第八話 食人病とは(後)
ケリーの食人病研修、後半です。
マイケルたちが戦わねばならない食人病は、いかにして急速に広がっているのか。
ケリーが一息ついて水を口にすると、研究者の一人が手を挙げた。
「なるほど、概要は分かりました。
しかし本質ががんであれば、抗がん剤が効くのでは?」
すると、先程ケリーに叱られた生物学系の研究者たちが反論した。
「バカかおまえは、もう少し抗がん剤の事を勉強してから言え!
抗がん剤というのは、盛んに分裂する細胞を狙ってたたく薬なのだぞ。今回の異常細胞は分裂しないんだ、たたける訳がなかろう!
君も科学者なら、何でも名前で判断するのはよしたまえ」
「うむ、このことについては彼らの言うとおりだ。
治療法は別にある」
ケリーもその反論にうなずいた。
そうとも、この病は今までの常識が通じない病だ。
がんではあっても、抗がん剤で治療できる常識的ながんではない。
ケリーは資料の中から別の冊子を取り上げ、治療法について説明を始めた。
この病の治療法を見つけるのもまた、困難を極めた。
細菌やウイルスに効く薬はもちろん効果がない。
一部の医師がこの病を自己免疫疾患と誤診して、免疫を抑える薬やステロイドを用いたが、それはかえって病を急速に進行させた。
だが、人は失敗から学ぶものである。
免疫を弱める薬で悪化するなら、逆を行えばいいのだ。
そうして免疫増強剤を用いたところ……ある程度だが、異常細胞を減らすことができた。
異常細胞に唯一対抗できるのは、体内の異物を排除する人間の免疫系に他ならなかった。免疫が勝っているうちは、人は人のままでいられるのだ。
ケリーがマイケルに言った言葉も、これなら分かる。
すでに人として死を迎えてしまったら、免疫系が働かないので戦いようがないのだ。
そこが、今分かっている治療法の限界だった。
治療法の話しが終わるころには、皆へとへとになっていた。
あまりに受け入れ難い事が多すぎる。
マイケルも覚悟はしていたが、これ程とは思わなかった。
隣にいるエレンはすでに、ポカンと口を開けて目が宙を泳いでいた。
しかし、そんな研究者たちに、ケリーはまたも衝撃的な言葉を浴びせた。
「さて、最後になるが、君たちの中に肌がただれていたりどうも頭が覚めない者はいるか?
もしいるなら、後で私のところに来たまえ。
すぐに免疫増強剤を打って治療を始めよう」
とたんに、部屋の中が爆発したように騒がしくなった。
女性の一人が、ヒステリックに叫ぶ。
「ちょっと待って、私たちがすでに感染してるっていうの!?」
「その通りだ」
ケリーがあっさり答えると、その女性は目を白黒させて首を横に振った。
「どうしてよ、私は患者に噛まれてなんかいないわ!」
「でも太陽の光を浴びただろう?」
ケリーの一言で、研修室内がしんと静まりかえった。
今の一言で分かってしまった。
食人病の原因となる異常細胞は、人体の細胞が特定の有害な光を浴びて発生するものだ。そしてその有害な光は、太陽光の届くところならどこにでも降り注いでいる。
つまり、異常細胞は太陽光を浴びた全員の体に発生しているのだ。
今はまだ免疫が勝っているせいで、顕著な症状が出ていないだけだ。
ここにいる全員が……いや、全世界の人類ほぼ全てが、すでに異常細胞にとりつかれているのだ。
さすがのマイケルも、これには吐き気を覚えた。
これでは、いつ誰がどこで発症してもおかしくないではないか。
敵はすでに、身内にも魔の手を伸ばしていたのだ。
文字通り、身の内に……。
思いっきり出鼻をくじかれた気分だった。
「もう質問はないか?
なければ研修を終了するぞ」
ケリーが資料を片付けながら、部屋の中を見回して言う。
マイケルはすかさず手を挙げた。
「一つ教えてくれ!
我々がすでに全員病原体を持っていることは分かった。しかし、それならば脳を破壊して動かなくなった死体を焼く必要がどこにある!?
納得のいく説明を願う」
娘のことだ。
マイケルはそう信心深い訳ではないが、娘の体を灰にされて平気なほどではない。
それに世の中には、もっと信心深い人が山ほどいるのだ。
彼らでも納得できるような理由を、示してほしかった。
「いい質問だ、マイケル」
ケリーは片付けかけたマジックを再び取り出し、ホワイトボードに何かを書き始めた。黒い人形と、その周りを囲むようにして白い人形を書いていく。
「これは墓場に埋葬された死体、そして真ん中の黒いのが食人病患者の死体だ。
脳を破壊したり首を切ったりして動かなくなった患者の体内でも、異常細胞はしばらく生きている。それを他の死体と一緒に埋めるとな……」
ケリーは黒い人形から白い人形に向かって、放射状に広がる矢印を書いた。
「異常細胞はそれ自体がアメーバのように動く。
患者の死体から土に染み出した異常細胞が、他の死体を汚染していくんだ。
死体の保存状況によって、脳や神経の線維が残っていたら、異常細胞はそれを利用して死体を支配する。
つまり、どういうことかというと……」
想像したとたん、マイケルは背中に鳥肌が立った。
「墓から、別の死体が起き上がる……!」
エレンが震える声でつぶやいた。
「分かったか、これが患者の死体を埋めずに焼く理由だ。
君たちも大切な者が死んだ時、焼かれたくないからと勝手に埋めたりしないように!」
ケリーはその注意を最後に、研修を終了した。
マイケルたちはもう、グウの音も出なかった。