駐輪場編
オチはありません
部室に行くと先輩が何やら片手で弄んで居た。
「ああ、おはよう」
「おはようございます。もう、夕方ですけど」
こちらを向いて微笑む先輩に挨拶を返し、適当に置いてあるパイプ椅子に座った。
「駐輪場の自転車に鍵が刺さったままだとさ」
手元に目線を落とした先輩が言う。
「抜いて持ち去りたくなるよね」
先輩が弄んで居るのは自転車の鍵だ。
自転車の、鍵だ。
「先輩、まさか、」
「これはわたしの自転車の鍵だよ」
先輩が胡乱げな顔で僕を見た。
「やりたくなるだけで、実際にやったりしないよ。君はわたしを何だと思ってるんだ。他人の自転車を使用不可にするなんて、卑劣で悪質な悪戯は良くないって事位、わかってるよ。今まで誘惑に負けた事は、一度も無い」
こんなに、まともな台詞が似合わないひとも珍しいと思う。と言うか、
「…負けそうになった事はあるんですね」
先輩に負けず劣らず胡乱げな顔で、僕は先輩を睥睨した。
先輩が僕から目を逸らし、唇を尖らせる。
「…愛車の鍵を抜き忘れるなんて、自転車に対する愛情が乏しいと思うんだ。一度位痛い目に遭って、自転車の大切さを思い知るべきだとは思わない?」
「窃盗は、犯罪ですよ」
「だからやらないって。出先で自転車に乗ろうとして鍵が見付からない絶望感は、計り知れないものがあるからね」
ちゃりんと、先輩の手の中で鍵が音を立てた。
「盗まれたことがあるんですか?」
「いや、不注意で無くしただけ。結局タクシーで帰って後日また行って合い鍵で回収したんだよね。深夜だったからバスも無くてタクシーも深夜料金だし、散々だったよ」
先輩が肩を竦める。
わざわざタクシーで帰る距離って、
「どこに駐輪してたんですか?学内なら徒歩で帰れる距離でしたよね、家」
「いや、駅前の有料駐輪場。駐輪料金も二倍になるし、本当最悪だった」
だからタクシーとかバスとか言ったのか。駅から大学までは、徒歩ではちょっと辛い距離がある。
「と言うか、有料駐輪場って罠だよね。とめて帰ろうとした時に、財布持ってない事に気付いたりさ。駅前なら、ICカード対応しといて欲しいな」
「財布持ってないって、何しに出掛けたんですか」
「ICカードで事足りたんだよ。財布無いの気付いたの、電車乗ってからだったし」
先輩が溜め息と共に肩を竦める。
「後は、何なんだろう、交通マナーパトロール?みたいな人いるじゃない?不法で無料駐輪してる自転車、わざわざ有料の所にセットし直すの。悪いのはルール違反してる人たちなんだろうけどさ、あれ、ちょっとどうなのって思うんだよねー」
むう、と顔をしかめた先輩が言う。
先輩の言う駅前の有料駐輪場は、定期契約の柵に囲まれた駐輪場じゃなく、契約不要で自由に使える方の駐輪場だろう。
入場ゲート等が無く、一台一台タイヤをロックするタイプの駐輪場だ。三時間無料、その後十二時間あたり150円だが、専用の箇所以外の隙間に無理矢理とめれば料金は発生しない。
勿論、それだと不法駐輪になるけれど。
「不法駐輪は駄目だと思うんだけど、利用者に対して駐輪スペースが足りないのも問題なんだよ。ちょっと離れれば他にもあるけどさ、駅前で、こっちには電車の時間って言う超重要ファクターもある訳で、急いでるのに駐輪スペース無くて電車逃す位ならこの端っこにとめちゃえって、気持ちは凄く良くわかる。でもなら後十分早く出ろ!と、話がずれた。えーっと、だから…そんなちゃんと駐輪しようと言う気持ちのある人の駐輪スペースを、自分が交通マナーを守らせたいからって理由で不法駐輪自転車の為に浪費するって言うのは、まあ、正しいのかも知れないけどちょっとイラっとする気もするって言うね…」
ふむ。成程。
「良くわかりました」
「わかってくれる?」
「ええ」
にっこりと笑って深く頷く。
「先輩がどっちかと言うとヒール側の考えの持ち主だって事が、よーくわかりました」
「だあっ、そっちか!まあうん。道理に合わない主張だって言うのは理解してるよ。あれだ、傘差し運転とか、自転車の右側走行とか、歩道走行とか、多分そーゆーのと一緒なんだよ。自転車なんて車に比べれば省スペースで殺傷能力も低くて、運転に特別な資格も要らない。だからどうしても、法律に関する心理的忌避が甘くなっちゃうんだよ。って、この話してるとどんどんわたしのボロが出て来る気がする!話変えよう!話!!」
このひとにも、体面を気にするだけの常識とか、あったのか。
ぱんっと机を叩いた先輩が思案する。
うーん…と数秒考え込んだ後、ぱっと顔を輝かせた。
漫画やアニメで良くある、ぴこーんと電球が灯るエフェクトが見えた気がした。
