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03:

子チワワこと、犬塚(あきら)君と(すばる)君は犬塚君の弟らしい。


目のくりくり感といい、頑固そうな太めの眉毛に、羨ましいほどの餅肌や乾燥知らずの桃色アヒル口など大凡の犬塚君の特徴にそっくりである。双子が似ているのは分かるけど、犬塚君とも似ているなんて……よっぽど濃い遺伝子なんだろうか…?


「あーのほうが、すばよりお兄ちゃんなんだよー」


右のおそらく輝君が元気よく言うと、左の昴君が口を尖らせた。


「でも双子なんだからほとんど変わんないじゃん!てゆーか、すばの方が背高いし!」


「うるっさい、背はこれから伸びるもん」と途端に輝君が不機嫌そうな顔になる。

まだそんな小さい時から身長なんて気にしなくていいのになぁと思いつつ可愛くて、つい頬が緩んでしまう。君たち、どうかお兄ちゃんみたいにとっつきにくい人になっちゃだめだぞ~。


「ばーか、無理に決まってんじゃん。チビは一生チビなんだよ。チービチービ、チビのあー」


「だまれよ!おまえっ」


私が和んでいるうちに二人が取っ組み合いのケンカをしだしたので、慌てて宥める。

さっと私の後ろにかくれた昴君は、結構いい性格しているかもしれない。


「大丈夫だよ~。いっぱい食べていっぱい寝たらすぐ二人とも大きくなるよ~」


ぽんぽんと輝君の頭を撫でてやると、輝君はうるうる目で此方を見上げた。


「ほんと?東京タワーにくらいになれる?」


そ、そこまでは…さすがに難しいと思うけど…。いや、子供の夢を壊してしまうことほど無粋な事はないよなぁ。思い直し、うん!と肯定しようかと思ったが、それを「無理」と犬塚君がマッハの速さで否定した。


「えー、なんでぇー!?」


「遺伝だから。兄ちゃんも腹壊しながら毎日牛乳飲んで、9時には寝てたりストレッチしたけど中2から全く伸びなくなった」


「い、犬塚君!今からそんな夢も希望もない事を言わなくても」


「夢や希望を持ってたって、いつか絶望を思い知るんだから今のうちに現実を知ってた方が無駄な時間と労力を使わないで済む」


…もしかして犬塚君けっこう気にしてるのか。身長のこと。

別にそんなに絶望するほども小さくもないし、犬塚君の外見に非常に見合ったボディサイズだと思うんだが。


ふと心配になって輝君と昴君を見ると、今にも泣きそうなほどウルウル目になっていたので慌てて屈んで二人の頭を交互に撫でた。


「ああいう意地悪な事いうから、お兄ちゃんは天罰で身長伸びないんだよー。もっと明るく素直にしてたら、きっとグングンおっきくなるからねぇ」


へらりと笑って、背後から感じる犬塚君の般若ビームをかわす。

それからにぎやかな双子と話してた。時々犬の散歩を見かけると道路を横切ってでも飛んで行きそうになったりして危なっかしい場面があったりヒヤッとする事があった。これくらいの年頃の子はそうなのだろうか。


