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「なーん、ここにいたの?探したんだけど」
突然後ろからがばっと両手でホールドされて、やはり予想通り猿河修司氏だった。
今日も憎らしいほどつやつやのてかてかでどこぞの王子様みたいにクッソ綺麗な顔をしている。
「そういう甘えったれな声で話しかけないで下さい。私、今は猿河氏と敵同士なんで…」
わざわざ猿河氏から逃れる為に人気のない雑木林側まで来たのに、どうやって探し出したのか。
やはり自分のクラスに行くべきだったか。しかし、私がいると犬塚君は確実に好奇の視線に晒されかわいそうな事になるだろうと思った判断も間違ってはないと思う。
「昼休みだしそういうのいいじゃん。というか僕別に今回は目的も無いし自由だから普通に流してるし」
猿河氏は確かに学校祭とうって変わってあまり目立ってはいない。いや、存在感の塊のような人なので競技になれば否応なしにちらちら視界にうつってくるのだけど。だけどその類稀な身体能力の割には話題性のある成果は出していない。女子も猿河氏にはあまり食いついておらずまるで氏が見えていないよう静か。
例の猿川事変から一週間以上経ち、それで氏が凹んでいるようには見えずケロッとしている。まぁ、猿河氏の事だから何が本当で嘘なのか一概に言えないかもしれないが。
「ていうか猿河氏、手。手。公衆の面前でセクハラしてこないで下さいませ」
当たり前のようにジャージの下に潜り込んで来ようとする手を有無を言わさず引っ張り出した。だからと言って私のお腹の肉を鷲掴みしてもいけない。
「いいから、猿河氏はどっか行ってよ。私この後招集かかるから早くご飯食べなきゃいけないんだって」
「えー。うそーん」
とか言いつつ何故私のお弁当を勝手に開けないで下さい。奪還しようと手を伸ばすのも虚しくお弁当箱は開かれ、色とりどりのおかずが外気に晒されてしまう。
「うわ。何、手作り…てかこれもしかして仮面ファイター?嘘、哀ちゃんの癖にキャラ弁当なんて作れんの?」
「えっ…いやその…」
犬塚君…!そりゃあ、余り物でもいいとか言ったよ?でも中身まで弟の輝君達のお弁当と同一にする事ないじゃないですか!?めちゃめちゃクオリティ高いし。
「哀ちゃん分かった。あのバカ犬のだね。これは責任持って捨てるよ。可燃ゴミでいいかな」
真顔になって一体何を言っているんですか。
しかも犬塚君が作ったのを何故か一発で言い当てたのが怖い。なんだよその勘の鋭さ…。
「捨てないよ、食べるよ!!猿河氏ちょっともううるさいよ、私は超お腹すいてんだからね!これ取り上げられたら猿河氏を食べちゃうレベルだよ!バリバリと踊り喰いしてやるから」
「せめて美味しく召し上がってね…」
よよよ、とわざとらしく泣き真似しながら猿河氏はチラッと割れた腹部をしきりに見せつけてきた。鬱陶しかったので全部無視してお弁当を黙々と平らげた。
そうしたら猿河氏の機嫌が悪くなったのだ。
なんでだよ。今の流れでスルー以外の解答なんかある!?
不貞腐れてへの字口で三角座りされても困る。私に一体どうしろというのだ。
「あっそう…。哀ちゃんは僕より糞チワワ手製の弁当を取るんだ。へー。ふーん。ああそうなんだー」
「いやだってお腹すいてたし。猿河氏もなんか食べないと体もたないよ」
猿河氏はいかにも基礎代謝高そうな身体をしているのにあまり人前でものを沢山食べない。そういう部分はほんと意識高い。
「僕は哀ちゃんといると割と胸いっぱいなんですけど」
「そういう戯言をいえる元気があれば大丈夫だね。じゃあ、私行くから」
そのまま放置して自分のクラスまで戻ったのが多分いけなかったんだろう。
こっそり振り返ったら、そこからさらに四つん這いになったまま微動だにしていなかった。見てはいけないものを見てしまったと思って走って逃げた。それが多分、ダメ押しになった。
午後からの競技は全校対抗の騎馬戦である。
男子のみ参加競技で、トーナメント方式で初戦が猿河氏とのC組とだった。
「…なんだ?あのパツキンゴリラ気色悪っ…」
敵陣で妙にニコニコしてる猿河氏を指差して、犬塚君が怪訝な顔をしていた。
そういう犬塚君は頭にハチマキを巻いて裾を捲ったTシャツ短パンの出で立ちをしているとなんていうかその……。
「うわ。なんかここに小学生が混じってるんだけど」
ああーーっ、言っちゃったーー!
