[extra15 猿と雉その②]
この話だけ三人称です。
桐谷雪路は考えていた。
彼女は今頃何をしているのか。どういう気持ちでいるのか。誰といるのだろうか、とか。
彼女とは、友人である鬼丸哀の事である。
特に何か心当たりがないのに、「もう連絡しないでほしい」とまで言われてずっと気掛かりだった。
友人関係を解消するのは嫌だし、仲直りがしたい。せめて何が彼女を傷付けたか知りたいし、謝りたかった。このままにはしていられない。
意識して鬼丸のいそうな所をうろつくようにしていたが、姿が見えない。クラスを覗いてみても不在なようだった。
「鬼丸ですか?」
怯えずに目が合って近くまで来てくれたのは鬼丸のクラスメートの男子である犬塚はるかだけだった。
「あいつなら忌引きっすよ。お母さんが亡くなったとかで」
「本当か?」
桐谷はついカバンの中の携帯電話が頭に思い浮かんだ。電話に出てくれる確証なんてないのに。
「それは…鬼丸君は大丈夫だろうか」
なんとなく時々寂しそうな顔をしていたのはそういう事もあったのかもしれない、と桐谷は思い当たる。
「大丈夫だと、思います。多分今の所は。メシも食ってるしちゃんと寝てるし」
「?鬼丸君と連絡を取っているのか?」
えっ、と元々円らな目がさらに見開かれて犬塚が何故か慌てていた。彼がなぜ動揺しているのかは桐谷は知らないが。
「あ、いや、その…そうっすね。連絡っていうか…」
「そうか。君も鬼丸君と仲が良いものな」
桐谷雪路はあまり自分がそのことを歓迎していないのを、薄々自覚している。そう考えている自分が嫌だと思うので、それ以上の言及は避ける。顔にも出さない。
「えーと、何か急ぎの用事あるんなら伝えときますけど」
大丈夫だ、と答えると犬塚は礼儀正しくぺこりと一礼して教室に戻っていった。
◆
「先輩、ほんとに会長やらないんですか?俺、花巻先輩の下なんか嫌ですよ」
執行部の生徒からそう言われて引き止められるのは何回めだろうか。流石の桐谷も溜息を吐いた。
「まだ誰も立候補していないだろう。それに何か不満があるならば君がやるべきではないのか」
「…えっと、すいません。怒っています?」
急に背筋を正した後輩を見て、ああまた怖い顔をしていたのだと桐谷は気付いた。
「怒っていない。職員室で資料をコピーするから少し待っていてくれ」
そう言い残して、プリンターで印刷した原本を持ち廊下に出た。それほど急ぐべき案件ではないのだが少し居心地が良くなかった。
もう彼の中で意思は固まっているのに、それを周囲は認めてくれないのが歯がゆかった。生徒会の仕事が嫌いなわけではない。だが、自分がそれをする限り生徒会長として一線を置かれるのにはもう我慢ならない。そして残りの学校生活は運営にまわらずに自由に過ごしたかった。
(「生徒会長、続けて下さい。私、壇上に立つ桐谷先輩は凛としててすきですから」)
彼女にそう言われた時、なんだかとても悲しかった。
自由になればもっと一緒にいられる時間が増えると思っていた。彼女も喜んでくれると思った。しかし、実際は桐谷の思惑とは逆だったわけだ。
彼女と通じ合えなかったのが、予想外に寂しくて悲しい。
「…そこの君」
考え事をしながら歩いていると、目の前に明るい色が見えたので校則違反かと思って呼び止める。
「桐谷センパイじゃないっスか。どーも」
明るい髪色で背の高くがっしりとした体つきの男子生徒が立ち止まって振り返った。
「…ああ、君か。すまない間違えた」
桐谷の後輩にあたる猿河修司だった。そしてこの髪は地毛だから校則違反にはならない。その証拠に明らかに堀が深いし彼の目は複雑な緑のような色をしている。ただ、ワイシャツのボタンは開けすぎている気がしなくもないが。
「いーえ。桐谷先輩がぼーっとしてるなんて珍し」
「そうだ。君、鬼丸哀君と交際してるのは本当か?」
ずっと気にかかっていた事をこの際だからあまり熟孝しないで質問した。
