05:
うちの高校、三階の隅に自販機がある。
しかも教室がある棟とは真逆の位置に。なぜそこに…?という変な場所に設置され、日当たりは悪いわ教室から遠いわコーンポタージュがいつも売り切れてるわで人が使っている所を見たことがない。
今日まで。
「犬塚君」
「うわっ」
私がひょっこりと自販機と壁の間から顔を出すと、まんまと犬塚君が驚きの声をあげた。
「犬塚君、リポDっすか。疲れてる?大丈夫っすか?」
「大丈夫はお前の頭だ!何やってんだよ、そんな所で!いつもそこに挟まってんのかよ」
「いやだなぁ、犬塚君の待ち伏せのために決まってるじゃないか」
「帰れ」
いやです!とはっきり言い切り、犬塚君の反論を待たずに口を開く。
「ところで今日このように待ち伏せしたのは犬塚君にちょっとしたお願いがあったからなんですけど、聞いてもらえる?」
無言で、その愛くるしい目がつり上がっていく。唇はへの字に、眉間には二本皺が浮かび上がる。
「学祭のミスコン、クラス代表にでない?」
入学して知ったことなのだが、うちの学校のミスコンはミスコンテストではなくて、ミスターコンテストなのである。つまり、男子が女装し、その美しさを競うという大会なのである。完全に悪ノリとネタから生まれたイベントである。しかし優勝商品は豪華だし、学祭最優秀クラス加点ポイントも高いらしい。そのため、ミスコンはどのクラスもかなり気合を入れて優勝を目指しているらしいのだ。
「いやだ」
犬塚君の答えは予想を裏切ってくれなかった。返ってきた答えは一分の揺らぎもない拒否。
万が一にでも皆の前でやると決心するのが恥ずかしいだけかもと思って敢えて人気のない所で聞いたのだったがやっぱり駄目だったか…。しかし、一回断られただけで諦めるのは勿体ないではないか。
「いいじゃない、ちょっとくらいやってくれても。折角かわいい顔してるんだし〜」
ギラッとさらに鋭くなった眼光にとんだ失言だったことを知る。
「どいつもこいつも好き勝手言いやがって…可愛い可愛い言われて喜ぶ男がどこにいるんだよ。俺だって好きでこんな顔に生まれたわけじゃない!名前だって普通の男の名前が良かったわ!太郎とかよしおとか!」
早大声で一気にまくしたてたのち肩で息をする犬塚君と、自販機と壁の間に挟まって放心している私。改めて客観的に見るとなんというカオス空間。
「い、犬塚君、名前チョイスが少し微妙じゃない?」
うるっせぇ!と完全猛犬モードで怒鳴ってさっさと行ってしまおうとする。慌てて、その袖を掴んだ。
なんだよ、と不機嫌そうに横目だけ此方に向ける犬塚君に、えへぇと愛想笑いをしてみる。
「抜けなくなっちゃった…助けて…」
「はぁあっ!?」
実はさっきから脱出しようと試みているのだがビクともしない。いい感じに隙間にフィットしてしまったようで出られない。
なーん、意外と余裕じゃん。と何も考えないで入った過去の私をぶちのめしたい。
「お前はほんと馬鹿か!そんなんでよくここまで生きてこられたな!いつか馬鹿が原因で死ぬぞ!」「いだだだ…もっと優しくお願いー」「無理だ。お前は黙ってケツを引っ込めろ」「女の子にケツとか言わないでください…」
そんな会話をしながらぐいぐいと引っ張られ、あ゛ーとなんとも間抜けな悲鳴を廊下に響き渡らせながらやっと抜けたと思ったら休み時間の終わりを告げる予鈴がタイミングを見計らったように鳴った。
「…なんか疲れた」
「それは俺のセリフだ、ボケが!」
◆
犬塚君は顔と名前がコンプレックスなのかもしれない。そういえば彼には名前をからかわれて頭突きをかました過去があるし、可愛いと言われた日には一日中機嫌が悪そうだった。
しかし犬塚君の顔は整っているといえば整っているとも言えるし、むさ苦しいよりは愛くるしいほうがいいのでは?はるかだっていい名前だと思うけどなぁ。男子の視点から見ると嫌なんだろうか。
