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「たーーすーーーけーーーーてーーーー!!!」
声が枯れるほど叫んでみるが、THE☆静寂。
既に水も通ってないトイレはほとんど無音で黙っていると気が狂いそうになる。警備員さんすら来た気配がない。
端的に言うと怖い。
トイレといえば怪談じゃないか。花子さん云々とか。
ただでさえこの不気味なボロトイレ、どう考えても出る。幽霊的なものが。
「いやああああああああ!」
なんか壁の隙間から異様に冷たい風が吹き込んだ気がして一人で飛び上がった。別に何がいたわけじゃないけど。
私は、そういうお化けとか心霊系が一番無理。尋常じゃなく無理。そんな場所に一晩いるなんて耐えられない。
鳥目な私は、どんどん視界が不明瞭になっていくのに怯えるばかりで。暗闇の恐怖の中でただ黙って助けを待っているなど出来なくてずっと叫び続けている。ドアもひたすら叩き続けている。
こんな事ってない。私のやった事に対してこの対価はあまりに重すぎないだろうか。私そんな悪い事しましたか!?神様!
私はただ猿河氏を嵌めるべくちょっとだけすけべな事しただけなのに。ていうか、なんで私だけ?神様、如月さんにもどうか天罰を!
祈ったところで、何も変わる訳なかった。
絶対絶命とはこの事だ。気付けばあまりの恐怖に目と鼻から大量の汁が噴出していた。恐らく体内の水分の30%くらいは出ている。
この際、誰でもいい。誰かこの状況から救い出してほしい。
犬塚君。杉田さん。沙耶ちゃん。ハギっち。土屋君。佐伯くん。桐谷先輩。花巻先輩。フジコちゃん。如月さん。頭に思いつく限りの友人知人の名前を叫んだ。けれどその誰も来てくれる事はなく、最後に一人だけ残った名前だけ乱暴に呼んだ。
「この際、猿河氏でもいいから!助けてよ!お願いだから!」
その瞬間、ドカッとかバキッとかいうような大きな硬い音がして私はひっくり返った。
驚いたわけじゃない。ドアが私の方に倒れてきたのだ。
「無事?」
けろっとした声で私の手を取る相手を見て、相変わらず薄暗くてよく見えないんだけど、やはりどう考えても間違えようはない。
「さ、猿河氏…」
いざ実際に来られてみるとなんだか愕然とする。本当に来ちゃったよ。
「いつからここに…?」
一体なぜ氏が私を見つけるに至ったのか全く見当もつかない。
「杉田さんからあんたと連絡取れないって教えてくれるまで学校中探してたの!この僕が!わざわざ!」
半ギレでそのまま私の体を引き上げて、上のジャージをひん剥かれたと思ったら制服のブレザーらしきものをかけられた。
「そしたらなんか、『この際だから』だとか『でもいい』とかすごい聞き捨てならない言葉言われて、でも、一応ギリギリ名前呼ばれたから助けてあげたよ!何なの?!僕、割と今回頑張ったんだけど!?」
「あ…それは、ゴメン…」
ていうかもしかして、発見して暫く私の必死のSOS聞きながら待機していたの?自分の名前が出てくるまで?早く助けてよ。
ちなみにドアは苛立ちに任せて押し込んだら金具ごと外れたようだ。猿河氏は何。ゴリラなのかな?
「………………………ありがとう、ございます………とりあえず。」
色々と遺憾に思う所はあるが、なんだかんだで助けてくれたのは猿河氏なのだ。感謝しなければなるまい。
「素直じゃないね。でも、そういう哀ちゃんが曲がりなりにも僕に救いを求めてきたんだから、僕だってそれなりに真面目に対応してあげるよ」
見上げてみても暗くて、いつも眩い猿河氏の顔が見えない。蛍光灯が全部外されている、と氏が教えてくれた。
「今から24時間限定で、君だけのヒーローになってあげる」
勿体ぶって耳の中を嬲るように囁かれた声がこそばゆくて、素っ頓狂な悲鳴をあげて体を捩ってしまった。
◆
そして、朝が来た。
普通に家に帰って寝たが、昨日の猿河氏の発言が気になりすぎてよく眠れなかった。しかも喉が痛い。昨日叫びすぎたせいだ。
「今から24時間」と言ってたけど、もう既にとっくに12時間は経過している件。いや、まぁ良いんだけどさ。
学校に来てまず目を剥いた。例の隠し撮りがでかでかと拡大コピーされて、掲示されていたのだ。
今更遅いかもしれないが、既にできている人集りを掻き分けて「なんでぇええ!?」と言いながら撤去した。なんで流出してるの、アレが!如月さん!?
わたわたしていると、私の二本のお下げを両方とも引っ張られて後ろに倒れた。背中打った。
「どういうつもり?何、あんた懲りずにまた見せつけてきたの」
昨日の怖い先輩達だった。思わずガクブルしながら首を横に振った。そんな度胸が私にあるように見えるというのか。
「違…私じゃ…」
こういう時に限って声が張れない。みっともなく震えてしまう。
振り上げられた手は、しかし、一向に降りてこなかった。
私の目の前で紅いものが翻って揺れた。
それは大きなマントで………マント…?
