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33:

暇だ…。


夏休みはまだまだ続く。

親衛隊の活動も参加禁止だし、フジコちゃん所は何やら最近忙しそうでただ遊びに行くには行きにくくなってるし、桐谷先輩は別荘で避暑中だし、ハギっちも沙耶ちゃんも部活の遠征や家族旅行に行ってしまっている。


「えーそれでは、解の公式を用いてこの方程式を解くと…」


学校の補習は受けているが、いつもの授業通り先生が淡々とプリントの問題を解いて説明していく。

もう全然ついて行けてないし、分からないので教えて下さいと名乗り出るほどのガッツもないし。

完全に補修を受ける事を諦めて、頬杖を付きながら欠伸を咬み殺す。ノートだけはかろうじて取っているけど。

全開の教室の窓からは、風が入って来ない代わりに蝉の鳴き声が聞こえる。蒸し暑さに夏服の袖を肩まで捲った。


長いんだよ、夏休み。こんなん3日でいいよ、むしろ無しの方向で。

私は休日が実は嫌いだ。

一人でいる時間が膨れ上がるからだ。時間の潰し方に苦労する。

誰かと一緒にいるのに理由が要る。そしていつでも私にはその理由が無い。


自分一人だけ、取り残されている気分になる。

膨大な不安と疎外感に気が狂いそうになる。

時間を殺していくこの作業にもう完全に飽き飽きしていた。


「もう、いやだ…」


目を瞑って、泣き言を言うと前の椅子に誰かが腰掛けた音がした。


「嫌?勉強するのがか?」


聞き覚えのある声に顔を上げると、やっぱり思った通りの人物がいた。


「い、犬塚君…。どうしたの、あれ?なんで補習受けてるの?」


寝ぼけやがって、と犬塚君にデコピンされた。

いつのまにか数学の補習は終わっていて、ちらほら帰り支度をしている生徒もいる。


「補習じゃないとしたら、犬塚君は何のために学校来たのさ。あーた、正真正銘の帰宅部でしょ」


犬塚君がこの場に、夏休みに学校に来ている意味が分からなかった。私みたいに中間テストやらかした訳でも、部活動やってる訳でもなしに。

言うと犬塚君はアヒル口を若干突き出して、ぼそぼそ言葉らしきものを呟き始めた。


「鬼丸がちゃんと勉強してるか見に来たんだよ。お前なら平然とサボりかねないからな」


「んなっ…」


思わず、目を見開いた。まさか、その為に夏休みに学校に?だとしたら、だとしたら…。


「て、暇人な…」


がくっ、と犬塚君の頭が机に落ちた。どうした、猛犬チワワよ。


「暇な訳あるか!こちとら家事に追われるわ、裕美子が夏バテで寝込むわ、幼稚園も夏休みになってチビ共の世話しなきゃならないし、クソ忙しいんだよ!そんな中わざわざ様子見に来てやってんだから、少しは感謝しろ、感謝を!!」


