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04:

「えー、なになに?はるか君の彼女?ねぇねぇなに子ちゃんっていうの?」


犬塚君のお母さんらしき人は、さっきから私の前にしゃがみこみ、とろんと蕩けた笑みを浮かべる。それから、おもむろに人差し指で頬をつんつん突っつかれてどう反応していいか分からず固まってしまう。


「あ、あの彼女とかじゃなくて…私は犬塚君の同級生の、鬼丸哀です」


至近距離で見ると、やっぱり犬塚君や双子と瓜ふたつの実に愛らしい顔で確かに血縁関係があるのだと分かる。この人こそ、グレートマザー。あのチワワ顔遺伝子の母体。なるほど、この人のキャラなら実にしっくりする顔立ちかもしれない。

丸まったチョコレート色の前髪、可愛らしい甘い声、白い肌、虹色に煌く爪。文句なしに美人。犬塚君が女の子だったらすごい美少女になっていただろうという想像のほぼ理想的な顔立ち。

しかし、それにしても若い…化粧を取った顔でもシミや皺一つない。つるつるの卵肌でロリ顔。とても子供がいる年齢に見えない。下手したら犬塚君のお姉さんでも通りそうな…。


「昴たちと同じ反応すんなや、34歳のババアが」


ため息混じりに犬塚君が言ったのに、犬塚君のお母さんが「あーっ!」と声を上げた。


「ババアとかひどーいーっ。まだ33歳と10ヶ月ですー!」


33歳…?!

とても見えない…。というか、15、16の子供いるにしては33歳でも若すぎじゃないか。計算したら、えーと…じゅ、じゅうなな…じゅうはち…?


「あー、そーだちゃんと自己紹介してなかったよねぇ。はい、今日はご指名ありが…じゃなかった。どうぞよろしくお願いしまーす。犬塚はるかの母でーす」


渡されたのは顔写真とキスマーク付き、というものすごくインパクトの大きい名刺だった。名刺には『CLUB LukcyPINK ゆーみん』と書かれている。


「なんで店用の名刺を出す…って、これKとCの位置逆だろ」


「えぇ~、もうお客さんに渡しても何も言われなかったから大丈夫だよ」


「いや、大丈夫じゃねーよ」


犬塚君のツッコミにひっくと吃逆で返事をして、まん丸の黒目がきょろりとまた此方を向く。


「どうぞ気軽に、ゆーみんって呼んでね」

「えっそれは…」


無理です無理ですと首を振る。いくらなんでも同級生の母親を愛称呼びなんてできない。


「えぇ~、ゆーみんは気に入らない?むぅ、じゃあ何がいいのかなぁ」


いや、気に入らないとかじゃないです…。


「別に、普通にオバサンでいいだろ」


「オバサンなんて絶の対!い、や!可愛くないし」


と、犬塚君とお母さんが話しているのに、恐縮しつつ「あの…」と右手を挙げる。


「じゃあ、裕美子さんというのは…」


「ユミちゃんで」

「え…」

「ユミちゃん」


若干のジト目で見つめられ、居た堪れなくなり、やがて負けた。


「ゆ、裕美、ちゃん…」


呼ぶと、とても年上の人とは思えいほど無邪気に目尻が下がる。えへぇ、と柔らかい微笑みとお酒の香り。本当にごく自然に私の手を取って、


「鬼ちゃん」


と私を呼んだ。ああ。間違いなく、あの双子のお母さんだ。

いいっす、自分おにちゃんッス!


「ねぇねぇ、鬼ちゃん。はるか君って学校でどんな感じ?女の子にモテる?」


「あー…(違う意味で)人気はあるかもしれないですねぇ」


「そっかー、良かったぁ。思春期なのか知らないけど家では何かぶっきらぼうで可愛くない事ばっかり言ってるから心配なんだよねぇ」


「思春期って難しいですよね~」


うんうん、と頷いていると、私と裕美子さんのデコに手刀が入る。

やったのはもちろん犬塚君だ。


「何勝手なこと言ってんだ、アホ共が」


そう言って立ち上がった犬塚君が、私の手を掴む。


「鬼丸も、もう帰らないとさすがに家の人が心配するだろ」


「え~、もっと鬼ちゃんとお喋りしたーい」


口を尖らせて不満を漏らす裕美子さんに、「我が儘言うな。もう二時になるんだぞ」といなす姿はなんだかデジャヴ。この二人、親と子の配役が逆だ…。


「じゃあ、鬼ちゃんまた来てくれる?あたしがオフの日とかにでも」


「は、はい。行きますとも」


うるうるの目で首を傾げられたら、もう頷くしかない。双子とも約束したので、ここで否定するわけがないけど。


「もういいだろ、行くぞ。鬼丸、忘れ物ないか」


「うん。じゃあ、お邪魔しました」


「絶対の絶対来てねー。絶対だよ」


小指を差し出した裕美子さんに私も自分のを絡ませる。「指切りげんまん嘘ついたらハリセンボン食ーわす」「食わす?え、魚の方?!」と約束を交わし、犬塚家を後にした。




送ってくと申し出た犬塚君に、自転車もあるし一人で帰れるよと固辞したが、「お前、この辺の道覚えてんのか」と言われたら、方向音痴な私は「お願いします…」としか言えなかった。取り敢えず国道沿いに着くまで、私は自転車を押しながら、その隣を犬塚君で歩いて帰ることになった。

