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「聞いたわよー。なに、あんた達付き合ってるんだって?」
スナックパブ 富士子のママであるフジコちゃんに、店に入った途端にイジられて閉口した。猿河氏と一緒に遊びにきたら、やっぱり何か言われるだろうとは思ってたけど。
「違うんだよ、フジコちゃん…。これには深い訳が…」
そ?とフジコちゃんはわざとらしく目線を下げた。
いや、手は繋いでるけれども。違うから。これはただのポーズだから。猿河氏が言い出した恋人っぽいポーズ。ダーリンとハニーみたいなカップルごっこの延長上。
「分かったって。で、どっちから告ったのォ?」
「哀ちゃんから」
…そうだけど、そうじゃない。
恨みを込めて隣を睨め付けたが、猿河氏はどこ吹く風で全く悪びれない。
「あら〜。なんにしてもオメデト♡祝杯でもあげとく?」
「え、それは…」
「ホットココアで」
うん、それでいい…。
頷くと、フジコちゃんは秋も深まる今日この頃もスパンコールキラキラの際どいドレスを着て店の奥に戻っていった。
「…猿河氏」
「なに、ハニー?」
カウンターに並んで座り、猿河氏は右手で頬杖をつきながらもう片方の手で私の手を触っている。ずっと密着してたものだから、手のひらがかなりしっとりしている。
「ダーリン、私達の事あんまり人に言いふらさないでよ?また嫌がらせ受けるのとか、嫌だし」
「はぁ〜?てか、別に言いふらしてなんかないですけど。やめてくんない?あんたと付き合えて嬉しさの余り周囲に触れ回ってるように言うの。言われなくてもフジコちゃんとバカ犬しか言ってないから。それに今更みすみす哀ちゃんに手出しさせるとかあり得ないから。舐めないでくれる?」
「そ、そう…。ならいいけども」
「大体、そっちだって桐谷先輩に言いふらしたじゃん。大変だったんだよ。なんかすっごく……やめた。なんでもない」
「…?」
いつもは喋りすぎるほど喋る猿河氏が発言をためらうのも珍しい。なにかあったのだろうか。
「おまたー。んじゃ、二人の明るい未来を祝ってカンパーイ!おめでと〜」
私が桐谷先輩について何か聞き返そうとした時、丁度フジコちゃんが戻ってきたので聞きそびれた。
別におめでたい事は何一つないけど、フジコちゃんの盛り上げに乗せられてマグカップを少しあげた。みっつのコップの縁が当たった。
「で、もうヤッたの?」
「!?」
折角、美味しいココアを吹き出す所だった。
これだからオネエは。
「し、してないよ!するつもりもないから!」
え…と隣から声がしたが、知らない。
「大体、私達お互い好きなわけでもないんだからそこまで行かない。あくまでカップルごっこだから。いつ飽きて止めるか分からないし。それこそ今日や明日にでも変わるかもしれない」
「…チューはしてるのに。しかも濃いやつ」
負けない。隣からこれ見よがしにため息を吐かたが耐える。
「おっぱいは見せてくれるし揉ませてくれるのに」
「……」
「ぐりぐり押し付けても嫌がんないし、むしろ足絡ん」
「わーーーーーー!!ストップ!猿河氏、ダメ!言い過ぎだって」
あまりにデンジャーな事まで漏らすから、さすがにストップをかける。猿河氏は暫くお口チャックだよ。
フジコちゃんは微妙な顔でココアを一口飲んだ。
「…なんていうか、それで修ちゃんよく最後まで襲わないでいてあげてるね。えらい。なんか感動しちゃう…」
よく分からないがフジコちゃんが感動している。別に猿河氏は欲望のまま生きてると思うんだけど。
フジコちゃんのお店を出て、駅まで並んで歩いて帰る事になった。
今日の英語の小テストとかテレビドラマの話とか猿河氏の好きなプロレスの話とか、取り留めもない意味のない無駄話をしながら。猿河氏とそういう雑談をしてるとなんか気負わなくて楽だ。
手を出す時は容赦ないし言いたい放題言うけど、冗談が冗談で通じるしノリが全体的に軽いのでそんなに駆け引きとか考えないから普通に楽しい。猿河氏はどうかは知らないけど。
「あの人…」
「カッコいいよね。モデルとかかな」
しかし、猿河氏と街中を歩くと一番気になるのが、人の目線だ。
私もかなり慣れたので近頃はさほど意識していなかったが、猿河氏はやはり華がある。ビジュアルは完璧なのだ。
「おにーさん、今なんか用事ある?暇ならあたし達とちょっと遊ばない?」
逆ナンされているし。制服のスカートをすごくミニに改造してそれがすごく似合っている女子高生の二人組。他校生だ。しかも美人め。
「行かない。連れいるし」
猿河氏は私と繋いでる手を見せつけるように、軽くかかげて見せた。
え?それがカノジョ?みたいな目をあからさまに向けられる。まぁ、そうだろうな…。
「ああ、一人でいる時でも話かけないどいて。彼女といるのに声かけてくる無神経な人とはあんまり近付きたくないから」
シン…とその場が凍りついた音がした。