まさに瞬間湯沸かし器できゃんきゃん怒鳴る犬塚君に、「そうかそうか」と頷いて自分のノートをしまう。


「おい、何故帰る支度をする」


「え、だって講義はこれで終わったし帰ろうかと…。犬塚君も忙しそうだし」


眉毛を吊り上げたままの犬塚君がよく分からない。


「勉強、分からないところないか?今ならすぐ教えてやれるけど」


あ、出た。

犬塚君のスキル・世話焼き。

別に犬塚君がそんな事する必要はどこにもないのに。


「分かってんのか?休み明けすぐテストだぞ。次も前回と同じなら本当に目も当てられないからな」


「わ、分かってるよぅ…」


「重松先生にも、お前の勉強見てやってくれって頼まれてるんだからな。自分が崖っぷちだって自覚をしろ」


ち、と舌打ちしそうになる。

重じいめ…。

なまじ私の面接時の試験官だったから成績不良者を出すまいと躍起になってるな。


「大丈夫だから。次のテストは、ホント大丈夫」


「馬鹿の大丈夫ほど、大丈夫なものはねーよ。ほら、プリント出してみろ。お前の躓きそうな所は大体分かるから」


「だから、いいって。ほら、犬塚君忙しいんでしょ。裕美ちゃんも輝君達がお家で待ってるなら油売ってる暇ないじゃん。ハウスだよ、ハウス」


立ち上がって教室の出入口を指差す私に、犬塚君は呆気に取られた顔をしていた。

変な事を勘繰られないように、へらへら笑いながら立ちあがって鞄を取り出す。


「だけど」


「だけどじゃなくて、帰るの。私にだって色々予定あるんだから、あんまり無駄な時間取りたくないし」


「鬼丸」


「言っとくけど別に怒ってないからね。普通に有意義な夏休み取りたいだけで。…って、何この手」


どういうつもりか、犬塚君が私の右手の手首を掴んでいる。


「大丈夫か?勉強だけじゃなくて。気付いてないかもしれないけど、顔色酷いぞ?元気もないし、メシちゃんと食えてんのか。何ならこれからウチに来るか?今日の献立はチキン南蛮だぞ」


犬塚君は大真面目な顔で、ちょっと眉根を寄せて此方を覗き込んできた。

反射的に後ずさってしまった。彼の善意が眩しすぎて。


「…お人好しだなぁ、犬塚君」


そしてかわいそうに。

そんな他人にかまけている程、余裕があるわけじゃないのにいつも誰かを心配している。


「でも、私今日は駅前の福田屋の味噌カレー牛乳チャーハンな気分なんだよ。ごめんね」


「…なんだ、その家畜の餌は」


チワワメシに反応しない私に、犬塚君が若干の憤りを感じてる隙にその手を振り払って帰った。





嘘を言った。

予定なんてこの後ないし、有意義な夏休みなんて送れてない。


だってまるで、私が犬塚君無しではなにも出来ないみたいじゃないか。


「…お前に会う何年も前からずっと、一人で生きてきたっつーの。こっちは」


そういうの求めてないし。要らないし。



最近の犬塚君は結構苦手だ。


学祭後からなかなかだったけど、学校でゲロ&気絶事件があってから悪化した。

お昼ご飯に菓子パンばっかり食べてれば緑黄色野菜たっぷりのサラダを食べさせられるし、

体育で転んで擦りむいたのを放置してたら問答無用に保健室に連れてかれて治療されるし、

暑けりゃ大量に塩飴を寄越してくるしタオルでゴシゴシと汗を拭き取られるし、

雨が降ってたら傘とは別に雨合羽を突きつけて着ろと言う。

自習の授業は、私専属のトライ先生と化している。しかも、スパルタ。寝ようもんなら、薬用リップクリームを瞼に塗りつけて虐待してくる。

「ちゃんと寝ろ」「勉強しろ」「飯は?」の三種の言葉を登校日は必ず聞いていた気がする…。


夏休みになれば少しは、ほとぼりが冷めると思っていたが。

世話焼きっていうよりお節介レベルだ、あれは。何故にこんな事になってしまったのか。

そろそろ「NO」と言わなければダメと考えている。


「…どうしよ」


キコ、とブランコを悪戯に漕いで空を見上げた。さすが田舎、細かな星が綺麗に散りばめられている。

出来る限りこんなしょうもない事で、犬塚君のプライドを傷つけたくないんだけど。

でも、生易しい言い訳じゃあ人一倍強情な奴は納得しないだろう。


『あの二人、やっぱデキてるんじゃない?』


犬塚君は気付いているんだろうか。

そんな噂話が上がっている事に。誤解だよ、と弁明しても肝心の犬塚君がこの状態だと説得力に欠ける。

下らねぇ、と多分知ってても言うだけだろうけど私自身の存在が間接的にでも誰かに悪影響を及ぼしてしまうのなんて耐えられない。



「ほんとに、どっかに行こうかな…」


猿河氏がこの間言っていた、『現実逃避をして何処かに逃げようとしている』というのも悪くないとふいに思う。

ここじゃない何処かに行けば、簡単に解決できるだろう。

前と同じように、きっと私も皆も、すぐに忘れるだろう。


馬鹿な子、と誰かが笑った。


「ゼロ。あれもう…」


『0時回ってるよ。気付かなかった?』


頼りない街灯から生まれた私の影の中に彼女は蹲っていた。

彼女の名前はゼロ。人間なのかそうでないのかも分からない。生死さえも。

毎日、夜中の0時にだけ現れる恐らく性別は女の子。


『淋しいなぁ、前は私くらいしか遊んでくれる子いなかったのに。

消えないでって何回もお願いしてくれてたのに』


「そ、そうだっけ?」


ゼロは幽霊なのかもしれない。でも不思議と彼女だけは怖くない。


『犬塚はるかのせい、だったりして』


そう言うと、ケタケタとゼロが大爆笑する。

何がそんなに面白いのか分からないけど。


『だよね、やっぱりそうなんだね。犬塚君がいつも助けてくれるもんね。基本的に優しいし、どんなに哀が駄目でも見放したりしないもんね。私といるより、楽しいよね。それは』