「お前ら、あんまり調子こくな、大人しく歩け。鬼丸、悪いけど、その二人捕まえといて。油断してるとすぐどっか行くから」


犬塚君の言葉に自分のスクールバックを背負って、二人の手を握った。

たしかに用心するに越した事はないかもしれない。

それに対して、二人は不満げに頬を膨らませた。その仕草全てがまるで鏡のように同じで、おおー!と心の中でこっそり思う。


「別にどこも行かないもーん」


「てゆーか、ハル(にー)いっつも怒ってばっかりー。」


「そうだねぇ、お兄ちゃんは学校でも怒りんぼさんなんだよー。なんとかなんないのかねー」


調子に乗ってつい本音が出てしまった。すかさず、犬塚君の鋭利な睨みと舌打ちが飛んだ。その、あまりに凶悪オーラに小心者の私はつい反射的に「ごめんなさい…」と屈した。


「そういえばさー、お姉ちゃんだれ?」


と、輝君が口を開いた。ばーか、と昴君が誰より先に答えた。


「ハル(にー)のカノジョに決まってるだろ。あーはやっぱりコドモだなぁ」


「アホか。ただの同級生だ、ガキ共が」


さらりと受け流す犬塚君。どうやら悪ノリしないくて正解だったらしい。微妙な空気にならなくてよかったー。ほっと胸を撫で下ろし、にははと笑ってみせる。


「鬼丸哀でーす、どーぞ気軽にあいちゃんって呼ん…」


「おに!」「おに!」


やっぱそっちに食付くかー。だよねー。

もっと可愛い呼び方してくれると嬉しいんだけどなぁ。




そんな風にワイワイと四人で喋りながら歩いていると、二階建てアパートの前に着いた。

自転車を停めて、犬塚君たちの後について階段を上ってとある一室の前で立ち止まる。


「ただいまあ」「ただいまぁ」


「誰もいねーぞ、母さん今日パートの日だし」


犬塚君たちの会話から、ここが犬塚家なのだと分かった。

鍵を開けて、犬塚君が先に部屋に入る。


「おにもー」「うちに来てよー」


両手の輝君と昴君に引っ張られて、エヘヘと半笑で犬塚君を見上げてみる。


「上がっていくといい。自転車も借りたし、ここまで付き合わせて疲れただろ。茶くらい出すぞ」


予想に反して、犬塚君は家の中に上り込むことを了承してくれた。本当意外だ、少なくとももっと渋るかと思った。なんていうか、自分のテリトリーを大事にしているイメージがあったから。



ハル兄、お腹空いたー。おやつ食べていいー?おにも食べたいってー。い、いや、お気遣いなく。お腹も空いてんで。私小食なんです、これでも女子ですし。鬼丸、涎垂れてる。はい、すいません……嘘つきました。ぽたぽた焼きとばかうけあるけど、どっちがいい?あ、ぽたぽた焼きで…。


みたいな会話の末、番茶を飲み煎餅を齧っている現在に至る。至福。

元気な双子も今はテレビに夢中になっている。再生されているのは昨日、放送していた仮面ファイター正義である。


そうか、だから犬塚君は仮面ファイターを知っていたのか。

あれだろ子供向けだからといって馬鹿にして観ていたら、思いのほか面白くてハマってしまったパターンだろ。ふふふ…。分かるよ、その気持ち。


「やっぱジャスティス超かっけー!」「かっけー!強えー!」


きらきらした目で双子がお互いに顔を合わせて仮面ファイターの感想を言い合っている。

双子はいいなぁ、いつも最高の理解者が側にいてくれて。

しみじみしていると、急に昴君が立ち上がった!


「喰らえ正義の鉄槌、ジャスティス十六文キック!」


「じゃあ、あーはダークネス!さきほこるばらも…えーと」


「咲き誇る薔薇も今宵の僕の美しさには劣るだろう。漆黒の聖騎士ダークネス涼、参上!…じゃないかな」


輝君が台詞をうまく言えなかったのも無理はないと思う。涼様かっこいいんだけど、毎回こんな難しい言葉を使って子供に理解しにくかろうに。


昴「すげー、おに完璧だー!」輝「じゃあおにがダークネスやってよ!俺やっぱ闇サラマンダー総統やるから!」私「おっ、総統もかっこいいよね!特にこの、こうシャキーンってなってる肩当て!」輝「あれって実は総統から生えてるんだぜ」私「えっ嘘、マジで?!」


きゃいきゃい3人で騒いでいると、ふとした瞬間にベランダで洗濯物を取り込んでいる犬塚君が視界に入った。

そういえば、さっきから犬塚君が一人が家事やら何やらで忙しそうにしているのが目に入っていた。家に帰ってすぐ冷蔵庫に買ってきた食材を入れ肉類などを小分けにして、さっきは台所の床を拭いていたし、双子の食べこぼしを叱りながらもコロコロで処理していた。