一転して真顔になってるJK二人を見て、かなり気まずくなり猿河氏を強引に引っ張った。
「ダ、ダーリン何言ってんのー。ほら、もう行こ。じゃあこれで〜どうもすいませーん」
勢い任せでその場を離脱した。
猿河氏は余裕で私なんか追い越せるくらい長いおみ足を持っているくせに、そのまま引っ張られている。重い…。
「そんな早くいかなくていいじゃん。別にあいつら追いついてこないんだし、ゆっくり行こうよ」
だらだらと後ろを付いてくる猿河氏が悠長な事を言っている。
「ゆっくりって、確か猿河氏逆方面でしょ。電車でも帰るの遅くなるよ」
気付けばもう18時半を過ぎている。辺りも薄暗くなっていた。帰る頃には真っ暗になっているに違いない。
「もうちょっとだけ。お願い」
「どうしたの?なんか私に用事でもあった?」
もう駅前のバス停で猿河氏が立ち止まったので私も振り返る。何か伝える事あったなら雑談なんかしてないで早く言えば良かったのに。
「イマジナリーフレンドって知ってる?」
「え?」
「子供の頃に作った架空の友達。なんでも言えるし分かってくれるこの世にいない自分だけの人間」
猿河氏が、なんでいきなりそんな話をするのだろうか。
「それが、ある日生きた人間になったらどうする?現実世界に完璧な自分の理想通りの相棒ができたら、哀ちゃんはそれに全て委ねる事ができる?」
私は、なんとなくゼロの事を思い出した。
ゼロは確かに私だけの、私にしか感知できない存在だ。私の事も知り尽くしている彼女の事。
もし、ゼロが生きた人間だったら。
「…私は、多分怖い。だってそんな、正体も分からないのに、空想上にいてくれてないと困る」
「なんで」
「私の事を知っているから」
「知ってたら、怖いんだ?なにか疚しい事でもあるの?」
「…あるよ」
猿河氏の明るい色の髪が薄暗い中でも輝いている。誰もが見惚れる王子様フェイスの猿河修司と、腕一本で繋がっているのが未だに不思議で仕方がない。
「僕もそう思ってた。いつか裏切られて、傷付けられて叩き潰されるって。隙を見せたら終わりだって。でも」
腕を急に引き寄せられてそのまま猿河氏に向かって倒れ込んだ。背中に暖かい掌が当たるのを感じた。
「なんか今は、そんなのどうでもいいから離れるのが、寂しい」
「さ、猿河氏…ちょっ…」
「ダーリンだよ、ハニー。ねぇ、キスしたい」
ぎゅー、と思いっきり抱きしめられている。相手の顎がどんどん首に食い込んでくる。全身全霊で身体中擦りつけられて、呼吸すら困難になる。
「だめだって、人前だから」
「じゃあ、哀ちゃん家に連れてって。朝まで一緒にいて、明日も一緒に学校行こ」
「…無理。ちょ、ほんと苦し…」
「また、この間のデートみたいなの、しよ?本当はもっと行きたい場所あるし、今度はもっとプラン練るし」
「や…あのね?」
「えっちもさせて。させてくれたら、きちんと後始末はするから。絶対、後悔させるような事はしないから」
「だから…」
「あと、他の男と今後一切仲良くしないで。なんかそういうの見てると心臓の奥の方がギュッってなって、苦しいから。あんたが思ってるよりずっと痛くて苦しいから」
耳元でボソボソと囁かれると、いつもと違うようでなんか妙な気持ちになる。困る。いくら恋人ごっこでも、ここまでされたら流石に私だって赤面してしまう。恥ずかしくて居た堪れない。猿河氏にとってはじゃれているつもりかもしれないけど、そういう事に慣れてない人間には非常に困る。
「…だめだって」
「そういうの、聞かない。『はい』か『うん』しか聞かない。そうじゃないとやだ。許さない」
「また駄々っ子モード全開なんだから…」
「修ちゃんまだ三歳だもん」
そんなでかい筋骨隆々な三歳児はいません。
でも、笑ってしまったので私の負けだ。
「分かった」
「マジ?いいの?」
「もう一本後のバス乗る。それまで待合所で一緒に話して待とう?」
「それって一緒に哀ちゃん家に行く的な…」
「それはない」
「だよね〜。…ま、いっか。無理だとは分かってたし」
パッ、とやっと私から体を離した猿河氏の目の白目部分が赤い。目の中にゴミでも入ったんだろうか。
「行こ。寒くなってきた」
いつもだったら必要以上に騒ぐはずなのに、猿河氏は目の不調など訴えず私の手を引いた。待合室で向かいかって座って、自販機で買った飲み物を飲んでくだらない話をした。
「フジコちゃんのココアの方が美味しい…。なんでだろ、愛情が入ってるからかな」
「オネエの愛がねぇ。どちらかというと怨念っぽい。知ってる?フジコちゃんの伝説。惚れた男が浮気したもんだから、そいつの尻を…」
「待って、猿河氏。その話グロいやつ?怖いやつ?気になるけど怖いんですけど」
「あはは」
「笑って誤魔化さない!」
とにかくとにかく、細心の注意を払ってバランスを崩さないように。
でないと、もうこんな風には気楽に話もできない。そんなの猿河氏だってとっくに分かっているだろうけど。




