第3話―9―
「なるほど、告白された事も知っていたのね? 岬野さんは」
『……はい』
しおらしく答える律子は、何故だか癇に障る。
告白されるだなんて、律子もなかなかにして隅に置けないやつだ。まあ、容姿にしても中身にしても文句の無い女性ではあるが。
「で? 何て人から告白されたの?」
『光介、山本光介。クラスメイトなの。付き合って下さいって言われたのよ私。付き合って下さいって。この私が』
律子は『エヘヘヘ』と、ニヤニヤしながら机にうなだれた。
「幸せそうで何よりね。じゃあ付き合ってるんだ?」
私がそう言うと、律子はニヤついていた顔を一変させ、そこに置いてあった鉛筆を取ると、うなだれたまま机をコンコンと叩き始めた。そして口をへの字にして答えた。
『私、“ごめんなさい”って、断っちゃったの』
「え! 嬉しかったんじゃないの?」
『嬉しかった。でも、ちょっと……』
そう言うと、暫く間を置いて、『私の好みじゃないっていうか……ね』と、空笑いをして付け足した。
あんなにはしゃいでいたのは、山本という人はさておき、告白された事自体が、ただ単に嬉しかったからなのか? どうもそんな感じではなかったのだが……。私が言うのも何だが、女の気持ちはよく分からん。
そしてあれやこれやとお喋りをしている内に、話題は“私が助かるためには?”というものになった。
「もしかして、“誰かの命を救う”って課題は、律子の事なのかな? そのバスに跳ねられるのを阻止しなきゃなのかも」
『どうかな、手紙に“あなたは死んでしまいます”ってあるから、もう無理なのかもしれないし……』
律子がそう言った瞬間、彼女が自殺しようとしていた時の事、それと一昨日の夜の事を思い出した。
--だって私は!--
--私も、未来で沙美に会えたらって考えたけど、出来ないのよ、それだけは、どうしても--
律子のあの言葉は、事故で死んでしまう事を知っていたからこその言葉だったのかもしれない。それに、お父さんに進路の事を聞かれた時の黙りも、そういう理由があっての反応かと、今では頷ける。
そして自分の事よりも秋人君を優先し、あの時『沙美の誰かの命を救う課題ってさ、病気の人も対象に入るのかな?』と聞いてきたのだろう。
『でもね沙美、そうは思ってても、やっぱり諦めきれないの』
「う、うん! そうだよ、諦めちゃダメだよっ!」
『“諦めてない”と言うと随分立ち向かってる様な言い方だけど、実際のところ、死ぬのが怖いから、そう自分に言い聞かせてるだけなんだけどね。岬野さんは、死ぬかもしれないからどうしろだとか、そんな事は教えてくれなかったし、それどころか、“避けられない”とまで言い切っていたから絶望的なのかもだけど……でも、最後まで足掻いてみるつもり』
私は、秋人君も助けてあげたいし、律子の事も助けてあげたい。どちらかを選ばなければいけないとしても、私はどちらも選べない。でも助けてあげられる可能性が高いのは、“交通事故”という物理的原因で死亡してしまう律子の方かもしれない。
以前律子にも言った様に、私は医者ではないから、秋人君を直接的に助けてあげる事は出来ない。それを考慮すると、やはりこの課題の対象となっているのは、律子で間違いなさそうだ。
「律子、岬野さんの事を信用するのもいいけど、やっぱり、私がその事故を回避させてあげればいいんだと思う」
『そう? ……なのかな。でも岬野さんから手紙貰う時、彼女こう言ってたの。“明日を生きたいなら、死ぬ覚悟くらいないとね。明日を生きるってそういう事よ”って。
“明日を生きたいなら”って言ってるくらいだから、これは彼女なりの、“死なない為のヒント”だと思うの。つまり、沙美に助けて貰う約束をすれば、それは死ぬ覚悟が出来ていない事になる。死ぬつもりで挑めば、何か活路が見出だせるのかも。
その瞬間に何が起きるのかも、何で自ら身を投げるのかも、そんなの全然分からないし、もしかしたら本当に死んじゃうかもだけど、でも私、自分で1月3日を乗り越えてみせる。沙美の気持ちは受け取るよ、ありがとう』
力強い言葉とは裏腹に、心の奥底にあるそれは、“怖い”という感情。奥歯がガチガチと震えている事に、本人は気付いているのだろうか。
「そっか、律子は強いね。じゃあ課題で秋人君を助けられるかカナタに聞いてみるね」
『--あっ! 秋人君の病気の事忘れてた』
「え、この前、課題で病気の人を助けられないかどうか聞いたのって、秋人君の事じゃなかったの?」
『それは……ちょっと、聞いてみただけよ。悪い?』
「いや、別に悪くはないけど。……でも--」
『んー、とにかく。誰かを助けなきゃいけないって事は分かってるんだから、沙美の周りで、“この時代には居るけど未来にはいない”って人を捜さなきゃ。それは勿論秋人君も視野に入れてね。
あ、因みに私以外で捜しなさいよ。私は大方死ぬ事が確定してるから、私に捕らわれていたら“その人”を見つけられなくなっちゃうかも』
律子は私の言葉を制止するかの様に、そして少し寂しそうにそう言うと、読んでいた小説を本棚に戻し、『ちょっと、出掛けよっか』と突然身支度を整え始めた。
--本当にそう思っているの? 本当は助けてほしくて仕方ないんじゃないの?
