第3話―8―
『でも確かに里羽って、“不思議”と言うか、何か隠してる感じは有るわね』
「え、今その話? 一体何時間前の話してんのよ。……まさかずっと考えてたの?」
私は晩御飯を済ませて部屋のベッドで横になり、漫画本を読んでいた。聞いた事も無いタイトルだが、27年前の漫画も読み始めるとなかなか面白いものだ。
部屋の隅に置かれた三段しか無い小さな本棚には、所狭しと小説たちが並んでいるのだが、私が「今日は勉強お休みー。何か本とか無いの?」と聞くと、この本棚を見るように促された。
勿論私は小説なんて読んだ事が無かったので、この本棚を眺めるだけで頭が痛くなった。
『仕方ないわね』と、机の、僅かな幅の本棚(と言うより“本立て”)に、キッチリ納められている二冊の漫画を勧められ、現在に至る。
部活では、あの後私の射場デビューがあるのかと思いきや、“私の射型を皆に披露するのは流石にまずい”という事になり、練習が終わるまでの約3時間、私は律子の代わりに後輩くん達に檄を飛ばしまくった。
本当に、今日は疲れた。
『別にずっと考えてた訳じゃないけど、改めてそう言われると、私にも思い当たる節があってね』
「へえ、どんな?」
『里羽が私に病院を勧めて来た時の話なんだけど、えーと、彼女が入部して二日目だったかな? 私の目をジーっと見つめて、かと思うと突然「岬野さんには、会いましたか?」って聞いてきたの』
「岬野……さん?」
『うん、岬野花さんって人なんだけど、何でも、白倉病院で働いてるとか言ってたかな』
「“岬の花”って、面白い名前だね」
私が笑いながらにそう言うと、律子も少し笑いながら続けた。
『そうでしょ。でね、その時はまだ会った事なかったから、会ってないって答えたんだけど、その数日後に会ったの。
何だか凄く変な人で、私を見るなり涙浮かべて抱きついてきたの。しかも、“あなたも抱き締めたら? 後悔するわよ”って言うのよ』
「そ、それは……危険だね」
『でしょ! で、その岬野さんが私に手紙をよこしたんだけど、その内容が不思議と言うか不気味と言うか……。ちょっと、沙美にも見てもらおうかな。机の引き出し、えーと、二段目に入ってるから読んでみて』
律子にそう言われて引き出しを確認してみたが、それらしい物は入っていない。私は「まただ、物忘れ。……本当に大丈夫かな」と思いつつ他の引き出しも調べてみた。
引き出しを全て確認するも見当たらず、更には机の上も確認してみたが、手紙なんて何処にも無かった。
「ねえちょっと、何処にあるのよ」
『あれ、確かに机の引き出しに入れたと思ったんだけど』
「昨日もそうだったけど、律子最近物忘れ酷いんじゃない? 薬も置場所だけじゃなくて、用量も忘れてたみたいだし」
『わ、私にだって、忘れる事くらいあるわよ。……えーとどこにしまったかなあ』
律子はそのまま暫く『えーと、あの時アレをしてここに置いて、その後……』と過去の記憶を必死に手繰り寄せようとした。
瞬間、
「--っく!」
物凄い頭痛に襲われた。
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「--美。ねえ沙美、起きて」
「ん、うん?」
目を覚ますと、律子と春子が目の前に立っていた。どうやら先程の頭痛で意識が飛んでしまった様だ。
それにしても不思議だ。目を覚ましたばかりだと言うのに、私も二人の前に、ぼうっと立っているのだ。
周りを見渡すと、一面のお花畑。ポツンと置かれた滑り台とブランコ。先程まで誰かが乗っていたのか、ブランコはギーコギーコとゆっくりと揺れている。ピンクの空は一面の快晴。そして、その二人の後ろにはカナタも立っている。喪服姿ではなく、赤のTシャツに茶色のハーフパンツ姿だ。それに髪の色も真っ黒である。が、それがカナタだとハッキリと分かる。
「あれ、カナタ、どうしてそんな格好なの?」
私がそう聞くと、カナタはポカンとした表情で答えた。
「あの、あなたは、誰ですか? カナタって、僕の事?」
「そ、そうよ、アンタ以外誰がいるのよ」
「僕は秋人です。田中秋人」
「え、そうなの?」
--田中秋人くんって、春子の弟の? と、そう思った矢先、背後から声がした。
「そいつは俺じゃあない」
声の方向へ振り返ると、カナタがゆっくりとこちらへ歩いて来ている。その顔は相変わらずの無表情で、腕こそ組んではいるものの、“威張っている”と言う雰囲気は全くない。
「カナタかと思っちゃった。だって、顔が同じなんだもん」
「顔は同じだが、そんな無能なやつと俺を一緒にするな。俺はそいつと違って、人を救う事が出来る。現にお前を助けようとしているだろう」