「有料駐輪場って言えばねー」
あ、そっからは離れないんですね。
「一回だけ、ロックがフル解除になって無料で出庫出来た事があるんだよね。あれ、何でなんだろう」
「停電とか、故障じゃないんですか」
「やっぱりそれかなー。まあ、普通に考えたらそうなんだよね」
腕を組んで不満そうに頷く先輩。
「点検か不備だよね、穏当な予測としては」
ちゃりちゃりと、先輩の手の中で鍵が鳴る。
「…クラッキングは、わざわざしても利益が薄いもんな。するなら自分のだけ解放すれば良い話だし」
その呟き、ちょっと待て。
「何で一々犯罪方向に持ってくんですか!?」
「あ、そーだ。ああ言う駐輪場って、自転車とめなくても手で押せばロック掛かるって知ってた?」
…聞いてやしねぇ。
「あれ、巧く利用してそぉーっととめてロック掛からない様にするとかやってるあふぉも居るんだけどね、あ、もしそう言うの見付けたらわたしはそのチャリ退けて場所奪ってます。せこい手、許さん。おっと、またずれた。それはどうでも良くて、つまりね、自転車をとめずにロックだけ掛けるって言う、悪戯が可能なんだよね」
「やったんですか」
まったくこのひとは。
「まあね。と言っても、一つだけやってみてロックが掛かるの確認して、直ぐ解除したけど。料金発生したら面倒だし、放置は迷惑だからさ」
え…。
「何まともな事言ってるんですか…?疲れてます?熱とか、無いですよね?」
動揺した僕を、先輩が睨む。
「本っ当ーに、君はわたしを何だと思ってるんだろうね。放置自転車に駐輪場所奪われる事にすらもやっとするわたしが、好奇心だけで他人の駐輪スペース奪うはずが無いでしょう。決行するなら空きスペースの多い夜で、そんな事すれば通勤通学で急いでる人たちに多大な迷惑が掛かるんだよ?涙を飲んで、好奇心に打ち勝ったとも」
…負けかけてるじゃないか。
でも、そうか。先輩には先輩なりの善悪基準があるって、事なのかな。
びしっと僕に指を突き付けて、先輩が言う。
「やった方の後味が悪い悪戯は駄目だよ。こう見えても、それなりの矜持を持って生きてるんだからさ」
格好付けてるけど、騙されちゃ駄目だ。このひとが語って居るのは悪戯についてなんだから。
って、
「やー、流石、良い事言いますねー」
…本当に、神出鬼没だな、高橋。
いつから聞いて居たのか高橋が、ナチュラルに会話に入って来る。
「で、先輩としては、その悪戯が決行されたからロックが総解除されてたんじゃないかって、思ってる訳ですか?」
「だったら面白いのに、とは思った。けど、手間を掛ければ個別解除って可能なんだよね、マスターキーで無料オープン出来るの。やっぱり、この案は妥当じゃないか」
「マスターキーって何ですー?」
溜め息を吐く先輩に、高橋が訊ねる。
「ん?ああ、ああ言うタイプの有料駐輪場って、たまに不備でお金払っても解錠されない事があるの。そう言う時、管理事務所に問い合わせると担当のおっちゃんがやって来て、マスターキー使ってロック解除してくれるんだよ。あ、でもそれわたしの地元の駐輪場の話だから、こっちはどうなんだろう。地元のは無料タイム無しで即課金だから、150円の為にわざわざ問い合わせたんだよね」
「問い合わせるか否かは兎も角、そう言う話ならマスターキーはあるんじゃないですかねー。機械不備で偶然一回解錠ミスしただけなら良いけど、何回やっても開かないなんて事も、有り得るでしょ」
「あー、そうだね。マスターキーで個別解除可能なら…でも、全車庫チェックの手間と一日分の駐輪代を天秤して手間を惜しんだ可能性もあるか…?」
真剣な顔は才女っぽく見えなくもないのに、如何せん考えてる内容が残念過ぎる。
と言うかこのひと、何でそんなにロック解除について熱く考えてるんだろう。
「時間帯とか駐輪台数、被害件数とか管理体制、使える人手とかにもよると思いますけどねー」
「ああ、成程。わたしが駐輪してたのは確か、休日昼間〜夕方だ。場所は人通りの多い駅前、駐輪台数も多いし、悪戯決行には向かない条件だね。却下」
納得したらしく頷いた先輩は、残念そうに唇を尖らせた。
「結局、謎は謎のままか。ちぇー。つまんないのー」
かーえろっと呟いて鍵を回しながら出て行く先輩を、僕は安堵の気持ちで見送った。
どうやら今日は、悪戯に巻き込まれる事は無さそうだ。
先輩が、自転車愛に溢れる人で良かった。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました
二話目にして既に悪戯をやってみてないと言う詐欺…
こんな感じで意味も無く進みます
少しでも愉快に思って頂けたなら嬉しいです