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「そういえば桐谷先輩って、次の生徒会長に立候補しないんですか?」
ついに言った。言ってしまった。
掃除当番でゴミ捨て途中、たまたま職員室へ向かう桐谷先輩に会ったので何気なさを装いつつ質問したのだ。手伝うと言い張る先輩をいなしつつゴミ箱を抱えてそれで視線を合わせるのを避けて。
「うん、そのつもりだ」
桐谷先輩はもう迷いなど少しもなさそうに即答した。
「へ、へぇー。勿体無いような気がしますけどねぇ。折角ここまで体制整えてきたのに」
うふふふ、と薄ら笑いを浮かべつつどうやってやる気にさせればいいのか考える。しかし、以前犬塚君をミスコンにスカウトしたのとは勝手が違う。今思うとどう考えても犬塚君のほうが扱いやす…思考パターンが分かりやすい。
「そうだろうか。残りの高校生活を全て生徒会で過ごす方が僕は勿体なく思う」
「…桐谷先輩はそんなに学校生活に未練が?」
「あるな。もっと君と一緒に過ごしたい。生徒会の仕事に追われずに」
「……」
なにそれ。私のせい…?
お腹のなかがぐっと重たくなって、足が止まる。
「あは、は…何言ってるんですか。止めてくださいよ、そういうの」
「どうした、鬼丸君」
どうしたじゃないのだ。桐谷先輩といい猿河氏といい、なんでそんな私ごときのせいで進退を決めてしまうんだ。止めてほしい。私にはとても責任が取れない。
「だめです。分かりました、桐谷先輩は生徒会長を続けるべきです。そんな、私なんかのせいで…」
「君のせい?」
顔を上げて、やっと桐谷先輩と視線を合わせた。桐谷先輩は必要以上に訝しげな表情をして首を少し傾げていた。
「違うぞ、それは。あくまで僕がその方が有意義だと判断したからだ。何故それが君のせいになる」
「だって、元を辿れば…」
桐谷先輩は良い人だから、そう考えるのだ。此方からしてみれば全て私のせいだ。
「だめですよ、桐谷先輩。そんなの」
「しかし、このままでは何も変わらないじゃないか。僕自身も、君との関係も」
「変わらなくていいじゃないですか」
急激な変化なんか怖い。自分だけじゃなくて、周りまでも巻き込んでしまうようなそんな変わり方は。
宥め賺すように取り繕っても、桐谷先輩は真顔のままだ。何の隠し立てもしないでそのまま本心を伝えようとしている。
「僕は変わりたい。君と出会って世界の見方が変わった。だから、もっと君と親しくなりたい。もっと一緒にいられれば、君は自分の話をしてくれるだろう?」
「……そんな…」
私はそんな事したくなかった。
良い方向に変えられたならいいのに、多分違う。正しい方向に導いたりなどできない。私自身が大きく道を踏み外しているから。
「話しません、一生かかったって。桐谷先輩、生徒会長続投しましょう。お願いしますから」
「鬼丸君?」
清く正しい純粋なこの人を混乱させてしまったなら、それは私が悪いに違いない。
桐谷先輩は頭をほとんど直角に下げた私に、戸惑うような声を出した。
「そういうの無理なんです。桐谷先輩はそのままでいて下さい。私に影響なんかされないで。なんでもしますから…」
じゃないと私はもう今度こそ桐谷先輩に顔向けできない。
「やめてくれ。君に頭を下げられる謂れはない。君にそういう事をして欲しくてやった訳ではないんだ。そんな姿を見ると、その、悲しくなる…」
「私だって悲しいです。桐谷先輩の良い所もきれいな気持ちも、塗り潰してしまったみたいで」
廊下の真ん中でする話じゃない。周りが、異様な様子の私達を見てざわつきはじめている。耐えかねた私は頭を上げて再び歩き出した。桐谷先輩も同じようにした。
