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第18話 呼び合う愛称

 その客は、素早く店に入って引き戸を閉じ、手をこすりながら大きな体を震わせている。


「あー寒い。寒い」


 弓美は、そちらを見て小さく指差す。


「うわさをすれば」


 とにこやかに言った。恵子もそちらに顔をやる。

 和斗だった。恵子はすかさず顔を弓美の方に向けた。


 和斗は恵子がいることに気付かない。弓美の顔を見ながらコートを脱いで腕にかけた。


「あ! 弓美さん! 今日店休み?」

「そうだよ。それより」


 弓美にうながされて和斗がひとつ前の席に視線を落とす。

 すかさず、恵子はそちらに振り返って、手を上げた。


「よ! カズちゃん!」

「わっ! 先輩! わ! わ! わ! ……カズちゃんて」


「ふふ。照れてる」

「めっちゃうれしいぃ」


 大将が、恵子の隣りの席に手を出して座るように促す。


「ケイちゃんの隣りに座ったら?」

「ちょっとぉ! 大将。俺だってケイちゃんって、言ったことないのに」


 恵子はそんな和斗のことを笑う。


「カズちゃん、嫉妬ですかぁ?」

「ハイ」


「まっすぐだねぇ。じゃ呼んだら?」

「え? マジすか。マジすか。ヶ、ケ、ケイちゃん……」


 弓美は和斗のコートを受け取り、壁のフックにかけながら突っ込んだ。


「なんか、おびえてない?」

「だって、間違ったことすると、弓美さんのパンチとんでくるでしょ?」


「わかってんじゃん」


「ケイちゃん、知ってます? 弓美さんのパンチめっっっぢゃ痛いんすよ?」

「愛だよ。愛」


 恵子は和斗と弓美の話しに微笑んだ。


「へー。知らない。ボクシング、インターハイベスト8とか?」

「! もう。知ってるじゃないですか」


「はは」


 和斗は弓美を見て腕組みをしながら考えている様子。


「今まで何回殴られたか」

「あら、2回じゃなかった?」


「いや、結構殴られてますよぉ! 片手じゃ数えきれないくらい」

「テメ……」


「あ、2回でした! 2回!」


 と逃げながら言う。慌てたもので大きく壁に背中をぶつけていた。

 余りにもその姿が滑稽で恵子はまた笑ってしまった。


「あら、そーよねー。ふふ。かわいい。カズちゃんビール? あたしも頂いていい?」

「もーかなわないなぁ~。どうぞ。大将もどうです?」


 大将は、和斗が注文するであろうレバーとホルモン炒めを作りながらその申し出を断った。


「まだお客さんくるだろーから、いいよ。幸男。オマエも遠慮しろ!」

「固ェこというなって。給料ださねーくせによォ」


「まったく」

「それから、あたし弓美だから! 無視しようと思ってたの返事しちゃったよ。ブツブツ……」


 弓美は冷蔵庫からビールを取り出して、恵子の前に栓を抜いて置いた。

 目の前から美味しそうな匂いがする。

 恵子は大将に話し掛ける。


「フフ。仲いいんですね」

「まー、親子ですからねぇ」


 和斗は、恵子の横にその大きな体を沈めた。


「ケイちゃん、じゃぁ、おじゃましまーす!」


「ふふ。もう、ケイちゃんで通すつもり?」

「ええもう。言質(げんち)とりましたから」


「カーズちゃん!」

「ハァーい! ふふ。恋人同士みたい」


 恵子は先ほど弓美が置いたビールを手に取り和斗に向けた。


「さ、ビールどうぞ」

「あ、いただきます。じゃ、ケイちゃんにも」


「はいありがとう」


 二人はグラスを合わせて「おつかれさま!」と声を張る。

 乾杯の声と同時に カチン とグラスの音が高くなった。

 大将は和斗と恵子の前につまみを並べ始める。


「はい、牛スジと串盛。あとカズちゃん、レバとホルモン炒め待ってね~。今作ってるから」

「ありがとう! ケイちゃん。レバとホルモンもめっちゃうまいですよ!」


「大将にはそういう魔力がある」

「……そ、その通り」


 二人のお酒は進む。

 途中、お客が入れ替わり、立ち代わり入ってきて、大将と弓美は大忙しだった。

 楽しい宴。たった二人の世界。それは周りから見れば、上司と部下ではない。仲の良い友人でもない。恋人の距離。

 それに気付かない恵子。

 時間も経って二人の酔いもまわって来た。

 恵子の手にはビール瓶。それを和斗のグラスの縁に乗せる。


「はい。カズちゃん」

「あざっす! ケイちゃんも」


「ありがと」

「ふふ。ケイちゃん」


「なに? カズちゃん」

「いいですね。なんか一歩前進!」


「なにがなにが?」

「いや。名前。先輩と杉沢じゃなくなった」


「そうだね。カズちゃん。カズちゃん。カズちゃん」

「ケイちゃん。ケイちゃん。ケイちゃん」


「ふふ」

「はははは」


 ビールを注ぎあう度にお互いの愛称を呼び合う二人。

 ひょっとすると今までだってそうしたかったのかもしれない。

 この日の数時間で、二人の距離はどんどんと近づいて行った。


 恵子に言われて、巻いた和斗の指のタトゥに肌色のテープ。

 その指がビール瓶を持つ度に、そのことを思い出す。

 思わず微笑みがこぼれる。恵子のその顔を見てうれしそうに和斗も笑った。


「カズちゃんってさぁ~。名前、カズトでしょ?」

「そうですよ」


「どういう漢字?」

「あ~。日本の“和”って言えばわかります?」


「あー。和風の“和”ね」

「そう。和ますって意味です」


「あってるね。カズちゃんに」

「へへ。“斗”は北斗七星の“斗”」


「あ~……。あの一斗樽とか。一斗缶の“斗”?」

「そうです。18リットル」


「そうなんだ。和ます18リットル」

「そっちでいうと、変な風になりますね。“斗”は戦うって意味です」


「え? そうなの?」

「だから、和ませたり、場合によって戦ったり、そういう意味ですよ」


「へー! いい意味だね」

「あー。親父がですね~。剣道とか合気道とかやってて」


「ふーん。つけそうな感じだね」

「そうなんです。ケイちゃんは恵まれた子。恵みを与える子でしょ?」


「そ。あんまり恵まれてないけどね~」

「そんなことない! オレは充分ケイちゃんに会って恵まれてますよ!」


「カズちゃんぐらいだよ~。そういってくれるの」


 そういって、恵子は和斗の肩にもたれかかった。

 二人の時間がしばらく止まる。


「あ♡」


 和斗の声でハッとして肩から離れる恵子。焦って髪の毛の乱れを直した。


「あ。ごめん」

「いや。いいんです。そのままがいいです」


「……ゴメン。彼氏と間違えた。酔ってきたかなぁ。あたし……」

「いつでも間違えてください。そして、本気になってください」


「バカ」


 恵子は和斗の胸を小さく小突いた。

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