う~ん、と考えこみながら廊下を歩いていると誰かにぶつかった。
というか弾き飛ばされるといったほうが正しいのか。
ごろごろごろとあっけなく転がって尻餅をついて止まった。一瞬、何が起きたか分からずもしや異世界に…!?と思って周りを見渡して見たがそんなことはなかった。ばりばり現実世界だった。
「大丈夫?」
差し伸べられた手を見上げるとそこにいたのは金髪碧眼の王子様。
もとい、おとなりのクラスの猿河修司君。
同じ学校だし、同学年だし、学校で会うのは当たり前かもしれないのだが、この前の自転車といい今日といい有名人に会って話すとか珍しい。
「ごめんね、俺たちが場所取っててぶつかっちゃったんだよね。立てる?」
「あ、はい…」
そのまま猿河君の手を借りて立ち上がろうとした瞬間、強烈な寒気に襲われて身震いした。
視線が痛い。視線が…。
猿河君の後ろに控える女子達の視線が。というか私がぶつかったのは彼女達のはずだ。な、なにか喋ったほうがいいのか。
「あぁ、そういえば君前にも会ったよね」
しかし、先に喋ったのは猿河君だった。
にこにことした邪気のない顔に怒ることは私にはできなかった。
「あ…あの、自転車ありがとうございました。本当に助かりました」
猿河君に頭を下げた。借りた自転車は翌日元の場所に置いておいたので、今日まで猿河君に会っておらず会いにいくにもお付きの親衛隊?の人たちが怖くて近づけなかった。いい機会なのでお礼を言う。
「チワワ君には追いつけた?」
「あ、はい。おかげさまで…」
その先を言う前に座ったままの私の傍に影がさす。
「修司、その子の事は私たちが見るから先に教室戻ってたらどう?」
にっこりとショートヘアの眼鏡をかけた女子が微笑みを浮かべて不意に私たちの間に立っていた。
「え?別に急いでもないし」
「次、選択授業じゃん。急がないといい席なくなっちゃうよ」
小首を傾げる猿河君に隣にいた女子がその腕に抱きついた。そこで動揺もせず「そうだっけ」と返す猿河君もなかなかにモテ男スキルが高い。
「じゃあ、また今度ね」
最後まで猿河君は爽やかでかつ美しかった。そして、王子スマイルがこんなにも憎らしく思ったのは初めてだった。
ちらりと隣に立った女子に目配せすると、もうそこから微笑は消えて虫けらを見るような目で私を見下ろしていた。私と彼女、その二人だけが空間に取り残され、胃が急にキリキリと痛み出す。
「私は、猿河修司を草葉の陰から愛でる会会長の一年の杉田です」
「は、はぁ…」
親衛隊ってやつか。話にはきいていたけど、こんな風に直接対峙して話す日が来るとは思ってもみなかった。しかし草葉の陰から愛でる会って、すごい名前だな。
それにしても会長が同級生だったとは。
「どういうつもりですか。あんな風に大袈裟に転んでみせたり、自転車を借りたりして猿河君の気を引こうとして」
びしっと目の前に向けられた人差し指に、驚いてそろそろと立ち上がろうとしていたのを止めてしまった。まさに私の目玉をそのまま突き刺そうかという至近距離にごくりと生唾を飲み干す。
「いや、あれはワザととかじゃなく本当に転けて…。自転車も偶然で」
「まったく困ります。あなたのような身の程知らずが多いんです、最近。修司は優しいから皆それで勘違いしてしまうんですよね」
「は、はぁ…」
「修司は誰かのものにはなりません。私たち、いえ、ひいては皆のものなんです。だから個人的に話すとかもっての他!しかもあなたに至ってはしつこく二回も接触した。今回の件は制裁に値します」
「せ、制裁?!」
あまりに物騒な単語に声が裏返ってしまった。
まさか、そんなことで…。ていうか何をするんだ、制裁。痛いのはなるべくなら避けたい。
「わ、私っ本当に下心とか、別に何にもなくてっ!ご、ごめんなさぁい!」
「何?離しなさい!気持ち悪い」
ひしっと足に縋り付く私を振り落とそうとする杉田会長。離すもんか!不問になるまで離すつもりはないですから!