なんだか急に罪悪感がわいてくる。

私、人の家に上がり込んで人を働かせておいて、お菓子食べてお茶飲んでテレビ見て、これほどリラックスしきって遊んでいていいのか。


「あの…なんか手伝うこととかある?」


洗濯物が山盛りのカゴを掲げている犬塚君は「別に」とそっけなく答えた。

なんか…。やっぱり、違和感が。

犬塚君が、あの猛犬チワワがこんな風に家事をやっているとか。さっきお母さんがパートだと言っていたからその代わりに?ちくしょう、偉いじゃないか…。


今日は犬塚君の意外な所ばっかり見てしまう。

それとも私がいままで見ていた犬塚君が歪んでいたのか。


正直、犬塚君はもっと荒んだ私生活をしていると思っていた。

いつも何かピリピリしているし、話しかけても無視するし、口を開いたら言葉使い悪いし怖いし、まるで牙剥き出しで威嚇する野犬。

入学してまだ間もない頃から、こんな態度を取るのはよっぽどの事があるのだろうと思っていた。


「手伝うっていうなら…」


「はっ、はい?」


どこかに隣の部屋から小さいテーブルを持ってきた。

家庭科室にももちろんある、その独特の形。小型の機械からソケットを引っ張りだし、すぐ背後のプラグに繋げる。電源が入ってピーと軽い音がした。


「チビどもを構ってやってくれると助かる。アイロンかけるから近寄られると危ないし」


やっぱり何か不思議なかんじがする。

ちゃんと、普通に、良いお兄ちゃんじゃないか。

無口でもないし、思いやりもある。冷たくも怖くもない。それに不真面目でも乱暴者でもない。これが素の犬塚君ならば、どうして学校ではあんな風になってしまうんだろう。


「おにー!こっち来てー、すばの変身ベルト見せてあげるっ」


「あーのはダークネスなんだよ!」


ぐいぐいと両手を双子に引っ張られつつ、こっそりと犬塚君の方を振り返る。

ほらやっぱり。

そんな穏やかな表情(かお)

いつものしかめっ面よりもずっと良いと思うよ。





七時を回った。そろそろ犬塚家に来て二時間ほどが立つ。

キッチンからじゅわじゅわ油で何かを揚げた音がしている。そろそろ夕飯時だ。当然のように料理をしているのは犬塚君。狙っているのか不明だが胸の部分にデフォルメされたチワワがワンポイント描かれたエプロンを着ているのがちょっと面白い。


「おに、帰るの?」


立ち上がろうと腰を浮かせた私の制服の袖口を両方から掴んだのは双子チワワ。


「帰っちゃ、やだ」「もっとここにいるのっ」


そのまま腕に絡みついて私を立たせないようにするように引っ張る。

かわっ、かわっ可愛いいいぃぃん…。子供の早熟が進む今時、こんな可愛いらしい子達がいるなんて。こんな子達に帰らないでって言われたら、「いいよ~」へらへらと言ってしまいそうな私が怖い。

しかし、さすがにお邪魔になりすぎだと思う。いいだけ騒いで寛いで、犬塚君もいい加減帰れと内心思っているだろう。


「お前ら、わがまま言うなよ。鬼丸もこいつらの言うことを一々聞かなくていい」


こっちの話が聞こえてきたのか犬塚君が菜箸片手にやってきて双子を嗜める。


「やだもん!おにはずっとウチにいるんだもん」「ハル兄いつもあれダメこれダメって怒ってばっかりで遊んでくれないしっ」


私の腕にひしっとしがみついた双子に、犬塚君はひくひくと口角を震わせた。

お前らな…と低い声は怒鳴る前触れのようで二人の私の腕を掴む力が強くなる。

しかし、犬塚君の態度は予想よりずっと冷静だった。


「そんなわがままばっかり言ってると鬼丸もお前らのこと、嫌いになるぞ。そしたら二度と構ってくれなくなるからな」


え、私!?そこに私出てきてしまう!?

「おに、すば達のこと嫌い?」「もう会いたくなくなった?」と双子も私の顔を覗き込む。本気で悲しそうな反応をされると胸がちくちくする。そんなことないって、と答えて犬塚君をちょっと恨む。


「お前らも母さん帰ってこないと嫌だろ?それと同じ。鬼丸も家に帰らないと、家族の人が心配するんだ。だよな?」


「いや、ウチは別に大丈夫だと思うけど…」


ぽろっと口を滑らせてしまった。途端に目を輝かせた双子がわーいと歓声をあげた。


「ほらー!おにもウチにいたいって言った」


「いや、そこまで言ってないだろ」


な、なんか、私の発言のせいでまだお邪魔するみたいな雰囲気になった?