いきなりの率直な質問を受けて、猿河は少し面食らった。
「えー、まぁ。そうですね、哀ちゃんから聞いたんですか?」
意外、と猿河は思った。鬼丸は面倒ごとになりそうだから絶対何が何でも隠したがってるように見えていたからだ。
「いつ頃から?」
「体育祭前ですねぇ。哀ちゃんから告白されて」
事実はもう少し違うのだが、猿河はそれを事細かに説明するほど親切丁寧な男ではなかった。
「鬼丸君から?」
確かに猿河君とは以前から親しくしているのは知っている。学校祭では何やら楽しげに追いかけっこをしていたのも見た。桐谷はまじまじと猿河修司を観察してみる。よく女子が猿河をかっこいいと噂しているのを聞いていた。はっきり目立つ顔立ちで各パーツのバランスが整っている、と桐谷は思った。身長も高くて運動神経もとても良いと聞いている。
「な、なんですか…そんなにジロジロと人の事…」
猿河はあまりに無遠慮な視線に思わずたじろいだ。猿河は桐谷が正直あまり得意じゃない。天然というか、穢れの知らない赤ん坊のような事を稀に仕出かしてそれに振り回される事がある。今回もそんな予感がしていた。
「君は、鬼丸君が好きなのか?」
「はぁ…?」
ぼとり、と猿河は手にしていたペットボトル(いろはす みかん味)を落とした。そしてそれに気付いてないくらいには、意識が目の前の人物が発した言葉に意識を持っていかれていた。
「…どうしてそんなに嫌そうな顔をする。好きではないなら付き合う必要は無いのではないだろう」
「そんなの、僕たちの話なんで桐谷先輩にとやかく言われる筋合いないんですけど」
露骨に迷惑そうな顔をしている猿河に、桐谷は全く怯まなかった。というか何故猿河がそのように言及を避けようとするのか理解出来なかった。
「僕は鬼丸君が好きだ」
「は?」
本当に「は?」としか感想しか猿河には浮かばなかった。いきなり何を言っているのだろうか、この人は。
「好きじゃないのなら、僕に譲ってくれないか」
ヒェッ…と猿河はつい小さく悲鳴をあげた。
いや、その理屈はおかしい。ああ嫌だ。こういう単純なようで読めない人間が一番苦手だ。
「いや、ないでしょ。モノとかのリサイクルじゃ無いんだから」
辛うじて笑ってみるも口の端が痛い。猿河はプライドが許すなら頭を抱えてこの厄介な先輩の対処法を考え込みたかった。
「君にとって彼女は必要か?…僕は、必要だ」
背中が痒い。恥ずかしい。居た堪れない。隠し立てしない心情を無理やり聞かされるなど、どんな羞恥プレイなのか。
「鬼丸君は僕の太陽だ」
(あんにゃろう…絶対先輩のこのストレートすぎる告白に耐えきれなくて逃げる為に僕を使ったな…)と、猿河は持ち前の勘の良さでほぼ正解を導き出した。猿河と鬼丸はなんだかんだで思考回路が似通っている所がある。まだ最初知り合って間もない頃、仲間だと称したのは鬼丸だ。
「好きなんだ。本当に、だから僕より彼女の事を大事に思っていない人物と結ばれるのは認めがたい。…嫌だ」
(ヒィイイイイ…!!)
そんな純真無垢な瞳で此方を見ないでくれ、と猿河は切に願った。
「猿河君」
「あ、すいません。僕そういえば教室に忘れ物あったんで帰りますね!じゃあ!」
にこにこと全力の営業スマイルを顔に貼り付けて猿河は猛ダッシュで逃げ出した。
桐谷は静かにその背中を見送ってから職員室に向かった。
◆
「ウラァアアアアアアアア!!」
猿河はこのなんともむず痒い恥ずかしくて気持ち悪いモヤモヤをなんとか発散したくて、わざわざ1-Bの教室までいて目に付いた犬塚を徐に一本背負いした。
「…っ痛てーーな!??なんなんだよお前はいきなり!ふざけんな!」
たまたま体育で柔道の授業があり、受け身の取り方が分かっていた犬塚は床に叩きつけられても負傷がなく済んだ。
「憂さ晴らしだ。バーカ!」
「んだとコラ。やるか、クソザル」
その20分後、1-Bのクラスで大乱闘が起きているとの報告を受けた重松先生に猿河も犬塚もこってり絞られたのだった。