「課題を言い渡したくらいでよく言うわね。私を助けるって言うんだったら、すんなり助けなさいよ。それに課題クリア出来なかったら私の命持ってっちゃうんでしょ?」
「ああ、クリア出来なければ魂は頂く。だが本来ならば、お前はあそこで即死するはずだったのだ。それを俺がチャンスだけでも与えたとあらば、それは既に救っていると言っても過言ではないだろう」
「……ま、まあそうね」
そこまでカナタとお喋りをしたところでハッとした。私がカナタと喋っている事を、律子と春子は変に思ってはいないだろうか。
と、振り返ってみたが、二人はこちらの事など全く気にせず、既にお喋りに興じていた。
ホッとして遠くを眺めると、どんよりと真っ黒の雲がこちらに向かって来るのが見えた。それは凄く離れているのに、何故だか近いと分かる。
そしてその雲はあっという間に私たちの頭上を覆うと、ぐるぐると渦を巻き始めた。
「……」
カナタは無言のまま空を仰ぐと、指を“パチン”と鳴らした。するとその指パッチンをきっかけに、私とカナタの立っている場所を孤立させる様に足場は崩れ、そこから派生した亀裂は律子達の方へと走って行った。
その亀裂の走った場所はたちまちに崩れていき、律子と春子、それに秋人君は、その崩落から逃げる様に、私とカナタのいる方とは反対側へ走り始めた。
「ああ、みんな! 早く逃げて! --っ!? あれは、何?」
気が付くと、皆の走る先には大きな扉がその口を開き、ずっしりと腰を据えているのが見えた。中からは眩い光が溢れている。直感的に、“その扉に入れば助かる”と感じた。
三人もそれに気付いたのか、その扉へ走り始めた。
春子は秋人君の手を握り、その後ろを律子が追い掛けている。律子は体力が無いせいか、見る見るうちに二人から離されていく。
そして律子は、先を走る二人へ何かを叫んでいる。よくは聞こえないが、口の動きと僅かに届く声から察するに、
--ダメ、マッテ--。
「ああ律子! お願い、頑張って!」
そして春子と秋人君は扉へ飛び込み、律子も何とか間に合い、その扉に片足を踏み入れた。
瞬間、いつの間に現れたのか、女性が律子の腕を掴み、扉へ入るのを阻んだ。その女性が誰なのかは、距離がある為全く分からない。
髪は短めで茶色、服装は黒のショートパンツに、紫チェックの長袖シャツ、という事だけしか見えない。
「ああ、律子! もうダメ、間に合わない!」
私がそう叫ぶと、同時に扉は勢いよく閉じた。
律子はその女性の顔を見ると、ハッと驚いた様な表情を浮かべた。が、すぐにニコッと微笑むと、何かボソボソっと喋り、その女性に抱かれながら崩落へと身を委ねた。
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「--律子っ!」
『あらお目覚め?』
ハッと気が付くと、見馴れない活字の海が目の前に広がった。どうやら律子が表に出ており、小説を読んでいた様だ。
私は最後の頭痛をきっかけに、眠りに着いていたらしい。
それにしても、アレが夢で本当に良かった。春子と秋人君は助かったけど、律子は……。ああ、考えるだけでもゾッとする。
そう考えてみると、空がピンクだったり見渡す限りお花畑だったり、あの光景はおかしなところが沢山あった。
大体、律子は私を見た事が無いのに、私の事を呼んで起こしていたし、春子にしてもそうだ、喋りこそはしなかったものの、私がそこに居ることに全く疑問を持っていなかった。
秋人君だってカナタと同じ顔をしていたし……。大方、私の頭の中で、この時代で得た情報がごちゃ混ぜになっていたのだろう。
『それにしても、随分とうなされていた様だけど、一体どんな夢を見ていたの?』
「……うーん、あんまり覚えてない」
言えない。律子が奈落に落ちていったなんて、絶対に言えない。
『ふーん。まあ、悪夢は頭の中の情報を整理する時に見るもんだから--』
と、律子がそう言っている途中、彼女が眺めている小説の一説が目に入った。
--ジーニャの胸元のペンダントからは眩い光線が現れ、その光はアリカザスの瞳を一直線に射した。
すると忽ちにしてイマナン達の足元には亀裂が走り、同時に、これまでに一切気配を見せなかった、世界を丸ごとにして飲み込んで仕舞いそうな大きな扉が、その口を完全に開いていた。
宇宙の、森羅に張り巡らされた万象、有象無象全てを飲み込んで仕舞うと謂れの在るその扉は--
「アリカザスの瞳」の原作か。……なるほど、あの夢を見た理由が解ったような気がする。