私から何か言ったほうがいいんだろうか。


「でもなんかいきなり来て、すごく長居しちゃったんでこれ以上は悪いよ。そろそろ犬塚君たちもご飯の時間みたいだし…」


えへ、と愛想笑いをしてみる。

えぇーと輝君と昴君にごめんねと謝った。


「ここにいるのは別に気にしないけど。飯なら余分に炊いたから食っていってもいいぞ」


「そ、そこまでしてもらえないよ。申し訳ないって…」



ぐぅううぅううううううう



地の底から響くような音。

この音の正体は、紛れもなく私の腹の音。

ぜん動運動、自重しろ。私の胃。


違うんだ。さっきからすごく美味しそうな匂いが鼻腔を刺激するから!

だから皆そういう目でこっちを見るのは止めて!






「はっはぅ、はふはふあっはう、うまああああ」


「…お前、随分……随分だな…」


献立は春巻きに中華風卵スープとご飯、あとブロッコリーのサラダ。

見た目に反さずに、春巻に齧り付けばカリッといい音がして中の具からじゅわああっと肉汁が滲みてくる。丁度いい味付けと韮と生姜の食欲のいい香り、刻んだモヤシの食感が好きだ。

あまりの美味しさに打ち震えていると、犬塚君がドン引きしていた。やっぱり女子なのにうまいって言うのははしたなかったかしら。


「めちゃめちゃ美味しいっす!犬塚君、天才!」


「おに、口にソース付いてるよー」「変な顔ーっ」


くすくすと輝君と昴君が顔を見合わせて笑っている。

無言で犬塚君がティッシュの箱を寄越した。はい…ありがとうございます。


「大袈裟すぎだろ、こんな簡単な料理で」


と言いつつ、犬塚君がちょっと嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。


「いやぁ、そんなことないよ。いつも料理は犬塚君がしてるの?お母さんがパートの時だけとか?」


「そうだけど…最近はほとんど俺だな。仕事忙しいらしいから」


そういえばまだお母さんは帰って来ていない。

きっとまだお仕事なんだろう。


「そっか大変だね、五人分のご飯を用意しなきゃだし」


うんうんと一人頷いていると、違うよーと輝君と昴君が声をあげる。


「四人だよー」「お父さん、あーとすばが生まれてすぐお空の向こう側に行っちゃったんだって」


「あ…そ、そうなんだ」


悪い事言ってしまったな、とちらりと犬塚君の方を見てみると何も言うことはないと決め込んでいるようで一瞥もなく箸を動かしていた。


「ねぇ、おにはお父さんいるの?」


双子が私の顔を覗き込む。

輝君の言葉に、うっ…と言葉に詰まる。


「お父さんがいるってどんな感じ?お父さんって優しい?ハル兄みたいにいつも怒ったりしない?」


昴君のまん丸きらきらの黒目の中に私が映っている。

ハの字眉毛の情けない顔。ひどい間抜け面だなぁと苦笑してしまう。


「うちのお父さんは…そもそもあんまり喋らないかな。何考えているか分からないし」


双子がぱちくりと長い睫を全く同じ揺らす。空気が変わってしまったのを感じて慌ててアハハと調子外れに笑って見せる。


「私は逆にお兄ちゃんとかいないから輝君と昴君が羨ましいな。兄弟多いの、賑やかで楽しそう」


「そうかなぁ?」「そうかなぁ?」

「賑やかっていうか、ただ煩いだけだぞ」


三人とも微妙な顔で首を傾げたのが面白い。




双子達はご飯を食べ終えて、お風呂に入った。

犬塚君はその間に食器を洗っている。さすがの私も居た堪れなくなってそれを手伝う。

洗った皿を拭いていく単純な作業だが、犬塚君の手際が良すぎて手が追いつかない。最終的には全部洗い終わった犬塚君もお皿拭いて片付けていたし。まじ私って使えねぇ…。


お風呂入った双子とその後、一緒にテレビを見たりお喋りとか仮面ファイターごっこをしたりしていたが十時前には二人共すやすやと布団の中に仲良く並んで寝ていた。健康的だ。