私の必死の無実アピール?が功を奏したのか見事に「もういいですから、特別に許します」とのお言葉をいただいてやっと私は立ち上がることができた。
「では以後、猿河修司に近付かないこと。もし個人的に用があるなら私達に言うように、責任を持って修司に伝えるので」
眼鏡をきりっっと上げて会長は高らかに言い上げる。その勢いに圧倒されコクコクと頷いてしまった。制裁とか嫌だし、親衛隊に限らず人気者の猿河君にちょっかいを出したらそれこそタダではすまないだろう。
◆
そんな一件もあり、猿河君に近づかないようにしていた。
隣のクラスだしたまに見かけるくらいはするが、いつも女子に囲まれているし個人的に会うのは本当に皆無である。警戒する必要もなかったのかもしれない。
「王子、学祭実行委員やってるんだって」
沙耶ちゃんからその話を聞いたのは、最後に猿河君に会ってから二週間以上経ってからだった。
「へぇー」
DSの画面をタッチペンで叩きながら、相槌を打つ。意外といえば意外だが、あの人の良さそうな猿河君ならやるかもしれない。
「あーあ、そんなんだったら私も委員になれば良かったー」
「でも親衛隊とか恐くない?変に会話とかしちゃったらさぁ」
「あー親衛隊ね。あの痛い人達」
「い…⁈」
ズバッといきなり毒舌かます沙耶ちゃんの言葉につい顔を上げた。余所見したせいでゲームオーバーした音が機器から聞こえた。
「結構他の女子達とトラブルになってるらしいよ。ほんと猿河君も迷惑だよね」
「そうなんだ…」
それは確かにトラブルも起きかねないのかもしれない。全然草葉の陰に隠れてなかったもの。
「大体なんなのよ、猿河君は私達のものって。それで近付く女子は排除、いつも周りを親衛隊メンバーで固めて、男女構わず話すのにも許可が必要だとか何様」
「そ、それは…」
やり過ぎではないだろうか。うん。
「正直、皆ジャマだって思ってるんじゃないかな。もしかしたら猿河君も」
あの聖人猿河王子に限ってそんなことはないだろうけど、そんなに周りの不満を買っているなら心配だ。大事にならなきゃいいけどなぁ。
「自習だからって、喋ってんなよー」
不意に教室の後ろの戸から中年体育教師こと重じいが入ってきて、沙耶ちゃんが「やべっ」と言いながら自分の席に戻っていった。
私も慌てて机を片付けたが、何故か重じいは何の迷いもなく私の机の横まで来やがってくれた。
「おい、鬼丸。今何仕舞った?」
腕を組んで、今は必要ないだろう出席簿でしきりに左手の肘を叩いている。煙草くさい青ジャージはさっきまで喫煙所にいた証拠に違いない。重じいだって自習教室の監督サボってたじゃないか。
「……電子辞書です」
「ほー、じゃあだして見ろ」
頼むバレないでくれという願いも虚しく、私のDSは重じいの手により没収された。
いや、悪いのは私ですよ。
英語の授業が自習なのをいいことにゲームしていた私が悪いのは分かってるんです。
にしてもだ、重じいは私に個人的な恨みでもあるのかと。
別に音だってごく小さくしてたし、周りに迷惑をかけてはなかったはずだ。携帯弄ってる人もいたし、iPodで音楽聞いてる人もいた。
その中から何故私だけが見せしめになったのか…。
見逃してくれたっていいじゃないか。見なかったことにしてくれていいだろう。
「反省したか?」
「…ハイ」
まさかの2時間。IN 職員室。
放課後になり、重じいにDS返してもらいに職員室に行った。そこでまず重じいが「学校とはなんだ」と哲学者みたいなことを言い出し、そこからくどくどと一時間。その間しおらしく俯いて「ええ…まぁ、はい…」と相槌を打ち続け、段々瞼が重くなり、寝た所に重じいの拳骨が頭に落ち、説教プラス一時間。
こうしてようやく、私の手の中にDSが戻ってきた。
もう時間も5時を過ぎている。
ちらほら帰ったり、部活に行った先生方もいる。
疲れ切って「はぁ〜」と溜息を吐いたのが多分ダメだったんだと思う。
目を上げたら重じいと目が合った。
にやり、と白髪混じりの無精髭が生えた口元をゆがませた重じいに嫌な予感。
「鬼丸、なんか物足りない顔してるな」
「いや、そんなこと無いすよ…」
慌てて首を振ったが重じいはまだにやにやしていた。
「そうか、そうか。それなら会議室の鍵閉めてもらおうかな。俺、これからサッカー部行かなきゃいけないんだよ」