この本は順平が持っていたから、私も少し読んだ事がある。高校生の男の子と女の子が、何かが起きて(何かは忘れた)現代からこの「アリカザスの瞳」の舞台となる、ファンタジー世界に飛ばされる、というお話だ。確かイマナンというのは女性で、現代の「真奈美」という女の子の名前を、ローマ字書きにし、それを逆から読んだ名前だった様な気がする。
まあ何にせよ、私は活字の並びに疲れてしまい、すぐにリタイヤしてしまった口ではあるが、まさか律子もこの本の愛読者だったとは。
もしかしたら、順平と少しは気が合うのかもしれない。
『--で、特に危ないのが、空から誰かが降りてくる……って聞いてる?』
「は、はい!」
『……もう。まあとにかく、夢には色々と、今後起こるであろう事が暗示されている場合があるって話!』
「……はい」
律子は私の返事を聞くと、チラッと時計を見た。時刻は4時過ぎを指している。外はまだ明るい為、夜中の4時ではない様だ。どうやら私は、昨日の夜から今の今まで眠っていたらしい。
「あれ、もう4時? 超眠っちゃった、ごめんね」
『いえいえ、沙美のうなされる声で起こされ、うめき声をBGMに久しぶりの朝食を摂り、仮眠を取るにも何かが煩くて眠りに着けず、急に入れ替わるといけないから部活にも行かずに引き込もっていたのよ。お陰で読めていなかった本が大分進んだわ。ありがとう』
「え、いやあ、お礼を言われる様な事は何も--」
『ありがとうっ!』
「……」
ああ、怒ってらっしゃるのですね分かります。こんなにドスの利いた“ありがとう”は初めてです。
『まあそれはそうと、見つけたわよ。手紙』
「本当? どれどれ」
『これよ』
律子は本の脇に置いていた封筒を取り、ヒラヒラと踊らせて見せた。
封筒から中身を取り出す。手紙の内容はこうだ。
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仲米律子さんへ
今回、急遽伝える事があって筆を取りました。
突然で申し訳ないけど、あなたは1988年1月3日に亡くなってしまいます。バスに跳ねられて亡くなるのです。
私が日にちまで公言している理由は、あなたがこの事故を“絶対に避ける事が出来ない”からです。
日にちまで分かっているからその日は家で過ごそう。だなんて考えても、あなたは必ず外へ出て、バスに轢かれるのです。自らその身を投げて。
その理由は私にも解りませんが、まあ、1月というと、例の件から一年が経過していますし、あなたも全うした頃、何か思うところがあったのかもしれませんね。
ともあれ、白倉病院で貰った薬は飲み続けて下さい。あれは白倉院長の娘さん「美香」さんが開発した薬だそうで、とても効くらしいです。
それでは、ご自愛下さい。
岬野
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「ほ……ほう、確かにこれは、ちと不気味ですな。と言うか、こんな書き方するなんて、岬野さんって結構無神経なんだね。親の顔が見てみたいわ。それにしても、律子……バスに跳ねられちゃうって書いてあるけど、これ本当なのかな」
『うん……多分本当だと思う』
「どうして分かるの?」
『この岬野さん、私の未来の事ズバスバと言い当てたのよ』
「へえ、どんなこと言い当てたの?」
『まあ、そんなに大した事じゃないんだけど、沙美にも言われた“足の小指ぶつけた事”もそうだし、あと体育の授業でバスケットボールが顔に当たるとか、何も無い所で転ぶとか』
「……律子って結構ドジなのね」
『……うるさいわね。それと、もう一つあるの』
律子はそこまで言うと、本を閉じ、その本の角を指先でカリカリしながら、『えーとね、その、あの』と、何かを言いあぐねいた。
「それに、何よ」
『それに……く、はく、を』
声が小さくて聞こえなかったが、顔が熱くなっていくのが分かる。
「え? 何? 聞こえない」
『告白……されたの』
そう言うと律子は顔をガクッと下げ、指先の速度を上げた。恐らく恥ずかしいのだろう。“私に打ち明けた事が”ではなく、“告白された事”、それ自体が。
一見して何でもクールにこなしそうなこの子が、顔を赤らめて俯きながら両足をバタつかせている。
客観的に律子の動きが見られないのは非常に残念だが、きっと可愛らしい、女の子のそれになっているのだろう。
「律子……」
『な、何?』
「意外に……乙女なのね」
『うるさいっ!』
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