「そんなことないよ」


『あるよ。私に嘘が通用すると思っているの?私に隠し事なんて出来るの?』


「嘘じゃないし、隠し事なんかしていない」


『あら、強情』


ただの誤解だから強情も何もない。


『どっちでもいいけどね、私は。哀が犬塚君を選んで、また私が忘れられても、それでもいいよ』


「だから…え、忘れる?」


『うん、忘れちゃってるから哀は。私の事を一度忘れている。本当なら私が誰か知っているはずだよ』


「なにそれ」


『あの時、哀に何が起こったかどうしてこんな目に遭っているのかその因果を私は知っている。

でも、哀はもう二度と思い出す事は出来ない。全ては失われたから。

哀が半分奪ったけど、結局は消失したから使い方が分からない。

だからこれは罪、貴女の刻んだ罪。』


「どういう意味…」


『早くしないと』


「早く?」


『犬塚君でも誰でもいい。誰かを選択しないと、また間違うよ』


間違う?何を?


『間違うだけならいい。でも、哀が間違う度に確実に壊れていくものがあるんだよ。

早く選ばないと取り返しがつかなくなる』


「待って。何言ってるか全然分からない」


―――そして、貴女はだれ?


『私?私は哀の…ーーー』




「君。こんな時間に何をしているんだ!」


はっ、と我に帰ると目の前に中年の警察官がいた。すぐ近くにパトカーが駐車してあるのに、全く気付いてなかった。


「君何歳?高校生か中学生じゃないの。こんな時間に何やってるの」


「えと、あの…私…」


「身分証明書見せてもらえるかな」


「あ、ちょっと今持ってなくて…」


「そう。じゃあ、自宅の電話番号教えてくれるかな。お家の方に迎えに来てもらおう」


「…」


それは嫌だ。

あの醒めた瞳と溜息に私は耐えられない。失望が、怖い。あの人を困らせたくない。


助けて。誰か。

誰か。



「鬼丸!」



顔を上げると犬塚君がいた。裕美子さんも。


「すいません。こいつ、親戚の子なんです。うちに来る途中迷ったらしくて。こんな時間までここで待ってたみたいです」


犬塚君が「よく言って聞かせます」とむんずと私の頭を掴んで下げさせる。

…いつから、私と犬塚君は親戚になったのか。


「ああ、そうなの…」


「あ、たーくん?そういえば、最近お店に来てくれないよね?お仕事忙しいのぉ?」


髪を巻いて、ヒョウ柄のミニドレスでばっちり決めた裕美子さんが、とろけそうな甘い笑顔で警官のおじさんにしなだれかかる。


「あ、ああ、じゃあ、明日仕事帰りでも寄ろうかな…」


「わーい!じゃあ、一番にユーミン指名ね?約束だからね、ハリセンボン食ーわすー!指きった!」


「え、魚の方!?」


警官はデレデレしながら、去っていった。

祐美ちゃんと犬塚君、そして私が後に残された。


「…あのおっさん、裕美子の店の常連なんだよ」


「へ、へー…」


それはいい事を聞いた。

次に補導されそうになったら、祐美ちゃんの名前だせばいいのか。


「ところで、何故こんな時間にお二人はここに…わぷっ」


視界が揺れたと思って混乱してたら、実は祐美ちゃんに全力ハグされていた所だった。

さすがの祐美ちゃん。でも、不思議とすんなり受け入れられた。


「えへへ。鬼ちゃん久しぶり〜。今日は、体ちょっと楽になったから、お店に復帰したんだよね〜。で、念の為に今日は早退したの」


そういえば、裕美ちゃんが夏バテして寝込んでいると言っていた。でも見た感じ、もう大分元気そうで安心した。


「じゃあ、犬塚君は…」


「はるか君はお店まで迎えに来てくれたんだよねー、全く過保護なんだから」


あー、裕美ちゃんいい匂いする。

あったかい。ぎゅってされるの気持ちいい。


「ピーコママももう少し休んどけって言ってたのに、無理矢理行くって聞かないからだ。輝と昴に余分に不安がらせるんじゃねぇ」


はあ、と心底呆れたようにため息を吐く犬塚君。


「そっかぁ。でも、ほんと無理はしないでね…」


