助手席にゴリラ編
お久しぶりです
「…あ」
遠くからやって来る自転車を見て、思わず声が漏れた。
「んー?どしたー?」
隣を歩く高橋が首を傾げる。僕は少し微妙な気持ちになりながら前方を指差した。
「いや…アレ、先輩の自転車っぽいなって」
気づいてしまった自分が、凄く残念だ。毒されてる。凄く、毒されてる気がする。
でも、だって、カゴがパステルグリーンの自転車なんて、そうそう無いだろう。
繰り返す、カゴが、パステルグリーンだ。車体じゃなく、カゴが。
車体自体はタイヤを覗けば細部が隅々まで焦げ茶色で、ハンドルのグリップだけが赤く、前後に取り付けられたカゴが、パステルグリーン。
謎の配色。本人曰く、樹木をイメージした、らしい。カスタム自転車だ。ママチャリだけど。
指差して、自分でも見て、唖然とした。
「は…!?」
思わず声が漏れる。本日二度目だ。
「あれは、テディベア?」
僕にならって近付きつつある自転車に目を向けた高橋が呟く。
買い物時に楽な様にと、前後に取り付けられた大きめのカゴ(パステルグリーン)。
その、後部のカゴから大きなテディベアが生えて、丁度立ち乗りで二人乗りでもして居る感じに、先輩の肩に両腕を乗せて居る。
良く見ると、いや、良く見るまでも無く近付けば一目瞭然に、前カゴにも何か…カピバラか?の大きいぬいぐるみが乗って居る。
道行くひとが二度見する、奇抜な光景だ。
こちらに気付いたらしい先輩がひらひらと手を振る。
やめろおまえとしりあいとおもわれたくない…!
「やっほー」
僕の悲痛な願いも空しく、目の前で自転車を止めた先輩が声を掛けて来る。
まだ、間に合う。他人の振りを…!!
「どもどもー。どうしたんですかー、そのぬいぐるみー」
爽やかに高橋が対応した事で、他人の振り計画は頓挫させられた。
問われた先輩が笑って答える。
「悪戯の検証実験なんだよ。本当は軽トラか、少なくとも乗用車が良かったんだけど、この前檸檬に費やし過ぎてレンタカー代が無くてね。眼鏡も弁償したし」
立ち止まって話して居る間にも、横を通る全員が二度見チラ見ガン見と様々なバリエーションで視線を向けながら過ぎて行く。あ、ひとり躓いて転けた。
「何の悪戯なんですかー?」
「助手席に巨大なぬいぐるみを置く事は、すれ違う車の運転の妨げになるか」
視線が痛い。辛い。刺さる。
「成程。それでぬいぐるみなんですねー。どうして検証実験をしようと?」
「うん、話せば長く…はならないんだけどね、」
「先輩っ」
何であんたらは普通に会話出来るんだ!?
向けられる奇異の視線に堪えかねた僕は先輩の言葉を遮って声を上げた。
「部室、部室行きましょう!僕、お菓子持ってるんで!!」
「おかし…手作り?」
「手作りです!」
「よし、行こう」
にぱっと笑った先輩は、自転車から降りると僕の手を掴んで歩き出した。
幸にも、部室棟は、見える位置だ。
…僕の趣味が、お菓子作りで良かった。
右からカピバラ、先輩、くまの順で座るひとりと二匹(二個?)の前に、持って居た自作のチョコチップマフィンとフォークを供える。
「…何か飲み物入れますね。珈琲で良いですか?」
「うん、お願いします。わーいマフィンマフィンー」
お菓子を前にして幸せそうに、にこにこと笑う先輩は、可愛らしい。
…おとなしくしてれば、普通にモテそうな外見なのに。
残念な気持ちになりながら、ミネラルウォーターをどぼどぼと珈琲メーカーに注ぐ。高橋の注文は訊いて居ないが、まあ僕と先輩が珈琲なんだから珈琲で良いだろう。
古びては居るが、小型の冷蔵庫に電気ケトル、珈琲メーカーに電子レンジと、OGOBが卒業時にして行く置き土産で、部室の家電は無駄な充実を見せて居る。誰だかコタツを置いて行こうとした猛者も居るらしいが、それは流石に却下されたらしい。布団にカビやダニでも湧いたら処理が面倒だ、と。