「えぇ…」
そんな訳でほとんど押し付けられる形で、会議室の施錠を押し付けられた。会議室の管理者は重じいで、それを私が施錠しなきゃいけない理由はない。しかし、説教された私に拒否権はない。ひどい話である。
こうして、私は会議室に向かうことになってしまった。
まぁ、いいけど。
どうせ家に帰るのなんていつでもいい。いっそ帰らなくても誰一人心配などしない。できるはずない。
職員室からさほど遠くない位置にある会議室は人っ子一人おらず、そのまま鍵をかけようがテーブルの上に何かが置いてあるのが見えた。
シャンパンゴールドのカバーのそれは、スマホである。
「誰かの忘れ物?」
誰だ、こんな所に。不用心な奴だ。
ここに忘れた事は気付いているのだろうか。どうやって持ち主に渡したらいいのだろう。名前が分かれば顔の広いハギっちに聞いて直接渡してあげられるかもしれない。
そう思って、悪いと思いつつ起動してみる。名前さえ分かればよい。
「あ、暗証番号ある…うぅ、わかんないから取り敢えず、い・い・く・に・つ・く・ろう・鎌倉幕府〜っと、あ…」
解除できちゃった。
適当に思い付いた番号がまさか当たるとはまさか思いもつかなかった。ていうか益々不用心だな。意味のある数字をパスワードとかに使っちゃいけないんだぞ。今回開けたのはありがたいけど。
「あ、あれ?」
全然機種の違う携帯を弄るのは難しい。
うっかり画像フォルダを開いてしまって、閉じようとした時、つい手が止まる。
これは…。
「猿河君?」
猿川修司の画像が。
それは綺麗に取れている。他の画像も確認してみると何故か猿河君ばっかり。それ以外の写真が見当たらない。
じゃあ、この携帯は王子のファンの?親衛隊の?
それにしても画面の中の猿河君は一点の曇りなどない完璧な美少年なんだけど、なんていうかキメ顔?そしてこの違和感の残る撮影アングル。
そう、まるで自撮り写真みたいな…
「…!」
ふいに、バン!と勢い良くドアが開いた。
入ってきた人はつかつかと此方に歩み寄り、私の目の前に止まる。
きらりと光るエメラルドの虹彩。
いつもは柔らかな笑みを浮かべているのに、なぜか人形のように造りモノめいた硬質な表情に背中の奥がざわつく。
声を発する暇もない。何が起こっているのかもよく分からない。
取られた腕はそのまま捻られ持ち上げられ、悲鳴も出せないまま苦しさに屈むしかない。
ダレ。
コノ人ハ、ダレ。
姿形は王子だ。
夕日に煌めく金の髪に、緑の目、白い肌、いい匂いのする、優しく朗らかな雰囲気の人。
でもおかしい。そんなことをする人ではないはずだ。
終始、その人は私の手からスマートフォンを奪う。
少し間が空いて、やがて軽やかにしかし低く嗤う声がした。
おんなじ爽やかな声で。
「あのさ、他人の携帯を勝手に見るとかひどくない?」
爽やかなのにひどく冷徹な響きをもつ。ぶるりと体が震えた。恐怖で寒気がした。
「ご、ごめ…」
「あーあ、見ちゃったんだ。へぇえ、そう…」
あくまで明るく、しかし遮られた言葉に強い感情が込められている気がした。
「さ、猿河く…」
ふと身体を離されてやっと上体を起こす。
対峙した人物はとてもよく猿河君に似ている。まるで双子。
今はまだそうだと信じたい。
この黒い禍々しいオーラを放つ男子があの聖人王子と同一人物だと認めたくない。
ど、どういうこと…。
「残念だよ、非常に残念」
くすくすと笑いながら私のネクタイに手をかける。
そして、何のためらいもなさそうにそれを持ち上げるから当然私の首も持っていかれる。
「あんたみたいな好奇心を制御の出来ない豚に教えてあげる」
豚?!と思ったけれど息が苦しくて痛くてそれどころじゃない。
額同士がくっつきそうな距離に顔を寄せて、目を細めるが既に彼は笑ってはない。
「人の秘密を暴いたらどんな目にあうのか」
結構です、という言葉は喉の奥に堕ちていく。
声も出すことが叶わないほど強い力に恐怖で体ががくがく小刻みに揺れてしまう。
わからない。なんで。これはいったい。
頭の回線は繋がらない。頭上の豆電球は停電中。
猿河修司くん。
あなたは一体なんなのですか。
もしかして今までの全部嘘だとか仰るのなら、まぁなんて膨大で完璧な猫なんでしょうか。
そしてそれを見つけてしまった私はなんて不運なんだろう。