「うんうん。鬼ちゃんこそなんか前みた時よりもしぼしぼしてるから、元気だしてね」


…しぼしぼ、っすか。頭を撫でられながら気持ちよさに目を閉じながら内心首を傾げる。

私結構いつも通りなんだけどなぁ。

そんな元気ないように見えるんだろうか。


「あ、じゃあ私これで。今日は助かりました、ありがとう」


祐美ちゃんから離れて、会釈してくるりと踵を返した。…が。


「待てい」


何を思ったかぐっと右肩に手がかかる。

振り返るとその主は犬塚君だった。


「な、なにゆえに…」


嫌な予感。犬塚君は大真面目な表情。


「家まで送る。ていうか、こんな時間にほっつき歩いてるんだからちゃんと生死を家に報告しろ」


「生死って…んな、大袈裟な」


「大袈裟なものか。特にお前のような鈍くさいし、やたらとトラブル引くような危なっかしい小娘なんざ心配で心配でたまったものじゃないだろ」


いや、お前は私の何だよ。


「あー、家は大丈夫だから。そういうの緩いから」


ひらひらと手を振ってみたが、ダメだ、犬塚君の瞳には妥協の二文字は浮かばない。

どうにも納得してもらえないようだから本当の事を言うしかないと、諦めて溜息を吐いた。本当はあんまり他人には言いたくないのだけど、犬塚君はまぁ、言いふらしたりはしないだろう。


「…言ってなかったけど、私一人暮らしなんだよ。だから別に心配なんかしないよ、誰も」


どうせ、電車で三時間ほど移動しなきゃ会えもしない。忙しいお父さんは簡単には会えない。

娘の安否など、到底届かない。


「家もこのへんだから大丈夫。すぐ着くし。寝坊しても、夏休みだし、講習は昼からだし」


「不規則な生活で、そんな不健康そーな面してんだろ!休みに入ってから明らかにやつれてるんだよ!…わかった。俺から一言、親御さんに口添えするから、連絡入れろ」


「いやいやいや!何言ってんの!?こんな時間だよ?犬塚君がそんな事なる必要ないでしょ」


意味分かんないよ!と叫べば、保護者代理みたいなもんだからいいんだよ!と訳の分からない事を宣われた。いやいや、ちょっと本当にイミフ。なんかバグってるぞ、犬塚君。


「お前の大丈夫は統計的に本当に大丈夫だった試しがないんだよ、どあほうが!」


「だとしても、個人の問題でしょ!犬塚君に干渉する権利なんてないよ!私、間違ってないよね!?」


「うるせえ!阿呆の癖に人並みの権利を主張するなんて百年早いわ!」


「はっ?その言い草はあまりにあんまりじゃないの!?サイテーだよ、沙耶ちゃんに言いつけてやる!」


「望月に言ってどうすんだよ!あっそ、で終わるのがオチだろ」


「また、女装させてあげてって要請するから!喜んでやってくれるよ!女子総出で!」


「それは本当にやめろ!ガチで泣くぞ!俺が!」


言い争いがヒートアップしすぎて、もはや論点が何か分からなくなってきた。

収集つかなくなった頃、目の前に人の掌が向けられて口をやっと噤んだ。



「ストップ、ストップ。二人共、こんな閑静な住宅街の真ん中で深夜に騒いじゃダメでしょ~。メッ!」



えらく可愛いらしいしおっとりした叱り方なのに、何故か何も言い返す気にならない。

裕美ちゃんは、コホンと妖精のような顔で咳払いした。


「決まらないなら、鬼ちゃんとはるか君の意見の折衷案としてこのユーミン裁判長が公平に決めてあげましょう~。んー…じゃあ、鬼ちゃんがウチに来ればいいよ!」


「え?」


犬塚邸に?何ゆえに?

なんで?という顔をしていたらしかった私に、裕美ちゃんがキャハ☆と悪戯そうに肩をすくめた。


「だって、あたしが鬼ちゃんともっと一緒にいたかったんだもん」


ダメ?とゆるふわ系真性美少女にしか見えない裕美ちゃんに小首を傾げられたら、無情にも「駄目です」なんてとても言えなかった。

それだけの逆ベクトルの迫力らしきものがあった。


本当の敵は犬塚君ではなかった。


「北風と太陽か…」


犬塚君がだれうまな事を一人呟いていた。

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