並べており、何やら占いをしていた。が、私がビニールを、ドサッとそこへ置くと、春は「待ってましたー」と、そのトランプたちを一気に横へはけた。
「ちょっと春、今から食べるつもりなの?」
八重子は、脇に置いていた眼鏡をおもむろにかけながらにそう言うと、立ち上がり、私の置いたビニール袋を机の上へと移動させた。そしてそれを置くや、綺麗に三編みに結ったお下げをポワンと跳ねさせながら得意気に振り返る。そして一言。
「これは、晩ご飯を食べるまでおあずけです」
両手を腰に据えて言うその姿は、さながら春のお姉さんか、もしくはお母さんの様な威圧感さえも感じる。春はそんな八重子のスカートにすがり付く。
「え、えー! 今食べないでいつ食べるのさ!? ねえってばー! 律子も何とか言ってやってよ!」
「え、私も言わなきゃダメ? えーと、我慢しなさい!」
「いや、私にじゃなくてさ……」
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「サクラ、ご飯だって」
部屋で遊んでいると、水を引く様な静かな声が、襖の向こう側から聞こえてきた。お母さんの声だ。何とも日本舞踊でも嗜んでいるかの様なおしとやかな声だが、これが子供を三人も産むと、ノックもせずに部屋に入り、怒鳴り散らかしてまたドアを力任せに閉める、そんな人になるのだ。“人類ならではの成長の奇跡”とでも言っておこう。
結局お菓子を取り上げられた春は、今の今までずっと「ぶーぶー」と口を尖らせたままトランプやオセロに興じていた。
春に連れられて居間へ行くと、お爺ちゃんとお婆ちゃん、それにお母さんが、既に席に着いていた。
当然ながらお爺ちゃんも若い。何と言うか、未来では無い「威圧感」がある。昔ながらの職人といった感じだ。何と言っても、未来では寂しくなっている頭が、この時代ではフサフサな事に一番の衝撃を受けた。その頭に、ただただ違和感を感じる。
春に促され、八重子と私も座る。テーブルにはホットプレートが置いてあり、その周りにはお肉や野菜たちが並べられているのだが、あまりにもそれらが多い為に所狭しと肩を押し合っている。
「八重子ちゃんも律子ちゃんも、沢山食べてね」
お婆ちゃんのその言葉を合図に、春は「よし、食べるぞ!」と箸を握りしめた。するとお母さんが、私のすぐ側に置いてある、お肉と野菜の盛られた大きなお皿を指差して、
「じゃありっちゃん、そこのやつ焼いちゃおっか」
と言ってきた。
「あ、う、うん!」
何だかお母さんに喋りかけられると、無駄に緊張してしまう。何故かは分からないが、恐らく、この人が本来持っている“恐ろしい部分”を知っているから、なのかもしれない。
私はお母さんに言われるがまま、あたふたしながら大皿を持ち上げる。と、思った以上に食材たちが重く、お皿は傾き、それらは一気にホットプレートへと滑り落ちてしまった。
「アイヤー」
春の呆気に取られた声が、何とも虚しく聞こえる。プレートの上では、お肉も野菜も、全部が混ぜこぜになってしまっている。
皆さん、ごめんなさい。
『ちょ、ちょっと何やってんのよ!』
律子の怒鳴り声が聞こえた瞬間、「ツキン」と、軽い頭痛が米噛み辺りを走った。
『これじゃあただの野菜炒めじゃない! ……って、あれ?』
「……」
途端に皆が黙り、そこにいる全員の視線を感じる。私もふと気が付くと、先程まで持っていたお皿の感覚が消えていた。どうやら、律子と入れ替わってしまったようだ。
「ククク、アハハハ! 自分で入れといて何言ってんのりっちゃん! アハハハ!」
先程の奥ゆかしさは何処へやら、お母さんは持っていた箸を投げ飛ばす勢いで、ゲラゲラと笑い出した。そして律子の顔が、忽ちに熱くなっていくのを感じる。
『あ、いや、違うの、今のは、えと、その』
「とりあえず広げるアル!」
春がやたらと高いテンションで、一塊になったそれらをほぐし始め、律子も、『ご、ごめんね』とそれに続いた。そして小声で更に一言。
『……沙美、帰ったら説教ね』
「……ご、ごめんなさい」
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