空調も照明もあるし、体育施設に行けばシャワーだってある。洗濯をコインランドリーで済まし、寝具を寝袋で我慢すれば、生活出来ると思う。
「マフィンとパフィンって似てるよねー。パフィンってなんだっけ…石蝋?」
珈琲が出来るのを待つ間、カップを三つ並べてから振り向けば先輩がカピバラと戯れて居た。カピバラを膝に乗せて、話し掛けながらむぎむぎと揉んで居る。
石蝋はパラフィンで、パフィンはニシツノメドリ。ペンギンに似た北欧辺りの鳥だ。現地だとぬいぐるみとしてメジャーらしい。
ぬいぐるみと言えば、先輩はこの前も青いアイツのぬいぐるみを持って居たけれど、ぬいぐるみ集めを趣味にでもしているのだろうか。だとすると、随分と女の子らしい趣味だけど。
高橋が目を細めて律儀に訂正を入れる。
「石蝋はパラフィンで、パフィンは鳥ですよー。で、なんで実験を思い立ったんですかー?」
「ああ、その話だったね。端的に言うと、危険であると問題提起する為の論拠にしようとしたんだ」
この一言のみを取り上げると大変真面目な議題に思えるが、やってる事は自転車に大きなぬいぐるみを乗せてサイクリングである。
真面目そうな顔と言葉選びに騙されてはいけない。
高橋も一見真面目そうにふむふむと頷くと、相槌を打つ。
「成程。助手席にぬいぐるみと言う点に、着目したきっかけはあるんですかー?」
「勿論」
高橋と先輩の会話を聞き流しながら、出来上がった珈琲をカップに注ぐ。配分は適当だ。誰が多いとかで喧嘩になる面子でもないし。
「先日の事なんだけどね、十字路で信号待ちしてたら、対面に軽トラが居たんだ」
まず先輩の前に置いてから、高橋に渡す。
こう言う時に年功序列を気にするのが大事なのだとは、業務内容にお茶汲みが含まれると語る従姉妹のお姉さん(事務職)の言だ。
「あ、ありがとー。いただきまーす」
「ありがつー」
珈琲を置くと話を止めてお礼。
…変人だけど、悪いひとたちじゃないんだよな。変人だけど。
きちんとカピバラを手放してから頂きますと手を合わせ、紙カップに入ったマフィンすらフォークで食べる辺り、先輩なんかはかなり育ちが良いんじゃないかと思う。口にもの入れて喋らないし。
マフィンを一口食べ、珈琲を啜ってから先輩が話を続けた。無意識なのか一度横に置いたカピバラをまた膝に乗せて居る。
机の端っこで珈琲を飲みながら、聞くとは無しに耳を傾けた。
「軽トラの運転手さんはガテン系?の良く日に焼けたお兄さんだったんだけどね、助手席にゴリラの大きいぬいぐるみが居たんだよ。軽トラの、助手席に、ゴリラ。運転手はお兄さん。思わずガン見したよ」
「否、気にしないであげましょうよ」
良いじゃないか相棒がゴリラのぬいぐるみでも。
と言うか先輩にもそんな、コイツ変わってるなと感じられる感性があったのか。
ついつい突っ込みを入れながら、そんな事に感心した。
僕の突っ込みを受けた先輩は、とても理不尽な事を言われたとでも言いたげな顔で言い返した。
「気になるよ!!別れた恋人の置き土産なのかなとか、死んだお母さんの形見なのかなとか、ストーカーに狙われててボディガード代わりなのかなとか、実は着ぐるみで中に隠し子が居るのかなとか、色々考えてたら信号変わったのに渡りそびれたんだよ!?信号待ちの、自転車だから良かったけど、もし普通に自動車運転中だったら、危うく大事故だよ!?そんな、対向車の意識を必要以上に奪う行動、危険過ぎるでしょう!!」
「助手席にゴリラより、あんたの思考回路の方がびっくりだよ!!」
置き土産と形見は、一歩譲ってまだわかるとしても、ボディガードとか隠し子ってなんだよ!?マネキンか何かやリアルな犬のぬいぐるみとかなら兎も角、ゴリラのぬいぐるみじゃどう考えてもボディガードにならねぇよ!!
何故かヒートアップして居る先輩にヒートアップして答えると、カピバラを握り締めた先輩が更にヒートアップして反論して来る。
ちょ、カピバラ握り過ぎ!可哀想な事になってる!!