二人で無言のまま屋外のゴミ捨て場まで歩いた。
桐谷先輩は職員室に用事があったらしいのに、見事にスルーしてしまった。何か声をかけるべきだったのだろうが、そんな勇気は無かった。
「……鬼丸君は僕に好意を持たれるのが不快か?」
ゴミ袋をカゴの中に放り込んでから、桐谷先輩が口を開いた。立ち止まって静かに此方を見下ろす先輩になんだか落ち着かなくなる。
「え、えぇと…不快っていうか…」
「僕がどうだとかじゃない。君の本音が聞きたい。他の誰でもなく君は、なぜ僕に生徒会を続けて欲しい?」
それは、花巻先輩に頼まれたからだ。桐谷先輩の学校生活においての変化した責任を負いたくないからだ。私が桐谷先輩から逃げたいせいだ。
「それは…」
今更、桐谷先輩のいつか聞いただけの嗚咽が耳に突然蘇った。ここで何も言えなくなるくらいなら、桐谷先輩にこんな酷い事ばかり言うべきじゃなかったと過去の自分を責める。
無言のままいつまでも動けないでいる私に、桐谷先輩はさらに質問を続けた。
「なぜ君は猿河君を選んだ?僕にあって彼に無いものは…いや、違うな。君が一番、人に求めるとはものは何だ?」
「え…」
「それをあげたいとずっと考えていた。そうすれば君は側にいてくれるだろう?」
淡々と、なんでもないような真顔でとんでもない事を言う。この人は。こんなタイプの人を私は他に知らない。こんなに性格の真っ直ぐな人なんて。分かっていたはずなのにどうして眩しくて死にそうになってしまうんだろう。直視したら目が潰れそうだ。
「……そんなの、ありません。私は誰も好きになんかならないから」
はっきりきっぱり言い捨てて、それ以上の事を聞き返されないように撤退しようと思った。しかし、桐谷先輩に左手を引き留められた。両手で包むように握られた手を振り払うのは難しかった。白くてきれいな作り物めいたその手が冷たければいいのに温かい。冷血そうな瞳が揺れている。よく通る厳しそうな声がやや不安定に聞こえる。
桐谷先輩にそんな反応をされると、自分のした行動がとても非情な事に感じて苦しくなる。
「行かないでくれ。……君の意図は分からないけど、それが君の望むことならそうしよう。その代わりといってはなんだ。つまり…」
桐谷先輩の提案は私の予想の斜め上だった。
◆
「でかしたわ、鬼丸。あの桐谷を動かすなんて」
放送室で上機嫌に花巻先輩が鼻を鳴らした。いやいやいや、全然でかしてないですから。私は暗澹たる気持ちで花巻先輩に抗議するようにため息をついた。
噛り付くように見るのは今年の春先の生徒会選挙のDVD映像だ。記録として残っているのを貸してもらってパソコンのモニターで見ているのだ。
「……絶対無理ですって、もぉ~…」
モニターに映っているのは桐谷先輩で、その隣には立候補者推薦人がいる。この時は、同じクラスの学級委員長だったそうだ。
それを、私がやるという…。桐谷先輩にお願いされたのだ。
『君が僕を生徒会長に推して僕が立候補するのなら、まさに鬼丸君以外にする選択肢は考えられない』
私は、ステージに立ってこんな風に流暢に全校生徒の前で難しそうな事を2週間後にしている気がしない。
『…というのは立前だ。君と少しでも長く居れる時間を作りたかっただけだ。だから、あまり気負わなくても構わない』
そしてサラッとそんなことを言い出すし、何なんだ桐谷先輩は。悪気が無ければなんでも許されると思ったら大間違いだぞ!
「これで、あんたと桐谷とははれて敵同士ね。正々堂々迎え撃つから覚悟しなさい!」
バシッと私の両肩に気合いを入れるように花巻先輩が両手を振り下ろした。痛くはないけど、プレッシャーが凄まじい。
ほ、本当に大丈夫なのか?こんな事に首を突っ込んじゃって…。