猿河氏は試合前クラスの最終会議時間である事も構わず犬塚君に歩み寄りニコニコ顔を崩さないまま憎まれ口を叩いた。
「ほんとに高校生?どう見たって、どこに出しても恥ずかしいショタじゃん。何このツルツルの腕。これ絶対下の毛も…」
「あ”ぁ”!?」
怒りに任せた犬塚君の頭突きをさらりと躱して、猿河氏はおもむろに応援席にいた此方の方を振り向いて「おーい!」と手を挙げた。
「今からこのバカ犬が惨めたらしく吠え面かくから絶対見逃さないでね!あとこの勝負に僕が勝ったら犬塚に接触禁止ね!」
猿河氏……。
もうなんかそんな事を叫ばれて、一体私はどんな顔すればいいのか。一気に私が周囲の人の注目の的となってしまったわけだが。
てか、絶対わざとだろ…猿河コノヤロー…。
復讐のつもりか?確実にそう。めっちゃニッコニコしてるもの。猿河氏は怒っていると笑うタイプなのだ。
『各クラス所定の位置について下さい』
そのアナウンスでひとまず猿河氏が引き下がったが安心など全く出来ない。
両陣口上を言い交わし、ピストルの合図で競技が開始した。
予想通り猿河氏は一番前の馬役で犬塚君は騎手だった。しかも二人とも大将騎だった。そこでまず嫌な予感がした。
大将のタスキが取られるとかなりの点数が取られる為勝負の終盤までは動かないのが常識。
だがしかし、C組は大将自ら最前線に突っ込んできた。作戦、というわけではないようだ。猿河氏の上に乗ってる人はめちゃくちゃテンパってるみたいだし、後ろ二人の馬役はあまりの勢いについて行けず脱落して離脱してしまっている。実質、猿河氏一人で騎手の男子を丸々背負っているのだがそれが全く重そうに見えない。むしろ身軽になってスピード感が増したように見える。攻撃も騎手まで手が伸びる前に周りを力技でなぎ倒していくからまるで暴れ馬。しかし誰も188センチの巨体を止められない。
それを見ると、やっぱり猿河氏は今までの体育祭競技は全部適当に流していたんだなと思った。ここに来て奴が本気をだしたらやばいという事が判明したわけだが、もうなすすべなく勝負の行方をB組とC組の女子で固唾を飲んで見守るしかなかった。黄色い歓声をあげている暇もなかった。
猿河氏の単騎はすぐに、犬塚君が騎手のB組の大将騎に対峙した。
全く勢い衰えずぶつかってくる猿河氏に、よろめくがバランスをうまく取りながらチャンスを伺うほど犬塚君は意外と落ち着いていた。何度か互いのタスキに手がかかり、C組の大将が落馬しそうになったりなどいい勝負をしていた。
「攻めの猿河…守りの犬塚…」
私の隣で沙耶ちゃんがそんな事をぽつりと呟いた。確かにそうかもしれない。性格的にも。座布団一枚だよ、沙耶ちゃん。
いい加減痺れを切らした猿河氏が、思うままにならない騎手を飛び道具のようにぶん回し出した頃から競技が変わってきた。
犬塚君はそれを見て逃げずむしろ迎え討つかたちに向き直った。
「死ねぇええええ!猿河ああああ!!」
C組騎手の頭突き(というか殆ど接触事故)が犬塚君の顔面に入ったのと、犬塚君の足蹴りが猿河氏の同じく顔面に入ったタイミングは奇しくも全く同じだった。
こんなに綺麗に決まったカウンター見たことがない。両騎は同時に崩れ落ちた。
勝敗の結果は、2クラスとも相手の身体への攻撃をあからさまに行った為ルール違反により引き分け。見事に初戦敗退となった。
「へへ…猿河を蹴り倒してやったぞ…」
目を回してテントで休んでいる犬塚君だけ優越感にひたっていたようだったので、結果どうなったか伝えるのは非常に忍びなかった。
猿河氏の反応?そんなの怖くて確認できるわけないじゃないか。猿河氏の上に乗ってた男子はマジでかわいそうだと思いました。