犬塚君家付近は住宅街で、深夜にもなると本当に閑散としている。


「そういえば裕美ちゃんのパートって、えーと…ラッキーなんちゃらっていう」


「あれとは別に週3くらいで昼間に仕事入れてるんだよ。ビルの清掃とかたまにイベントスタッフのバイトしたりとか」


「えっ、それ結構無茶じゃ…あ、ごめん」


つい深入りしたコメントを吐いてしまった私に、「別にいい」と答えて犬塚君は長いため息を吐いた。


「お前の言うとおり無茶すぎる。アホだろ、体壊したら元も子もないのに。そのくせ俺がバイトするっていうと猛反対するし…」


なんだかんだで本当はお母さんが心配なんだな、と思う。

きっと言葉にしたもの以外に、もっと沢山の思うところがあるのだろう。お父さんがいない生活は、私が思いつくのよりもずっと問題を孕んでいるのかもしれない。


「まぁそれは置いといて、今日は悪かったな。買い物の荷物運ばせたり、輝達の世話とかさせて。疲れただろ」


「いや、そんなに疲れてないし、ご飯もいただいちゃったから…」


あれ。

私、何か重要な事を忘れているような…?

なんだっけ。えーと、えーと…。


「あ゛あぁぁ―――っ!!」


「うるせーよバカ!何時だと思ってんだ」


大事なことを思い出してつい頭を抱えて叫んでしまった私の口を慌てた様子の犬塚君に塞がれた。

その手を急いで振り払って、自転車ごと犬塚君の前に向き直る。


「やばい…犬塚君。クラスTシャツのサイズの紙今持ってないよね…?」


なんてことだ。当初の目的をすっかり忘れていた…。

バカー!私、バカー!

しかももう日付的には締切過ぎてるし…。なんのためにここまで犬塚君を追いかけてきたんだよ。どうすんの、本来なら昨日の放課後に業者さんに依頼する話だったのに…。


「クラスTシャツ?ああ、それなら実行委員の奴に渡したけど」


しかし、犬塚君がけろりと放った言葉で全て解決した。


「え、マジで…?」


「マジで。昼休み、あの後すぐ書いて渡しといた」


早く言えよぉおおお…。ばかやろうぅ…。

そしてそういう模範的な行動をするんなら、普段からそんなキャラでいてくれ。

思わず恨みを込めて犬塚君を見上げる。なんだよ、と犬塚君。


「犬塚君ってさ」


「あ?」


これで犬塚君の全てが分かった訳ではないけど。

少なくとも、悪い人ではないのだと思う。


「意外と普通っていうか、まっとうな人だね」


「お前ケンカでも売ってんのか」


握り拳を見せつけられ、いやいやと慌ててかぶりを振る。

だって学校であんなとっつきにくいキャラなんだもん。もっとはちゃめちゃな私生活送ってると思うじゃん、普通。


「ご、ごめんってー。可愛いお母さんと弟君達がいることもお家にお邪魔したことも誰にもいわないからさぁ」


関節をゴキゴキいわせていた犬塚君だったが、どうやら本気ではなかったらしくやがて深く息を吐いて両手を下ろした。


「いい、別に隠しているわけじゃない」


犬塚君は立ち止まったまま。寂しい街灯の元、伏せた長い睫で瞼の下に影ができている。


「分かってる、不自然な事しているってくらい。なんていうか俺は、少し自意識過剰気味っていうか。人を見下す傾向があるっていうか…」


言いにくそうに頭を掻いた犬塚君はとっても人間じみている。

今ならそれが彼らしいと思ってしまう。


「違うな、ただの僻みだ」


そう呟いて自嘲的に笑った。



「学校の奴ら皆、バカ騒ぎして下らない事ばっかりして、ガキ臭いって見下してた。そんな中に混ざってたまるかと思ってた。俺はあいつらみたいにアホな真似しないし、できない。うちは母子家庭で、手のかかるチビ達はいるし母親はあんなんだし、世界は思い通りにならないことだらけだって知ってるから」