私は学校祭の事を思い出していた。
あれは凄かった。派手な特撮の衣装を着こなし、演技も完コピに近かった。また拝める日が来るとは思わなかった。
今日はあの時とは違う、黒い衣装だ。私は知っている。それが何かを。
「咲き誇る薔薇も今宵の私の美しさには劣るだろう。漆黒の聖騎士ダークネス涼、参上!」
やっちゃったああああああああ!!!と私は廊下の床を転げ回りたい衝動に駆られた。
今、猿河氏がしているのは大人気テレビ放送中の仮面ファイターのコスプレだ。細かく言うと主役のライバル的立ち位置かつ私の推しであるダークネス様のコスプレだ。
「なんていう事だ。私の気まぐれで君たちのような子羊ちゃん達を傷つけてしまったんだね」
気障な台詞を吐きながら、原作を忠実に再現したオーバーなアクションで私を背にして肩肘をついた。
上手い。しかも似合っている。
しかし、なぜこの状況下でコスプレを徐に?理解に苦しむ…けど、とりあえず自分用にスマホで録画を開始した。それくらい完成度が高かった。なんせ推しだし。
「美しさは罪…。いくら数多の乙女が私を求めようが、私は一人…。貴女のもとへ行けない今はこの薔薇を私だと思って貰えませんか」
そうしていつから仕込んでいたか不明な、一輪の生の薔薇を彼女達へ向けた。
ダークネス涼はナルシストで女性に弱い設定なのだ。決して笑ってはいけない。
差し出したままの薔薇はいつまで経っても受け取られずに、床にぽろりと落ちた。
そこにいた恐らく私以外の誰もがドン引きしていた。私だって思った。学校祭を盛り上げようとしたなら分かる。それを今日は、一体なぜこの場でそのような際物の真似事なんかしだしたのか。
ヲタク文化に拒否反応を示すようなタイプの人間なんかは、露骨に気持ち悪そうな顔をしているのもいる。
そんな訳で猿河氏は、今日をもって学校のアイドル→ただの変人へクラスチェンジしてしまった…。
岩清水さんが私に抗議してきたのは、それから間もなくの事だった。
「鬼丸のせいなんでしょ!?あんたがそうするように誑かしたんじゃない」
私を強く揺すりかけようとして、杉田さんと猿河氏に止められた。そしてそのまま彼の腰にしがみついた。
戒律の厳しかった親衛隊ではあり得なかった光景だ。意外にも猿河氏はさせたいようにさせてやっているようだった。
「嘘。だって修司は王子様なんだから…私だけの…。そんな変な人なわけない」
僕は変態なんだ、と猿河氏は淡々とトドメをさした。岩清水さんは啜り泣いていた。
私の水着を割いた犯人は岩清水さんだった。それに対して私は良かったとも悪かったとも判断できなかった。ただ悲しくはあった。
「それに僕は僕だけのものだし。1秒たりとも君たちの為に格好付けてた事はないよ」
今まで散々被ってきた化けの皮をここにきて一気に剥がしにかかってきた猿河氏の心情は分からない。杉田さんはあまり話さなかった。言葉に出さない彼女の気持ちすら他人である私には理解が及ばない。けど、彼女は少しスッキリした顔をしていた。
◆
私は怖かった。
とんでもない事を猿河氏にさせてしまったようで、あまりに何もかも変わってしまって怖かった。他人の大事なものを壊したようで罪悪感がいっぱいだった。
「猿河氏、ごめん…」
まさかこんな選択を猿河氏が選ぶとは全く思ってなかった。自ら恥をかくような事するなんて、普段の猿河氏なら考えられない。
あれで間違いなく猿河氏の人気はガタ落ちだろう。むしろこれから嫌われ者に転じるかもしれない。
「は?なんで謝られなきゃいけないわけ?お礼ならまだしも」
泣き過ぎて動けなくなった岩清水さんを保健室に運んで、猿河氏といつもの理科室にいた。1時間目はサボる事にした。
「そうは言っても」
「全部が全部、あんたの為にやったわけじゃないよ。愛想を振りまくのも疲れたんだよね。それに対して見返り少ない気がするし」
「見返りって…」
「僕がいかに気持ちよくなれるか。最近、なんか別に大勢に好かれるのって楽しくないなって思ってただけ。それより、誰に邪魔される事なく好きな事を好きなだけしたくなったから」
猿河氏の器が狭いのか大きいのか分からない。私が思うより猿河氏は食えないやつなのは分かった。
「で?」
猿河氏は頬杖をつきながら、横目で私の顔をのぞきこんできた。
「……で?…とは?」
何かを要求しているような猿河氏だったが、危機感をおぼえて知らないふりをした。
猿河氏は「ふーん」と答えて暫く無言だったが、やがて立ち上がって一人で理科室を出て行った。
「ま、いいや。また放課後ね」
それだけ言い残して。