その後、犬塚君が出してくれたホットミルクを飲んでいるうちにだんだんと意識が遠くなっていって。


「はっ!?今何時」


意識が戻ってがばりと頭をあげるとぎょっとした顔の犬塚君と目が合った。

いつの間にかテーブルに突っ伏して寝ていたようだ。肩にいつの間にかブランケットのようなものが乗せられている。


「今、一時回ったとこ」


「え、嘘。えっ…」


ほら、と指さされた卓上の置時計を凝視すると確かに時刻は一時三分になっていた。

あまりの自分のダメっぷりに絶望して折角起こした頭を再度突っ伏せる。


「なんで寝ちゃったんだろ、ねぇなんで?!ていうか犬塚君も起こしてよぉお…」


「わ、悪かったって」


なんか犬塚君が下手に出てるのが不気味だ。私が寝ているうちになにか疚しい事でもしたのか。…とか言ったら普通にぶん殴られそうだったから止めた。


腕の上に顔を置くとノートが広げられているのが目に入る。あと、分厚い参考書も。ずばりタイトル名は『基礎・数ⅠA』。


「え、まさかとは思うけど今まで勉強してたとか?」


「まさかじゃねーよ。学生の本分は勉強だ」


さらりと言い放った犬塚君。その顔はさも当然のことだと信じて疑わないようで。

世の中にそんな発言をする高校生はどれくらいいるのだろうか。


「んだよ、真面目かよぉおお…こんなぐーすか人のウチで寝てるバカの前で勉強とかしないでくれる?私、ダメ人間みたいじゃん。いや、既に本物のダメ人間かもしれないけどさぁ…」


「そんな事言ったって自分の部屋がないんだから仕方ないだろ。ここしか勉強できるスペースがないんだよ」


「…そっか、大変だね」


別に、と短く答えてシャーペンをカチカチ鳴らす。

ほんと真面目かよ。猛犬チワワとかいう恥ずかしいあだ名で呼ばれてるくせに。


「それでいて結構面倒見いいお兄ちゃんでさぁ…マジでなんなんだよぉ…」


「なんなんだはお前だよ、そんなにケンカ買ってほしいのか」


「あ、心の声が漏れてしまった」


「よし、ぶっ飛ばしてやるから歯を食いしばれよ」


本当に振り上げた手にまさかと思って、目を瞑ったが、いつまで経っても衝撃は来なかった。大丈夫なのかとゆっくり目を開けた時、頬にぺちっと子供騙しみたいな軽いビンタ。


「な…なんだそりゃ」


何も答えずに、無言でまたノートにシャーペンを走らせる犬塚君。その頬がやや赤らんでいる。照れるくらいならそんな気障な事やらなきゃいいのに。

また勉強を再開しだした犬塚君をどうにか邪魔してダメ人間サイドに墜とせないかと思って犬塚君に話かけ続けた。


「それにしても、輝君も昴君も素直で可愛いいい子だよね。私の子供時代はあんな無邪気だった気がしないよ」


そうか?と参考書のページを捲りながら犬塚君が言う。


「あいつらも結構人慣れしてないけどな、友達もあんまりいないみたいだし」


「え?あんなに人懐っこいのに?」


「それは…鬼丸だからだろ。お前なんか雰囲気が似てるから」


誰に、と言おうとして背後の玄関から物音が聞こえて間も無く居間のドアが開いた。

そこにいたのは、丈の短いドレスを着て頭を盛りに盛った、いかにも夜の蝶的な女の人。



「たらいまぁ〜、裕美子ちゃんが帰ってきたよ〜ひゃっふぅうう!」



呂律が回ってないがやたらハイテンションに両手を上げた。

そのまま左右に揺れたかと思うと急にぽてりと床に崩れ落ちた。

大丈夫かと思わず駆け寄ると、それより先に犬塚君が抱き起こす。


「寝るなら布団で寝ろよ。あと化粧と頭戻さないと」


「やだー床冷たくて気持ちいい〜ここで寝る〜…ふぎゃ」


犬塚君は慣れた手付きで化粧落としを含んだコットンでごしごしと容赦なく女性の顔を拭く。

ひゃ〜顔取れる〜という悲鳴を終始完全無視して拭き終わったのか手を離した。

先ほどのがっつりメイクが取れて、さっぱりとした麻呂眉の顔が目をぱちくりさせてこっちを見ていた。


「これ、うちの母だから」


犬塚君がボソッと告げた言葉に驚愕した。

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