でも、と言葉が続く。

顔を上げた犬塚君と視線が一瞬だけ合った。



「考えてみたら、それこそ薄ら淋しいガキだよな。結局、意固地になってバリア張って不幸ぶらなきゃ自分を保てないだけの。本当は、普通にお気楽に生きてるお前らが羨ましくてしかたないくせに」



「犬塚君」


私の軽い頭じゃ、犬塚君の言っている事の、吐き出した気持ちの半分も理解できていないかもしれないけど。

でも、なんとなく分かるよ、わかる気がするよ。とか思ったら犬塚君は怒るだろうか。


「…って、なんで俺がお前にそんなこと言ってんだよ。今のナシ。ただの独り言。聞かなかったことにしろ」


「やだよ。しっかり聞いちゃった、赤裸々はるか・犬塚の男心」


「ぶっ飛ばすぞ」


あはー、と笑い飛ばしてシリアスな雰囲気を破壊する。

綻びが出てきた仏頂面にちょっと嬉しくなった。


犬塚はるか。

人呼んで猛犬チワワ。


目を惹く容姿にツンギレでツンドラ。ツンツンどこもかしこも刺だらけなので犬というよりヤマアラシ的。入学してから男女問わず誰も寄せ付けないその正体は、

双子の弟とやや天然なお母さんがいて家事スキルが高いだけの普通の男子、なのかもしれない。







「ヘーイ、犬塚君!一緒にご飯でもどう!?」


翌日。私は四時間目の授業が終わって隣に敢えて明るく話しかけた。

教室中の空気がカチンと凍った。また、バカが犬塚君にちょっかいかけて悲劇が繰り返されると皆警戒しているのだろう。

でも私は知っている。本当は、そんなことくらいで犬塚君は怒ったりしない。


犬塚君と友情を築こうキャンペーンを始めたのだ。

私のただのお節介だけど。犬塚君がこのままクラスで孤立して一年を過ごすのは、良くないと思う。あまりに寂しくて、焦れったい。私が勝手にそう思っただけ。

別にちゃんと友達になれなくてもいい。他の人が少しでも、本当の犬塚君を見てくれればきっと壁は無くなるはずなのだ。


まず、その第一歩。…と思ったのに。


「……チッ…」


犬塚君は頬杖を付きながらで横目で此方を見上げてくるだけ。

なんでまたガン飛ばし&舌打ち返事に戻ってるの!?昨日普通に喋ってたよね、私たち。

難しいよ!犬塚君、攻略難しすぎるよ!


「返事がないならOKってことで~。じゃあ机くっ付けましょうねぇ~」


しかし甘い。私はこれくらいじゃめげんぞ…犬塚君。

すっごく嫌そうに眉間に皺寄せる犬塚君にウフフフと不気味に笑いかけ、私は自分の弁当を取り出し…取り出…あれ。

ない。

弁当、ない。あれ、なんで、学校来たときにはあったはず…いや。なかった。机の横に掛けた記憶がないもの。なんで気付かない、私!!

確か、家を出る時には持っていた。バスに乗って居眠りして、学校を一つ過ぎた停留所で起きて、慌てて降りてそのまま走って学校に着いて…。あ、そうか…。


「……どうしよ、犬塚君…弁当、バスだわ…」


「はぁ!?」


犬塚君が驚くのも無理はない。だって私自身も、一連のアホ行動の意味が分からない。


「あ、いや購買でパンとか買えば…あ、財布の中に15円しか残ってないんだった…」


バカー!私、バカー!

もうダメだ。もうドジっ子で済まされるほど生易しいドジじゃない。

どうすんの。お昼誘っておきながら、このザマは…。もう取り返しのつかないほどに呆れ果てられているに違いない。


「取り敢えずバス会社に電話して弁当の忘れ物ないか確認してこい」


溜め息混じりの言葉が発せられた方を向く。発言主は言うまでもなく、中途半端に二つ並んだ机の対岸、犬塚君。

「携帯は忘れてないか」と聞かれて「う、ウッス!」と動揺のあまり体育会系っぽく返事をしてしまった。


「それから、購買に行って割り箸譲ってもらえ。あそこなら、たぶん余分にあるだろ」


「わり、ばし…?」


首を傾げたアホの子(おにまる)に、犬塚君は自分の机の上に青いギンガム柄の小さいトートバックを置いた。たぶん恐らく、中身はお弁当。


「俺の半分やるから。昨日の夕飯の残り入ってるけど文句言うなよ」


鋭い眼光を向けながら、犬塚君が言った台詞はまるで真逆の優しいもので。不覚にも感動してしまった。


「うわーん!犬塚君イケメンすぎーっ!」


「うっせぇよ!!騒がなくていいから早く行け!」



やっぱり犬塚君は学校でも同じ犬塚君だ。

思いがけず、そんなことを確認できて胸の奥が暖かくなった。


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