“この時代には居て、未来にはいない人間”、それは律子、あなたの事なんじゃないの?
こんな時まで……カッコつける必要なんてないんだぞ、律子。--
律子は終始無言で着替えを済ませると、最後に下駄箱に置いてある小さな鏡を覗き、前髪をヘアピンで三ヶ所留め、『よし』と微笑むと玄関を出た。
時計の針は5時を回ろうとしているのに、外はまだまだ明るい。
「ねえ、どこに行くの?」
『ちょっとねー。沙美に私の宝物見せてあげる』
律子は楽しそうにそう言うと、自転車を漕ぎ始めた。
道中は、先程のテンションの低さとは一変し、律子は本当に楽しそうにしていた。それはもしかしたら、例の“山本光介”とか言う人の話題を、私が振ったからかもしれない。
どんな人か? だの、格好いいのか? だのと質問すると、『え、エヘヘヘ、それ聞くの? 答えなきゃダメ? えとねー』と、何かに溶けてしまうのではないかと思う程に、律子はデレデレしていた。
が、律子はこんなにも溶けてしまいそうになる様な相手の告白を蹴っている。本当に、よく分からない子だ。
そして10分ほど自転車を漕いだ頃、急な坂道に差し掛かり、律子は自転車を押し始めた。ここはうちのすぐ傍の丘で、位置的には真裏に位置する。未来では舗装され、急な斜面を穏やかにする為に若干蛇行した道になっている。更には、反対側にある那覇軒家は、この時代では雑木林になっているはずだ。
律子は坂道を登り始めて1分も経たない内に、肩で息をし始めた。
『はぁはぁはぁ』
「ねえ律子、大丈夫?」
『う、うん、大丈夫』
とても苦しそうではあるが、休憩をする気は無い様だ。
ある程度登ると、律子は自転車を停め、アスファルトの道から脇にひっそりと佇む小道へ入る。いや、小道と言うより、“雑木林の入り口”と言った方が妥当である。
少し伸びた草木を、慣れた風に掻き分けながらずいずいと奥へと進む。
途中、律子は膝に両手をつけて項垂れるも、私の「本当に大丈夫?」という言葉には親指を立てて見せた。
そして、律子がいよいよ上半身全体で息をし始める頃、ようやく雑木林を抜けた。鬱蒼と木々に囲まれたその場所は、陽の光も疎らにしか届かず、さながら秘密基地と呼ぶに相応しい。
真ん中には貯水槽の塔が建っており、その塔の入り口には、“立ち入り禁止”の紙が貼られている。
「こ、ここ? 何だか、ちょっと不気味だね」
『まだよ、もう、着くから』
律子は息を切らしながらにそう言うと、貯水塔のドアを開けた。
「ちょ、ちょっと、いいの? 入っちゃって」
『駄目なの? 本当に駄目だったら、鍵掛けとくでしょ普通。ここいつも鍵掛かってないのよ』
そう言いつつドアの鍵を内側からガチャガチャと動かして見せると、塔内の螺旋状の階段を登り始めた。
塔の中は非常に狭く、そして暗い。慣れているのか、律子は嫌な顔一つしないものの、そのジメっとした塔内は、私にとっては鳥肌の立つ程に気持ちの悪い空間となっていた。
手すりが無い為、やはり息を切らす律子は、こけが疎らに生えた壁を片手で伝いながら、ゆっくりではあるが、一段一段確実に上っていく。
そこまでして私に見せたい“宝物”とは、一体何なのだろうか。楽しみでもある反面、異常な程に切れる息も心配である。
今まで、“体力が無いのか?”と思ってはいたが、それにしてもこの息の切れ具合と言ったらない。
そう考えてみると、私自身、巻き藁を引いているだけで異常に疲れたし、家の階段を登り降りするだけで、若干息が切れる程でもあった。
そのうち、この著しい体力の低さについても聞いてみよう。
『着いたわよ』
律子はそう言うと、『これが、私の宝物よ』と、ドアを一気に開けた。
「う、うわー、凄ーい!」
目の前には、夕日のオレンジに照らされた、一面の町並みが眼下に広がった。所々雲に遮られたそのオレンジは、見事なほど綺麗な光線となって町を射している。
『凄いでしょ。この場所教えたの、沙美、あなたが初めてなのよ』
