第七話 食人病とは(前)
ついに元凶のオリンポス社で、アンブロシアと食人病の研修が始まりました。
早くからアンブロシア研究に従事していたケリーは、マイケルたちにどんな真実を明かすのでしょうか。
「皆、我がオリンポス社の緊急事態によく集まってくれた。
君たちがここにたどり着いてくれたこと、心から感謝する」
ケリーが形ばかりの短いあいさつを終え、資料を手に取った。
「すでに配布した資料にあるように、我が社の作り出した理想の冷媒アンブロシアは予想だにしなかった危機を引き起こした。
君たちがこの問題の性質をよく理解し、解決の力となることを望む」
マイケルもエレンも、真剣な研究者の顔になってうなずいた。
ケリーは少し水で喉を潤すと、アンブロシアと食人病について説明を始めた。
ケリー曰く、アンブロシアが食人病の原因であると断定されるには、相当な困難があったらしい。
異常な日焼けは数年前から、食人病は一年ちょっと前から発生していた。
まず異常な日焼けの段階で、アンブロシアに疑惑がかかった。
とあるゴシップ誌がアンブロシアの普及と異常な日焼けを関連付けた記事を流し、一部の疫学者たちがそれを見て騒ぎ出したのだ。
無論、最初は会社も相手にしなかった。
しかし、時間が経つにつれて異常な日焼けの患者が増え、人々の間に不安が広がり始めた。
会社はその不安を解消するため、しぶしぶアンブロシアの安全性を調べ始めた。
そこで奇妙なことが起こった。
異常な日焼けがアンブロシアで起こるかどうか調べるため、毛のないマウスをアンブロシアの有無だけが異なる二つのケージに分けて飼育する実験を行ったところ……両方に異常な日焼けがみられたのだ。
この結果は一応、アンブロシアが無実である証拠と位置づけられた。
しかし研究者たちは首をかしげた。
アンブロシアが原因でなければ、一体なぜ……?
その疑惑は、アンブロシアの普及によって解体された古い家電から放出されたフロンガスに向けられた。
ところが、その説もすぐに否定された。
フロンガスのせいで紫外線が強まったなら、まず白人に多大な被害が出るはずだ。しかし今回の異常な日焼けはむしろ、紫外線に強いはずの黒人に大きな被害が出ている。
常識では考えられない、謎だらけの事態だった。
解決の糸口になったのは、太陽光を分析している宇宙工学のグループだった。
オリンポス社の宇宙工学グループが、太陽光の中にある波長の光が急に増えた事に気づいて、もしやと思って上層部に報告したのだ。
最初は機械の故障かと思ったが、いくら測り直しても機械を変えてもそうなるので、怖くなって報告したのだという。
その波長の光を毛のないマウスに当てると……見事、異常な日焼けを発症した。
が、その結果が世に出される事はなかった。
太陽光が原因だなどと公表したら、間違いなく世の中は混乱する。
それに、太陽光を変化させたのがアンブロシアであったら……。
嫌な予感は的中してしまった。
アンブロシアに紫外線を照射すると、例の有害な波長の光が発生したのだ。
アンブロシアは確かにオゾン層を破壊しないし、温暖化も起こさない。
ただ、放出されると成層圏の、オゾン層のさらに上まで上っていき、そこで紫外線を吸収して有害な光を出していたのだ。
そこまで分かった時にはすでに、食人病が発生していた。
死体が歩き、人を食べる……アフリカの一部ではすでに、混乱が起きていた。
オリンポス社はそれを知るや、全力で情報統制を始めた。
セキュリティ部門の兵士たちをアフリカに送る一方、アンブロシア関係の研究員に緊急召集をかけて解決策を求めた。
しかし、情報を漏らさぬように少人数に絞ったため、研究は遅々として進まなかった。
食人病の病因発見は、他の民間の医師に先取りされてしまった。
それでもオリンポス社はどうにかしてその医師を買収し、なぜ食人病の症状が起こるのかを聞きだした。
そこまで話すと、ケリーはふーっと長い息をついた。
「さて、一番重要なのはここからだ。
恐ろしい話だが、逃げる術はないと思いたまえ」
マイケルとエレンの喉がごくりと鳴った。
ケリーは単語の一つ一つをなぞるように、ぞっとするほど聞きやすい口調で言った。
「食人病の本質、それはがんの一種だ」
とたんに、研修室内にどよめきが広がった。
「ちょっと待て、がんでそんな症状が出るなんて聞いた事がないぞ!」
「確かに生きて狂うなら説明がつくけどな、死んでも動くんだぞ!!」
反論したのは、生物学系の研究室にいた者たちだ。
だがケリーには、それも予測の範囲内だったようだ。
ケリーは淡々と彼らを黙らせ、また説明を始めた。
「おいおまえら、分かっているのか?
今、現実に死人が動いているんだぞ。
これは未だかつてない危機なんだ、今までの常識にすがって解決できる問題じゃないんだ。不可能という考えは今すぐ捨てろ!」
食人病の病因が突き止められたのは、病理学的な……顕微鏡で異形の細胞を探す検査によるものだった。
患者の組織から、共通の性質を持つ異常細胞が発見されたのだ。
その細胞は、遺伝子的には人体由来のものだった。
ある種の白血球のように、アメーバのように動き回る。
酸素を必要としない、嫌気的な代謝を得意とする。
そしてそれらは分裂ではなく、他の細胞に自分の遺伝子を注入し、仲間に引き込むことで数を増やしていく。
同時に周囲の細胞を腐らせ、正常な働きを失わせる。
何より恐ろしいのは……それらの異常細胞は数が増えると神経のネットワークを利用して共同体を作り、人間の脳を乗っ取ってしまうのだ。
あたかも、別の生物が寄生しているかのように。
つまり食人病とは、死んだ人間の体をその異常細胞の共同体が操っている状態なのだ。
いわば、がんに乗っ取られた状態だ。
そしてその異常細胞を他人に送り込んで仲間を増やすために、患者は人を噛む。
肉を食うのは、中途半端に残った人間の本能によるものだ。
それがこれまでに分かった、食人病の大まかなしくみだ。