「じゃあ聞くけど、例えばだよ!?流線フォルムが美しいジャガーに、漫画に出て来る敏腕美人秘書その物のお姉さんとか、溢れる色気が堪らないイケメンお兄さんとかが乗ってたとして!!その助手席にイケメンキャラの腕枕クッションとか、萌えキャラのあられもない姿な抱き枕とか、リアルダイオウイカの特大ぬいぐるみとか、薬局に居るオレンジのあの子とか、子供向けアニメのマスコットキャラの巨大なぬいぐるみとかあったら!動揺しない!?しないの!?ねぇ、みっちゃんは動揺しないの!?」
余談だが、みっちゃんと言うのは先輩が付けた僕の渾名だ。高橋の事ははしやんと呼んで居る。
「最後は息子への誕生日プレゼントかも知れないでしょう!?」
「最後以外は!?出来る女やイケメンの恋人席に座るのが二次嫁でも、ダイオウイカ様でも、薬局から盗んだかも知れない恋人でも、みっちゃんは少しも驚かないの!?みっちゃんは鋼鉄の男なの!?」
「良いでしょうが、誰が何を愛でたって!!美女にもイケメンにも萌えを語る自由をやれよ!!二次元は非リアだけのものじゃない!!」
なんで僕も先輩も、こんなにヒートアップしてるんだろう。
自分でも良くわからなくなって来た。
「愛で方の問題だよ!!誰が何を愛でたって、文句を言うつもりも権利もわたしには無いけど、他人に迷惑掛けちゃ良くないでしょ!?運転中のひとを驚かせるとか、下手したら命に関わるんだよ!?」
「ならそもそも運転中に対向車の助手席なんか見なきゃ良いじゃないですか!!」
「うっかり見ちゃう事だってあるでしょ!?」
「うっかり見ちゃう様な奴は、助手席に変なものが置いてなくたって事故りますよ!最初から注意力散漫なんでしょう!!」
ぱぁん!!
「にゃっ!?」
「うわ!?」
突然響き渡る破裂音に先輩とふたりで飛び上がる。
どこから取り出したのか高橋が、紙鉄砲を振り抜いて居た。
「…なに?」
「ふたりともヒートアップし過ぎですよー」
紙鉄砲を畳み直しながら高橋が言う。
高橋に常識を諭されて、僕は口を噤んだ。カピバラを抱き潰して唇を尖らせる先輩に、言い過ぎたと決まり悪くなった。
びっくりしてクールダウンした僕と先輩を、高橋が交互に見て、苦笑を浮かべる。
「そう言う論争になるから、危険性を検証しようとしたんですよねー?」
「うん」
先輩も少し気まずげに、頷く。
「それで、結果はどうだったんですー?」
「やった範囲では、危険と判断出来ると思う」
先輩が何かを取り出して、机に置いた。四連の数取機だ。
メーターを見ながら言う。
「わたしが認識した限りになるけど、自転車歩行者合計で、実験中擦れ違ったひとが208人、内、少しでもわたしに気を取られたひとが191人で、躓いたりひとやものにぶつかったり、何らかの事故を起こしたひとが21人で約一割。助手席じゃなく自転車の荷台な分余計に意識を奪うと仮定して、更に自動車運転中より自転車運転中や歩行中の方が余所に意識を向け易いことを考慮に入れたとしても、九割が意識を奪われたって言うのは軽く見て良い事態じゃないと思う。幸い重大なものは起きなかったけど、実際にちょっとした事故は起きてる訳だしね」
言われてみれば確かに、僕が見た範囲ですらひとり転んで居た。自転車でがっつり余所見してるひとも居たし、そもそも僕が移動を申し出たのは、周囲の視線が痛かったからだ。
先輩が背負ってるのがくまじゃなく派手でもギターケースで、前カゴの中身がカピバラじゃなくギターアンプだったなら、そこまで注目しなかっ…否、カゴがパステルグリーンな時点で目は引くな。でも、僕の言う通りなら、先輩の奇抜な自転車にも文句が言えない訳で(カラーリングが派手なだけで、違法なカスタムはされていない)。
そんな変な自転車やめろと言う事は、安全の為にポリシーを棄てろと言う様なものなのだ。つまりそれは、先輩の主張と同じで。
助手席にゴリラのぬいぐるみは駄目だと主張する先輩の気持ちも、理解出来ると気付いてしまった。
…若干、お前が言うなと思わなくもないが。
高橋と視線が合い、小さく溜め息を吐いた。
先輩に視線を合わせ、頭を下げる。
「済みません、先輩。確かに目立つ場所に他人の意識を奪う様なものを置くのは危険ですね」
「わたしも、大声出したりしてごめん」
「でも、助手席にゴリラが危険なら、先輩の派手な自転車も危険だと思うんですが…」
先輩が目を丸めて、ゆっくりとまばたきした。
「そんなに…目を奪うかな?」
「かなり目を引くのは事実だと思いますよ」
「…そっか」
少しショックを受けたような顔で先輩は頷き、そこからは無言でマフィンと珈琲を平らげていた。
後日、先輩の自転車はオールパステルグリーンに塗り替えられていた。
いや、多色使いとかそう言う話じゃないんですよ先輩…。
思いつつも先輩が他人を気遣った結果かと思うと、僕には突っ込みが入れられなかった。
変人だけど、悪いひとじゃないんだ。凄まじく変人だけど。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます