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当たり前だが、生徒会長は重労働だ。言うまでもない事かもしれないけど。
中学2の時に生徒会の書記をしていたからなんとなく大変さと面倒さだけは分かる。桐谷先輩は大変で面倒だから止めるという訳ではないのだろうが。だから、それを強要してもいいものだろうか?
前回「生徒会長続けて下さい」と嫌がらせのように言い捨ててしまったが、それでも未だ立候補していない事が全ての答えなのではないだろうか。…という事であまり乗り気にならない。ていうか気まずい。
「犬塚君って桐谷先輩の事どう思う?」
選択授業の教室移動時に突然振り返ってみると、犬塚君はビクッと肩を震わせて立ち止まった。
「うわ、いきなり止まんなや。危ないだろ」
今日もきゅるるんチワワだ。お目々がくりくりで頬っぺたもつやつやだ。咎める口調は男子のそれなのに、見た目は無骨さとは遠くかけ離れている。
「ごめんごめん。で、桐谷先輩って…」
「ていうかその質問も唐突だよな。なんでだよ」
「いやぁー…ふと、犬塚君は珍しく桐谷先輩に懐いてるなぁと思っただけだよ。ほら、犬塚君は初対面の人間にはとりあえず噛み付いてまわる習性あるじゃない」
ねーよ、と犬塚君はムスッとした顔をする。
いや噛み付いてたよ君。初対面の土屋君や猿河氏に頭突きかましてたのはどこの誰だ。
「まぁでも、桐谷先輩には恩があるしな。あとかっこいいな、あの人は。いつもキリッとしてて渋い」
かっこいいのか、犬塚君的には。私の中ではかわいいものに分類されていたのだけど。
犬塚君が桐谷先輩に対して好感情があるのなら味方に引き入れておこうと思ったのだ。さすがにまだ二人で会うのは気が重い。かといって猿河氏は絶対だめだ。そもそも先輩の事が苦手って言ってたし。沙耶ちゃんやハギっちも桐谷先輩を恐れているので無理だろう。
「じゃあ、ちょっと…」
そこで誰かの視線を感じて足を止めた。
同じクラスの女子だ。元気な子達のグループでハギっちとも仲が良かったはずだ。
「鬼丸?」
立ち止まった私につられて犬塚君も止まって此方を覗きこむ。そうだ、それはちょっとまずいかもしれない。
「…なんでもないや。私、教室に忘れ物したかも。先行ってて」
「あ、オイ…」
そうだった、迂闊だった。この時ばかりは猿河氏の話を聞いていて良かった。そうでなければ気づけなかったかもしれない。
困った、犬塚君も駄目だ。
◆
途方に暮れて、放課後執行部の周りをうろついてみる。
桐谷先輩にエンカウントしたいような怖いような。でも、花巻先輩は絶対このまま諦めたりなんかしたら許さないだろう。
…さっきからすごい勢いで携帯に着信があるが電源を切って対応している。今日は猿河氏に見つかるまでがタイムリミットだろう。
「えーと、君、生徒会に何か用?」
あまりに不審に滞留していたらしく生徒会役員らしき男子生徒に声をかけられた。
「きっ、桐谷先輩っていますか!?」
言ってしまった…。つい数ヶ月前の私なら、そんなこと言うのくらい簡単だったはずなのになんでこんなに一々ビビってしまうのか。
「いるよ。待ってて今呼ぶから」
「え、ちょ…あっ!」
当たり前だが私の心の準備が出来る時間もなく、桐谷先輩を呼びに行ってしまった。なんてことだ。心臓がえらい早さでばくばく拍動していて私死ぬんじゃないだろうか。
間も無くして、桐谷先輩が出てきた。
いつもの憮然とした表情が、視線が合うと心なしか目が見開かれた気がする。
「あの…桐谷先輩、少しお話が」
「そうか。ならば中に入るといい、僕も話がある」
桐谷先輩が私のブレザーの裾を軽く引っ張っていた。
「いやでも…」
「問題ない。今日はもう会議も終わったから」
桐谷先輩の言った通り「お疲れ様でしたー」と生徒が数人出て行った後は生徒会室はがらんどうになっていた。
密室…二人きり…。また妙に意識してしまって入るのを躊躇ってしまう。
「適当にかけてくれ。コーヒーは砂糖とミルク三つずつだったな?」
「いや、お構いなく。そんなに長居する気は…」
「ないのか?何か用事があるのか?」
「……ないですけど…」
どうすればいいのか分からない。
桐谷先輩はいつもと何ら変わらずマイペースで涼しい顔をしている。なんだか私一人で警戒しているようで自意識過剰な自分が恥ずかしい。
「桐谷先輩、まず最初に言っておきたい事があります」
うん、と桐谷先輩が振り返って紙コップに淹れたコーヒーをテーブルに置いて私の直ぐ前のパイプ椅子に座った。
「私の事を好きって言ったの、あれ取り消して下さい。そして今後一切、何があっても私の事を好きにならないって約束して下さい」
変な事を言っている自覚はある。
しかし、こうやって安全を確かめてからじゃないと前のようには仲良くできない。縋るような気持ちで私が言葉を吐き出したのに、桐谷先輩は眉ひとつ動かさなかった。
「それは出来ない。特に君に対して嘘をついたり誤魔化したりするのは、自分の信条に反するから」
即座にきっぱりと言い放つ桐谷先輩の意思は固くて、少なからずがっかりした。
「君が嫌がる事はしない。しかし、自分の気持ちを偽るのは嫌だ。君と親しくしたいと思うのも君の事が知りたいと思うのも真実だし、僕自身がそれを否定してはいけない気がする」
桐谷先輩の目は見れないけど、痛いほどの視線を感じた。誤魔化すように私はコーヒーを口に含んだ。
罵倒や悪意を含んだ言葉ならいい。けど、こういうのはなんていうか苦しい。妙にそわそわして落ち着かない。今もずっとこのまま逃げてしまいたい衝動に駆られている。
「私は嘘つきですよ。桐谷先輩の思っているような奴じゃないんです」
私が悪かったんだろうか。安易に友達になったり、味方のふりをしたから桐谷先輩を惑わせてしまったのか?
「それでは、本物の君はどんな人間だ?」
眼鏡の金具を掛け直す軽い音がした。相変わらずその視線を受け止められないでいる。
「すごい性格悪いんですよ。桐谷先輩の事を見下しているし、先輩が世間知らずなのを内心馬鹿にしてて」
「僕が世間知らずなのは確かだ。しかし、君に教えて貰った時に、嫌な気分になった事はない。笑ってくれた時には、少し気が楽になった事もある」
「いや、そういう問題じゃなくて…。私の心の問題で」
「君が僕の事をどう考えているかは、君の自由だ。僕が知り得るのは表面に出ている事だけで、実際に行なった事が君の人間的な評価なのではないだろうか?」
えっ…と言葉を失う。まさかそう返されるとは思ってなくて返事を頭の中で探す。どうにか桐谷先輩の意思を変えさせる強い言葉を。
「それに、僕が君の事を勘違いしているというのなら、また一から君の事を教えてくれればいい。認識が違うのならその都度言ってほしい、僕はそういう事を上手く読み取ってやれないようだから君にもっと本心を伝えてほしい」
「……」
「僕は君がどんな人間でも嫌いにならない。何を考えていてもそれをそのまま言ってくれた方がとても救われる」
例えば、桐谷先輩以外の誰かからそんな事を言われてもこんな風には心は揺れない。その言葉は絶対ではないと分かるから。けれど、この人の場合は一度そう言ったからにはそうなんだろう。
そういう人が一人いる、と思うとなんだか無性に苦しくなって胸が詰まる。
「そんなの…」
桐谷先輩の事を全然知らなきゃ良かった。だったらもっと次の言葉がつらつら出ただろう。
「何が難しい?君は無理して自分を偽らなくてもいいし、僕も君の事をきちんと理解してあげられる。両者において有益になっていると思うのだが、まだ何か問題があるだろうか?」
私は桐谷先輩のように、清く正しく真っ直ぐに生きてきたわけじゃない。大いにねじ曲がって歪んでいる。そんな事を言われても「嬉しい!良かった!これからは自分に正直に生きます!」とは出来ないのだ。
「あの…その…」
私が何を言っても全部、桐谷先輩に論破されて飲み込まれてしまう気がする。そんな包容力のある絶望。
「私は…」
言うべき事も決まっていないのに話そうとするから、しどろもどろになる。苦し紛れに顔をあげたら少しもぶれない真摯な顔が視界に入ってますます言葉が出ない。このまま、永遠に言い返せないかと思われたが。
「はい、ドーーーーーーン!!」
いきなり生徒会室のドアが開いて雰囲気も何もかもぶち壊して、猿河氏が乱入してきた。
全く怯む事なくつかつかと私達の方まで歩いてべらべらとマシンガンのようにまくし立てた。
「ハァ?なんですか、これ。生徒会長として全校生徒の模範である桐谷先輩が何でヒトの彼女を捕まえて放課後人気のない生徒会室に連れ込んでなにしてるんですか。NTR?まさか桐谷先輩、NTR属性持ち?やめてくださいよ、よりによってウチの子にそんな特殊性癖押し付けないで下さいよ」
「ねとり…?」
猿河氏は清純な桐谷先輩にあまり際どい情報を与えないでほしい。先輩が穢れてしまう。
「とりあえずこの子は連れていきますから。もう用事は済みましたよね?」
「まだだ。それに、君はまるで鬼丸君をあたかも自分の所有物かのように言っているがそれは違うと思う。交際しているからといって君には彼女の行動を制限する権利はない」
桐谷先輩は立ち上がり、珍しくやや厳しい口調で咎めた。強く睨め付けているような視線に、猿河氏は少し肩を竦めて軽く息を吐いた。
「ありますよ。あと、哀ちゃんも帰りたがってるとか考えないんですか?行くよね、ハニー?」
ばちっと目が合って、一瞬でアイコンタクトを取る。まるで猿河氏は私の今の心情を完全に見透かしているようだ。さては、乱入前にまた立ち聞きしていたな…。
「う、うん!ダーリン行こ♡」
このまま猿河氏と桐谷先輩が言い合いをはじめても困るし、猿河氏の話に乗った。桐谷先輩にも申し訳ないけど、今日は一旦仕切り直して出直した方がいい。
「また明日、話をしよう。待ってる」
それでも尚、桐谷先輩は少しもぶれない。
いや、無いですから。と代わりに猿河氏か答えて、そのまま氏に半ば抱えられながら生徒会室を後にした。
その後、腹いせに滅茶苦茶セクハラされた。