「え、そうなの?」
『うん。この塔はね、私が小学二年生の時、道に迷って偶然見つけた場所なの。落ち込んだ時や、お母さんに叱られた時によく来てたんだ。落ち込んだ時に来て、友達がいたら恥ずかしいでしょ。だから皆には内緒なの』
これが、律子の宝物か。誰にも教えていないというのは少々ズルい気もするが、自分のそんな姿を友達に見せたくないというのは、やはりプライドが高いと言うか、そういう所が律子の大人な部分なのかなと、そう感じさせる。
何より一番嬉しいのは、“私には教えてくれた”という事実。もう生活を共にしなくてはいけないから教えてくれたのか、それとも、律子にとって私が、それに相応しい人間と認めてくれたからなのかは分からない。
しかしそんな事はどちらでもいい。この素晴らしい景色を、律子の宝物を、一緒に見ているというこの瞬間こそが、私にとっての宝物だ。
--この一瞬が、ずっとずっと終わらなければいいのに--
純粋にそう思った。
この景色を眺めていると、全部の嫌な悩みが、とてもちっぽけな物なんだなと感じさせられる。律子の来年の1月の事、酷い頭痛に物忘れ、そして私の事故、全部、ちっぽけだ。
この広い町並み、それ以上に広い日本、そして地球、更には宇宙。あれが夢なのか現実なのかは解らないけど、私は宇宙の果てまで見てきた人間だ。この地球上で人が一人事故に遭ったところで、私なんかが進学しようが就職しようが、何も変わりやしない万物の営み。
私の周りで起きている事なんて、何もかもちっぽけだ。
でもだからこそ、そんなにちっぽけだからこそ、簡単に変える事が出来る、そんな気がする。
律子、私が全部解決してあげる。その為に私、この時代へ来たんだから。
『……そ、それじゃあ、行こっか』
律子は少し笑いながらにそう言うと、変なタイミングで目をつむった。そして何かを擦る音が聞こえ、また目を開けた。
どうやら泣いていたらしい。律子もこの景色を前に、何か思うところがあったのだろう。
涙を拭うのに気付かれないよう目を閉じたのだろうが、何せ町並みを眺めている時点で目の前がぼやけ始めていたのだ、嫌でも気が付く。私にも泣く姿を見られるのは恥ずかしいようだ。
「律子、ありがとね」
『どういたしまして』
塔を後にする律子の足取りは軽く、下りと言うこともあって、あっという間に丘の麓に着いた。
そして律子がちょっと買い物をしたいという事で、寄り道をして帰る事となった。
「何買うの?」
『ちょっとねー、実はもうすぐあの人の誕生日だから、何かプレゼントをと思ってね。いい加減、二人の結婚を反対してるのも子供っぽいし』
「フフ、そっか」
何とも微笑ましい心境の変化ではないですか律子さん。もしやさっきの涙が、何か関係しているのですか?
私がニヤニヤしながらそんな事を考えていると、律子が一点を注視している事に気が付いた。
その先には、江梨子さんがいた。一人ではなく、男性と並んで。
男性は勿論、律子のお父さんではない。少し体が大きくて背も高い。そしてギターを入れるケースを持っている。そんな二人は、何やら談笑しながら楽器屋へ入っていった。
「あ……律子」
『……沙美、やっぱり、帰ろっか』
律子は、無理に笑いながらそう言ったが、声が若干震えている様にも感じた。と、そう思った瞬間、律子の目からは涙が溢れ出してきた。
『私、馬鹿みたいね』
自転車を漕ぎながら涙を拭うが、次から次へと溢れ出す。私にすら見せる事を拒んだ涙が、この町中でボロボロと。
その涙が、江梨子さんに対するものなのか、それとも、お父さんに対するものなのかは分からない。どちらにせよ、初めて直面する律子の涙に、私は何と声を掛けていいのか分からなかった。
あの、いつも元気で意地っ張りで偉そうな律子が、声を押し殺して泣く様は、私の胸を強く打ち付けた。
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